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細見恭司㈱第一建設ホテルアカデミー学長さんのプロフィールページhttps://profile.ameba.jp/me来月初旬、代々の皇后に受け継がれてきた、皇居内での御養蚕が始まる。令和になって雅子さまは熱心に御養蚕に取り組まれ、毎年、春にはふ化したばかりの数ミリの蚕を、鳥の羽で掃いて桑の葉に移す「掃立て」と言う作業を行うという。今年もまた両陛下と愛子さまは、ご家族で仲睦まじく、小さな蚕のお世話をされるのだろう。この御養蚕について、去年、両陛下と話したのが、雅子さまにとって田園調布
喜多方市の日中線枝垂れ桜並木の後は、会津若松市にある蚕養國(こがいくに)神社にお参りしました⛩️蚕養國神社について弘安2年(811)創建。延喜式神名帳では、この神社以外に社名を「蚕養國」とする官社はなく、この社名は、こちらの神社が唯一のものになると言われています。社名に見る通り、神社の創建には養蚕業が関わっていると考えられますが、会津で養蚕が盛んだったというより、養蚕を盛んにしようという中央政府の政策のためお祀りされたという説も挙げられています。御祭神・保食大神(うけもちのおおかみ)
芭蕉がどこでこの情景を見たのかは不明ですが元禄7年51才の時だそうです蠶煩ふとは病を持っている蚕のこと蚕にはジョウゾク上蔟するまでに幾多の危険が待っているそのジョウゾク上蔟とは何かしらというと宮内庁がご養蚕に関する用語ということで出しておられたので参考までジョウゾク上蔟とは蚕が繭となるまでのマブシ蔟(繭づくり専用の道具)へ移すことをいうんだそうですそのなかでも白く硬化して死に絶える伝染病が深刻であるこういう伝染病を発見した養蚕農家では即座に病蚕を捨てる句は五月雨の降りしき
毎年、少しずつ変化球をみせてくれるオダマキ。深い紺の色がいい感じ。こちらは、オダマキらしい青い色。ピンクも、やさしい。濡れたような表情のオダマキも。今年は、白い色も咲きそうです。楽しみです。※きょうは地域の「養蚕神祭」でした。お蚕を飼っているお宅は今は無いのにお祭りだけは粛々と続いています。直会も行われました。
女神山の記録もしておきます。小手姫について、ここは専門家の意見をもとに、記録です。2017年4月初旬(過去記事です)いつも堀切登山口から登ります。春の芽吹きは新しいエネルギーの循環。その花開く時のすさまじい力は、私たちには及ばない。春に咲く花は、ものすごいエネルギーを持って咲きます。一気に芽吹きますからこの時期に里山へいくと1年分のエネルギーをチャージできるほどです。なのでこの時期の里山は、おすすめです。(公園でもいいですよ)「休んでみっせ」と書いてあ
山形は山桜が満開です。ソメイヨシノほど豪華ではありませんが、山肌のあちこちに彩りを添えています。雑木林なので、いろんな木々の花が混ざっているので、彩りがいっそう楽しめます。新庄市の旧蚕糸試験場。正式名称は『旧農林省蚕糸試験場新庄支場庁舎』現在は新庄市エコロジーガーデン「原蚕の杜」と『まゆゆの里』として文化交流やお食事が楽しめる場所になっています。50年前は現役の養蚕研究所で、一面桑畑でしたが、全然きれいに整備され、真新しい感じです。けれども中は明治?の面影そのままです。周囲は
先日、岡谷市にあります、岡谷蚕糸博物館silkfactokayaへ行って来ました。岡谷市は養蚕、製糸業で発展した町だと知らずに居ました。。。そしてこのような博物館があったとも知りませんでした。。。素敵な外観。入り口の横には~お蚕さんをお祀りしてました。岡谷の製糸の歴史、養蚕の道具や糸繰りの道具等々が展示されており、非常に勉強になりました。そして実際に職人さんが蚕から糸にしている現場を見学。無茶苦茶素晴らしい施設でした!!!蚕の種類の標本も見ごたえがありました。
先日、福島市民家園の春祭りに行ってみた。「養蚕体験」ができるから!その中の「糸とり体験」がしたくてでも…繭玉から糸とる作業は、専門のスタッフさんがやってた…体験するのは、取った糸を加工してストラップ作ったり、ペンダント作ったり…というものだった。残念
行ってみたい世界遺産は?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう国際港湾都市の横浜と東京の西部、多摩地域の交通の要所の1つである八王子を結ぶ横浜線。↓は現在の横浜線の主役E233系。八王子と言えば名産にもなっている「絹織物」。絹織物輸出のために建設された横浜線は日本のシルクロードです。今でも数は減りましたが小規模な製糸工場、養蚕農家がいくつか点在します。↓は鎌倉車両センター東神奈川派出所に勢揃いした懐かしの横浜線205系。横浜線開通以前、江戸~明治の中頃に掛けて生
「伊勢神宮に絹織物である神御衣を運ぶ儀式の赤引糸の旅は裏で生贄していた経路だと感じます。赤引糸は赤みを帯びた艶のある絹糸で、血やエゴを暗示します。浜松から渥美半島沿いに伊勢神宮までの赤引糸の旅のルートは中央構造線と重なり、生贄・松取りの闇による封印と捉えられます。」田原市のwikiには『4月の伊良湖神社の御衣(おんぞ)祭りは、伊勢神宮との古くからの関係があり沢山の人が集まる』と記されており、「御衣祭」について調べていきました。《渥美半島観光ビューロー公式サイト》の2024年の記事には御衣祭
2ヶ月に1度の八王子に行く日~☂雨の八王子駅です。隣接する「八王子博物館」通称「はちはく」~市の広報施設です。入場無料!八王子名物「ムササビ」八王子と言えば高尾山と薬王院!中々興味深いです。ご本尊!烏天狗でしょうか?8人の王子がいたから八王子ではなかった?そして八王子市は桑都(そうと)と呼ばれた養蚕の町でした。明治時代の高機(たかばた)機織機です。八王子からR16を通って横浜港から絹製品を輸出していました。そしてお孫1
愛川町の山十邸の蔵の中2階は山十邸やご近所で使われていた日用品が展示されています。木製看板は2つ。切手や収入印紙賣捌所(うりさばきじょ)の看板は昭和8年~19年まで東京台東区で使用されていたもの。山十邸近くの三増地区で使用されていた薬屋さんの木製看板。風毒散というのは痛風の付け薬でしょうかね・・・山十邸を建てた当主熊澤半兵衛(1839-1897)の父親の肖像画。愛川町はかつて養蚕が盛んな地域で日本屈指の撚糸業地として栄え糸の町
前回「重陽(ちょうよう)の節句」について書きました。それの第二弾♪(´▽`)『重陽の節句』「重陽の節句」「重陽(ちょうよう)の節句」とは、五節句の一つで「9月9日」に行われる行事です。(あまり知られていないマイナーな節句・・^_^;…ameblo.jp「重陽の節句」とは五節句の一つで、無病息災や不老長寿を願い「9月9日」に行われる行事です。平安時代、その前日(9月8日)に、菊の花を「真綿(まわた)」で覆って露と香りを移しとり、
昨日は暖かく、散歩仲間の二人にも出会い立ち話、久しぶりでした。ラブは犬の挨拶ができるようになり、お尻クンクン、昨年はしなかったけど・・。オスのパグ君におしっこかけられてたわ~春になったせいなのか、敬宮様の蚕の話を思い出しました。令和になり宮内庁から発表された、敬宮様が小学3年生から蚕の飼育をしているという、突然とも思えた発表でした。敬宮様に希望を見出している人々の間では、
埼玉県東松山市の古墳探索の続き。前回ご紹介した野本将軍塚古墳から時代はず~っと下ります。🐮まずは6世紀後半の若宮八幡古墳という直径34m、高さ4mの円墳をご紹介します。古墳の上には八幡神社が鎮座します。墳丘神社!よくあるパターンですね。😌砂質凝灰岩の石室は長さ8m前後に及び「切石切組積み」は工作精度が高い。🤩照明が点灯する仕組みになっており石室の細部まで観察する事が出来ます。所謂「胴張」の石組で重量を分散させる工夫が施されています。なかな
白馬さのさかスキー場の第4駐車場入口にある蚕影社(こかげしゃ=こだまさま)にお参りしました。白馬の歩み第3巻の467ページによると、茨城県の筑波山麓に鎮座する蚕影神社が本社で、ここが天竺から渡来した養蚕のわざの、我が国での始原の地であるとの伝承をもつそうです。このあたりは昭和30年代まで養蚕が盛んでした。正式表記は蠶影神社で、通称は蚕影山(こかげさん)神社と呼ばれているそうです。隣には庚申塔と、月の出を待つ二十三夜塔がありました。
野蚕を死なせずに糸とる方法考案小学生が文部科学大臣賞受賞|NHK【NHK】野生の蚕「野蚕」(やさん)を死なせずに糸をとる方法を考えた長野県岡谷市の小学生が、全国規模の科学コンクールで最高賞を受賞…www3.nhk.or.jp小学四年生がこの方法を見つけたことにもかなりの驚きだがその方法の中身が「蚕を死なせない」という新しいルールだったことにおじさんは感動した。素晴らしい!専門家はどう思ってるかな?笑大人も
11.産業・稲作からサトウキビへ1963年(昭和38年)に製糖工場(南島開発)が操業を開始しました。原料のサトウキビを供給しないといけません。田には稲に代わってサトウキビが植えられるようになりました。水田は姿を消していきました。サトウキビは換金作物としての意味合いもありました。「イタチ」はサトウキビを食い荒らすネズミ対策として、「キジ」は同じくバッタ対策として導入されました。「イタチ」と「キジ」は与論の在来種ではありません。・畜産肉用牛は戦前から重要な換金作目
ねこちゃん飼ったことある?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう公式ハッシュタグ令和6年2月23日骨董品ランキング3位『金山城伊達・相馬鉄砲館』のある宮城県丸森町は,昭和半ば過ぎまで絹糸の原料を作る養蚕が盛んな地だった。金山城伊達・相馬鉄砲館養蚕業は、カイコを飼ってその繭から絹糸を作る産業である。明治政府は,「外貨獲得産業」として養蚕業を重視した。日清・日露戦争に用いられた軍艦などの近代兵器は,カイコが吐き出した絹糸の輸出代金で購入されたといっても
2/2-2/4に埼玉から富岡・西上州へと旅をしました。「絹の道をたどる」という隊長の気合の入った計画、素晴らしかったです。詳細はこちら『上武絹の道をゆく①コクーンシティから』なにか面白いものはないかと探していたら、『上武絹の道』を見つけた。最近どこかの展覧会で拾ってきたパンフレットがあったのだ。これは面白そうということで、さっそく…ameblo.jpコクーンシティの看板からスタートして、まずは武蔵一宮氷川神社を参拝します。参道が2kmもあって丁石が案内します。早朝から何人もの
大切なことです。
「うつろ舟伝説」というものがあります。「うつろぶね(虚舟)」とは、江戸時代、日本各地の沿岸に漂着したとされる謎の舟のことです。(「うつぼぶね(空穂舟)」とも)その中でも有名なのが、「常陸国(ひたちのくに)の海岸に漂着した円盤型の舟」の伝承です。(現在の茨城県)常陸国に流れ着いたうつろ舟その伝承によると、うつろ舟の詳細は・・円盤状の乗り物の上に、ガラス製の三つの窓がある。下半分には鉄が段々に張られ縞模様になっている。
2階の蚕室の掃除をしました。一番奥から見たところです。左右にあるのは神城断層地震で倒壊した土蔵から救出した史料や冠婚葬祭用の輪島塗の器、養蚕道具などです。
少し前、猫についての記事で「ライオンがくしゃみをして、鼻の穴から猫が飛び出した」という伝承が、世界各地に存在することを取り上げました。↓『「猫とは・・?」2』「猫とは・・?」の2です^^1はこちら↓『猫とは・・?』「猫」・・ってなんだか不思議な存在なんですよね・・(゚д゚)十二支か…ameblo.jpまた、猫が「養蚕」と関係があることも書きました。↓『「猫とは・・?」3』「猫」の第三弾!(・∀
「猫」の第三弾!(・∀・)2はこちら^^↓『「猫とは・・?」2』「猫とは・・?」の2です^^1はこちら↓『猫とは・・?』「猫」・・ってなんだか不思議な存在なんですよね・・(゚д゚)十二支か…ameblo.jp「養蚕と猫」意外にも、猫は「養蚕」と関係があったんです!(゚д゚)猫はネズミを捕ることで、古代から世界中で大切にされてきました。同じように日本の養蚕
今日は『初午』🌾『初午』とは、稲荷社のお祭りが行われる2月の最初の午の日です。本来は旧暦2月の最初の午の日ですが、現在は新暦となっておりその年毎に変わります。2月1日〜3日の節分前後や当日に初午となることもあります。稲荷の総本社である「伏見稲荷大社」のご祭神『宇迦御霊神』が伊奈利山へ鎮座された日が初午であったことから、全国各地の稲荷神社ではこの初午に「初午祭」という五穀豊穣を祈るお祭りが行われます。2月の2回目の午の日を「二の午」→2024年は2月24日(土)3回目の午の日を「三の午」
53歳にして、生まれて初めて「世界遺産・白川郷」に行きました。白川郷は誰もが知る通り、アクセスが非常に困難で、行くのが大変な場所ですが、今回の1週間の旅行日程を組んだ際、名古屋から白川郷までのバス1日ツアーがあることがわかり、「飛騨高山・白川郷1日ツアー」を申し込んだ次第です。行程は午前8時から午後8時までの12時間。昔学生時代、バスで遠足に行った時のようにバスガイドさんがついて、地域のことを色々と説明してくれるのも楽しいです。「関」という場所が「刀・包丁・メス」の産地である
こんにちはー😊今日は、朝から打合せで新横浜へ🚗³₃帰り道で丁度30000km😊中々ピッタリを見るタイミングにならないけど…しっかり見れました👀😃✨その後は西鶴間で打合せ帰り途中瀬谷銀行前を通過〰️止めて歴史に触れてきましたー😊瀬谷の歴史は養蚕が盛んだったのが分かります。詳しくは⬇️を見てください。横浜市瀬谷区(1)瀬谷銀行と養蚕組合|カイコローグwww.kaikologs.orgこのご子息、写真提供されている川口恭正さんは、私のJCの大先輩です。現在もロータリーク
国立市の農イベント会場の隣には古民家!!!いつも帰りに寄り道しますちょうど達磨さんの下に繭玉飾り国立ではみかんなんだよね!国立では昔、養蚕が盛んに行われていたそうです!繭玉飾りの手前には囲炉裏そしてカマド国立市のホームページに自由見学できる時間など載ってますぜひ国立散歩へ
昔ばなし語り部修行中のいとうです。水沢出身の方から養蚕についてお話を聞く機会がありました。子供のころでよく覚えてないけれどおじいさんやおばあさんが夜中に何度も起きてお蚕さんの部屋の温度をみるの今みたいに摂氏じゃなく、華氏の温度計で。2階の部屋の畳をはがして板の間にお蚕さんの棚をおいてまわりに火鉢を三個おいて。お蚕さんの部屋と自分たちの部屋を分けるから2階に3部屋は必要なのね。ほんとに小さい虫のときは桑の葉を細かくしてからあげるの。大きくなったらそのま