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先週末に宮崎国際大学に行く機会がありました。地図で調べてルート検索🔍大学の近くに安井息軒の生家があるとこれは廟と碑石奥様へのモニュメント(地域の方々の想いも伝わります)茶室があるようですが,現在は使用されていないようです、周りは整備されています。茶室の正面生家は近くにありここから徒歩1分です。道路を挟んですぐです。滞在中2日間に渡り展示物と映像案内,生家と散策しました。安井息軒の壮年時の考えや幕府(将軍へのアドバイス)明治維新後の様子などわかりやすかったです。年表を見て子
25年ぶりの宮崎旅、ガイドブックを見て絶対行きたい!と思った場所が、日南市の油津(あぶらつ)港。江戸時代には杉の出荷港として、昭和初期には東洋一のマグロ漁港として、大いににぎわった場所です。1686年、飫肥(おび)藩主の伊東祐実(いとうすけざね)が造らせた全長1400mの堀川運河により、港まで飫肥杉の運搬を効率的に行うことができるようになりました。石のアーチ橋も趣があります。周辺には、油津が栄えていた時代の建物が残され、ノスタルジックな風情が漂っていました。大正時代に造られた、モダ
『偉人の背中石井十次』美術館や図書館が隣接する宮崎総合文化公園公園には郷土の先覚者の銅像がいくつかあります着物と高下駄が印象的です児童福祉の父石井十次の像石井十次は…ameblo.jp今回の郷土の先覚者の銅像は小村壽太郎1855年10月26日(安政2年9月16日)-1911年(明治44年11月26日)幕末の飫肥城下、飫肥藩士の長男でありながら、身分にとらわれず多くの人と接して育ちました。大学南校(東京開成学校現・東京大学)からハーバード大学へ進学し
今日は飫肥という城下町まで出掛けました!あの「坂の上の雲」で印象的な小村寿太郎の故郷お城も本丸は無くとも門も城壁も武家屋敷まで大量に残ってる!見どころ満載でした!ランチも武家屋敷で午後は小村寿太郎も参拝した鵜戸神宮へ行って運玉で運試し!これに向かって運玉を投げてしめ縄の中と窪みに入れる!成功すると願いが叶う!私もハズも成功したので願いは叶うことになりました!!笑帰り道にモアイ発見それぞれ上がる運気が違うモアイが並んでるとの説明を見て取って返して一目散に金運の
唐津藩財政、借用書から読み解く4月15日にからつ塾松浦史談会会長が講演-佐賀新聞佐賀新聞今回は幕末唐津藩の財政に焦点を当て、財政難克服の立役者となった唐津藩主小笠原長昌の弟・長光の功績を「綿屋小嶋家文書」に残る借用証書などから読み解く。「桜の花」をモチーフにした金工作品展八代市|NHK熊本県のニュースNHKニュース【NHK】熊本藩細川家の家紋に使われていた「桜の花」をモチーフにした作品を集めた展示会が八代市で開かれています。会場には、江戸時代から明治にかけ…福井
『豫章館』廃藩置県の後、飫肥(おび)藩主伊東家は城内に住むことができなくなり、大手門すぐ近くのこの屋敷に住んだ。城下には武家屋敷が点在するが、当然ながらもっとも格式の高い武家屋敷になっている。正面には複雑な千鳥破風の屋根をした表玄関と脇玄関がある。封建社会の名残のような印象を受けた。敷地は広大だが元藩主の屋敷と思えば、母屋はそれほど大きいとはいえない。数寄屋造りの別棟があった。
鵜戸神宮を出て美しい日南海岸を南下していきますと油津が近付いてきました。そろそろ昼ですので油津で昼ご飯を食べることにします。海はどこまでも青いです。天気に感謝です。まずはJR油津駅に寄ってみましたがCARP専用の駅の様になっていてビックリ!確かに天福球場も近いですしキャンプで盛り上がることもあって町ぐるみで応援しているのでしょう。油津港は江戸時代には飫肥藩が飫肥杉を運搬するための重要拠点となっていたそうですが、現在はさらにカツオやマグロなどの漁業の重要港湾となっているようです。本場の美味
本日の飫肥町快晴なりふと思う事、残念な事、あい重なりまったく仕事をする気力が無くなったので本日はお休みを頂きました。最近、清武町の安井息軒さんに興味が出て少しだけですが調べてます。幕末の宮崎の学問系の偉人です。この方調べてると飫肥の殿様や江戸の殿様方とのお付き合いもちらほら資料にでてきます。そのひとつに飫肥藩の振徳堂という場所がよくヒットしたのでチャンスと思いひとり田野〜北郷の山道を籠に乗った気でドライブ。入口の大手門たしか清武の安井息軒生家の近所にも同じような様式の門ありましたね。
『トレッキング日記39、5/13双石山(33)磨崖仏を求めて!』今日は、大奥の院の磨崖仏二体の内、山友mayuさんがまだ見たことがないという残りの一体を見に行者コースを通って大奥の院へ向かいました途中のガンゼキランが綺麗に開花双石山特有の浸食岩岩の通路を通ります3D岩で休憩中適当な場所でお昼御飯にしました😊胎内潜り登ります岩屋の中に鎮座されます奥の院さらに進んで大奥の院磨崖仏一体目心の綺麗な方でないと見れないという二体目地中から年代物のとっくりを発見しました姥ケ嶽神
飫肥藩と薩摩藩を結んだ今町街道の一里塚で、都城市今町のR269の両側に塚が残り樹木が植わっている。
『トレッキング日記、4/19飫肥街道と加江田渓谷とドボン!』今日は、Wさんに飫肥街道(かつて飫肥の殿様が参勤交代で使っていた道)を案内してもらいました。前半は倒木地獄!!藪漕ぎに次ぐ藪漕ぎでしたようやく綺麗な道ここは勢田峠。尾根を手彫りで開けた堀切峠です。山の中を歩いて、竹ノ内地区(星叶台)へ出ました。飫肥街道のほんの一部でしたがワクワクの探検でしたその後、丸野駐車場の広場で御弁当を食べ、解散。私はおっしー姉さんと加江田渓谷を散策!ドボンしようか迷いましたが、まだここを飛
彩前線(11)山肌染める薄紅色朝来・立雲峡47NEWS...桜の名所として知られる立雲峡(兵庫県朝来市和田山町)で、ヤマザクラやソメイヨシノが圧巻だ。鎌倉、室町時代にはすでにヤマザクラの群生地として知ら.鳥取)出土遺物で知る祈りの歴史県埋蔵文化財センター朝日新聞社センターによると、発掘調査をした湖山池南側エリアで、これまでに木製品だけでコンテナ5千箱分の約8万点が出土している。センターは2年前から保存や分析の...「しくじり先生」室町幕府の将軍・足利尊氏の人物画は
【檸檬忌】改めて梶井基次郎の『檸檬』を読み返して気づいたこと→レモン好きすぎじゃね?ロケットニュース24羨ましいこと、この上ありません。3月24日は彼の命日ということで改めて『檸檬』を読み返したところ、ここにきてまた新たな魅力を発見してしまったので聞いて...荘内日報ニュース荘内日報両市は、戊辰戦争の際に薩摩藩の西郷隆盛が庄内藩に対し寛大な措置を取るよう指示したとされる縁で、1969(昭和44)年に兄弟都市の盟約を締結した。高岡・戸出「高野槇」の鳥居再建利家ゆかり、台
【朝晴れエッセー】模型飛行機・1月25日産経ニュース私は昭和21年4月、国民学校初等科最後の入学生となった。終戦直後で男の子の遊びといえば、駆逐(くちく)本艦や陣地土踏みの戦争ごっこ、相撲、バイゴマ...民教協スペシャル「サンマデモクラシー」戦後沖縄、今につながる闘い毎日新聞終戦から1972年の本土復帰まで米軍統治下にあった沖縄が、このドキュメンタリーの舞台。本土復帰を願う沖縄の人たちが“日本の味”として食べていたサンマ...パールハーバーで戦艦ミズーリを探検してみた!
2日目は都城から日南市まで移動し、飫肥城を見学しました。飫肥城では四半的という飫肥藩伝統の弓術ができ、とても面白かったです。300円で12本も本格的な弓が射てるので非常に安いです。どこぞの江戸村とかだったら、600円で6本くらいしか射てないかもしません。他にもいろいろ古い町並みも残っているのでとてもおススメです。飫肥城を出てからは海岸沿いを北上して宮崎を経由して、そのまま一気に北上、延岡に立ち寄り、延岡城を見学した後は、また北上して佐伯まで。ここで、九州最東端の鶴御崎を見学しまし
昨日の続きです。今回は飫肥城歴史資料館の後編です。展示品の一部だけを引用させてもらいました。右側脇差が150石取り待遇に加増されて、上級武士扱いされた、刀工の井上真改の作品です。彼は1661年に朝廷から16葉菊紋を作刀に刻むことを許された、当時の一流刀工でした。父から和泉守国貞の名を襲名して初めは2代国貞と称しますが、陽明学者の熊沢蕃山からの勧めがあり、1672年に井上真改と改名しました。重臣の平部家所有です。その他にもいろいろありました。5代藩主が名君だっ
昨日の続きです。今回は飫肥城歴史資料館の展示物からその一部の資料紹介です。下図①から撮影した⑥にある飫肥城歴史資料館です。飫肥城歴史資料館です。あくまで一部の資料を引用しての紹介なので、興味のある方は是非とも現地見学してください。入口にあった伊東家の家紋です。家紋は庵木瓜(いおりもっこう)と月星九曜(つきにほしくよう)紋です。庵木瓜は庵が木工介で、木瓜が藤原氏を示し「宮殿建設職の藤原氏」を表現しています。九曜紋は伊東祐経が日向伊東氏の幕紋としま
昨日の続きです。今回は旧本丸とその北側の丸跡です。下図③の辺りです。飫肥小学校の体育館が見えます。その背後は急斜面の崖です。崩れないように補強整備されています。下図にも本丸北側の崖が見えます。北の方に歩きます。③の辺りには解説板があります。③辺りにある解説板の絵図です。本丸とあるのは旧本丸です。22年後1684年に大地震があり本丸が裂けたので、飫肥小学校の敷地に新本丸を造成しました。9年後の1693年に新しい御殿が新本丸(飫肥小敷地)に完成しま
史料追加で再UPしました。今回から日本100名城の飫肥(おび)城です。2019年10月15日に訪問しました。初めに飫肥城の歴史からです。南北朝時代飫肥城は宇佐八幡宮の神官の出で、日向の地に武士団として勢力を伸ばした土持氏が南北朝時代に築城したのが始まりと伝えられ、飫肥院とも呼ばれていました。室町時代伊豆国伊東の地頭だった工藤祐時は、姓を伊東と改姓し、6代伊東祐持のとき、足利尊氏より日向国都於郡(ひゅうがのくに、とのこおり)に所領を与えられ、移り住みました。
2017年6月24日の宮崎・日南出撃レポの続き。「空也寺」をお参りし、「小村寿太郎誕生地」を見学した後は、その隣にある「旧山本猪平家」に向かいました。空也寺・小村寿太郎誕生地のレポhttps://ameblo.jp/indyaki12/entry-12495940708.html「小村寿太郎誕生地」から右手に進むと、右側に長屋塀と門が見えて来ます。こちらが「旧山本猪平家」。飫肥の豪商「山本猪平」が明治40年(1907)頃に建築した商家の本宅です。敷
皆さんこんばんは今夜は身内親族の歴史を語ります伊東家は蛯原家と親戚になります私のお祖母さんの家系は伊東家の末裔です❕私の名前『信行』はお祖母さんの父親につけて貰いました!その時従兄弟も同じ名前伊東信行と蛯原信行と重なったと聞かされました。蛯原家は伊東藩主の家臣でもあります簡単に説明すると現宮崎県の飫肥藩(大名)城主が伊東家です!伊東氏48城の1つ豊臣秀吉に仕える伊東祐兵播磨国で伊東祐兵は羽柴秀吉と出会い織田氏に仕官、秀吉の与力となります。織田信長が本能寺の
2017年6月24日の宮崎・日南出撃レポの続き。「商家資料館」を見学した後は、すぐ隣にある「空也寺」に向かいました。商家資料館のレポhttps://ameblo.jp/indyaki12/entry-12481227865.html「商家資料館」に向かって右手、駐車場のようなスペースの奥まった場所に、「空也寺」はあります。こちらは本堂でしょうか。境内には、お堂と石仏があって…「空也寺」のお参りを終え、国道222号線飫肥街道を再び東に戻
宮崎ブーゲンビリア空港にて、東京に戻る前の食事タイム。昭和37年、宮崎空港ターミナルビル誕生と共に、空港のカレーとして生まれた、ガンジスカレーです。宮崎ブランドの食材にこだわり、コトコト煮込むというガンジスカレー、コクと旨味がたまりません。もう一品…宮崎県日南市飫肥の庶民の味、飫肥藩時代から伝わる数百年の歴史に磨きあげられた揚げ物の天ぷら、おび天です。魚のすり身に豆腐と黒砂糖、味噌を合わせ、揚げているそうです。つい…ビールと焼酎が欲しくなってしまう…ひととき…
画像で振り返るシリーズ青島駅から日南線で移動してからの~飫肥駅で下車ちょっと遠いが行ってくる酒谷川を渡る橋のたもとには、「是より飫肥城下町」との表示駅からは徒歩15分以上離れているのが、鉄道利用客にはやや難あり川が自然の城壁になっているわけなんですね外務大臣・小村寿太郎(1855~1911)生誕他飫肥藩城下町【公式サイトなどから】飫肥は、天正16年(1588)から明治初期までの280年間飫肥藩・伊東氏5万1千石の城下町として栄えたところです。武家屋敷を象徴する門構え、風
個人的メモですJR九州日南線南宮崎←→志布志88.9km28駅全線単線南宮崎~田吉(空港線)を除き非電化区間【宮崎市/人口39万人】宮崎南宮崎田吉⇅南方木花/きばな運動公園曽山寺/そさんじ子供の国青島~青島温泉♨~折生迫/おりゅうざこ内海/うちうみ小内海⇅【日南市/人口5万1千人】伊比井/いびい北郷/きたごう~北郷温泉♨~内之田飫肥/おび【有人駅】~飫肥城(伊東市飫肥藩)~日南【有人駅】油津/あぶらつ【有人駅】大
【Q14485】高校時代に肩を壊し野球から遠ざかっていたビール会社のサラリーマン・大原幸嗣が謎の中国人整体師のおかげで豪腕が復活し、阪神タイガースにスカウトされ虎の覆面を被り抑えの切り札として活躍し阪神を優勝に導くというストーリーの、2002年公開の長嶋一茂主演の映画は何?【ミスター・ルーキー】【Q14486】江戸時代に飫肥(おび)藩(現在の宮崎県南部)で財政再建策として植林され、軽く耐久性に優れ木造船の材料として全国に普及した木で、フェニックス、ヤマザクラと共に宮崎県の「県の木」に指定され
所在地岡山県倉敷市真備町岡田(岡田小)特徴古くは吉備真備の出身地で、江戸時代は伊豆の豪族で日向飫肥藩の伊東氏と同族が1万石で陣屋を置いた。小学校に石垣が残り、敷地内に石碑と囲炉裏の遺構がある。感想×か迷うレベル。
こんにちは久しぶりのブログです。先日、無事に受験が終わりました。応援してくださった方ありがとうございました中学生になっても目標を持って頑張っていきたいと思います。さて、今日は、引き続き青山霊園にある有名人の墓を紹介します↑外務大臣の小村寿太郎の墓です。鳥居があって立派な墓です。↑鳥居の横には、「明治の外務大臣宮崎県日南市出身」と書かれた木柱があります。↑小村寿太郎について書かれた看板です。整備が手厚いですね。↑小村寿太郎の墓です。墓石には、「
2017年6月24日の宮崎・日南出撃レポの続き。「旧藩校振徳堂」を見学した後は、「田ノ上八幡神社」に向かいました。旧藩校振徳堂のレポhttps://blogs.yahoo.co.jp/hsnm3373/42223646.htmlhttps://ameblo.jp/indyaki12/entry-12426839754.html「旧藩校振徳堂」から裁判所を右に見ながら北に真っすぐに進むと、白い鳥居が見えて来ます。こちらは「田ノ上八幡神社」。「田ノ上八幡神社と