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碧には嫌いな言葉がある。「女のくせに」「女の子なのに」「やっぱり女性だから」と誰かに言われた時、第三者が放つ「それってセクハラ」という言葉である。碧は、「女のくせに」「女の子なのに」「やっぱり女性だから」という言葉が嫌いじゃない。女と男では、身体が違う。体格や筋肉はもちろん脳も違う。幼い頃に教えてもらった「女性は、男性より多くの色が見えているねんよ。」その人は言っていた。女性は子供を守るために男性より色の段階を細かく見る能力が備わっているのだと。時代遅れな感覚だと分か
街路樹や店頭の飾りはクリスマスのイルミネーションで輝いている。凍り付くような冷たい風が、風子の頬に吹きつける。やっと慣れて来た東京の街を歩きながら、風子は空を見上げた。6時前だというのにすっかり暗くなった空には、あまり星がない。ふるさとの輝くような星空を思い出して、風子はため息をついた。ため息も白い。「どうしたん?ため息なんてついて」横を歩く穂乃果が聞いてくる。穂乃果は、風子が東京で最初にできた友人だ。と言っても穂乃果も東京人ではない。風子よりも後で大阪から引っ越
低く唸るような風音が窓の外から聞こえてくると、茜の心は湧きだった。従妹姉妹に二人が熱中している「推し」のライブに一緒に行こうと誘われた時、茜は「推し」をあまり知らなったが、海外旅行が楽しそうだなと思い、「行く」と話しに乗った。妹の碧は「声もいいしイケメンやし歌もうまいよなぁ。結構好きやで。でも、いらんわ。海外まで」と言った。正反対の反応を示した姉妹を見て、今日花と明日海は愉快そうに笑った。いざ旅行が決まってから、茜は「推し」の曲を何度も聞いた。今日花、明日海がマストだとい
「モミジガリに行きたいです」小春が言う。「モミジガリ?」言葉の意味が理解できないままおうむ返しをした亮太は、すぐにそれが「紅葉狩り」であることが分かった。今日も二人はいつものコメダ珈琲で向かい合っている。引きこもり歴が長かったせいか、亮太は知らないところに行くのが好きじゃない。何度か小春とデートを重ねて来たが、その場所のほとんどがこのコメダ珈琲だ。小春に悪いな、と亮太は思う。最近、少しずつ小春のことが分かってきた。季節が感じられるような風物詩を好み、全てに参加したが
「ママ、レーコー」スーツの中で身体が泳ぐ程やせ細ったサラリーマンがカウンターの椅子に腰を掛けながら、中に立つ女性に声をかける。ママと呼ばれた女性は、にこりともせず言葉を返す。「モーニングは?いらんの?」レーコーは、冷たいコーヒー。大阪の方言だが、最近この言い方を聞くこともない。「いる。パンにジャム塗って。サラダはいらん」やはりカウンター席に座っていた温子は、聞くともなしにその会話を聞いていた。仕事の前に、この喫茶店でモーニングを食べるのが、温子の日課となっている。
我ながら馬鹿げている。目の前で風に揺れるオレンジ色のマリーゴールドを見ながら、篤紀は独りごちた。能登にあるガラス工房での修業予定は、年明けの大地震でなくなってしまった。ガラス作家を目指すために、一念発起して会社も辞めてしまった。他のガラス教室を探す予定だったが、本格的なところはなかなか見つからない。そうしているうちに、飛鳥にある体験工房でアルバイト助手を探しているという話を聞きつけた。学生でもあるまいにアルバイト助手という立場は検討に値しない。だが、その工房は、世界でも認め
指先で砂をなぞったように斜めに流れるグレーの雲も、月の光を遮ることはできない。雲の隙間から、煌々とした輝きを放ち、夜空は絵画のように美しい。「おぼろづきよ」歩きながら月を見上げていた芽衣は口の中で小さくつぶやいた。斜め前を歩いていた夫の匡がふと振り返る。芽衣の言葉が耳に届いたのか届かなかったのか、月を見上げて指さす。「10月の満月はハンターズムーンって言うらしいで」そしてこう続ける。「なんか月のパワーで金運上がんねんて。会社の子が言うてた。金欲しいよなぁ」月の神秘的
一昨日まであんなに暑かったのに、今夜は涼しい風が吹いている。国道なのに歩道もない狭いバス通りの路側帯を歩きながら、美桜は斜め掛けしたショルダーからスマホを取り出した。周りが暗いせいか、いつもより画面の光がまぶしく感じる。目をしばつかせながら、画面を確認するがラインの通知もなければ電話の着信もない。不満気に鼻を鳴らして、スマホはそのままポケットに入れた。ポケットは、ワンピースの腰下付近にある。ハンカチ程度ならいいが重量のあるものを入れると、布が引っ張られシルエットが崩れる。人
「ハーベストムーンって言うんじゃって」東の空で金色に輝く月を指さして言う彼女を見て、すばるは心が騒いだ。「あれ?満月は昨日じゃなかったっけ。中秋の名月」素敵な言葉が出てこない。「満月は今日じゃけ。9月じゃから収穫の月、ハーベストムーン。なんか、もんげぇいい響きじゃと思わん?」風子は7月に岡山から東京に引っ越して来た、すばるの会社のアルバイトの女の子だ。言葉遣いが藤井風みたいだな、とすばるが言うと、同じ里庄町の出身だと言う。そりゃ同じ方言なはずだ。英語はしゃべれんけどね、と笑
「穂乃果、一回帰ってきてから、準備してまた東京やって。」美桜はそう言いながら、白桃タルトにグサッとフォークを差し込んだ。猫を形どったチョコレートケーキを写真に撮っていた茜は、手を止めて美桜の表情を見た。美桜は不満そうに鼻を鳴らし、口にケーキを運んでいた。茜は優しく相槌を打つ。「そやね。心配やね。どんくらい向こうに居るんやろうね」「女の子にウィークリーマンション暮らしを強要するなんて、ひどいわ」冷たい表情をしているが、美桜は苛立ちを隠せない。幼馴染がずっと大阪にいない
大好きな季節が来た。残暑はまだまだ残っているが、徐々に季節が移り変わっているのを朝の風が教えてくれる。木々の葉も真夏に比べると緑が鮮彩さを欠いてきて微かに黄みを帯びてくる。一日一日秋に近づいていく、そんな季節が寿恵は好きだ。ドアを閉め、マンションの共用廊下を歩きエレベーターホールに到着した。下向きのボタンを押した瞬間、不安になった。鍵閉めたかな…。部屋に戻り鍵を確かめる。一回開けてまたかけ直すと、再度エレベーターホールへ。エレベーターは階下に降りていて上がってくるのを待っていたが、そのま
風が強い。まだまだ蒸し暑いが、秋が一歩ずつ近づいて来ている。雨の匂いを孕んだ風が青々と茂った木からもぎ取るように葉を吹き飛ばす中、風子は立ち止まった。原宿駅から竹下通りを抜け、表参道を上って歩いて来た。初めて歩く都会の街に気後れしていた風子だが、青山エリアにたどり着くと空気が少し濃くなったような気がする。行き交う人はやはり多いが、緑が豊かで街が静かだ。待ち合わせのカフェの場所をスマホで確認しながら、周囲を見回す。今日は従姉の紀子に誘い出されて、大都会まで繰り出してきた。岡山から東京
火事だあ。男性の叫び声を合図に、そこにいた人たちが一斉に非常階段へと向かう。同僚の寿恵が花柄のハンカチで口を押さえながら歩き出した。温子もキャラクターのついたタオルハンカチで口を押さえながら続いた。踊り場に出ると上のフロアからの人たちも合流して、なかなか大勢の人並みになっている。このビルの階段は段差が大きい。みんな慎重にゆっくりと足を進めていた。そこに背が高く体格のいい男性が早足で駆け下りてきた。年の頃なら二十代後半くらいだろうか。真っ白なワイシャツ越しにも筋肉質なのが分かる。危な
寒さに凍えるほどエアコンを効かせたビルの自動ドアが開くと、熱い風が身体にめがけて飛んできた。一歩外に出るとまだ陽射しはまだ焼きつくようだ。熱中症警戒アラートももちろん出ているが、茜の心は太陽よりも燃えている。大阪城に程近い大阪ビジネスパークには高層ビルが立ち並び、多数の企業が入っている。茜が今、派遣で務めている会社もそのうちの一つだ。南側に隣接する広大な大阪城公園の、南の端には野外音楽堂があり、いろいろなライブやイベントが開催されている。茜は、今日同僚たちと仕事終わりに野外音楽堂に行こうと
「素敵な色合いのファッションですね」その言葉に優子は戸惑った。篤紀に誘われたガラス展は、最初から最後まで作品ひとつひとつが感動的だった。自分では思いつかないような造形、どうやって生み出したのか分からない色合い。感情をあまり外に出さない優子だが、上気して頬が赤く色づいていることを自分でも感じていた。素晴らしい作品を見終えて、カフェに向かい合って座った途端、篤紀が発したのが冒頭の言葉だ。ガラス展をしていたビルからカフェまでは汗だくになって横切ってきたのは緑に萌えるキラキラした公園。熱中症警戒
オレンジ色の光の粒が巨大なシダレヤナギのように垂れ下がっている。きれいだ。スマホの画面いっぱいに広がった写真を見ながら、亮太は呟いた。海の日名古屋みなと祭花火大会のフィナーレの写真だ。連写を駆使していたがやはりピントがうまく合っていないのが多数ある。スワイプしながら写真をチェックしていた亮太は手を止めた。そこには亮太と女の子が写っている。初めての自撮りにしては上手く撮れている。彼女とはまだ付き合ってはいない。そもそも好意を持っているのかすら、自分でも分からない。幼馴染の風子を除けば友達
電車が止まるほどではなかったが、朝から激しい雨だった。傘をさしていても足元はずぶ濡れになってしまい、オフィスの玄関先でタオルでズボンと靴を拭いているとボスこと東谷さんが近づいてきた。「明日から新しくアルバイトの子が来るから、よろしく頼むね。いろいろ教えてあげて。」そう言われて、すばるは不安になった。自分自身まだまだ何もできない。アルバイトの子に仕事を教えてあげることなんて自分にできるだろうか。新人バイトが優秀で、その子だけで十分自分がやっている雑用ができてしまうかも。お役御免になったら
これ、宇治のおじちゃんに似てる。碧は石仏の前で足を止めた。緑の中に並んでいる石仏のうち一つが京都府宇治市に住む伯父にそっくりなのだ。温和で呑気な顔つきをしている。眺めていると、少し遅れて歩いていた幸生が追い付いてきた。すっかり息が上がっている。「碧ちゃん、歩くん早いわ。もうちょっと、ゆっくり歩いてや。」息を落ち着かせながら不満を漏らす。「こーせー、そんなに体力なかったっけ。結構ゆっくり歩いてんねんけど」平然と返す碧に、幸生は後ろを指差した。「茜さんたち、まだまだ後ろの方やで」碧
キミドリの白目のライオンがね。そんでもってターコイズブルーのたてがみのライオンが。じっとこっちを見ている。そんな夢を見てね。目が覚めたら美術館を歩いてて。あれ?私、寝ながら歩いてた?そう思った瞬間。壁にかかってる陶板が目に入って。あっ、さっきの夢で見たライオン。あれ?どうして?不思議な気分になって。立ち止まって考えてたら、急にお母さんの声がして。温子、いい加減に起きなさいって。それで目が覚めたの。ねえ、聞いてる?そこまで一気に話して、温子はやっと息つぎをした。
このズレはいつから起きていたんだろう。芽衣はぼんやり考えていた。テーブルに乗ったカップにレモンを絞ると、空を映したような青色だったバタフライピーティーが紫色に変化した。「うわぁ、すごい。きれいなピンク」目の前で茜が声をあげる。芽衣は、茜と二人で京都府立植物園に来ていた。前から一度は来てみたかった植物園。なかなか機会がなかったが、今回やっと来ることができた。広大な敷地の植物園の中でも、見事な洋風の庭園に仕上げられているバラ園はまさに満開のピークを迎えていた。多種多様なバラが咲き誇り、
「ほんま、疲れたぁー」無意識に溢れてしまった穂乃果の声に周りの人たちが振り返った。しまった、と内心思いながらなんでもない表情でレモンサワーを喉に流し込む。大阪のイントネーションはここでは目立つ。名古屋駅から東京駅までの新幹線でもそうだった。横に座った女性と意気投合して盛り上がっていたら、通路向こうの男性たちの注目を浴びてしまっていた。ライン交換したことを思い出しライン画面をあけた。挨拶程度だが連絡が来ている。しまった、気付かなかった。立川の駅近くの居酒屋に穂乃果はいた。炭火焼串焼きが美
春だというのに寒い。せっかくのゴールデンウィークなのに雨模様で、予定していた公園キャンプも中止するしかなかった。普段なら聞き分けのいい娘がいつになくぐずり続けている。美桜は苛つく気持ちを必死で抑え、なるべく冷静に娘をかけた。「雨やねん。しゃあないやん。出られへんねん」耳に入ってきた自分の声は冷たく怖い。一瞬驚きで大きく見開いた娘の瞳が柔らかく歪む。しまった、やってしまったと思った時には後の祭りだ。娘は、大粒の涙を何滴かこぼすと、その後火がついたように泣き出した。その声を聞
春の風に吹かれながら篤紀は、悠久の歴史を感じていた。世界遺産を巡り、古代ロマンを秘めた遺跡を堪能した。予定外の一人旅ももうすぐ終わる。数年間吹ガラスの修業をする予定で能登半島の工房へ出向いていたが、大きな地震で中止になってしまった。ほとんど挨拶程度だけで散り散りになってしまった教室仲間を、いやもう少し正確に言うと一目惚れをしたターコイズブルーのコートの女性裕子を篤紀は思い出していた。偶然すれ違った出会いの時の潮の香り、初顔合わせの時に姿に重ね合わせた女神アフロディーテの幻影。篤紀はかつ
テーブルの上のスマートフォンが振動している。その時、茜はコールセンターの休憩室でお弁当を食べていた。ちょっと働きすぎかもしれない。今日は臨時出勤をしていた。休日の筈だったのに、急に来られなくなった人の代わりに出てきてほしいという要請電話を断ることができなかった。自分のこういうところが嫌いだ。箸を置き、あくびを噛み殺しながらスマホを手に取る。「茜ちゃん、今夜会える?」電話を取ると、碧の声がする。碧はいつも単刀直入だ。茜が仕事が終わる時間を告げると、碧は待ち合わせ時間と場所を素早く決めた
地面をじっと見るようにうつむいて立っていた。亮太の横を大勢の人間が行き来する。早足の人、小走りの人、立ち止まる人、ゆっくり歩く人。通り過ぎる人たちは口々に何か話している。そのカラフルな声が大洪水のように耳に流れ込んで来ると、頭の中で増幅する。まるで寺の鐘の中に無理やり閉じ込められたような気分だ。響き渡る音に軽く頭痛がする。ナナちゃん人形のところで待ち合わせようなんて風子が言うからだ。亮太は舌打ちをした。待ち合わせの時間はとっくに過ぎている。最初は家近くの駅まで行くと言っていた風子に名古屋
四月生まれが羨ましい。中学生の頃、裕子はそう思っていた。イルミネーション、夜景から朝露に差し込む太陽、そして宝石。光り輝くものが大好きな裕子にとって、ダイヤモンドは憧れの中の憧れ。誕生石がダイヤモンドがなら良かったのに。裕子は不満だった。十二月生まれの裕子の誕生石はターコイズ。母に誕生石を聞いてトルコ石と言われた時には絶望的な気分になった。他の宝石はガーネットやサファイア、エメラルドとか素敵な名前なのに、石だなんて酷すぎる。泣きたくなった。いや実際その夜は泣き明かした。だがファッショ
幼い頃から岡山県の静かな町で暮らしていた風子だが、一念発起して東京暮らしに挑戦することを決断した。一人旅も出来ない弱虫だから、従姉の家の居候でも不安でいっぱいだ。名古屋に住む幼馴染に気力をもらおうと連絡し、名古屋城を見たり水族館に行ったりで数日過ごした。そして、いよいよ東京へ出発だ。名古屋駅から新幹線に乗り込んだ風子がチケット片手に指定席に到着すると、三人席の真ん中に、薄いグレーのスーツに身を包んだ女性が座っていた。風子の席は彼女の向こうの窓際だ。何回もチケットを見直したが間違いない。
優柔不断な茜と対象的に、妹の碧は極端に即断即決なタイプだ。だから大学卒業直後、出逢って二週間の幸生と結婚すると宣言した時も誰も驚かなかった。幸生とは新卒研修の名刺交換練習で出会った。真新しい紙とインクの匂いがする名刺を差し出した時、幸生は受取もせず尋ねて来た。「へえ。変わった名前やね。なんて読むん」練習なのに全然駄目やんと思いながら、碧はなんだか笑ってしまった。「アオイです。よろしくお願い致します。えっと、ユキオさんでしょうか」交換で差し出された名刺を見て碧が質問すると彼は満面の笑
まるで4月のような陽気が続いたと思うと凍てつくような寒さになる。繰り返す三寒四温で季節感が狂ってしまっていたらしい。朝の情報番組でナレーターが朝一番が最高気温だと言っていたのに、うっかり薄着で出てきてしまった。身体が言うことを聞かない。どうしても震えが止まらない。北山に同行してクライアント回りをしていたすばるは、冷たい風が吹く度に身震いしているのを気づかれないよう半歩後ろに下がった。今日は数件のクライアントを巡っていた。打合せもあれば新しい企画をを準備しての営業もある。1月に入社したば
美桜はキッチンで鼻歌を口ずさみながら牛蒡をささがきにしていた。夕食の仕込みだが、壊れたレコードのように繰り返していたのは、朝食も作れたもんね、というフレーズ。言わずとしれた槇原敬之の名曲である。美桜の住むハイツにはセキュリティロックがない。来客が鳴らすのは室内とやり取りできるインターホンではなく、ドア横にあるチャイム。大声で返事をしつつタオルで手を拭い玄関に向かいドアスコープを覗き込む。小さな穴の向こうには誰もいない。一瞬迷ってドアを開け左右を見渡すが、やはり誰もいない。美桜のスカートの裾