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2025年6月1日(日)Bさんお休みで、今日は3人で歩きます。宇都宮駅構内に「いちご王国」ができていました「中徳次郎」バス停で降りて出発。痣地蔵尊「あざ」や「いぼ」に霊験あらたかという地蔵さま。土の中から掘り出された赤身かかった石の地蔵さま。田んぼの中にある神明神社を探して歩き回って・・・田中神明社「おしんめさま」と言われ、村の総鎮守。「占いこま犬」を持ち上げて願いが叶えば軽く持ち上がるとか「バーミヤン」でお昼にしました。中徳次郎宿跡上・下徳
向古河共同墓地の入口のすぐそばにある馬力神の石碑。地域内には馬頭尊や馬頭観音の石仏、石塔が多く見られる。いずれも馬の墓、供養塔である。機械文明が及ばぬ時代を生きた人々にとって、馬は農耕だけでなく荷駄の運搬、あるいは交通手段に大いに役立った。馬は農民にとって貴重な財産だったともいえる。その馬が死んだとき、墓として石塔を建てた。この石塔、明治28年の造立とある。観音堂敷地内にあるので、おそらく馬持ち講で建てたものであろう。少年時代、この石塔はよく見たが、何という字か読めなかった
3月16日【土】来期の人事で自分の部下の大型トレードがあり、戦力の維持についてあれこれ模索中の俺氏抜かれるのが20年近く自分の下に居たエース級なので、どうやっても引き算宮仕えの宿命とは言え現場責任者としては思い悩むことが多くちょっと心がお疲れ気味ですが仕事のストレスを発散するためにバイクに乗ってる・・・てかバイクに乗るお金を稼ぐ為にストレスを我慢・・・して仕事してるんで今日もXSRでいつもの河原・・・本音で言えば大型バイクは走り出しちゃえば爽快ですけど我が家の場合は
茨城県高萩市の花貫渓谷に、”名馬里ヶ淵”と呼ばれる場所がある。渓谷の岩は表面がなめらかだ。長年にわたって、水流によって表面が削り取られて来たのだ。それなら、岩は常に水流をかぶっていなければならないだろう。しかし水流をかぶっているのは水路や岩の下部に限られている。かつては水位がいまよりも遥かに高かったのだろうか。あるいは水流を直接かぶらなくても、たとえ飛沫であっても長期的には岩の表面を摩滅させるのだろうか。「なに撮ってるの?鳥?」。渓谷沿いの道を歩いていると、不意に見知らぬ男から
今日も朝から秋晴れの好天に恵まれました~!まさに絶好の”街道”日和。明日日曜が雨予報ですので、行くなら今日、って事で始発電車でドナドナ。向かったのは今日が4日目になる「日光例幣使街道」ウォーク。先週の「行橋別府100kmウォーク」のダメージが全身に残っていて、万全では無いけれどジッとしていても時間が勿体ないので強制的「喝」。午前7時過ぎ、前回の離脱地点の「栃木宿」、栃木駅に到着。天気は最高、少し肌寒いのでウインドブレーカーを着用してスタート。栃木宿のメインス
すけがわやま助川山2022.1.22☀日立市の助川山に行ってきました天気はめっちゃ良かったけど朝早すぎて暗い歩いてる途中で日が昇っちゃいました☀舗装路を歩いていますおむすび池池の表面がうっすら凍っている茨城県の北の方だからなのか…遮る木々が枝だけだからなのか…日陰だからなのか風が冷たい…さぶっ彡(-ω-;)彡風邪をひきそうなくらい寒い馬力神仏の顔も三度まで~とは違うのかかたつむりトレールを回ってられっかぁ~ってことでもちろん直登はい!!頂上!!三角
おはようございます栃木県日光の自然を散歩する自由人のひで坊です12月8日今日の一枚イチョウの木今朝の日光は雨です冷たい雨で散歩も出来ません
今日最後に立ち寄ったのは美馬牛神社です。美馬牛神社は国道237号からすぐの丘の上にあり、富良野方面から美瑛方面に向かうと車からもよく見えます(逆方向だと振り返らないと見えないため、気づかないかもしれません)。鳥居の周辺の草もきれいに刈られており、しっかりと管理されている神社です。拝殿の手前には古い灯籠がありました。灯籠に彫られている文字を読むと、昭和5年に建立されたものです。山形県庄内出身者の名前が彫られていました。もう一方の灯籠には神社建設来20週年記念(原文のまま)
土曜日の競馬はケンしました。この日は久々に結構動いたね。(;^ω^)当日は4時半に起床し、7時に会社の倉庫がある北新横浜へ。そこから車で2時間半かけて茨城は水戸へ。10時から仕事。10月24日(日)に働いて以来ほぼ2週間ぶりの仕事でございます!(;´Д`)ノ久々の仕事はなかなかにタフ!終わったのは17時!(◎_◎;)帰りは用賀で降ろしてもらいました。そこそこ混んでたので20時になってましたね。ま、移動中も拘束時間に含まれるので残業代が4時間分出るのは
馬力神予定より時間が押しているので、再び黒川橋を渡って北赤塚十字路まで戻った後は神社仏閣をパスし、稲葉の一里塚までの壬生街道約3.3キロをひたすら歩く事にした。七ツ石ふるさと伝承館(壬生町羽生田269)ここ七ツ石には義経に一夜のお宿をしたお宅が有ると、前回の旅でお会いした壬生町城内自治会長・荒川克己様に伺っており、ご紹介は頂けなかったがその事を想って神社を回りながら歩くつもりでいた。現地取材をしようと期待していた伝承館は公民館とのことで、他地区同様閉まっていて誰も
磐裂根裂神社北赤塚町自治会長・福島隆男様にお声掛け頂いたのは、判官塚古墳の向かいに位置する磐裂根裂神社の鳥居をくぐった直後だった。この神社向かい側の国道352号線に「判官塚古墳」の案内板を立てたのが二日前で、近々、古墳の反対方向へも立てる予定なのだとのこと。そして、「北赤塚一里塚」の北へ少し行った所に道標が有るからと車での案内を申し出てくださったので、同行させて頂いた。おざく街道の道標(鹿沼市北赤塚町953-5)国道352号線(日光西街道)から旧粟野街道への入口に
年の終わりに渓谷は蒼に染ってゆく-高萩市花貫渓谷、安良川八幡宮使用レンズのご紹介リンクAFZOOM24-85mm1:3.5(22)-4.5(minolta)久しぶりに渓流に沿った道を歩こうと思ったのだが、当然のことながら、紅葉はすっかり終わっていた。で、もう誰もいないだろうと思っていたのだが、それなりにいたので驚いた。いや、自分のことを棚に上げて驚いても仕方がないのだが。この渓谷にある「名馬里ヶ淵(なめりがふち)」には、ひとつの伝説がある。近隣の
232:柳河町下坪の馬頭観世音,馬力神本の地図というよりは,伊勢新明社の裏手の道路を曲がり,用水路を渡って,左折して農道を行った方が行きやすいかもしれません。全景右から,馬頭観世音,馬力神馬頭観世音馬力神台はコンクリートです。屋根は葺かれていません。20190420「水戸の石仏」52:元吉田町西組の如意輪観音・欠,地蔵尊,子安観音53:元吉田町一本松の百万遍供養塔,子安観音,子安地蔵,如意輪観音,聖徳太子・山之神55:元吉田町同心町の子安観音(3基),
緑茶のマニアック趣味のお時間です♪闘病とは一切関係ありませんので、スルーよろしくお願いします♪石仏・石塔を追いかけ始めて2ヶ月くらい(短っ!)ですが、初めて見ました。「馬力神」!!なんだかめっちゃパワーワード(笑)。調べてみると、馬力神も「馬頭観音」や「馬頭尊」の石塔と同じ意味合いだそうで、愛馬の供養のために建てられたとのこと。この石塔は明治44年と彫ってあるので、その頃はこの辺にも普通に馬がいたんだろうなぁ…なんだか不思議です。そしてそんな昔の石塔が、今でもちゃんと残っているのがま
208:上国井町沢尻の馬力神,子安観音(2基)小場江用水沿いに通ってみたんですが,一回通っただけではわかりませんでした。本の頃と比べ移転したようです。全景右から馬力神(3基),馬頭観音,子安観音(2基)馬力神(3基)本に1基・銘不明とありましたのは,手前の馬力神でしょうか。真ん中の馬力神は明治22年10月建立とありました。真ん中と後ろの馬力神はどちらからいらっしゃったのでしょう。馬頭観音本には載っていませんでしたので,新しいと思われますが,建立は不明です。子
231:柳河町中坪(2)の馬頭尊,馬力神道は新しくなって広くなってますが,だいたい本のとおりです。鉄塔と全景全景右から馬頭尊,馬力神馬頭尊馬力神屋根は葺かれていません。まあまあきれいにされていると思います。20181110「水戸の石仏」52:元吉田町西組の如意輪観音・欠,地蔵尊,子安観音55:元吉田町同心町の子安観音(3基),如意輪観音,地蔵尊56:元吉田町古宿の青面金剛57:元吉田町古宿の子安観音,如意輪観音,廿三夜塔,地蔵尊58:元吉
181:成沢町第一井戸向(3)の馬力神本の地図で行けます。少し草深いかな。屋根は葺かれていません。20180531「水戸の石仏」52:元吉田町西組の如意輪観音・欠,地蔵尊,子安観音55:元吉田町同心町の子安観音(3基),如意輪観音,地蔵尊59:元吉田町一里塚(1)の牛馬頭観世音60:元吉田町中組の地蔵尊2基,子安観音,二十三夜塔61:元吉田町一里塚(2)の道祖神62:元吉田町一里塚(3)の如意輪観音(2基),子安観音(2基),地蔵尊(4基)63:吉沢町上組の子
179:成沢町第一井戸向(1)の如意輪観音,子安観音,馬力神本の地図で行けます。全景右から,如意輪観音子安観音馬力神屋根が葺かれています。敷地は整備されています。やかんは何に使うのでしょうか?きれいにされていてうれしいですね。20180531「水戸の石仏」52:元吉田町西組の如意輪観音・欠,地蔵尊,子安観音55:元吉田町同心町の子安観音(3基),如意輪観音,地蔵尊59:元吉田町一里塚(1)の牛馬頭観世音60:元吉田町中組の地蔵尊2基,子安観音,二
158:谷津町下坪(2)の甲子供養塔,廿三夜供養塔,地蔵尊,光明真言百万遍供養塔,馬力神,如意輪観音,庚申像,子安観音,光明真言一百万遍供養塔です。本の地図で行けます。建て替え整備されていました。配置が変わってます。三列になってます。後列4基右から甲子供養塔,馬力神,光明真言百万遍供養塔(延享建立),光明真言一百万遍供養塔(文化建立)中列5基右から廿三夜供養塔,地蔵尊,如意輪観音,庚申像,光明真言百万遍供養塔(安永建立)前列1基子安観音敷地は整備されて
酒門町上組の馬力神・番外編です。水戸四中東側のY字路あたりです。建立年月は昭和4年8月です。建立が昭和4年なので,本に掲載されていてもよさそうな気がしますが。屋根は葺かれていません。きれいにされていてうれしいですね。20171031「水戸の石仏」34:酒門町谷田組の庚申供養塔,青面金剛,如意輪観音,地蔵尊,如意輪観音35:酒門町上組(1)の廿三夜供養塔36:酒門町上組(2)の馬頭観世音37:酒門町中台の馬頭観世音・欠38:酒門町上組(3)の子安観音(2基)
本の40酒門町中組(1)の如意輪観音,地蔵尊(2基),子安観音,如意輪観音です。酒門小近くの日吉神社の鳥居に向かって,左側です。本での紹介は前列だけのようですが,後列にも4基在しました。前列の諸仏の欠けていた上部も修復されていました。お顔もありました。全景前列右から,如意輪観音,地蔵尊(2基),子安観音,如意輪観音如意輪観音,地蔵尊(2基)子安観音,如意輪観音後列右から,百万遍供養塔,廿三夜,子安観音,馬力神百万遍供養塔,廿三夜銘は文政4年です。他の3基は銘不明
前回記事の続きです。旧西方村に入っています。西方村は平成6年(1994年)に西方町になり平成23年(2011年)に栃木市に吸収合併されたそうです。栃木市HPの資料より紋章が無いのがちょっと残念な制水弇と單口空気弁(「単」の旧字「單」が使われている割には新しそうです)アスファルトのかすが付いている典型的な工事中の仮置き越境蓋。新潟県三条市から。今回も看板を愛でます。なべおさみさんでしょうか?ご健在かな?知らないお姉さん。昭和のOL風。お馴染みボンカレーとアースイン
本の170飯富町内方の庚申供養塔,馬力神,廿三夜供養塔です。旧道沿い。常北に向かって飯富郵便局を過ぎて左側のY字路のあたり。馬力神は手前。庚申供養塔と廿三夜供養塔はちょっと土を盛った後ろ側です。馬力神右から庚申供養塔と廿三夜供(養塔でしょうか?)屋根は葺かれていません。きれいにされていてうれしいですね。20170502「水戸の石仏」23:東桜川四丁目の子安観音,二十三夜24:浜田二丁目の馬頭観世音,庚申塔・二十三夜,馬頭尊,子安観音,十九夜塔,供養塔