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先月、コンビニで日刊スポーツと一緒に買った本がありました。昭和のスターなんで、そりゃあ美空ひばりさん、山口百恵さんからスポーツ界では長嶋さん王さんまでいろんな人のスキャンダルの話が盛りだくさん書いてありました。旦那も昭和生まれなんで(といっても中学生で平成になっちゃったけど)、ある程度はワイドショーで見たり、スポーツ紙とかで知ってるスキャンダルもありますが、昭和のスターではあるけれど、事件そのものは平成のころだったのも書いてあります。例えば、全日本プロレスの選手が大
『検証三沢革命はなぜ起こったのか!?⑱』ハワイでの三沢&川田インタビューが表紙となった週刊ゴング621号が発売されました。私はある主の満足感を得ながら『96サマーアクションシリーズ』の開幕戦、6/…ameblo.jp本当の闘いは、本が出来上がってからだった。表紙&巻頭を実現させたことを全日本の人たちは喜んでくれると思っていた私がバカだった、⋯いや甘かった。現実はそんな単純なものではない。分かっていたはずなのに、そのときは完全に我を忘れていた。そして待ち侘びていたラスボス(!?)
#スネオヘアー#馬場さんの話もっと話を聞かせて下さい#棚橋和博#馬場元子さん#ジャイアント馬場#ジョイフルタウンついに一冊の本として形になったんですね、おめでとうございます。
デ、デケエ!!
ジャイアント馬場、馬場元子、素晴らしいキャンペーン、心底、むかついています故人の誹謗中傷は論外だが、#馬場元子に受けた酷い仕打ち、漫画家がギャラ50万円の踏み倒しを受けたことを、事実に依拠して告発するのは、仕方ないことではないかな?事実に依拠している限りでありますが。確かに、今になってなぜ、「二人とも、もう、死んでいますよね?」という疑問はありますが、故人なので、素晴らしい人達なので、悪口は言ってはいけない、美談だけを話しましょうというのは本当に変だと思います。「完ちゃん、俺は使わないか
#キラー馬場元子、DFJを制裁#懐かしラボさん、キラー馬場元子がDFJを制裁した真相をしゃべっていたが、現在は消去されているようである。秋山準と三沢光晴がドリー・ファンク・ジュニア(以下、DFJと言います)をエルボーで制裁した試合があった。それを最後にDFJは全日本プロレスを離脱、新日本プロレスに接触して猪木と戦おうとしたが無視された。なぜ、こんなことになってしまったかというと、DFJとその奥さんがギャラアップと売店でDFJのTシャツを売ることを要求したのである。怒り狂っ
誕生日ジェシー・バー(1959/64歳)ジェフ・ジャレット(1967/56歳)植松寿絵(1974/49歳)山里亮太(1977/46歳)若鷹ジェット信介(1977/46歳)豊田博(1980/43歳)235(1987/36歳)ワン・ビン(1994/29歳)OSO11(1996/27歳)忌日馬場元子(2018/78歳)ジン・キニスキー(2010/81歳)出来事2019AKARIがデビュー<板橋グリーンホール(PURE-
誕生日ジェシー・バー(1959/63歳)ジェフ・ジャレット(1967/55歳)植松寿絵(1974/48歳)山里亮太(1977/45歳)若鷹ジェット信介(1977/45歳)豊田博(1980/42歳)235(1987/35歳)ワン・ビン(1994/28歳)小笠原泰良(1996/26歳)忌日馬場元子(2018/78歳)ジン・キニスキー(2010/81歳)出来事2019AKARIがデビュー<板橋グリーンホール(PURE-
もう先月のことになるのですが・・・行って参りました!4月29日闘道館令和時代昭和の日に知る新発見ターザン山本祝!75歳記念&ダブル出版記念イベント誰も知らなかった馬場と猪木2つの道ふ〜長いタイトル簡単に言いますと、「誰も知らなかったジャイアン馬場」の著者である市瀬英俊氏と「猪木道」の著者である小西一禎氏が登壇してのターザン山本!とのトークショー。3名でのトークショーではなく、第一部市瀬氏第二部小西氏という構成。まずはターザン山本!登場そし
誕生日ジェシー・バー(1959/62歳)植松寿絵(1974/47歳)山里亮太(1977/44歳)若鷹ジェット信介(1977/44歳)豊田博(1980/41歳)235(1987/34歳)ワン・ビン(1994/27歳)小笠原泰良(1996/25歳)忌日馬場元子(2018/78歳)ジン・キニスキー(2010/81歳)出来事2019AKARIがデビュー<板橋グリーンホール(PURE-J)>2019ぽっちゃり女子プロレスが
馬場さんの追善興行として行われたこの大会。さながら、全日本プロレスの同窓会的なムードが漂い、何とも懐かしく心暖まる大会となった。これまで新日本プロレスのOB、及び選手たちは未だに健在の方が多く、興行、イベントなどで集う場面が何度となく見られていたが、全日本出身者は既に他界されてしまった方も多く、こうやって一同に揃う機会はほとんど見られなかった。しかし馬場さんの名のもとに、いざこうやって実際に集まってくると、やはり生粋の全日本ファンとしては感慨深いことこの上ない。とりあえず馬場さんの冠を
じつはこの武道館大会の時点で、既に軍団名はBURNING(バーニング)となることに決まっていた。しかし本格発進となる『98ジャイアントシリーズ』の開幕戦からチームのロゴを用いたお揃いのTシャツを4人で着込み、一気にアピールしていこう!ということになり、ここでの発表は控えていた。というのも、当時の全日本においてチームの結成はもちろん、統一したTシャツ1つ作るのも選手たちだけでは勝手にやることはできず、大問題だったのである。詳しく説明すると、全日本プロレスという会社は所属する選手が属する会
馬場元子/ネェネェ馬場さん福島さんより献本頂きました。早速読むで!
「今はパトリのことを言っていても仕方ない。仮にWWFに行くことになっても、彼にも事情があるだろうから、俺は責めるつもりはないし、責めたくもない」まさかのパトリオット来日中止と、WWF入りのニュースは全日本に衝撃を与えた。シリーズが開幕しても小橋はコメントを控え、控え室でも重い空気が漂っていた。パトリオットの代わりにジョニースミス、マウナケア・モスマンらが日替わりでチームに加わったが、前シリーズの勢いはなくなり、さすがに連戦連勝とはならず。地元凱旋となる7/21福知山大会でようやく
昭和47年4月、週刊女性(主婦と生活社)5月6日号の新聞広告。100円也。文豪・川端康成のガス自殺を大々的に報じている。ノーベル文学賞作家の自殺というショッキングな記事の次には、日本プロレスのエース・ジャイアント馬場が5月27日に富豪令嬢と結婚披露宴との記事が掲載。アントニオ猪木と比べて、スキャンダルの印象が薄い馬場だが、よく見ると「射とめた相手は関西の大富豪令嬢で」とある。これは兵庫県明石市出身の馬場元子さん(2018年に死去)のことだろう。馬場夫妻の結婚披露宴は、この記事から10年
超世代軍の控室に着くや、三沢さんがいつものようにニヤリ顔で迎えてくれた。「スミマセン、色々とご迷惑をおかけしたみたいで…」「どうだった?」「とにかく謝れと言われました」「何も謝らなきゃいけないようなことは言ってないよな!?」確かに誰を否定した訳でも批判した訳でもなく、ただ数字が落ちてきている以上、これまでと同じではダメだと。だから何かを変えていこう、という意見を提示しただけのこと。しかもプロの業界なのだから、外に向かってアピールしていくのは必然。その意見を聞き入れるかどうかは上
ハワイでの三沢&川田インタビューが表紙となった週刊ゴング621号が発売されました。私はある主の満足感を得ながら『96サマーアクションシリーズ』の開幕戦、6/29後楽園大会へと向かったのですが、本当の闘いはここからでした…いつものように報道受付で記帳を済まし、選手の控室へ入らんとしたそのとき、私個人に呼び出しがかかりました。呼び出した方はご存知、ジャイアント馬場さんの奥様、そう、馬場元子さんです。後楽園入口からちょっと入った小部屋、我々、全日本担当記者が通称・元子部屋と呼んでいるその部屋
三冠王者として、全日本のエースとして確固たる地位を築いていた三沢さんだが、決して現状に満足してはいなかった。「俺自身は自分に納得していないから、まだまだと思う訳ですよ。プロレスファンの中では俺は認知されてるかも知れないけど、プロレスを知らない人にももっと(会場に)見に来てほしいからね。もっとメジャーになれればいいな、って今は思ってるから」今、自分たちがリングの上でやっている闘いは、誰に見せても充分に誇れるものであると、三沢さんは自信を持っていた。だからこそ、それを広げる努力をもっとしてい
今日、4月14日はジャイアント馬場さんの奥様・馬場元子さんの命日です。一年前の今日、お亡くなりになられた元子さん…。2000年6月三沢光晴さん達が全日本プロレスを辞め、選手・社員が全然いなくなった全日本プロレスに僕は入社しました。その時のトップが元子さん。絶対的な頂点で元子さんが白と言えば一瞬で真っ黒なものも真っ白になってました。いつだったか先輩社員に『もう納得できません‼︎僕は元子さんとは暴力で闘います』と言ったこともありました。でも今思うとあの時代があったからこそ窮地に立たされて
2月19日(火)東京:時々8:20起床入浴して、前夜の酔い覚まし🛀11:30同級生と天麩羅屋で会食2次会ホッピー通り3次会モンブランでハンバーグ17時前に散会両国国技館へジャイアント馬場没20周年追善興行~王者の魂~ロビー活動多数の関係者と挨拶しては談笑仕事の話もできて、助かるオープニングに、アントニオ猪木さんが登場リングサイドで観戦中の馳浩代議士の目の前で、大仁田厚さんが机上パイルドライバーを決めるアブドーラ・ザ・ブッチャー引退セレモニー後半戦は、2
ファンタスティカマニアの個人的な楽しみ…それはOkumura選手と再会すること奥村さんとは武藤全日本……いや、元子全日本時代からの付き合いなので出会いは19年前です。19年か…19年と書いて感じるのが、お互いに年取りました(^◇^;)2人とも全日本プロレスを辞め、CMLLの中心選手となった奥村さん僕は新日本プロレスのリングアナウンサーに人生どこでどうなるかわかりませんね奥村さん、また会える日を楽しみにしてます(*^^*)今度はゆっくり話をしましょう
「東急百貨店本店」「ジャイアント馬場」没後20年↑↑↑確か今日が!最終日のはず。これは以前に!行ってきた時。撮ってきた1枚。これは元子夫人。元プロボウラー。その時のマイボール?つまり夫人?その遺品?とにかく仲睦まじく。それは並んだ。微笑ましく………。【東急百貨店本店】https://www.tokyu-dept.co.jp/honten/event/detail.html?id=520
きょうは仕事納め。帰宅し爆報!THEフライデー見ました。「ジャイアント馬場は死後…遺体が消えていた!▼女帝と呼ばれた妻はなぜ遺体を隠したのか?」こんな番組紹介されてたら気になって気になって。少なくともテレビというメディアで故・馬場元子さんのネガティブな一面を露わにしたのは初めてじゃないすかね。女帝ぶりの再現映像とかデフォルメしているとはいえ、「ここまでやるのか」と思ったくらい。でもこういう番組だから、何とか美しくまとめようとしてましたね。違和感おぼえたな~。
(ーAー)全日本プロレス『2018チャンピオン・カーニバル』※第13戦[4/25.東京・後楽園ホール]Bブロック最終公式戦4試合の他、Aブロック公式戦1試合(※野村直矢vs鷹木信悟)が開催された、“全日本プロレス春の祭典”『2018チャンピオン・カーニバル』シリーズ第13戦・後楽園ホール大会☆※GAORAでの録画中継を後日観賞実況:鍵野泰加彦解説:小佐野景浩ゲスト解説:大森隆男(第5試合以降)(ーAー)えー…半年遅れでレビューを書いてる『2018チ
先日、東スポのとある記事で、ツイッター上で(ごく一部で)賑わいをみせた。ToShi®@toshiro_UKR『ケンドー・カシン(10秒で退席)』10秒笑ちゃんと行ったんですね。馬場さん夫人・元子さんお別れ会に160人(東スポWeb)https://t.co/CFEzWyKf802018年07月18日23:49Pなわ@p_nawa@toshiro_UKR出席者の括弧内は年齢表記なのにカシンだけ(10秒で退席)笑#東スポ#ケンドー・カシン#10秒で退席2018年0
全日本プロレス秋山潤社長にお心遣い頂き「馬場元子さんお別れの会」並びに「馬場さん&元子さん"永遠なる再会"」に参加させて頂きました。会はこれっぽっちもしんみりした雰囲気でなく、お二人が愛されたハワイで、大好きだったお料理が振舞われ、まさに再会を祝福するといった新しい夫婦のカタチをご提案して下さったかのようです。ジャイアント馬場さん名誉市民授与の為にお身体の調子が優れない中、わざわざ新潟県三条市まで足を運んで下さった馬場元子さん。その節は本当にご尽力賜りまして心より感謝の意を申し上げます
天皇賞は、思ったより固かったな…😅レインボーラインがあそこまで強いとは、…確実に馬場元子及び旧全日本プロレスに不義理をかけられ辞めた選手は、いる筈…だからこそこの名も無き勇者達が今、新たなエピソードを語り今は、亡き馬場元子及び旧全日本プロレスの悪事を語るべき語られる事により語った元選手は、スポットがあたり語られた馬場元子は、より幻想的になり神話に変わる!間違いなく!!
4月14日ジャイアント馬場夫人、馬場元子さんが天国に召されました。私が元子さんのことを初めて知ったのは、高校1年の頃。大スポの一面にデカデカと載った「ジャイアント馬場、結婚」のタイトルに、腰が抜けるほど驚いたものでした(笑)元子さんについてはいろいろな噂を聞きますが、彼女がいたから猪木新日に劣勢になりながらも持ちこたえ、のちに全日本プロレスを四天王による黄金期へと導くことができたのは間違いないでしょう。THE必殺技保存版プロレス写真集さすがゴング!という写真集です。表紙からして、
いつも当ブログをご覧になって頂き、また「いいね」「ペタ」「コメント」等々を頂き誠にありがとうございます。今回はプロレスにまつわる話を…おっ、なんだい?プロレス会場にはグッズを販売している売店がありますね。※画像はお借りしました。自分が初めてプロレスを観戦したのは全日本プロレスで1986年の愛媛の松山大会でした。会場に行くと売店に人集り。自分もTシャツを買いました。すると売店には馬場さんが座っていて買ってくれた商品にサインをしていました。「大きなぁ」自分も買ったTシャツにサイン
ついこの間、G馬場さんの親友で元プロレスラー、ブルーノ・サンマルチノが亡くなったばかりでしたが、今度は、G馬場さんの奥さん、馬場元子さんがお亡くなりになったとのこと・・・。若い頃、プロレスを観に(当然、全日)行くと、試合前のグッズ売り場に座るG馬場さんの横で、大きな声を出し、一生懸命にグッズを売ってる元子さんの姿が常にありました。馬場さんで、馬場さんの為に生きてる感じがして、世間の事は知らないけど、馬場さんの事は何でも知ってる。そういう感じの生き方だった気がし