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現在は2頭がBTCで日々頑張ってる今週は残念なお知らせもあったけど記載キャノンボール牡2左膝裏の骨軟骨腫アクシデントやねもともと脚元・健康に不安を感じてた仔慎重に丁寧にゆっくりとした育成やったまぁしゃあないよね・・次報を待ちたいソルオーブ牡2この仔は引き続いて順調に進んでいるねとにかく馬体重が増えてくれればと思う9月には本州入り、怪我はアカンで残口ありもその頃にはきっと満口になる馬の成長に合わせて丁寧な育成の印象鍛錬と成長の両立、難しい作業に感謝
暑い〜今日も今日で今夏何回目かの市民プール🏊娘と友達男子を連れて。←フランス料理かwww私はずっと見学だったけど、暑い中見てるより入水したほうが楽かも?と、今日こそは子どもと入水を考えてたのに、入水やめとことなる出来事があり少し前から左膝の内側に痛みがあり数日前に整形外科に行ってきました中年の筋力の衰えによる炎症とか、母子登校で一日中ウンコ座りで教室にいる影響か、重たい荷物をよく持つ影響か、、、そんな感じの診断がくだると余裕かましていたら、、、レントゲンの結果Drから、膝は綺麗です
『息子の外骨腫骨軟骨腫について④』『息子の外骨腫骨軟骨腫について③』『息子の外骨腫骨軟骨腫について②』『息子の外骨腫骨軟骨腫について①』ずっと書きたかった、息子の「外骨腫」の話です…ameblo.jp前回の続きです、、、いよいよ入院当日。まずは麻酔科の先生とお話しがあります。暴れる可能性がある小さい子は、薬で眠ってから麻酔薬を使用するようですが、息子はもう5年生だからか、先生「点滴の麻酔で大丈夫やね!」とはい、っと返事するしかないもちろん麻酔のリスクや、万が
『息子の外骨腫骨軟骨腫について③』『息子の外骨腫骨軟骨腫について②』『息子の外骨腫骨軟骨腫について①』ずっと書きたかった、息子の「外骨腫」の話です。「外骨腫(がいこつしゅ)骨軟骨腫(こ…ameblo.jp前回からの続きです手術日も無事に決まり、近くの病院で手術が出来ることが決まった息子。手術1週間前くらいに、術前検査に行きます。身長、体重、血圧、採血、胸部レントゲン、肺活量チェック心電図※忘れている検査もあるかも肺活量チェックは、息を最大限吐き出したあとに、最
『息子の外骨腫骨軟骨腫について②』『息子の外骨腫骨軟骨腫について①』ずっと書きたかった、息子の「外骨腫」の話です。「外骨腫(がいこつしゅ)骨軟骨腫(こつなんこつしゅ)」骨の端にできる、良…ameblo.jp前回の続きです。「外骨腫」は骨の腫瘍なので、専門の先生に診て貰う必要があります。住んでいる市も大きな大学病院もありましたが、そこの整形外科には診れる先生はいないらしい、、車で約1時間半かけて、隣の市の病院までいきました。そして息子は「手術」することを選択しました。
『息子の外骨腫骨軟骨腫について①』ずっと書きたかった、息子の「外骨腫」の話です。「外骨腫(がいこつしゅ)骨軟骨腫(こつなんこつしゅ)」骨の端にできる、良性の腫瘍のことです。息子は片方の膝下…ameblo.jp前回、外骨腫(がいこつしゅ)の続きです。「どうやって気づいたの?」これをよく聞かれますそれは、曲げたり伸ばしたりするときの足の痛みから始まりました。息子「最近足を曲げて、伸ばした時に、足がつったときみたいに、痛くなる〜」私「えー筋肉痛じゃないんー??ひねった?」正直す
ずっと書きたかった、息子の「外骨腫」の話です。「外骨腫(がいこつしゅ)骨軟骨腫(こつなんこつしゅ)」骨の端にできる、良性の腫瘍のことです。息子は片方の膝下の骨のところに、2??3??センチの骨の腫瘍ができました。出っ張っているのが骨の腫瘍です外骨腫と診断された時、いろんなブログや、ホームページなど調べましたが、なかなか情報が少なくて、不安になりました。個人差などはあると思いますので、あくまで我が家の息子の話として、聞いていただけたらと思います2024年、9月に
木曜日から入院していたムスッコこのボコっと腫れ上がった腫瘍骨軟骨腫といって・・・良性の腫瘍なんだけど・・今回痛みが出たので、手術することにおーせ『骨軟骨腫(こつなんこつしゅ)』病院・・めっちゃ時間かかった・・涙そしてこの腫れ骨軟骨腫というそうで・・良性の腫瘍でした。おもえば・この撮影した時に「ずいぶんこのはれ大きくなっ…ameblo.jpおーせ『ムスッコと病院へ(骨軟骨腫)』今日はムスッコと病院へ行く日だった。
5歳三男、外骨腫の防備録です5歳三男くん2023年6月幼稚園の先生に「三男くんの骨が出てる」と言われて異変に気づく痛みなし可動域に狭い様子なしわかるかな??ポコンと飛び出してる感じ触ると明らかに違和感はじめに小児科に行き、骨だから「外科」か「整形外科」に行ってねってことで後日に整形外科へドクターの触診で「外骨腫」かな〜ってレントゲンわかるかな??ポコンと軟骨ぽいものができてるの。痛みとかないなら、経過観察でオッケー全身麻酔になるから5年後とか落ち着いて手術できる年
外骨腫ってなに?骨軟骨腫(外骨腫)について、いまだに世の中には知られていませんがついに平成29年4月1日からの障害者総合支援法の対象疾病に「多発性軟骨性外骨腫症」が追加されました。害者総合支援法の対象疾病一覧とうとう!という感じです。ここまで到達するのに本当に長い年月がかかりました。かれこれ35年程です・・・相談しても判る人がおらず、医師も断片的な情報しか仰りませんでした。骨軟骨腫について|メディカルノート(medicalnote.jp)私が症状に気
兄弟姉妹に障害者を持つ「きょうだい児」私は最近まで「きょうだい児」という言葉を知らなかった。なにせ障害当事者ですから。「きょうだい児」にも色んな苦労・心労はあるみたいですがどうだろ、障害当事者としての苦しみの方が大きいのではと実感的に思うのだけど。あるblogで、知的障害者の妹を兄姉が疎ましく思っている事を長々と書いてあるのを読んで、心の底から悲しみと怒りがふつふつと沸いたことがありました。甘やかした母が自立させないまま、死んだのが悪いとそこに書かれ
母はまったく母性が欠けていた。なのに、子供はたくさん産んだ。3人以上の子供を連れた人を見ると、蔑んだようにいつも言う言葉があった。『こんなに産んでどうすんの!』自分自身は何人も何人も何人も子供を産んで産みっぱなしで家事育児をしないから、上の姉たちが仕事を終えて全ての家事育児をしたそうだ。姉たちも怒っていた、育児もしないのにどうして産むの?って。母は私が施設に入る時、見送りに来なかった。入ってからも面会に来たのは片手で数を数えられるほど。母は、父を苦しめるために食
バカな父は、これまたバカな母と喧嘩ばかりしていた。物心ついた時から、父と母が喧嘩する姿しか知らない。皆が和気あいあい、なんて父が一番嫌っていたこと。皆が仲良く、これも父が嫌っていたこと。人を尊重する、慮る、大切にする、父の辞書には載っていない言葉。本が大好きで辞書は何冊も持っていたのに、きっとこれらの言葉は省かれていたに違いない。昔は50半ばで定年が普通で、父も57才で定年だった。それまで社宅だったので、終の棲家を一人で探し家族の誰にも相談ひとつせず
施設に入れられて何年か過ぎた日、何の治療をするワケでもないのにこんな所にいつまでも居たくないと親に手紙を送った。何度も何度も手紙を書いていたら、父親が施設の医者と話しをする気になったのか、面会に来てくれた。担当の医者と面談した後、父親は私にこう言った。手術をすれば、正座が無理なので座敷に座ることが出来ない。だから家を洋間にしなくてはいけない、その費用は120万かかるから足は治せない。そう聞いた時、こう思った。私がショックを受けないために作り話をしている。治せない
「動物園」の中に置いて行かれた日の事を思い返すといまだに涙が出てしまう。7才になったばかりの私は、毛布にくるまって泣くばかり。家族と引き裂かれてひとりぼっちの私。不安だらけで辛くってただメソメソ泣いていた。あの時の自分をいまの自分で抱きしめてやりたい。大丈夫とは言えないけれど、優しく抱きしめてやりたい。可哀相で可哀相で・・・未成年の子供たちの施設は、子供特有の残酷さがあり関わる職員たちの意識の低さが私には辛過ぎた。本能剥
1回目の東京オリンピックがあった昭和39年(1964)。ある日、父親に連れられて汽車に乗った。駅のホームで見送る姉たち、号泣しながら手を振っていた。私は行きたくないとただ泣いた。不安だらけの私を乗せて、汽車は北へと何時間も走り、見知らぬ薄暗い駅に着いた。あの時の光景は56年経った今でも覚えている。薄暗い駅、古いコンクリート、不安になるだけだった灰色の世界。この先の私の人生を象徴していたのでしょう。骨軟骨腫はあっても、その頃は普通に生活出来たのに治療法なんて無い病気
私が持って生まれた難病は『骨軟骨腫』身体のあらゆる関節部分で、成長期に正常な骨からまるで火山の溶岩のように流れ出てしまった軟骨でコブを作ってしまう。場所によっては身体機能が損なわれて二次的な障害が生じてしまいます。当然治癒など望めず、出来ることは出っ張った骨を削る手術のみ。私は全身に出ているので、身体のアライメントが狂ってしまい年齢が高くなるほど困った症状に悩まされています。難病情報センターのホームページには次のように書かれています。https://www
ガングリオンてご存知ですかシンカリオンとかエヴァンゲリオンに字面は似てるけど、まったく違いましておととい、長女の腕にこんなぽっこりした膨らみを見つけましてうまく写らないんだけど、小指の先くらいの小さなサイズの骨みたいな硬い膨らみ前から長女が腕がぽっこりしてるー!とは言ってたんだけど、前はそんなにぽっこりが目立たなかったし、痛くもないそうで。↓私の手首ですがこの丸のやつみたいな手首の通常の骨だと思って、そこまできちんと見てあげてなくてでも長女は腕の真ん中にぽっこり
先週のマンバケン厩舎は惨憺たる結果。アーザムブルーは10着。インヘリットデールは6着。ペースが上がらない競馬、外枠が仇になりました。本当直線も外は伸びない馬場でした。脚質から仕方ないけど、次走に期待するしかないです。引退までカウントダウンに入っているインヘリットデールは現級を勝ってるだけにどうにかして欲しいです。1月は結局レッドルレーヴの1勝止まり。開催替わりの2月は2勝を目指したいです。さて、マンバケン厩舎の出資額の大将であるヴェルデアシャフト。やっと帰って来ました。一昨年12月か
8月29日に腫瘍摘出手術をし、病理検査に提出。6月の生検同様、2週間後の結果では、良性と悪性の境界型骨病理のセカンドオピニオンする為、またさらに2週間待つ事になりましたそして、ようやく結果が…結果は良性腫瘍と‼️どちらかと言うと…って感じが否めないので、スッキリ喜べませんが、とりあえず一安心しました悪性なら放射線治療なども考えていましたが、そこまではなく、先生ははっきり言いませんが、私の見解では良性腫瘍が大きくなりすぎて悪性転化しかけてたんじゃないかと勝手に納得しています笑な
金曜日に手術をし、月曜日には退院許可が!火曜日にガーゼ交換してもらい退院となりました次は1週間後。退院して、1日自宅療養して(夏休みの宿題が鬼のように残ってる)、退院2日目には学校に🏫文化祭の前日とあって、準備がしたいと頑張って行きました文化祭は私も娘たちを連れて見にいけたので、様子を見れたり、とても楽しかったですその後は家で1度ガーゼ交換をして、手術後約10日後に抜糸になりました。レントゲンでも異常なく、もう走れるかと思っていたら、胸膜が傷ついたので1ヶ月は運動禁止なのに、部活