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①、②、ドラクエをベースにした『ダイの大冒険』の成功体験に味をしめた同名コンビが柳の下のドジョウを狙ったかどうか知りませんが、今度はオリジナルのMMORPGみたいな世界を舞台にして始めた『冒険王ビィト』は、月刊連載で12巻くらいまで続いた後、「爪が割れた」とかなんとか言って“10年”の休載に突入、掲載誌が潰れたので季刊誌で復活したわけなのですが、作画担当に白血病のウワサまで流れた“10年”の休載に入る前、同格設定の強い敵6人と1人ずつ戦うキャンペーンというかいかにもオン
①、③、「数値目標をブチ上げて少しずつこなしていく」物語展開は多くの場合、「途中をすっ飛ばす」か「途中でおっぽり出して」処理が雑になってくモンで、数値目標が3ケタ台とか大風呂敷過ぎてそもそも無理があるのはもちろんですが、1人ずつブッ倒してくン天王やン人衆みたいに、1ケタ台に抑えてもやっぱり破綻します。『柳生忍法帖』の会津七本槍、『雷火』の公孫一族七人衆、割とメジャーなところで言えば『ダイの大冒険』の六大軍団長、『スターオーシャンセカンドストーリー』の十賢者、…とまぁ自分が
②、③、過去記事とかなり重複するネタではありますが、書いていくことにします。思いついたままに書くのがエッセイってなモンです。『暫定『ペテンの大風呂敷』・前編(再構成)』事件の謎解きを中心に展開する物語は“ミステリー”宇宙を股にかける壮大な冒険はすなわち“スペースオペラ”少年少女(思春期の若者中心)の冒険物語なら“ジュブナイル…ameblo.jp『暫定『ペテンの大風呂敷』・後編(再構成)』前編最初にデカい数値目標ブチ上げて少しずつ達成していくのはかなり昔から、それこそ『封
ネット通販やレビューサイトの書き込みをどれだけ信用してるか知りませんが、実体験が無くても今どき工作を疑わない人間はおらんでしょう。万が一にもおらんでしょう。そういう前提で話を進めます。↓某アマ〇ゾンでの工作の成果(同じ『リボーン』なんスよ)しかしいくら工作を疑っても、その手口を具体的に把握している人はどれだけいるでしょう?向こうは基本的に“売る”ためなら何だってやりますし、その手口は当然のように巧妙化していくものですから「なんとなく胡散臭い」という自身の感覚的なもの“だけ”
むか~し、むかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがおりました。死にました。おしまい。こんな風に、作者にとってキャラを死なせるのは、たったの3行で済むくらい簡単なお仕事です。バカスカ雑に殺しまくってるだけの「絶望()」を見て喜ぶヤツはただのアホだ、ということです。〈終わり〉なんだか『でんぢゃらすじーさん』の2コマオチみたいですね。次のネタまでドップリ間が空きそうなので、とても簡単なお仕事でお茶を濁すことにしました。『(再録)人死に展開での見分け方(加筆修正)
ハロー大好きな映画の1つ「ディープインパクト」「アルマゲドン」と同様もう何回も観ています同じタイトルなら不安はあるけど観ないとね!旦那と視聴しました「ディープ・インパクト2022」映画の開始早々この画面を見て旦那が駄作臭がすると騒ぐ旦那いわく字幕の画素数が低い映画は駄作らしいいやいや始まって数秒だからまだまだわからないよ〜舞台は彗星が地球に衝突してから10年後の話のよう主人公と思われるオッサンが朝、目覚めてパンをかじりライフルを持って家を
インターネット(=情報拡散社会)の発達と共に作品の“ネタバレ”の問題は、いい加減メーカー側にとって無視出来ないほど大きくなってきたようです。で、そのテのサイトや動画に対し『著作権侵害』なんかを盾に賠償金請求の裁判を起こしたり警察に捕まったり、という話をチラホラ耳にするようになりましたが、それと同時に「(ネタバレ)サイトや動画に客を取られた」とか、「お前らさえいなければ客としてコッチに回ってくるんだ」というのをメーカー側の言い分というか恨み節として聞くこともありますが、著作権はともか
前編『あの名作のリメイク』だとか『ン年ぶりの続編』なんてものを無条件に期待して「楽しみ」だの「期待してる」だの言ってるヤツは、控え目に言ってもアホです。本当は無理なのを承知の上で純粋な願望だけを述べているのだと思いたいところですが、ソレ系の記事や動画のコメントでちょいちょい見かけるアレはbotか工作員が自動生成で投げてンでしょうか?期待するのは自由ですが、いつまでもガキじゃないんだから実際どんなデキになるか、もう少し冷静に考えられるだけのリソースは残しておいてもらいたいもんです
後編『あの名作を(完全)リメイク』とか『ン年ぶりの続編』の話が出る度に“様子見の情報収集”と“期待値の微調整”が必要なのは、今も昔も変わりません。元ネタを知らなければ別にどうということはないかもしれませんが、知ってる人はその辺り気を付けないと、わざわざ金を払ってあの頃の美しい思い出を踏みにじられるという、最悪の追体験をするハメになりますが、それでも最近では、自分が体験してきた分ではもちろん、ユーザーレビューなんかでそのテの作品が酷評を喰らった、なんて話はだいぶ聞かれなくなってき
『デュエルマスターズキング!』の制作会社とかけまして、2年で終わった『遊戯王』のアニメシリーズととく。そのこころは?どちらもブレインズだけに、総集編ばっかりやってます。投稿が日曜日なので書かずにいられませんでした。つーか1年の放送期間で何回やってンだ?おととしの『十王篇』でキャラデザが変わったあたりから何となく気乗りしなくなったなと思ってるうちにコレですからね、アセンション時代の方が面白かったです。で、4月から始まる完結編の次は9月から新主人公で新たなスタートを切ると
「ねぇ、アナタどうしてこういうことするの?どういうつもりでわざわざ不快なネタを入れ込むの?こんな胸くその悪いショートストーリーありません!」「しかもコイツこの後も全然出てこねえじゃねぇか。一発ネタのつもりならギャグにすりゃいいじゃん!わざわざこんな性悪女なんか出さなくてもさ。」↓引用元「だからアナタどういうつもりでこういうことするの?どう処理するつもりなの?その場の思い付き?まだ1話なのに見てるだけで腹が立ってきた!こんなロクでもない人類だったらどうぞ滅びてください!」
・負のご都合主義、あるいは大人だまし①、②、③、④、⑤、「何かを得るには何かを失う」だの「手を汚す覚悟も無くて理想の実現が~」といった御託はもちろんトロッコ問題のような「片方しか助けられない非情の選択」なんてものをつきつけてくる悪役・敵役は、これまで腐るほど見てきました。ただ最近は、というか自分の中でハッキリ確認出来た限りでは10年くらい前からですが、『海賊戦隊ゴーカイジャー』のバスコ・タ・ジョロキアのように、ヒーロー番組なんかではそうした連中は皮肉を込めてブチのめさ
・負のご都合主義、あるいは大人だまし①、②、③、④、⑥(終)『銀河英雄伝説』でのヴェスターラントの虐殺は、敵の熱核攻撃を事前に察知したうえで敵の評判を落とすためにあえて放置した、いわば“未必の故意”です。第23話「黄金樹は倒れた」Amazon(アマゾン)220円『コードギアス反逆のルルーシュ』の虐殺皇女は、絶対遵守のギアスが誤って発動したことによる“不慮の事故”を、結果的に利用した形となります。STAGE22血染めのユフィAmazon(アマゾ
・負のご都合主義、あるいは大人だまし①、②、③、⑤、⑥(終)プレイヤーは、それぞれの選択によって物語がどう動くのかを後から知ることが出来ます。物語上ではたとえ一刻の猶予も無い抜き差しならない状況であったとしても、こちらは安全な場所からじっくりたっぷり時間をかけて精査し、考え抜いた答えを突き付けることが出来ます。ゲームの中では、シナリオの許す範囲内で“何度でも”やり直すことが出来ます。プレイヤーにとってのゲームは結局のところ突き詰めてしまえば、決められたルールの中でただひ
・負のご都合主義、あるいは大人だまし①、②、④、⑤、⑥(終)どんなに好きな作品でも気に入らない、あるいは納得いかない部分は誰にでもあるものです。それが今回のテーマであるところの“負のご都合主義”に合致すると思ったからここで引用しているだけの話であって、作品そのものを貶(けな)すのが目的ではないということを、予(あらかじ)め断っておきます。自分の中で嚙み砕くこともせずに無批判に受容し、“負のご都合主義”に安易に感化された挙げ句に劣化コピーを垂れ流すことの方が問題は深刻で
・負のご都合主義、あるいは大人だまし①、③、④、⑤、⑥(終)『トロッコ問題』というヤツがあまりにも非現実的な設定なのはもちろんのこと、その非現実的な設定を前提としてねじ込むことにこだわるあまり、「1人か多数か」という純粋な問いかけとしては十分に機能していないように思えます。『与えられた条件以外は考えなくていい』となればそれは単なる状況判断です。だから何がどうなったらこうなるんだよそこに加えて出題者の振る舞いにも問題があると思うのは、『与えられた条件をそのまま受け入
・負のご都合主義、あるいは大人だまし②、③、④、⑤、⑥(終)『トロッコ問題』あるいは『カルネアデスの板』というのがありますが、あくまでこれから話すテーマの一部でしかありません念のため。どういう状況?「1人と5人(多数)どっちを助けるか」とか、まぁとにかくそういうどっちか見捨てなきゃならない状況でどっち選ぶ?とかいうクソ意地悪問題を自分が初めて尋ねられたのは、小学3年生だか4年生の頃でした。哲学だか何だかで倫理問題として長年議論されてきたとのことですが、思考実験とはい
・死後の世界の話①、死後の世界の存在の有無を証明出来た者は誰もいません。にも関わらずそれを語るのは、あくまで生きている人間のためであり、死後の世界を語るのは、勧善懲悪のための一つの方便です。フィクションにおける“鑑賞の作法”や“言わない約束”を無自覚に悪用する形で都合の悪いものを都合よく無視しながら死後の世界…完全なる想像と妄想の産物を語る行為はそれ自体が、オレ国オレ法の独善的処断行為に他なりません。だから死後の世界を語るのにオリジナリティ()なんか発揮してエラソーになん
・死後の世界の話②(終)死んだあとにどーなるかなんて実際誰も分かンねーじゃん?いやだから知りませんってあまりにも当たり前過ぎて今さらナニ言ってんだってくらい当たり前の話ですが、ことフィクションの世界の話となるとどうでしょう?みんなむしろこの当たり前のことを当たり前のように無視して死後の世界の存在を、それこそ当たり前のようにマルっと受け入れているではありませんか。もちろん、そのこと自体がダメってわけじゃありません。ついでに言えば特定の作品を非難する意図があってこんなこと書い
オカルトを語らない某占い師さんは、自身が出演・運営する動画チャンネル内で「トラストリテラシーを高めること」をたびたび訴えており、同業者に限らず自身が顧客として関わり、その人たちからも見聞きしたであろう様々な業種で横行する詐欺とその手口を告発する活動も、並行して続けておられるようです。その活動自体を否定するつもりはありませんが、騙されないためのリテラシーを訴える割に正直言ってサブカル方面に関してはそれほどでもない…というか、漫画やらアニメやらゲームのネタをたびたび引用するくらいの知識は
思わせぶりな謎で引っ張る①、②、③、④、思わせぶりに『謎』を引っ張って客引きに利用するのは、借金をするようなものです。法的な義務なんかありませんがそれ以前の道義的責任として、借りた分はキッチリと『答え』を返さなきゃなりません。『答え』にもなっていない手がかり程度のあいまいな情報だけ垂れ流してお茶を濁したり、次から次へと新たな『謎』をバラ撒いたりするのは多重債務に陥ってるのと変わりません。もっと言えば債権者からの督促に対し「そのうち」とか「後でまとめて」なんて若干キレ気
思わせぶりな謎で引っ張る①、②、③、⑤(終)思わせぶりに引っ張ってきた『謎』の答えがキチンと明かされるかどうか?とりあえず話が続いてきたのと等分で考えてみれば、引っ張れる限界のデッドラインを“中盤の終わりまで”とするのは、妥当なセンではないかと考えています。その辺を越えたらまともな回答は得られないと思っていいでしょう。もちろんですが念のために書いておきますと、特段の事情でもない限りは年単位で中断しておっぽり出してる場合、その時点で失格です。あってもダンマリ決め込んでる場
思わせぶりな謎で引っ張る①、②、④、⑤(終)前回までで『思わせぶりに謎を引っ張る』演出に関してかなり否定的に書いてきましたが、でもだからってそれを全面的に否定するつもりはありません。要は『謎』に対してキチンと答えを用意すれば良いわけで、そしてそれを物語という『流れ』の中でやる以上、謎解きの種明かしには然(しか)るべきタイミングというものが存在します。ただそれはタイミングというより、『これ以上は引っ張れないデッドライン』と言った方が正確かもしれません。『ARMS(アー
思わせぶりな謎で引っ張る①、③、④、⑤(終)なんということでしょう圏外常連のゴミブログが驚きの右肩上がりです(笑)。まぁすぐにガクッと落ちるンですけどね。『新世紀エヴァンゲリオン』のアニメが放送されたのは1995年の10月ですが、それ以降のアニメや漫画、特撮…いわゆるサブカルチャーには大きな変化がありました。まるで雨後の筍のようになんか主人公がウジウジして動かなかったり、媒体やTPOも考えずに胸糞の悪い話や描写ネジ込んだり、『思わせぶりな謎で引っ張る』ようなのが
思わせぶりな謎で引っ張る②、③、④、⑤(終)てっきりエヴァの信者やってるような人種は、1995年にアニメが放送されて以来、信者ビジネスの集金システムにカモられてるのを承知の上で貢いでいるのかとばっかリ思ってましたが、どうやら違ったみたいです。だそうで(笑)最初の劇場版からだいたい10年おきくらいにジエンドだのQだのシンだのとやってますが、やろうと思えばもっと早く畳めたはずですよね?まぁどのみち中身がどうであれ期待してたほどのオチにはならないだろうし、見に行っ
みんなの回答を見るハリーポッターの何が面白いのかはいまだによく分かりません。映画の映像表現が素晴らしいのは認めますが、原作の手柄ではないでしょう?ついでに言えば進撃の巨人を面白いと思ってるヤツはネット工作の捏造でなければ、腐った脳ミソに蟲が湧いた信者ビジネスにカモられる類のアホ野郎であることに、疑いの余地はありません。何が面白いと思ってるのかまったくもって理解に苦しむ状況は今も続いています。こういうことはファンにとって決して愉快な話ではありませんし、批判されたくない異
前編“不死身”を“倒す”となると、その時点で“常識的な殺害方法”で考えるのをやめ、不死身が通用しないやり方でいくか、弱点を設定しておかないと埒が明きません。弱点を設定する場合は、そのヒントにつながるような伏線を話の中でキチンと描写しておかないと、不死身を倒す展開が不自然になってしまいます。その傾向さえ把握していれば、不死身であることがバレた時点で、その先の展開を読むのはさほど難しいことではありません。それはもちろんメタ(≒客目線)的な意味だけでなく、キャラ(登場人物)目線で見て
後編今回は“不死身”と、その“倒し方”について書こうと思います。「不死身であること」それ自体が特別なのはもちろん、能力が戦闘向きなのもあって強敵感を演出するのにも有効な手段ですから、バトルものなんかでは、特に敵キャラで割とよく見かけたりします。一応ここでの“不死身”の定義というか条件の説明をしておきますと、・四肢の切断を含む身体の激しい損傷、巨大な貫通痕、両断、全身爆裂等の常識的な致命傷からのほぼ独力での完全な復元、あるいはその状態を保持しながらの生存を可能としていること
「○○みたい」「○○みたいな」作品の評価や感想、あるいは自身の印象を語る際、他の作品を引き合いに出したりする、このような表現というか言い回しを見聞きしたり、自分でも使うことがあるかと思います。何かを語るのに小難しい言葉を使ってればいいというものではないですし、分かりやすく伝えるために他の“似たような何か”を引き合いに出したり置き換えたりするのは特別でもなければ珍しいことでもありませんが、問題はその使い方です。後発の作品やクオリティの著しく劣る作品を引き合いに出して、「○○みたい」
クソゲーの条件①、②、③、④、⑤、⑥、⑦、⑧、⑨、⑩、⑪、本当は一気に載せるつもりでしたが、予想以上に手間がかかってしまいました。なんというか相当ムカついてたんだなと我ながら驚いております。自分にとって“物事が正当に評価されていない”ことが、これほどまでに怒りを掻き立てるものなのかと思うと、アクセスが伸びなくても全然平気です(逆に伸びたら困る)。過去に当ブログで、コミックボンボンの漫画雑誌としての失策をクソミソにけなしてみましたところ、その後何年にも渡って