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ニール・セダカの「小さい悪魔」(原題LittleDevil)は、1961年リリース全米11位、英国チャートでは9位を記録しているニールセダカは1939年米国ニューヨーク州で生まれた9才からピアノを学び、13才で作曲を始めたその頃から同じアパートに住んでいた作詞家のハワード・グリーンフィールドとコンビを組み多くのヒット曲を生み出した1961年春に発売されたこの曲もハワード・グリーンフィールドとの共作だ「おお!キャロル」や「カ
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飯田久彦がリズムに乗り楽しく歌う「ルイジアナ・ママ」は思春期に口ずさんだ思い出の曲です😃原曲は米国のシンガソングライタージーン・ピットニーの「ルイジアナ・ママ」(LouisianaMama)ですが野山を駆けながら口ずさんだ飯田久彦の日本語版が懐かしいのです😄口ずさむと当時の楽しい情景や友のふざけた顔までもが思い浮かびます😆楽しい妄想による拙い絵はニューオリンズの街角でキュートなルイジアナ・ママに出会ったところです🤣🤣🤣🎵ほんものだよディキシークィーンマイルイジアナママフ
=今日も懐メロ昭和歌謡=昭和36年飯田久彦ルイジアナ・ママあの娘はルイジアナママやってきたのはニューオリンズ髪は金色目は青くほんものだよディキシークィーンクリックお願いしますにほんブログ村
今は夜は父に付き添って寝てるけど、父は深夜でもラジオつけっ放しで寝てるよっ♪毎晩「ラジオ深夜便」流して寝てるよっ♪今夜の3時台「にっぽんの歌こころの歌」は「思い出の流行歌~ロカビリー出身歌手のヒット・ソング」だったよっ♪<セットリスト>平尾昌晃「ロック・アラウンド・ザ・クロック」平尾昌晃「かんごくロック」ミッキー・カーチス「小熊のテディ(LetMeBeYourTeddyBear)」ミッキー・カーチス「ロング・トール・サリー」山下敬二郎「おお!キャロル」山下敬二郎「
今日は。10月に入りました。衣替えの時期ですが、冬物にするにはまだ抵抗があります。そんな中、消費者ニーズも変化があるようです。11月まで提供が終わらない冷やし中華、12月まで続くクリーニングの衣替え割引、そしてマンションの北向き部屋が人気急上昇――という記事がありました。〇冷やし中華は11月、衣替えは12月まで秋をあきらめて夏商戦延長冷やし中華は11月、衣替えは12月まで秋をあきらめて夏商戦延長-日本経済新聞11月まで終わらない冷やし中華、12月まで続くクリーニング
8月23日生まれの歌手井上ひろし池田彩スギちゃん飯田久彦山咲トオル大野万策キタキマコあきよしふみえ山田隆夫(ずうとるび)DJLOVE(SEKAINOOWARI)おススメ曲は…おミミの恋人飯田久彦「ルイジアナ・ママLouisianaMama」1962年発売のヒット曲作詞作曲G.F.Pitney日本語訳漣健児飯田久彦5thシングル『LouisianaMama』は、アメリカ合衆
ジーン・ピットニーの「ルイジアナ・ママ」(原題LouisianaMama)は1961年リリースジーン・ピットニーは1961年「恋なんておサラバ」でデビュー全米39位を記録「ルイジアナ・ママ」は2枚目のシングルだがアメリカでは、まったく売れなかったしかし、日本では1961年12月飯田久彦の日本語カバーが発売され40万枚を超える大ヒットになったその影響でオリジナルのジーン・ピットニー盤もヒットし
今日、2月17日はジーン・ピットニーの誕生日です。(65歳没)過去のブログで取り上げています。「ジーン・ピットニーの誕生日」日本で知られているのはこの曲かな?「LouisianaMama」GenePitney・・・というより、飯田久彦さんのカヴァーがヒットしました。「ルイジアナ・ママ」飯田久彦アメリカはコラボ曲が多いのですが、普通は同じ歳くらいのアーティストですよね。これはサブリナ・カーペンター(25歳)がドリー・パートン(79歳)とコラボしていま
「2000年11月25日に、東京・中野サンプラザで行われた、「ザ・ヒットパレード」「日劇ウエスタンカーニバル」を同時代のシンガーたちで懐かしむというイベントの、2枚組実況録音盤(2001年7月発売)。平尾昌晃のプロデュースだということもあってか、上の世代(カントリー&ウエスタン)や下の世代(グループサウンズ)には全く声をかけていないらしく、出演者はほぼ彼の同世代・同時代の人々に限定されている。とはいえ、盟友山下敬二郎をはじめ、飯田久彦、鈴木やすし、田辺靖雄、守
ルイジアナ・ママ飯田久彦1960年代のアイドルだった飯田久彦甘いマスクでニックネームがチャコ「ルイジアナ・ママ」は、飯田久彦の最大ヒットでした。しかし、この映像はすごい。飯田久彦が中心にいて、尾藤イサオミッキー・カーチス山下敬二郎平尾昌晃佐々木功1960年代日劇ウエスタン・カーニバルのスターたち映像はこちらでyoutu.be/Z9eF2TsoYDA?si=eLioh-6q2FvbNMX_スーツ着て、ノリノリで歌う飯田久彦この頃、ビクターのおエ
先週の後半、宏美ファンのわれわれには嬉しいことずくめだった。木曜が『徹子の部屋』出演、金曜が『男女7人秋物語』再放送の最終回、そして土曜の9月7日には宏美さんの地元・ティアラこうとうにて、今年最後の単独コンサートが行なわれたのである。40周年以降の宏美さんの単独コンサートツアーの公演数を振り返ってみると、●光の軌跡(2015〜16)34公演●ピアノ・ソングス(2016〜17)28公演●Hello!Hello!(2017〜18)17公演●PRESENTforyou*
こんばんは。今日もお立ち寄りいただき、ありがとうございます。今日は一日、ふるさと関連のことをいろいろしていました。仕事はまったくしていません。あはは台風10号のあと、母の一周忌をふるさとですることができると踏んでいたら、寒冷渦の影響や偏西風が遠いことがあるらしくて、台風は当初の予想よりもずっと西のほうをゆっくり動いていて、いまだに予想円がひどく大きいままです。最悪、一周忌の当日に台風が上空通過になったら、そのときは急遽キャンセルして、通り過ぎたあとみんなで改めて「おとき
「チャコの海岸物語」サザンオールスターズ「チャコ」:元歌手・ディレクター飯田久彦1962年『ルイジアナ・ママ』「ミーコ」:弘田三枝子1967年『渚のうわさ』「ピーナッツ」:ザ・ピーナッツ1967年『恋のフーガ』チャコの海岸物語Amazon(アマゾン)チャコの海岸物語Amazon(アマゾン)チャコの海岸物語Amazon(アマゾン)
日本ビクターから発売されたジーン・ピットニーのシングル「ルイジアナ・ママ」のジャケット写真です。園まりさんがデビュー当時、カバー曲を歌っておられた事を知ってからオールディーズのオリジナル曲にも興味を持ち色々聴きました。この曲「ルイジアナ・ママ」は飯田久彦さんのカバーが大ヒットして有名です。
歌手で音楽プロデューサーの飯田久彦さんを、趣味の姓名判断で、占ってみました。飯田さんには、家族縁に注意。強情さに注意。病難や逆境に注意。浮き沈みに注意。発展するが、不安定。不和に注意。といった暗示があります。常盤英文です。皆の幸せを願います。また、どこかで。
ルイジアナ・ママ(歌:飯田久彦/作詞:GenePitney・漣健児/作曲:GenePitney)今日は、飯田久彦が歌う「ルイジアナ・ママ」を聴いています。原曲は作詞・作曲者であるジーン・ピットニーが1961年に発売し、日本では同年暮れに飯田久彦がカバー、翌1962年に大ヒットしたとのことです。僕はまだ物心がつく前で、大ヒットの状況を覚えていません。「ルイジアナ・ママ」は日本では大ヒット曲なのですが、本国アメリカではほとんど売れなかったようで、アメリカ人に「ルイジアナ・
5時半起床朝お粥午日替わり弁当晩豚肉もやし炒め&マルシンハンバーグ&冷奴聴いた曲ルイジアナ・ママ飯田久彦ダイアナ山下敬二郎
星の数ほど出たグループサウンズ、御三家とくればブルーコメッツ、スパイダーズ、タイガーズだろうか。私が最も注目したのが、ヤンガーズというグループだった。「僕の愛がいつか君にわかる日まで、いつまでも待ってる、きっと、きっと、きっと」。こう歌いながら終わってゆく楽曲<マイラブ・マイラブ>。そこに何やら表現し切れぬ若い時代特有の哀しみが隠れている気がした。〈待つ〉という選択の哀れさ、或いは無意味さと言ったらよいのだろうか、己の内にある自信と陶酔をベースに、それを〈真実の愛〉とのぼせ上がる若さ。後から
今回はExtraEditionです。前回の『悲しき片想い』を投稿した後、『悲しき○○』で思い出せたのはたったの3曲でした。60年も前のことですから仕方ないですね😅3曲なんて、そんな筈はないので調べてみました。ボケ防止に丁度いいのではなかろうか❗なんてね👌記述の順番は、①和名題、②原題、③元歌手、④リリース年(西暦・アバウト)、⑤日本人カバー歌手、⑥情報(…は特に無し)と、こんな感じで並べます。では始めます。①『悲しき片想い』②『YouDon'tKnow』③ヘレン・
GenePitney-LouisianaMama(HQ)ジーン・ピットニー-ルイジアナ・ママ「ルイジアナ・ママ」(LouisianaMamは、アメリカ合衆国のシンガーソングライターであるジーン・ピットニーが、1961年に発表した自作自演の楽曲。シングルに収録されたが、A面曲とされることもB面曲とされることもある。ピットニーは、1960年に発表した「(IWanna)LoveMyLifeAway」がそこそこのヒットとなって、英米やカナダ、オーストラリアなどでチャー
エンジェルスの次9月21日~10月5日まで3週連続NO1ブルーヴェルベット/ボビーヴィントン(エピック)翌64年の年明け早々に時代がガラッと変わることを知っている私達にとって、この優雅で朗らかなオールディーズPOPが何故か切なく響きますオリジナルのトニーベネット以来数々のアーティストにカバーされましたが私のお勧めは「クローバーズ」彼らはアトランティック所属のドゥワップグループで、黒人グループがアルバムを出せた数少ないグループですこんなん見つけました!
先日の1982年の年間ベストテンの話続きなのだぁ!!第2弾チャコの海岸物語の真実チャコの海岸物語まずは歌詞全部をご覧あれそして、1番の歌詞チャコとは…音楽プロデューサーの飯田久彦さんのことだと…元歌手の音楽プロデューサー歌手時代…可愛かったぁ!!そして2番ミーコとは弘田三枝子さんのことですって!!モノクロのこのフォトお人形さんみたい…そして3番ピーナツはもちろんザ・ピーナッツ多分桑田さんが聞いてきたであろうアーティストたちをうまく自分
私は写真も撮ってないようなシーンの思い出が身体に染みついている人間なんですが、夏休みの思い出っていうのも、特にどこかに行ったということだけでなく、なんとなく家にいた時の夏の匂いみたいなものも、過ぎてしまえば、懐かしく感じます。う~ん、この物価高でしょう?私、給食がなくなった子育て世帯の食費のことを考えますと、心配ですわ~~~。家の中のことは、子ども家庭庁でも見えないものでしてよ。事件が起こる前に、子ども食堂の地盤を広げるべきですわね。毒親も、現に、いるわけですから、子ども
GenePitney-LouisianaMama(HQ)ルイジアナ・ママ-ジーン・ピットニーLouisianaMama-MiekoHirotaルイジアナ・ママ-弘田三枝子LOUISIANAMAMA-HISAHIKOIIDA(1962)ルイジアナ・ママ-飯田久彦「ルイジアナ・ママ」(LouisianaMama)は、アメリカ合衆国のシンガーソングライターであるジーン・ピットニーが、1961年に発表した自作自演の楽曲。シングルに収録されたが、A面曲
☆本日のテーマ☆「ルイジアナ・ママ-ダンス&ステップ編」前回は「日本語版で有名になった、OldiesLiveHouseでお馴染みのアノ曲」のテーマで「ジーン・ピットニー」の「ルイジアナ・ママ」の話をしましたよね。今回はそれの「ダンス&ステップ編」になります!この曲はボックスを中心にゆったりとした感じで踊る方が多いと思いますが、今回は曲のオリジネーターである「ジーン・ピットニー」のキビキビとした歌い方にフィットするような動きとツイストの要素を多めに取り入れたステップを加えてみました
昨日のデル・シャノンの記事で触れた日本語カバー・ポップス・バージョンをこちらのテーマで紹介しておきますチャコこと飯田久彦の♪悲しき街角(61年7月発売)を聴いてください余談ですがこの頃のレコーディングは演奏と同時に歌っていました。
恥ずかしながらこの曲を最初に知ったのはカヴァー・ポップスの立て役者漣健児氏の名訳カヴァーを当時チャコの愛称で人気のあった飯田久彦さんが歌うものでした♪どうしてあの娘と~会えないのだろう~・・・ラン・ラン・ラン・ラン・ラナウェイ~彼はその後プロデューサーとしてピンク・レディを育てレコード会社社長になりましたねデル・シャノンの♪悲しき街角(61年・全米1位・全英1位)を当時のTV音楽番組の映像と合わせて楽しんでください。
2022年も残すところあと3日、これが今年最後の投稿となる。年末といえば、歌謡曲が全盛だった昭和の頃は、テレビ各局がこぞって音楽賞番組を放送していた。1959年にTBS系で始まった「日本レコード大賞」が草分けだが、70年代に入ると「日本歌謡大賞」が作られ、TBS以外の民放キー局が持ち回りで放送した。さらにフジテレビ系の「FNS歌謡祭」、日本テレビ系の「日本テレビ音楽祭」、テレビ朝日系の「全日本歌謡音楽祭」といった系列ごとの賞番組も出来た。ピンク・レディーもレコード大賞をはじめ数々の賞を受賞し
今回も、ピンク・レディーのライブアルバム「アメリカ!アメリカ!アメリカ!」に関する過去記事の“蔵出し”です。1978年4月にラスベガスで行われたコンサートを収録したアルバムです。今回は「スター・ウォーズ」「ザッツ・ミー」および「あの娘はアイドル」など洋楽メドレーについて書いています。あわせて、前回に続き、雑誌「平凡」の特集記事から一部をご紹介します。ラスベガス公演の直前に、当時ピンク・レディーに関わりがあった人たちにインタビューしたものです。飯田久彦氏の発言で、翌年の夏にリリースされたスタジオ