個人は、永遠なるモデルにしたがって神によって創造されたものでもなければ、生の素材として自然によって届けられたものでもない。そうではなくて、個人は一個の構築体なのだ。これは個人じたいによる「努力」(コナトゥス)の結果のとして構築されるものであり、またそのさい、個人の努力は、その「生活類型」によって規定される諸条件のもとでなされる。しかも、個々人の「生活類型」とは、他の諸個体との一定の(情動的、経済的、知的な)コミュニケーションの体系のことなのである。そのようにして、さまざまなコミュニケーションの体