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https://ameblo.jp/asuz0605/entry-12613262569.html『検証三沢革命はなぜ起こったのか!?80』誤解が生じるといけないので、ここではまず、あくまで私個人が感じた馬場元子さんの人柄というものを記していきたい。私は週刊ゴングの全日本担当という役に就いて以…ameblo.jpいつの時代も、プロレス団体にとって重要な役割を担っている、背広組と呼ばれる人たち。いわゆるプロレスラーではない、プロレスを経験していないある程度の権限を持ったフロントの人
https://ameblo.jp/asuz0605/entry-12613002686.html『検証三沢革命はなぜ起こったのか!?79』後日の会談にて、遂に三沢は禁断の領域にまで足を踏み入れた。「リング上のことは選手以外の人間に口を出させないで下さい」言ってはいけない禁句中の禁句を、直接馬…ameblo.jpプロレス界に昔から伝わる言葉、「バンプ(受け身)をとったことのない人間に真のプロレスは語れない」。要は実際にプロレスラーの痛みや技術を習得していない、経験していない人
先月、コンビニで日刊スポーツと一緒に買った本がありました。昭和のスターなんで、そりゃあ美空ひばりさん、山口百恵さんからスポーツ界では長嶋さん王さんまでいろんな人のスキャンダルの話が盛りだくさん書いてありました。旦那も昭和生まれなんで(といっても中学生で平成になっちゃったけど)、ある程度はワイドショーで見たり、スポーツ紙とかで知ってるスキャンダルもありますが、昭和のスターではあるけれど、事件そのものは平成のころだったのも書いてあります。例えば、全日本プロレスの選手が大
『検証三沢革命はなぜ起こったのか!?⑱』ハワイでの三沢&川田インタビューが表紙となった週刊ゴング621号が発売されました。私はある主の満足感を得ながら『96サマーアクションシリーズ』の開幕戦、6/…ameblo.jp本当の闘いは、本が出来上がってからだった。表紙&巻頭を実現させたことを全日本の人たちは喜んでくれると思っていた私がバカだった、⋯いや甘かった。現実はそんな単純なものではない。分かっていたはずなのに、そのときは完全に我を忘れていた。そして待ち侘びていたラスボス(!?)
#スネオヘアー#馬場さんの話もっと話を聞かせて下さい#棚橋和博#馬場元子さん#ジャイアント馬場#ジョイフルタウンついに一冊の本として形になったんですね、おめでとうございます。
デ、デケエ!!
ジャイアント馬場、馬場元子、素晴らしいキャンペーン、心底、むかついています故人の誹謗中傷は論外だが、#馬場元子に受けた酷い仕打ち、漫画家がギャラ50万円の踏み倒しを受けたことを、事実に依拠して告発するのは、仕方ないことではないかな?事実に依拠している限りでありますが。確かに、今になってなぜ、「二人とも、もう、死んでいますよね?」という疑問はありますが、故人なので、素晴らしい人達なので、悪口は言ってはいけない、美談だけを話しましょうというのは本当に変だと思います。「完ちゃん、俺は使わないか
#キラー馬場元子、DFJを制裁#懐かしラボさん、キラー馬場元子がDFJを制裁した真相をしゃべっていたが、現在は消去されているようである。秋山準と三沢光晴がドリー・ファンク・ジュニア(以下、DFJと言います)をエルボーで制裁した試合があった。それを最後にDFJは全日本プロレスを離脱、新日本プロレスに接触して猪木と戦おうとしたが無視された。なぜ、こんなことになってしまったかというと、DFJとその奥さんがギャラアップと売店でDFJのTシャツを売ることを要求したのである。怒り狂っ
誕生日ジェシー・バー(1959/64歳)ジェフ・ジャレット(1967/56歳)植松寿絵(1974/49歳)山里亮太(1977/46歳)若鷹ジェット信介(1977/46歳)豊田博(1980/43歳)235(1987/36歳)ワン・ビン(1994/29歳)OSO11(1996/27歳)忌日馬場元子(2018/78歳)ジン・キニスキー(2010/81歳)出来事2019AKARIがデビュー<板橋グリーンホール(PURE-
誕生日ジェシー・バー(1959/63歳)ジェフ・ジャレット(1967/55歳)植松寿絵(1974/48歳)山里亮太(1977/45歳)若鷹ジェット信介(1977/45歳)豊田博(1980/42歳)235(1987/35歳)ワン・ビン(1994/28歳)小笠原泰良(1996/26歳)忌日馬場元子(2018/78歳)ジン・キニスキー(2010/81歳)出来事2019AKARIがデビュー<板橋グリーンホール(PURE-
もう先月のことになるのですが・・・行って参りました!4月29日闘道館令和時代昭和の日に知る新発見ターザン山本祝!75歳記念&ダブル出版記念イベント誰も知らなかった馬場と猪木2つの道ふ〜長いタイトル簡単に言いますと、「誰も知らなかったジャイアン馬場」の著者である市瀬英俊氏と「猪木道」の著者である小西一禎氏が登壇してのターザン山本!とのトークショー。3名でのトークショーではなく、第一部市瀬氏第二部小西氏という構成。まずはターザン山本!登場そし
誕生日ジェシー・バー(1959/62歳)植松寿絵(1974/47歳)山里亮太(1977/44歳)若鷹ジェット信介(1977/44歳)豊田博(1980/41歳)235(1987/34歳)ワン・ビン(1994/27歳)小笠原泰良(1996/25歳)忌日馬場元子(2018/78歳)ジン・キニスキー(2010/81歳)出来事2019AKARIがデビュー<板橋グリーンホール(PURE-J)>2019ぽっちゃり女子プロレスが
馬場さんの追善興行として行われたこの大会。さながら、全日本プロレスの同窓会的なムードが漂い、何とも懐かしく心暖まる大会となった。これまで新日本プロレスのOB、及び選手たちは未だに健在の方が多く、興行、イベントなどで集う場面が何度となく見られていたが、全日本出身者は既に他界されてしまった方も多く、こうやって一同に揃う機会はほとんど見られなかった。しかし馬場さんの名のもとに、いざこうやって実際に集まってくると、やはり生粋の全日本ファンとしては感慨深いことこの上ない。とりあえず馬場さんの冠を
じつはこの武道館大会の時点で、既に軍団名はBURNING(バーニング)となることに決まっていた。しかし本格発進となる『98ジャイアントシリーズ』の開幕戦からチームのロゴを用いたお揃いのTシャツを4人で着込み、一気にアピールしていこう!ということになり、ここでの発表は控えていた。というのも、当時の全日本においてチームの結成はもちろん、統一したTシャツ1つ作るのも選手たちだけでは勝手にやることはできず、大問題だったのである。詳しく説明すると、全日本プロレスという会社は所属する選手が属する会
馬場元子/ネェネェ馬場さん福島さんより献本頂きました。早速読むで!
噂通り、全日本の事務所は人でごった返していた。エレベーターを出た瞬間に沢山の視線がこちらに向けられる。その視線を切るように人混みを掻き分け、真っ先にフロア内へ。広報担当の三橋さんは社長室にいるというので、足早にそちらへ向かうと、某スポーツ紙のHさんと二人で夕方のニュースをテレビで見ていた。奇しくもドーム前の静岡合宿で三沢さんの部屋まで呼び出された私とHさんが、主を失った全日本の社長室で顔を揃えた訳だ。「大変なことになりましたね」「まだ自分も詳しいことは何も聞かされてないんです。とに
そもそも、私の知る限り、革命以前の元子さんと三沢の関係は、そんなに悪いものとは思っていなかった。直接、元子さんから「やっぱり、全日本プロレスを一番理解しているのは三沢君なのよね」という発言を何度か聞いたことがあるし、三沢さんに対しては、元子さんも色々と気を使っていた部分があった。かたや三沢さんにしても、理解し難い部分はあったとしても、決して憎んでいるという程ではなかった。何より、革命自体も自分の感情ではなく、「若い奴らをもっとノビノビとやらせてやりたい」という理由からくるもの。その
アンタッチャブルという映画をご存じだろうか?1987年にアメリカで製作された映画で、禁酒法時代のアメリカ・シカゴを舞台に、正義のためにギャングのボスであるアル・カポネを逮捕しようとするアメリカ合衆国財務省捜査官たちのチーム『アンタッチャブル』の闘いの日々を描いた実録映画である。捜査チームの主任捜査官であるエリオット・ネスの自伝をもとにしてあり、ケビン・コスナー主演で公開され、今も名作として知られている。三沢は小川とのタッグを始動させると共に、このチームに『アンタッチャブル』と名付けた。そ
全面的に、とはいかないまでも、三沢の要求はある程度認められた。分かりやすくいえば現場責任者としてのポジションに三沢が就き、選手たちの意向に添いながらマッチメークその他を考え、総監督の馬場に提案し、了承を得ながら実行していく、というものだ。なのでこれまで馬場の側近、ブレーンとして活動していた方々はその任を解かれ、それを三沢らがとって変わった形となる。正直、馬場さんも内心では面白く思っていなかったのではないかと思われる。これもGスピリッツ誌で京平さんが語っていたことだが、「三沢も2~3シリ
特に元子さんの全日本の選手たちへの言動は、一言でいえば、まさしく過保護な母親の姿そのものであった。例えば、ある若手選手は「明日、○時に○○にある○○というお店に行きなさい」と命じられ、行ってみるとそこは床屋で、既に髪型や切る長さまで細部に渡っての指示が店主に伝えられており、そのヘアスタイルを強制されたという。もちろん、料金も既に支払い済みで、それを自己負担させられることはないが、いっぱしの社会人となっている青年が、ましてやプロスポーツという人に憧れられる職業の人間が、相談した訳でも
誤解が生じるといけないので、ここではまず、あくまで私個人が感じた馬場元子さんの人柄というものを記していきたい。私は週刊ゴングの全日本担当という役に就いて以来、元子さんとは色々なことがあり、様々なことを経験させて頂いた。その中には良くして頂いたこともたくさんあるし、陰で悔し涙を流すほどの思いをさせて頂いたこともある。とにかく元子さんという方は、良くも悪くも自分の感情に正直な方で、すべてストレートにその感情を周囲の人間にも投げかけてくる。だから素直に感謝する面もあれば、怒りや哀しみに直
後日の会談にて、遂に三沢は禁断の領域にまで足を踏み入れた。「リング上のことは選手以外の人間に口を出させないで下さい」言ってはいけない禁句中の禁句を、直接馬場に告げた。この発言の何がそこまでタブーなのか、それは全日本プロレスという会社にとって切っても切れない絶対的な存在、馬場元子さんもその中に含まれているからだ!これは私が所属していた会社、週刊ゴングのあった日本スポーツ出版社の代表取締役社長であった竹内宏介さんから聞いた話で、どこまでが真実で、どこまでが推測なのかは分からない。だが、馬
「今はパトリのことを言っていても仕方ない。仮にWWFに行くことになっても、彼にも事情があるだろうから、俺は責めるつもりはないし、責めたくもない」まさかのパトリオット来日中止と、WWF入りのニュースは全日本に衝撃を与えた。シリーズが開幕しても小橋はコメントを控え、控え室でも重い空気が漂っていた。パトリオットの代わりにジョニースミス、マウナケア・モスマンらが日替わりでチームに加わったが、前シリーズの勢いはなくなり、さすがに連戦連勝とはならず。地元凱旋となる7/21福知山大会でようやく
昭和47年4月、週刊女性(主婦と生活社)5月6日号の新聞広告。100円也。文豪・川端康成のガス自殺を大々的に報じている。ノーベル文学賞作家の自殺というショッキングな記事の次には、日本プロレスのエース・ジャイアント馬場が5月27日に富豪令嬢と結婚披露宴との記事が掲載。アントニオ猪木と比べて、スキャンダルの印象が薄い馬場だが、よく見ると「射とめた相手は関西の大富豪令嬢で」とある。これは兵庫県明石市出身の馬場元子さん(2018年に死去)のことだろう。馬場夫妻の結婚披露宴は、この記事から10年
超世代軍の控室に着くや、三沢さんがいつものようにニヤリ顔で迎えてくれた。「スミマセン、色々とご迷惑をおかけしたみたいで…」「どうだった?」「とにかく謝れと言われました」「何も謝らなきゃいけないようなことは言ってないよな!?」確かに誰を否定した訳でも批判した訳でもなく、ただ数字が落ちてきている以上、これまでと同じではダメだと。だから何かを変えていこう、という意見を提示しただけのこと。しかもプロの業界なのだから、外に向かってアピールしていくのは必然。その意見を聞き入れるかどうかは上
ハワイでの三沢&川田インタビューが表紙となった週刊ゴング621号が発売されました。私はある主の満足感を得ながら『96サマーアクションシリーズ』の開幕戦、6/29後楽園大会へと向かったのですが、本当の闘いはここからでした…いつものように報道受付で記帳を済まし、選手の控室へ入らんとしたそのとき、私個人に呼び出しがかかりました。呼び出した方はご存知、ジャイアント馬場さんの奥様、そう、馬場元子さんです。後楽園入口からちょっと入った小部屋、我々、全日本担当記者が通称・元子部屋と呼んでいるその部屋
三冠王者として、全日本のエースとして確固たる地位を築いていた三沢さんだが、決して現状に満足してはいなかった。「俺自身は自分に納得していないから、まだまだと思う訳ですよ。プロレスファンの中では俺は認知されてるかも知れないけど、プロレスを知らない人にももっと(会場に)見に来てほしいからね。もっとメジャーになれればいいな、って今は思ってるから」今、自分たちがリングの上でやっている闘いは、誰に見せても充分に誇れるものであると、三沢さんは自信を持っていた。だからこそ、それを広げる努力をもっとしてい
今日、4月14日はジャイアント馬場さんの奥様・馬場元子さんの命日です。一年前の今日、お亡くなりになられた元子さん…。2000年6月三沢光晴さん達が全日本プロレスを辞め、選手・社員が全然いなくなった全日本プロレスに僕は入社しました。その時のトップが元子さん。絶対的な頂点で元子さんが白と言えば一瞬で真っ黒なものも真っ白になってました。いつだったか先輩社員に『もう納得できません‼︎僕は元子さんとは暴力で闘います』と言ったこともありました。でも今思うとあの時代があったからこそ窮地に立たされて
2月19日(火)東京:時々8:20起床入浴して、前夜の酔い覚まし🛀11:30同級生と天麩羅屋で会食2次会ホッピー通り3次会モンブランでハンバーグ17時前に散会両国国技館へジャイアント馬場没20周年追善興行~王者の魂~ロビー活動多数の関係者と挨拶しては談笑仕事の話もできて、助かるオープニングに、アントニオ猪木さんが登場リングサイドで観戦中の馳浩代議士の目の前で、大仁田厚さんが机上パイルドライバーを決めるアブドーラ・ザ・ブッチャー引退セレモニー後半戦は、2
ファンタスティカマニアの個人的な楽しみ…それはOkumura選手と再会すること奥村さんとは武藤全日本……いや、元子全日本時代からの付き合いなので出会いは19年前です。19年か…19年と書いて感じるのが、お互いに年取りました(^◇^;)2人とも全日本プロレスを辞め、CMLLの中心選手となった奥村さん僕は新日本プロレスのリングアナウンサーに人生どこでどうなるかわかりませんね奥村さん、また会える日を楽しみにしてます(*^^*)今度はゆっくり話をしましょう