ブログ記事113件
期間:2024/05/03〜05/10天井:300(100&200時に星4と交換可)倍率:2倍初回:半額武)馬場信春:無欲の器量射)内藤昌豊:不争之徳射)山県昌景:初心銘記呪)高坂昌信:苦心の諫言星2薬)大久保長安:疑心暗鬼
期間:2024/05/03〜05/10天井:100倍率:3倍初回:半額武)山県昌景:臨戦の覚悟戦)内藤昌豊:機略縦横射)馬場信春:無傷の将戦)高坂昌信:泰然自若の勇星2薬)大久保長安:疑心暗鬼©コーエーテクモゲームス
期間:2024/05/01〜05/02天井:300(100&200時に星4と交換可)倍率:2倍初回:半額武)前田慶次:天華乱墜の漢武)服部半蔵:神君の狼牙武)武田信虎:府中移転の断武)馬場信春:無欲の器量武)由利鎌之助:彫心鏤骨の胆武)蜂須賀正勝:川並衆筆頭武)新免無二:日下無双兵法武)林崎甚助:神伝万字抜星3武)竹内久盛:心眼・参©コーエーテクモゲームス
期間:2024/04/23〜05/09※GWチケット2024が必要星5武将のみ掲載武)柴田勝家:瓶割りの気魄武)服部半蔵:神君の狼牙武)前田慶次:天華乱墜の漢戦)坂田金時:足柄山の怪童武)碓井貞光:大石担の剛腕武)風魔小太郎:混沌の朧影武)愛洲宗通:燕飛神妙武)武田信虎:府中移転の断武)馬場信春:無欲の器量武)上泉信綱:雲遊の剣聖©コーエーテクモゲームス
城を観る今回は...(撮影2024/02/27)【城を観る+】《小山城(遠江国)》2024〜武田四天王のひとり馬場信春が築城!小山城跡を観る〜【城を観る+】《小山城(遠江国)》2024〜武田四天王のひとり馬場信春が築城!小山城跡を観る〜《小山城(遠江国)》[読み方]こやまじょう(とおとうみのくに)[撮影地]静岡県吉田町[撮影日]2024/02/27[撮影者]バイソン[BGM]Dreamland(writtenbyshimtone)[YouTube]城を観るhttps://y
※「国宝松本城」東外堀跡道路に建つ松本城案内図…現在、北外堀、東外堀は、ほぼ完存していますが、一部は道路化され埋め立てられています北外堀、東外堀はまだマシな方で、南外堀は一部を残し市街地化、西外堀に至っては完全に消滅、三の丸は完全に消滅、城域(城下町含む)を取り囲むように造られた「総堀」も消滅しています現在、松本城は二の丸、本丸部分を残すのみとなっています松本城1️⃣100名城No.29松本城には、今回初めて行きました。松本城は、平城に属しま
2024.02.03沼津で1泊して、翌日は熱海のMOA美術館へ。尾形光琳の「紅白梅図屏風」を見る。高校の図説等でよく見る屏風だが実物を見るのは初めて。綺麗に残ってるなぁと感心すると共に“意外と大きいんだ”と感心し見入ってしまう。最近は写真撮影可というのが嬉しい。さて、熱海より名古屋に戻る途中、僕にとって静岡県最後の続100名城である諏訪原城に立ち寄る。場所は、島田市大井川の上、牧之原台地にある。諏訪原城ビジターセンターの駐車場に車を停め、ビジターセンターで諏訪原城について事前に知
期間:2024/01/05〜01/07天井:300(100&200時に星4と交換可)倍率:2倍初回:半額武)前田慶次:天下乱墜の漢武)服部半蔵:神君の狼牙武)武田信虎:府中移転の断武)馬場信春:無欲の器量武)由利鎌之助:彫心鏤骨の肝武)蜂須賀正勝:川並衆筆頭武)新免無二:日下無双兵法武)林崎甚助:神伝万字抜星3武)竹内久盛:心眼・参©コーエーテクモゲームス
※馬場美濃守信春(信房)屋敷跡標柱…信玄公亡き後、勝頼を支えた武田家の「重鎮」筆頭、通称「馬場のオジキ」、武田二十四将、武田四天王のひとりです長篠・設楽原の戦いで勝頼を逃がすため、殿を引き受け、橋を燃やしてその前に布陣、煙管を吹かしながら、悠々と戦い討ち死にしました甲州武田家臣団屋敷跡2️⃣武田氏館(躑躅ヶ崎館、武田神社)に行ったあと、信玄ミュージアム→家臣団屋敷跡に行きました。家臣団屋敷跡は、かなり広範囲に点在しており、標柱の看板が立っているだけです
期間:2024/12/26〜01/17※年末年始チケット2024が必要星5武将のみ掲載武)柴田勝家:瓶割りの気魄武)服部半蔵:神君の狼牙武)前田慶次:天下乱墜の漢武)坂田金時:足柄山の怪童武)碓井貞光:大石担の剛腕武)風魔小太郎:混沌の朧影武)愛洲宗通:燕飛神妙武)武田信虎:府中移転の断武)馬場信春:無欲の器量武)上泉信綱:雲遊の剣聖©コーエーテクモゲームス
※設楽原再現馬防柵に建つ石碑設楽原古戦場に行きました!パート4️⃣①設楽原の戦い〜本戦の経緯「設楽原の戦い」は、当日の夜間から早朝に行われた「鳶ヶ巣山砦への奇襲」から始まっています。徳川軍の酒井忠次が別働隊を率い、鳶ヶ巣山砦にいた武田軍を急襲、河窪信実(信玄弟)、三枝守友(武田二十四将のひとり)などが討ち死にし、砦が陥落、武田軍は退路を絶たれ、行き詰まり、設楽原に向かわざるを得なくなった…大河ドラマどうする家康では、このように描かれ山県
こうして見ると、中々豪華なラインナップ。多いので(以下略)先ずは星5射撃昌景さん星5武芸信春さん吟味済み『【信長の野望20XX噺】武田の双翼……の補完』このガチャはこちら『【信長の野望20XX噺】武田の双翼で飛べない』ここの所、なんとなく興が乗らずにブログは放置気味で、20XXは無心に訓練だけを繰り返しておっ…ameblo.jp〈一言二言〉昌景さん→スキル固有共に優秀、と同時に悩ましい。大当たり。信春さん→スキル固有共に優秀。些か範囲が気になるが、それでも充分。大当た
※医王寺山武田勝頼本陣跡案内板100名城NO.46長篠城に行きました!パート3️⃣長篠城址周辺遺構医王寺山武田勝頼本陣跡続きです長篠城趾保存記念館の方からサイクリング用史跡案内マップをもらって周辺の史跡見学に行きました🚲※医王寺山境内図案内板※医王寺山頂に第一次勝頼本陣跡があり、物見櫓が再現されています②医王寺山武田勝頼本陣跡大通寺から北へ向かうと、武田勝頼本陣跡の医王寺山があります。
※大通寺盃井戸案内板※大通寺…案内板前に坂があって上がっていくとあります100名城NO.46長篠城に行きました!パート2️⃣長篠城址周辺遺構大通寺盃井戸長篠城趾保存記念館の方からサイクリング用史跡案内マップをもらって周辺の史跡見学に行きました🚲※大通寺盃井戸説明板…お寺の奥にあります。大通寺の上に馬場信春の陣地がありました。大通寺盃井戸長篠城近くに大通寺があります。山麓に大通寺があり、上に武田家四天
※馬場信春(信房)公の墓…右が信春公の墓で左は忠魂碑のようです。明治期に整備されました。案内板があり撮ったはずなんですが見当たらずスミマセン武田四天王馬場信春公の墓武将の墓・供養塔シリーズ戦乱の時代は、おおまかに言うと応仁の乱(1467年応仁元年)から大坂の陣(1615年)までで3つのカテゴリに分類されると思います。1️⃣戦国時代応仁の乱(応仁元年1466年)から室町幕府の滅亡、織田信長政権の成立(天正元年1573年)2
期間:2023/09/15〜09/22天井:300(100&200時に星4と交換可)倍率:2倍初回:半額武)前田慶次:天華乱墜の漢武)服部半蔵:神君の狼牙武)武田信虎:府中移転の断武)馬場信春:無欲の器量武)由利鎌之助:彫心鏤骨の胆武)蜂須賀正勝:川並衆筆頭武)新免無二:日下無双兵法武)林崎甚助:神伝万字抜星3武)竹内久盛:心眼・参©コーエーテクモゲームス
7月26日、静岡県藤枝市の田中城へ。戦国時代の16世紀前半、今川氏の命を受けた土豪の一色氏が築城。1570年、武田氏が攻略し、馬場信春が改修し、赤備えの山県昌景が城主に。その後は徳川氏の所領となる。この一帯は徳川家康の鷹狩り場となっており、家康もたびたび駿府城から訪れていた。1616年、三代目茶屋四郎次郎(大河ドラマに登場の茶屋四郎次郎は初代。)に供された鯛の天ぷらにあたったことが死因で家康が亡くなったという説もある。藤枝駅の隣、西焼津駅が最寄り。ただどの駅からも
このガチャはこちら『【信長の野望20XX噺】武門の源流』せっかく大河で鎌倉やってるんだから、同じ平安でも末期か、いっそ鎌倉時代を実装すれば良いのに……と思うのは私だけか?商売っ気ってもっと上手に出すべきだと思うだが…ameblo.jpにて、吟味済み。正直星5が微妙と申すか地味と申すか……。でも星4が充実しておるので、どうせ滅多に当たらない星5なんかで悩むくらいなら、星4狙いで回すのもありかと。特に長政さんの固有は兵器屋さんにとても有用で、何人居ても困らん。星5家康さんに移植したいの
期間:2023/08/04〜08/11天井:300(100&200時に星4と交換可)倍率:2倍初回:半額覇)源頼光:朝廷の守護者呪)橋姫:法界悋気の怨戦)明智光秀:神智明晰戦)浅野長政:五奉行筆頭射)馬場信春:無傷の将星2射)太田資顕:技巧家©コーエーテクモゲームス
期間:2023/08/01〜08/16※夏!満喫おみくじチケット2023が必要星5武将のみ掲載武)柴田勝家:瓶割りの気魄武)服部半蔵:神君の狼牙武)前田慶次:天下乱墜の漢武)坂田金時:足柄山の怪童武)碓井貞光:大石担の剛腕武)風魔小太郎:混沌の朧影武)愛洲宗通:燕飛神妙武)武田信虎:府中移転の断武)馬場信春:無欲の器量武)上泉信綱:雲遊の剣聖©コーエーテクモゲームス
このガチャはこちら『【信長の野望20XX噺】武田の双翼で飛べない』ここの所、なんとなく興が乗らずにブログは放置気味で、20XXは無心に訓練だけを繰り返しておった。さて、武田イベントの次なるガチャが来たな。先ずは赤い弟。何だこ…ameblo.jpにて吟味済みであるか、数値が記されておらぬ等の不備が目立つので、星5だけ改めて記す。先ずは昌景さん。生命上位3体術ダメ0.90生命上位3体術ダメ0.85生命上位3体術ダメ0.85(合計2.60)ボス敵ラ1体無耐性-20%(2T)自身装填
期間:2023/08/01〜08/08天井:300(100&200時に星4と交換可)倍率:2倍初回:半額射)山県昌景:初心銘記武)馬場信春:無欲の器量武)武田信虎:猛虎の風格武)龍勝院:瑰麗の龍姫覇)秋山信友:籠城の堅持星2射)海野棟綱:練磨©コーエーテクモゲームス
7月25日、静岡駅へ。しずてつジャストラインで片岡北吉田特別支援学校バス停へ。静岡県榛原郡吉田町にあります。しずてつ路線バスのうち、これは東名高速を通るもので、観光バスタイプ。車内Wi-Fiや、各座席にUSB電源があります。でもWi-Fiは遅いし、電源もなかなかチャージしない。笑県道吉田島田線を北へ。山の上に天守閣が見えます。小山城へは向こうに見える建物を場所を左へ入ります。山の横まで行くと、登り口が無い。山を反対側(北側)から見るとこんな感じ。手前の湯日川が堀の
"勝頼が川沿いに逃れた先で、待ち構えていたのは馬場信春だった。「遅うござったな、殿」武田三代に仕えた馬場信春は天才的な戦上手で、40年間で70回以上の戦に出てかすり傷ひとつ無かったと言う。故に『不死身の馬場美濃』とも呼ばれ、戦人なら知らぬ者はいなかった。勝頼から不意に安堵の息が漏れた。"勝頼は涙で声にならないほど弱り果てていた。初めて知る後悔の念。「無念じゃ…」「早くお行きなされ。拙者には最後の仕事が残っておりまする」勝頼が北上するのを見届けると、信春は再び南下して道幅の狭い坂
"土屋昌次は、金丸家の次男「平八郎」として生まれた。本来ならば家督を継ぐ事は無いのだが、平八郎が17歳の時。既に武田信玄に仕えていた兄が、逆恨みにより殺害される事件が起こる。その空席を埋める様に仕官され、平八郎は信玄お抱えの奥近習六人衆として信玄の側に置かれた。中でも信玄は平八郎を別格に寵愛し、戦場でも常に横に連れていた。幾多の戦を経験し数々の手柄を立てた平八郎は、22歳で侍大将にまで出世する。その頃の51歳の馬場信春、41歳の山県昌景らと並ぶ、異例の厚遇である。名門土屋家の名取と
"勝頼への進言が聞き入れられなかったと察した馬場信春は、同じく右翼隊にいた真田信綱と昌輝の兄弟、土屋昌次と申し合わせて馬防柵をこじ開ける為の突撃を敢行した。後続の部隊が侵入する為の道をこじ開ける。それがこの負け戦にあって、信春達ができるせめてもの貢献だった。"柵の正面にいた織田の騎馬隊を何なく撃ち破ると、真田兄弟に続き土屋昌次の隊も攻めかかった。それを見て羽柴秀吉が横から攻め入ろうとしたが、信春がそれを阻んだ。"だがそれは玉砕覚悟の特攻であり、正面から尽きることのない無数の銃弾を浴びせ
"設楽原戦場の北は馬場美濃守信春が受け持った。馬場信房と呼ばれる事も多いが、最晩年は「信春」と名乗っていたのでこれで統一する。"丸山は織田軍の築いた馬防柵の外に有り、佐久間信盛が陣取っていた。ここからは山に遮られる事もなく、信長の茶臼山がはっきりと見えた。信盛からは戦の前から、度々密書が届いていた。この戦いに際しても、直前に密書がよこされていた。「日頃から理由あって我が主君、信長を恨んでいます。どうぞ武田勝頼様に織田家とのいくさをすすめてください。もしいくさが起これば、その時はこの佐
"徳川織田の大軍が迫っている。武田軍は長篠城攻略を急いだ。先に城が落ちれば援軍が来る理由が無くなる。特攻を繰り返し一時は城内まで踏み入ったが、護る奥平軍の士気は極めて高く落とし切ることが出来なかった。鳥居強右衛門を処刑したのが勝頼の思惑と逆にはたらき、その効果は想像を遥かに超えていた。"勝頼は主だった家臣を医王寺に集め軍議を開いた。野戦になれば数の勝負になる。ここまでの戦闘で傷ついた兵や鳶ヶ巣山に配置した分を差し引けば、12,000といったところだろうか。これでは勝ち目が無い。
"武田軍最強と謳われた馬場信春は、長篠城搦手直近の大通寺に配備された。"だが、馬場信春は勝頼から疎まれていたとも言われている。同じく先代から仕えていた山県昌景もそうだった。若い勝頼は信玄を上回ろうと見せたがる。その度に諌めたのは馬場ら老将達だったが、それを突っぱねごり押しで物事を切り拓き自らの正当性を証明しようとする。それが上手く行く度にいつしか圧力となり、勝頼の判断に賛同する者しか身近に置こうとしなくなっていた。"先の戦にしてもそうだった。信玄すらも落とし損ねた、難攻不落の高天神
三宅弥平次(59)「武田三代軍記」『両家、股肱・爪牙の臣を集め、五月二十日、合戦の商議をぞせられける。然る所に、徳川家の長臣酒井左衛門尉忠次、信長の前に進み出で、甲軍、僅かに二萬に過ぎず。然るに、長篠に押えとして勢を分かち、且つ鳶巣山に、二千人を籠め候。今宵、密かに間道を経て、鳶巣山に軍勢を差向けられ、彼の地を揉落し、勝頼の陣の後ろを、襲い候わば、長篠の押も狼狽し、勝頼の本軍乱れんが事、必定に候と申しければ、其時、信長、忠次を礑と白眼み、汝何ぞ之を知らん。今信長、家康