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この本を読んで、西郷隆盛と山岡鉄舟が会談した記念碑が静岡の市内にあることを思い出して見に行った。西郷隆盛と勝海舟が会談する前に、西郷と山岡が交渉して江戸城の無血開城が決まっていたことを確認した。また、駿州赤心隊や冨士亦八郎についても詳しく調べてみたい。幕末を生き切った男たちの話をもっと知りたいと思う。吉村昭著「彰義隊」を読み終わった。
しづやしづはたせんげん様のなんでも叶う白い馬この神馬に一心に祈れば何でも願い事が叶うというところから叶え馬と言われています。今回は願い事ではなく、いつも健康で過ごせることに感謝し、「有難うございます」とお礼を言ってきました。駿府にある浅間神社の叶え馬は三代将軍家光公が左甚五郎に作らせたと言われています。
こんにちは私事ですが、シルバーセンターに登録して一週間前から某企業に派遣という形で仕事をしています。仕事と言っても雑用作業で事務棟の清掃(ゴミ収集)や敷地内の落葉拾い、草抜きの軽作業(結構、シルバーにはきついところもありますが・・・)です。時間は、午前中4時間(2日連続後、3日目は午後のサイクル)ですあが通勤に往復約2時間かかってしまいますので、このブログを書く時間がいままでより少なくなり、投稿にも時間がかかってしまって申し訳ありません。定年退職して、10年余
静岡市歴史博物館へ十返舎一九と蔦屋重三郎展を観に行って来ました。チケット
今日は、静岡市歴史博物館で行われたトークイベントへ参加しましたトークの題名は、「花開いた出版文化蔦重の生きた時代の駿府」です蔦重(つたじゅう)とは・・今放送されているNHKの大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」の主人公蔦屋重三郎(つたやじゅうさぶろう)のことです蔦重は、吉原の貸本屋から日本橋の本屋へ進出して、常に流行を意識して江戸から発信していました蔦重に才能を見出され、作家デビューを果たしたのが、弥次喜多道中記「東海道中膝栗毛」を書いた十返舎一
我が家のお気に入りの場所は?▼本日限定!ブログスタンプ自室かな家康「ワシは殆ど駿府で過ごしたぞ」ギン姉「江戸城にはいらっしゃらなかったと」
天下に志があるのであれば、風に靡くのではなく、みずから風を起こさねばならない。風を起こすだけではなく、風を培い、風に厚みをつくってから上昇し,青天を背負って飛ぶというのが、天下取りの雄姿である。宮城谷昌光著「風は山河より」第三巻より風は何処から吹いてくるのだろう海から吹き寄せる風もある山から吹き下ろす風もある吹き飛ばされぬ様に根を四方に張って耐えるかその風に乗ってまだ見ぬ地へ飛び出すか風を待っているだけでは
もう一度この本を読み返してみたい。歴史の中で、脇役ではあるが魅力的な生き方をした漢たちがいたそんな漢たちの物語をもう一度読み返したい。風は山河より吹き渡ってくる宮城谷昌光さんが書いた日本の歴史小説をじっくりと読み始めようまずは第一巻から。
とても大切なことは、自身を大切にすることと、周りの者達への感謝をいつも何時も、忘れないことである。人は、当たり前に過ごしていると、その大切な要を忘れがちである。やはり、自分を大事に思っている者を、労い、感謝の言霊をかけていくこと。これに勝る。良い人間関係というのは、当たり前と思うようなことでも、感謝の言葉をかけていく、その心が、相手にも誠意や真心となって、伝わっていくのである。そのようにして、身近な者を、日頃から大切にするそなたの行為そのものが、自身にも返ってく
ウシガエルの若者か前回のとおり最近、伯父の連隊に関する資料(公的機関の蔵書からの複写)を得た。著作権法は営利を目的とせず、著作の一部であれば複写可としている。このため目的は「調査研究のため」という畏まった自己申告を行った。著作の一部という法文の解釈は、通常ページ数の半分までとされているらしい。このほど実は、文章の区切りが悪く、半分を少し上回る分量のコピーを依頼したが、有難くも或る章の最後まで、ちゃんと複写していただいた。今回かの参考資料は、先日話題にした傷痍軍人の展
南光坊天海㉜駿府に正信が現れた。家康に謁見すると、「名古屋城の普請についてですが、ここは天下の要地でありますので、お急ぎになられてはいかがでしょうか。」と意見した。家康はもっともな話だとは思った。確かに名古屋城建設の計画は遅れに遅れているようである。「上野介、名古屋はどうした。あれから報告がないが、何故遅れているのだ。」と正純に尋ねた。「はっ、篠山城普請が予定より遅れておりまして、こちらが終わらねば、名古屋に人夫・資材の手配ができません。築城は急がせ
静岡市歴史博物館へ江戸東京博物館展を観に行って来ました。1F物販1Fロビー3F
やはり異常です。静岡がそんなに暑くなる訳がない!郷里の隣町の静岡市(旧静岡・清水)は、海に面していて、冬は暖かいし、夏はそこそこ涼しいイメージ。その証拠に、歴代の高温記録を見れば・・・、5位までは全て今年記録されている。気になったので、さらに10位まで調べました。全て、直近5年に記録されている。しかも、10位を除いて2020年以降で、今年は5回も・・・🤯😯🥵。異常です。これじゃ静岡は駿府(すんぷ)じゃなくて温湿布だぁ。
天海(263)「慶長十年正月九日、御上洛のため江城をご発興あり。しかるに痳をなやませ給ひしかば、数日内藤豊前守信成が、駿府城に御延滞まします。長福丸方も陪せらる。」(「東照宮御実紀」)さて、慶長10年(1605年)1月9日、いよいよ家康が江戸城を出発したのである。ところが道中に「麻」に罹患したという。この「麻」は「しびれ」(麻酔等)や「はしか」(麻疹)「中風」等の意味があるようだ。この場合、おそらく「はしか」であろう。あるいは、単に「重い風邪」だったかもしれない。用
三河雑兵心得:11百人組頭仁義(双葉文庫)Amazon(アマゾン)茂兵衛は、徳川軍の軍制改革のおかげで、いよいよ、家康直属の鉄砲組の頭になりました。今までの三倍の人数をまとめることになりました。加増もされました。しかし、侍大将になることは、茂兵衛をやっかむ家臣に配慮してできませんでした。妻の寿美がせっかく作った馬印も無駄になってしまいました。扱いは、ほとんど侍大将クラスであり陣羽織をついに着ることとなりました。茂兵衛は、駿府の近郊で来る日も来る日も部隊の演習に勤しん
※こちらの記事は、平成28年4月12日に書かれたものです。皆さんこんばんは。東京は寒が戻りました(明日からまた暑いそうです)。ところで、ここ数日は大河ドラマ『真田丸』(さなだまる)で徳川(とくがわ)家を裏切った石川数正(いしかわかずまさ)が話題になっているようですね(僕はまだ見ていません笑)。戦国最大の謎?という人もいるこの事件ですが、僕はどうも、数正が私欲で豊臣(とよとみ)に寝返ったとは思えないんです。石川数正の登場する記事を読みたい方は、下記リンクをタップしてください:徳川家
家康が亡くなる最終回(12月17日)放送の大河ドラマ『どうする家康』「神の君へ」のその死を大久保彦衛門忠教(忠世の弟)の『現代語訳三河物語(ちくま学芸文庫)』で見ていきたいと思います。なぜ、松平家が江戸幕府を開くまでに至ったのかを譜代中の譜代の大久保忠教が語るのがポイント(NHK大河ドラマ『どうする家康』の亡くなる家康(C)NHK)家康の死と松平一族について『現代語訳三河物語(ちくま学芸文庫)』での徳川家康の死についてです。1615(元和元)年、両上様(家康・秀
来週には12月を迎えようというのにここ最近の大阪はとても暖かかったんですよおかげさんで野菜もすくすく育っちゃってきのう畑で大きな大根が採れたので帰り道にスーパーに寄って大好きな牛すじをたくさん買い込んで…っと圧力を〈強〉にセットして噴射すること30分久しぶりの男子ごはんです(*^^)vほろほろになった牛すじにつぅるんつぅるんの大根歯が要らんでってほどの美味しい牛すじ大根が出来ました今年も大根が豊作です(^^)/
先週、細君と静岡へ行ってきました。9月の関ケ原・岡崎に続いて「どうする家康ツアー」(笑)になります。正規雇用で働いてた頃ならね。ちょっと立て続いてるとは言え、このくらいの距離ならばレンタカーを数日借りるとこだったけどね。今回に関してはちょっと節約して、往復ともに各駅停車での移動。俺はまァまァ慣れたもんでもあるけれど、細君はこういうの初めてだったんじゃないかな。「案外イケるもんだねェ」とは言ってたけども(笑)。自宅を5時半前に出て、静岡に着いたのは9時半過ぎ。
「どうする家康静岡大河ドラマ館」の様子をご紹介しております静岡大河ドラマ館館内図今回は、歴代大河が描いた駿府(館内図⑥)と、家康公が愛したまち静岡紹介エリア(館内図⑦)のコーナーからご紹介ですここには、徳川家康略年表が展示されています徳川家康略年表最近は、大河ドラマの進み具合を、この扇形のマークで表しています駿府は今川家の領土として有名ですが、武田信玄に支配されていたころもあったのですね~家康公が愛したまち静岡紹介エリア
これは???※この画像は禁転載です。これは、律令時代?の静岡を想像した絵図みたいです・・・最近、知人より昔の地図や絵図などをまとめて譲って頂きました。それらに交じって出てきたのが、30cm×30cm位の大きさのこの絵図です。【一千年前駿河國府想像圖】とあります。そして、【静岡市史編纂課】とも、手描きで簡単なメモ?みたいな感じ。【静岡市史】の中にこの絵図が載せられているかもしれないと、図書館で「静岡市史」の本を確認したのですが、この絵図は
旅の手帖2023年6月号【雑誌】【3000円以上送料無料】楽天市場880円三英傑の中では第3位の家康ですが、徳川300年の礎を築いた偉大な人物。地元岡崎で愛された彼の子供の1人は尾張徳川家の開祖。徳川美術館の素晴らしさは言わずもがなですが、倹約の紀州徳川家、勉強の水戸徳川家とはまた違う、尾張徳川家。現在の愛知県は三河地方と尾張地方という区分けがありますが、家康の三河、義直の尾張って思うとまた偉大な人物がボコボコ出ている家系なのかも、と再認識しました。ですが、今期の大河ド
ウクライナは結局アフガン・イラクになりバイデンは逃げるように撤退するのか-Yahoo!ニュースYahoo!ニュース-Yahoo!JAPAN米国は長年にわたって世界最強クラスの軍事大国と考えられてきた。例えば、第1次世界大戦、第2次世界大戦は、米国の参戦が勝敗の行方を決めたと言える。「まだまだ作るよ!」米海軍73隻目のイージス駆逐艦が就役名前の由来は看護婦さん|NewsCafeNewsCafe|無料ニュースサイトC2」を搭載、優れた艦隊防空能力以外にも弾道ミサイル
昨年12月に静岡に行きましたが、その時に今年の大河ドラマ館が、静岡、浜松、岡崎の三市であるということを知りました。浜松の大河ドラマ館は3月にフルオープンということでしたので、4月になれば行こうと思っていました。サクラはもう散りだして随分になるので期待はしませんでしたがところどころ余韻を残していました。まず静岡の大河ドラマ館は静岡浅間神社の境内にあります。建物はそれほど大きくなく、出演者の衣装などがありました。全体的に小ぶりなものでした。この日はやはり3月にフルオープンした静岡市
静岡市東海道広重美術館へ家康と東海道ーどう描いた広重ー展を観に行って来ました。
自宅を出たのは、7時30分ぐらい。給油して、出発したのは8時ぐらいでしたかね。少し寒いなと覚悟はしていましたが、御殿場に近づくれにつれマジで寒いやん。これでも一応、防寒対策はしてきましたが。我慢できずに、新東名の清水で休憩。初めて立ち寄りましたが、クシタニがありました。まだ10時前でしたので、開店前でした。クシタニは個人的にあまり興味がないので、どうでも良いのですが・・・。ラーメンだけ食べて出発しました。そしてまずの目的地、竜ヶ岩洞初めてきた鍾乳洞ですが、距
家康公の食卓を15代将軍屋敷跡の浮月楼で浮月楼【公式】浮月楼徳川慶喜公屋敷跡静岡の料亭・結婚式場浮月楼はJR静岡駅北口から徒歩3分、明治二四年創業の料亭・結婚式場・催事場です。ランチやディナーといったご会食、結婚式・ウェディング、ご結納・お顔合わせ、お食い初めや七五三、長寿祝い、ご法事・ご法要、同窓会、宴会、会議、展示会、イベント等にご利用いただけます。庭園をご覧いただきながら、季節に合わせたお料理をご堪
昨日今日と愛知静岡に行きました。そういえば大河ドラマの聖地じゃね?と気づき合間を縫って色々物色笑笑そしたら意外や意外!あるわあるわまずは名古屋駅駅中きっぷ売場の近くに特設コーナーが✨主演の松本潤さん、奥さんの瀬名役の有村架純さんのパネルが堂々と君臨!劇中ではまだ“松平家康“ですからね。神君“徳川家康“になるのはまだまだ先のお話で一緒に写真が撮れるパネルは割と晩年の関ヶ原のころの家康さんを意識されたように感じました✨待ち合わせ場所に指定されたのが安城駅新幹線ユーザーとしては【
静岡市は浜松市と並んで政令指定都市。葵区と駿河区って区名のセンスがいい。清水市は清水区で名前を残している。人口もコロナ感染者も浜松よりちょっと少ない。2つの政令指定都市しぞーか(静岡)とはーまつ(浜松)の市民感覚がズレているのか定かでないが、何年か前に浜松でも静岡でも働いていた某氏に聞くと「全然違う。静岡市民はおっとりしている」ってバッサリ。静岡市は南アルプス深南部への入口。赤石岳に登ってみたいと思いつつ、バスで登山口まで辿り着くだけで腰痛になりそうなのでずっと先送りしている。昔、入
登呂遺跡で弥生時代のお勉強をした後は海岸沿いの道を走って15分位の所にある、久能山東照宮を訪れました。この辺りは石垣イチゴの産地でその温室が並んでます。ちょうど石垣イチゴ狩りの季節でそれを目当てのお客さんも沢山いました。でね、久能山東照宮には参拝客専用の駐車場は無いの。みんなイチゴ狩りのお客さん兼用の駐車場です。で、イチゴ狩りのお客さんは駐車料金が3百円だけど久能山東照宮の参拝客は5百円だというのなんか悔しいから少し離れた所で、2百円の駐車場を見つけましたほんの2分くらいヨ!管理