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5歳三男、外骨腫の防備録です5歳三男くん2023年6月幼稚園の先生に「三男くんの骨が出てる」と言われて異変に気づく痛みなし可動域に狭い様子なしわかるかな??ポコンと飛び出してる感じ触ると明らかに違和感はじめに小児科に行き、骨だから「外科」か「整形外科」に行ってねってことで後日に整形外科へドクターの触診で「外骨腫」かな〜ってレントゲンわかるかな??ポコンと軟骨ぽいものができてるの。痛みとかないなら、経過観察でオッケー全身麻酔になるから5年後とか落ち着いて手術できる年
外骨腫ってなに?骨軟骨腫(外骨腫)について、いまだに世の中には知られていませんがついに平成29年4月1日からの障害者総合支援法の対象疾病に「多発性軟骨性外骨腫症」が追加されました。害者総合支援法の対象疾病一覧とうとう!という感じです。ここまで到達するのに本当に長い年月がかかりました。かれこれ35年程です・・・相談しても判る人がおらず、医師も断片的な情報しか仰りませんでした。骨軟骨腫について|メディカルノート(medicalnote.jp)私が症状に気
兄弟姉妹に障害者を持つ「きょうだい児」私は最近まで「きょうだい児」という言葉を知らなかった。なにせ障害当事者ですから。「きょうだい児」にも色んな苦労・心労はあるみたいですがどうだろ、障害当事者としての苦しみの方が大きいのではと実感的に思うのだけど。あるblogで、知的障害者の妹を兄姉が疎ましく思っている事を長々と書いてあるのを読んで、心の底から悲しみと怒りがふつふつと沸いたことがありました。甘やかした母が自立させないまま、死んだのが悪いとそこに書かれ
母はまったく母性が欠けていた。なのに、子供はたくさん産んだ。3人以上の子供を連れた人を見ると、蔑んだようにいつも言う言葉があった。『こんなに産んでどうすんの!』自分自身は何人も何人も何人も子供を産んで産みっぱなしで家事育児をしないから、上の姉たちが仕事を終えて全ての家事育児をしたそうだ。姉たちも怒っていた、育児もしないのにどうして産むの?って。母は私が施設に入る時、見送りに来なかった。入ってからも面会に来たのは片手で数を数えられるほど。母は、父を苦しめるために食
バカな父は、これまたバカな母と喧嘩ばかりしていた。物心ついた時から、父と母が喧嘩する姿しか知らない。皆が和気あいあい、なんて父が一番嫌っていたこと。皆が仲良く、これも父が嫌っていたこと。人を尊重する、慮る、大切にする、父の辞書には載っていない言葉。本が大好きで辞書は何冊も持っていたのに、きっとこれらの言葉は省かれていたに違いない。昔は50半ばで定年が普通で、父も57才で定年だった。それまで社宅だったので、終の棲家を一人で探し家族の誰にも相談ひとつせず
施設に入れられて何年か過ぎた日、何の治療をするワケでもないのにこんな所にいつまでも居たくないと親に手紙を送った。何度も何度も手紙を書いていたら、父親が施設の医者と話しをする気になったのか、面会に来てくれた。担当の医者と面談した後、父親は私にこう言った。手術をすれば、正座が無理なので座敷に座ることが出来ない。だから家を洋間にしなくてはいけない、その費用は120万かかるから足は治せない。そう聞いた時、こう思った。私がショックを受けないために作り話をしている。治せない
「動物園」の中に置いて行かれた日の事を思い返すといまだに涙が出てしまう。7才になったばかりの私は、毛布にくるまって泣くばかり。家族と引き裂かれてひとりぼっちの私。不安だらけで辛くってただメソメソ泣いていた。あの時の自分をいまの自分で抱きしめてやりたい。大丈夫とは言えないけれど、優しく抱きしめてやりたい。可哀相で可哀相で・・・未成年の子供たちの施設は、子供特有の残酷さがあり関わる職員たちの意識の低さが私には辛過ぎた。本能剥
1回目の東京オリンピックがあった昭和39年(1964)。ある日、父親に連れられて汽車に乗った。駅のホームで見送る姉たち、号泣しながら手を振っていた。私は行きたくないとただ泣いた。不安だらけの私を乗せて、汽車は北へと何時間も走り、見知らぬ薄暗い駅に着いた。あの時の光景は56年経った今でも覚えている。薄暗い駅、古いコンクリート、不安になるだけだった灰色の世界。この先の私の人生を象徴していたのでしょう。骨軟骨腫はあっても、その頃は普通に生活出来たのに治療法なんて無い病気
私が持って生まれた難病は『骨軟骨腫』身体のあらゆる関節部分で、成長期に正常な骨からまるで火山の溶岩のように流れ出てしまった軟骨でコブを作ってしまう。場所によっては身体機能が損なわれて二次的な障害が生じてしまいます。当然治癒など望めず、出来ることは出っ張った骨を削る手術のみ。私は全身に出ているので、身体のアライメントが狂ってしまい年齢が高くなるほど困った症状に悩まされています。難病情報センターのホームページには次のように書かれています。https://www
こんばんは(・∀・)/いつもかーかのブログを見ている皆様また「いいね」を付けている皆様毎度ありがとうございますm(__)mペコリーヌ前ブログの後、すぐに書く予定でしたが(後程...詳細を書きますが)バタバタしまして今、書くことになりましたむぎの右手首ですが腫瘍を取って骨が細くなった所は元通りになりました主治医曰く、手を動かしているからだねと、言っていましたがむぎサン...ピアノを弾くのでそれで骨も成長したかな?ただ...新たな骨軟骨腫(?)が出てきたので1年の経
こんにちは(・∀・)/いつもかーかのブログを見ている皆様また「いいね」を付けている皆様毎度ありがとうございますm(__)mペコリーヌタイトルの件ですが午前中、むぎ退院しましたやっとシャバに出られたよーヽ(´▽`)/ヤッフーヤッフー実は...昨日の夕方から突然の面会禁止となり病棟に入るのにも一苦労だったかーか(ちょいとありまして)かなり神経ピリピリむぎの右手首も落ち着いてきたので主治医から「明日、退院しましょうね(^^)」と、言われ、ラッキー今日、退院したの
おはようございます(・∀・)/かーか相変わらず舌を噛んで寝ていたみたいです寝た気しないしむぎは痛み止めが切れると首を横に振ったり側で寝ているかーかの足を蹴る(痛みを紛らわす為)と我慢するような仕草を見せるので早めに座薬inをします少しずつ座薬を入れる時間が延びてきたかな?今日はラブ蔵の整形外科の定期検診ですこちらも少し目立ってきた骨軟骨腫があるので何を言われるやら...一家再会ができたらいいな(^^)
こんばんは(・∀・)/真夜中の投稿、失礼しますいつもかーかのブログを見ている皆様また「いいね」を付けている皆様毎度ありがとうございますm(__)mペコリーヌむぎ...日付が変わる直前ぐらいから痛み止めが切れてうなされたので座薬inと、同時におトイレに挑戦しましたかーかが抱っこして看護師さんが点滴スタンドを押してトイレに行ってでしたが大量に出た時は安心しました今は安心して寝ています(^^)かーか...うたた寝している時に無意識のうちに舌を噛んでいたみたい気
こんにちは(・∀・)/むぎサン手術から帰ってきました骨折により、ワイヤーが入るかもしれない不安がありましたが思ったよりも骨が丈夫だったらしく3週間のギプスで済みそうです急に動いたのでかーかが電話している間に軽い嘔吐がありましたが(看護師さんに病衣を着せてもらっている時に起きました)今は落ち着いていますむぎ、頑張ったね(^^)追記むぎの骨軟骨腫ですが骨にめり込んでいたものは小さかったですが右手首小指側の骨軟骨腫白丸部分の骨軟骨腫は過去に除去手術を受けたラブ蔵の骨軟骨
おはようございます(・∀・)/いつもかーかのブログを見ている皆様また「いいね」を付けている皆様毎度ありがとうございますm(__)mペコリーヌ手術の朝を迎えました朝一(8時)から手術なので先程、水を飲ませましたラブ蔵の時と違いかなり飲んだむぎちょっとだけ安心しました昨日、主治医から衝撃の内容を告げられむぎの骨軟骨腫今回は2か所取るそうなんですが人差し指側の右手首にできた骨軟骨腫元々の骨にめり込んでいるらしく除去手術の際、骨の薄さから骨折する可能性があるとの事な
ガングリオンてご存知ですかシンカリオンとかエヴァンゲリオンに字面は似てるけど、まったく違いましておととい、長女の腕にこんなぽっこりした膨らみを見つけましてうまく写らないんだけど、小指の先くらいの小さなサイズの骨みたいな硬い膨らみ前から長女が腕がぽっこりしてるー!とは言ってたんだけど、前はそんなにぽっこりが目立たなかったし、痛くもないそうで。↓私の手首ですがこの丸のやつみたいな手首の通常の骨だと思って、そこまできちんと見てあげてなくてでも長女は腕の真ん中にぽっこり
先週のマンバケン厩舎は惨憺たる結果。アーザムブルーは10着。インヘリットデールは6着。ペースが上がらない競馬、外枠が仇になりました。本当直線も外は伸びない馬場でした。脚質から仕方ないけど、次走に期待するしかないです。引退までカウントダウンに入っているインヘリットデールは現級を勝ってるだけにどうにかして欲しいです。1月は結局レッドルレーヴの1勝止まり。開催替わりの2月は2勝を目指したいです。さて、マンバケン厩舎の出資額の大将であるヴェルデアシャフト。やっと帰って来ました。一昨年12月か
こんばんは(・∀・)/いつもかーかのブログを見ている皆様また「いいね」を付けている皆様毎度ありがとうございますm(__)mペコリーヌ先週の水曜日以降、ブログ更新が出来ずすみませんm(__)mあれから一家全員、風邪が悪化しまして現在は、旦那さんだけかーかもやっと風邪が治りましたさて、むぎさんですが右手首は春休みに入ってから手術することになりました左腕も怪しいのですがレントゲンを撮り忘れたので、来月に後回しそして、右膝の裏にも骨軟骨腫があり今のところは問題ないそう
こんにちは(・∀・)/只今、2度目のレントゲン撮影中のむぎさんやはり、成長障害...と、いうより神経障害が強く出ていました右手首は腫瘍を取れば大丈夫との事で春休みに手術をする事になりましたただ、就学前健診で低身長を指摘されていたので身長の低さは主治医も気になったようでむぎの全身写真を撮ることになりました(多発性骨軟骨腫は手だけではなく、足にも出るんですラブ蔵も足に数か所の骨軟骨腫があります)むぎの診察中ラブ蔵の主治医が来てレントゲンを見ていましたラブ蔵の主治医は兄妹に
おはようございます(・∀・)/いつもかーかのブログを見ている皆様また「いいね」を付けている皆様毎度ありがとうございますm(__)mペコリーヌ今朝の沖縄はどんより曇り空写真を撮った直後、雨が降りましたラブ蔵にとっては禊の雨かな?さて、かーかはむぎを連れて病院へ来ています去年末からむぎの右手首に骨軟骨腫が出て急激に大きくなり痺れが出てきているとの事で一昨日、予約の電話を入れて名医なので日程的に時間がかかるかな?と、思ったら思いのほか、今日の予約が取れたので今は診察
8月29日に腫瘍摘出手術をし、病理検査に提出。6月の生検同様、2週間後の結果では、良性と悪性の境界型骨病理のセカンドオピニオンする為、またさらに2週間待つ事になりましたそして、ようやく結果が…結果は良性腫瘍と‼️どちらかと言うと…って感じが否めないので、スッキリ喜べませんが、とりあえず一安心しました悪性なら放射線治療なども考えていましたが、そこまではなく、先生ははっきり言いませんが、私の見解では良性腫瘍が大きくなりすぎて悪性転化しかけてたんじゃないかと勝手に納得しています笑な
金曜日に手術をし、月曜日には退院許可が!火曜日にガーゼ交換してもらい退院となりました次は1週間後。退院して、1日自宅療養して(夏休みの宿題が鬼のように残ってる)、退院2日目には学校に🏫文化祭の前日とあって、準備がしたいと頑張って行きました文化祭は私も娘たちを連れて見にいけたので、様子を見れたり、とても楽しかったですその後は家で1度ガーゼ交換をして、手術後約10日後に抜糸になりました。レントゲンでも異常なく、もう走れるかと思っていたら、胸膜が傷ついたので1ヶ月は運動禁止なのに、部活
手術中に胸膜が傷付き、空気が入り肺が圧迫されたので、チューブを挿入してその空気を抜き肺が元どおり膨らむのを待っていました極端に言えば、それが外れたら退院出来ると言われましたただ、土曜日にレントゲンで見たところまだもう少し…日曜日を挟んだので、月曜日に肺が膨らんで来たかCTを撮りました寝不足で退屈な長男は早くに帰りたい…ドキドキして結果を待ってると。無事肺は膨らみ、チューブを外せる事に血が溜まらないようにしていたドレーンも両方外れ、一気に身軽にー退院許可も出て、次の日に帰れることに
手術をした次の日になりました朝7時半から、早く来てのLINE娘2人の預ける準備をして、8時頃病院へ🏥歯磨き、洗面、朝ごはん。看護師に言えばいいものの、なかなか頼めないわなテレビ台にあった、取りたかった物たち。私に頼みたい事はいっぱいあったようでした笑痛みや体勢の苦しさでほとんど寝れなかった様子…挙げ句の果てに同室のオッさんのイビキ💤入院した時の話によれば無呼吸症候群だそう手術後は個室にしてあげれば良かったなウトウトしてる中、オシッコの管を外してトイレに行けるように…ちょうど便
長らく長男の記事を書いていませんでした作り置きやら料理ブログになりつつありますが、病気の事完結させたくて6月に全身麻酔で生検手術を受け結果、良性と悪性の境界型…と言う何とも歯切れの悪い結果に、先生も早めに取っとこうと言う結論に。夏休みに取ればちょうどいいかな?と思っていたけど、お盆にある陸上の大会へ出たいと8月末の手術になりました2日前には長男が行きたがってた東京旅行に休みが合わず片道4時間の一泊二日の弾丸旅行東京駅、原宿、渋谷、新宿、浅草、スカイツリー、秋葉原、横浜。2日でみっち
今朝、更衣室で着替えてると更衣室へ続く階段を登る足音が…もうすぐ誰かが更衣室のドアを開ける…はず…ドンッゴトッキャ〜なんだ何だ何事だ入り口から凄い物音と悲鳴そう。Tさんコケちゃったんですその時は解らなかったけど、後から見てみたらパックリ膝が切れてたらしいです昼過ぎには、1時間ほどで痛みは消えたものの、私の膝が急にカクカク凄く痛くなりそして、夕方。Nさんが『これ見てください』とスカートを少し上げて見せてきたのはストッキングが見事なまでに引き裂けて丸見えの膝。今日は、やたら膝
長らく放置してしまいました。勝手にセカンドオピニオンに行ったけど、大学病院の診断や治療方針に間違いは無く、納得出来たので大学病院に戻ることになりました。セカンドオピニオンの病院でMRIや、PET、採血などの検査結果と情報提供書を大学病院診察の時に持って6月初旬に行きました。大学病院の先生にはとりあえず勝手に違う病院へ行ったことを謝り、先生は苦笑い…?笑笑あまり、何も言われず一安心。病理検査をまずしないと進まないので、6月9日に入院して病理検査をしました。前日入院。全身麻酔で約1時
5~6年前に出来ていた右膝より上の外側にある、骨のでっぱり時々、骨の引っかかる感じの痛みがあったみたいだけれど今回は右膝上太腿に激痛を訴え骨のでっぱりが関係あるのかないのかわからないまま救急病院へ診察して、レントゲン撮影やっぱり骨のでっぱりが原因かもしれない骨腫瘍の専門の先生に診てもらうことをすすめられました激痛のため痛み止めを処方され、飲んでいます専門外来受診は、それから4日後診察室に入るとすぐがんの説明レントゲン結果から、今ある骨腫瘍の説明おそらく良性
こんにちは(・∀・)/いつもかーかのブログを見ている皆様また「いいね」を付けてくれている皆様毎度ありがとうございますm(__)mペコリ今日明日はラブ蔵の定期検診で病院へと連れて行くかーか先程、ラブ蔵を放課後等デイサービスへと送って帰宅しました今日は半年ぶりの整形外科だったのですが目立った骨軟骨腫もなく、痛み等もなかったので1年間の経過観察となりましたかーかとラブ蔵...大喜びです放課後等デイサービスまで送っていく間ラブ蔵のお喋りが凄かった( ̄▽ ̄;)やりたい事ができ
連続投稿すみません5月の末に大学病院を紹介され、受診したけど、MRIの予約が1ヶ月先…先生はほとんど説明なく、無愛想な感じで、ますます不安が募る…元職場でMRIを撮ってもらい、大学に持って行こうとしたけど、やっぱり専門の病院にかかりたくて、元職場の先生に紹介状を書いてもらう事に近県の総合病院に行くことになりました電車で往復3時間初め血液内科に受診になり(何故か)生検必要との事で、次の日に整形受診。2日連続での受診はなかなか大変でした整形の腫瘍科。専門の病院と先生と言う情報だけで