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浄楽寺・三浦半島(横須賀市芦名)にある浄土宗の寺院。鎌倉時代に和田義盛が開基。・JR逗子駅からバス(20-30分)、車が便利(無料駐車場あり)・和田義盛と夫人の発願により制作された運慶仏(国重文)で有名である。従来は特別拝観日などに限られていたが2005年9月から一般拝観開始。芦名・浄楽寺国重文を常時拝観に運慶真作5体を安置|横須賀・三浦|タウンニュース本堂本堂の裏にある収蔵庫・運慶仏5体の拝観(拝観料600円)・9/1より運慶仏常時拝観開
「北条の里」・地方豪族に過ぎなかった北条氏の本拠地であり、北条政子・義時の生誕地。北条氏ゆかりの故地や寺社仏閣をつないだ散歩道などが整備されている。・伊豆の国市は、下田街道(国道136号線)に沿って発展した町であり、2005年に伊豆長岡町、大仁町、韮山町が合併して成立・「守山東駐車場」(無料)が便利伊豆の国市は、伊豆半島北部に立地守山を中心に散歩・事前調べ無しで訪問したので、北条氏邸跡など素通りしてしまった。守山・海底火山の噴出物が隆起した標高100mの
昨日伺った伊豆の国市の願成就院さんの晋山式の様子を載せていただきました。https://approach.yahoo.co.jp/r/QUyHCH?src=https://news.yahoo.co.jp/articles/9cc9603b7c82c206ba4c2b99233cff3f95861122&preview=auto北条時政創建の願成就院で38年ぶり新住職就任静岡県伊豆の国市(朝日新聞)-Yahoo!ニュース北条時政が1189年に創建し、運慶作の仏像5体の国宝を所蔵する
本日吉例顔見世大歌舞伎は休演日三年前の大河ドラマ鎌倉殿の13人で御縁のあった伊豆の願成就院では新しいご住職ご就任の晋山式が行われます。願成就院には北条時政公の墓所がありとても懐かしい気持ちで向かっています😊
伊豆長岡へのぐうたら旅温泉と夜の飲みだけではあまりにも情けない・・・江川邸に寄った後もう1か所運慶さんが作られた国宝の仏像5体が祀られている真言宗願成就院に行きました。駐車場入り口にはたくさんの小さな達磨さんと並ぶ六地蔵この達磨さんおみくじなんだそうです。達磨さんと一緒にこんな子も・・・こちらは茅葺屋根の建物は願成就院創建六百周年にあたり寛政元年(1789年)に建立された本堂。奥の大御堂横で拝観券を買おう
静岡でお昼を食べるなら…久しぶりの<さわやか>↓今回、<さわやかMap>を始めてじっくり読んでみたのですが県内34か所にしかないんですね。静岡市に住んでいる時いつ行っても大行列でした。今回も12時半頃に着いてまずは順番待ちの券を発券してみたらなんと、2時間以上待ちまぁ、三嶋大社へと行ってきたので大丈夫ではあったのですが結局、お昼にありつけたのは3時前…その美味しさは関東にまで知れ渡っているようで一番、混むのは静岡県の一番東部にある御殿場店だと以前テレビで
新横浜から新幹線で30分ほどで到着ぅ〜伊豆箱根鉄道駿豆線に乗り換え韮山駅下車稲穂が美しい韮山のまちをちぃ散歩🌾歩いて15分ほどで願成就院約2年半ぶり北条時政公のお墓大河ドラマ鎌倉殿の13人を思い出すぅ~大御堂には仏師運慶作の仏像が5仏が祀られてます10:00の拝観に行くと運良くボランティアの方の話しを聞けました!拝観は2度目だけど見逃し部分が多々あった。。やはり説明を聞くとおもしろい、そして運慶作の5仏を見れたことに心ウルウル🥹御朱印いただきましたまた来れたことに感謝
毘沙門天像と多聞天像は仏法の守護神。単独で置かれる場合は「毘沙門天」、四天王の一尊として置かれる場合は「多聞天」と呼ばれています。中央が奈良興福寺中金堂の多聞天。右が伊豆の国市願成就院の毘沙門天。左が横須賀浄楽寺の毘沙門天。いずれも運慶の造立で、宝塔と三叉戟(さんさげき)を持ち、甲冑に身を固めています。願成就院と浄楽寺の毘沙門天は同時期(30代の頃)のもの。武将のような顔つきで似ているような感じですが・・・興福寺の多聞天は晩年のもので、空気感が違うように感じます。やはり、南都復
願成就院(伊豆の国市)願成就院は、『吾妻鏡』の記載によると、1189年(文治5年)に北条時政が源頼朝の奥州討伐の戦勝を祈願して建立したという寺院。浄楽寺(横須賀市)浄楽寺の創建時期等は不明ですが、願成就院と同じく、1189年(文治5年)に和田義盛が奥州征伐の戦勝を祈願して建立したと考えられています。この2つの寺院には、運慶の真作が置かれています。願成就院の運慶仏は、胎内銘札から1186年(文治2年)に北条時政の発願によって造立されたことが確認されています。浄楽寺の運慶仏は、118
定朝定朝は、平安時代に寄木造の技法を完成させた仏師。1022年(治安2年)、藤原道長が建てた法成寺の造仏を担当し、仏師としては初めて法橋の地位を与えられました。平等院鳳凰堂1053年(天喜元年)、平等院の阿弥陀堂(鳳凰堂)が落成。鳳凰堂は、法成寺の阿弥陀堂を参考にして建立されたのだといわれ、本尊の阿弥陀如来は定朝が造立しました。この像が定朝作と特定できる唯一のものとなっています。☆☆☆☆☆奈良仏師鎌倉時代に活躍した奈良仏師は、定朝の孫頼助が始祖。頼助は興福寺を拠点に
眞珠院から歩いて移動し、願成就院(がんじょうじゅいん)へ。こちらは義時の父にして鎌倉幕府初代執権・北条時政が創建したお寺です。戦乱で庭や一部のお堂が失われましたが、かつてはかなり広大な面積を誇っていたよう。山門を入るとすぐ時政パパのお墓があります。大御堂にはお線香も用意されていたので火をつけてお参り。(右側の柱奥にワンコがいますよー。きっと看板犬のロッキーくんですね)大御堂の右手にある受付で御朱印と内部の拝観をお願いしました。願成就院のご住職は西洋人というのは事
こんばんわ、今日は自分のツキイチ通院でした。気持ちが落ち着いてて、「やっぱり旅をして切り替えてよかったな」、と思っています。そんな私の「三島話」2回目です。旅をして、知らない駅で降りてキョロキョロ探すのは観光案内所と、交番とトイレと・・・。今回もバスの時刻表や、いろいろな言葉に出会いました。そして次に探すのが、「生活の品物はどこで買うのかなあ?」三島大社(三嶋大社)の前はお土産屋さんや日用品はあるけれど、ここの町の人たちはお魚はどこで、お花は?薬は?っ
昨日、約1年半前に訪れた、近くの願成就院さんへ、久しぶりにまた参拝しにお伺いしました。1年7ヶ月前の記事↓暑い中、またチャリ🚲を漕いで、、、1年半前と、特に変わりはなかった。あ境内に、この寺院のアイドル的存在の、ロッキーという名の、大きな犬が、眠そうに横たわっていた!(写メを撮りたかったけど、境内写真撮影禁止なので)不動明王様と対面住職さんに、拝観料と、新しいお札の代金、あと護摩焚きの木札3本、御朱印、不動明王様の厄除けお守り2枚などの代金をお支払いしてから、
世界遺産の韮山反射炉へ行く前に、願成就院(がんじょうじゅいん)に寄りました。願成就院は、阿弥陀如来を本尊とする高野山真言宗の寺ですが、実は、北条時政が、源頼朝の奥州藤原氏征討の戦勝を祈願して、1189年に建立しました。北条時政は、北条政子や北条義時の父です。次の写真は、大御堂です。これは、昭和30年代に再建されたものです。ここには、以下の五体の仏像が納められています。・阿弥陀如来坐像・毘沙門天像・不動明王・矜羯羅童子(こんがらどうじ)・制吒迦童子(せいたかどうじ)三尊
今から書くのは2月21〜23日に夫と伊豆に旅行した時の記録の続きです🎵2月22日にKKR伊豆長岡千歳荘さんをチェックアウトした私達は、最初に近くの願成就院様に向かいました『KKR伊豆長岡千歳荘さんに宿泊しました❗️❤(2025年)』今から書くのは2月21日の記録です🎵銀婚を記念して伊豆に旅行して以来、春の結婚記念日の頃に伊豆に旅行するのが私達夫婦のならいになっています💓なかでもKKR伊豆…ameblo.jp夫と私は伊豆が大好きで、ここ10年近く春になると伊豆に旅行して
伊豆箱根鉄道「韮山」駅から徒歩20ふんくらい20分くらい。北条ゆかりの地『願成就院』を参拝・・源頼朝の奥州攻めの成功を祈って、北条時政が建立した寺6月に訪れた北條寺と同じく「鎌倉殿の13人」で一時は大変な拝観者だったそうですが今はチラホラと訪問される程度。この奥には宝物殿もあり北条政子の像なども拝見することが出来ます。驚いたのが、受付にいらっしゃる方が日本語ペラペラな欧米の方だったこと。御朱印は書置きでしたが何種類かありまし
11月8日(金)伊豆の古刹&グルメ友人の「ご朱印大魔王兼仏師」と西伊豆・土肥の定番宿「温泉民宿山仙」に。ここは、「秘境ハンター」さんのYouTubeで知った宿で、小生は、今年3回目。何と言っても、夕食が最大の楽しみ。で、「ご朱印大魔王兼仏師」が全国一之宮のご朱印を集めているので、まず「三嶋大社(伊豆国一宮、伊豆国総社)」に参拝。その後、小生の好きな古民家カフェ「irodori」でケーキを楽しんで、運慶作の国宝を祀る「願成就院」に。更に、修禅寺の「修禅寺」で特別開帳して
前回はこちら本堂です。本堂をバックに、自撮りをしました。スマホでも、自撮りをしました。朱印所です。東日本大震災慰霊供養の塔です。東日本大震災の説明板です。不動堂の入口の門です。不動堂です。願成就院です。願成就院の説明板です。峯薬師堂です。大日堂です。讃衡蔵です。讃衡蔵で、金色堂建立900年の記念撮影をスマホでやってもらいました。金色堂付近の、中尊寺境内案内図です。続きはこちら
こんにちは、紫陽花です。遅い梅雨になったはずなのに連日の猛暑ですね。昨日は西巣鴨にある大正大学にて楽しみにしていた運慶の講座があったのでどんな猛暑であろうと笑勇んで出かけてきました!アイスキュロスさんのことを全く知らない私。調べてみても古代ギリシャの三代悲劇詩人??悲劇詩人ってなんだ?うーん、暑過ぎてこれ以上調べる気にならないのですが(言い訳)多くのことを知るより大事なことを知る深い言葉ですねぇ私みたいな勉強不足な人間が知りたいという気持ちになるとき、いかに多くの知識
おはよ〜(*´∀`*)ノ"♡静岡県伊豆の国市にある北条時政ゆかり「願成就院」に行ってきました。鐘楼板東時政のお墓手前の4重石です。本堂。中には運慶作の仏像が3体安置されてるらしいですが、有料なのでお堂を外からだけ。足利茶々丸のお墓。室町幕府第11代将軍、「足利義澄」の兄です。知らんわなw御朱印はお金払って本堂を参拝した人だけにいただける様です。なのでいただけませんでした。御朱印貰う為に御朱印料だけでなく、手間賃も払えって言われた様なもん。「アンタ、ちょっとセコイよ!」とクエスな
昨日今日と出掛けておりましてな。…はい、遊びです。昨日は毎年年末に行く静岡県の三島。三嶋大社はもちろんだけど、ちょいと行きたいトコがあってね。北条時政公が建立したとされている願成就院。一昨年の年末に行ったんだけど、年末は毎年一週間くらいお休みしちゃってるのよ…。初詣が大変だからかね?そんな訳で、一昨年も昨年もお参り出来なくてね。行きたかったのですよ。念願叶いました。コチラのお寺、運慶さんが作った国宝に指定されている仏像が五体もあるんだぜ?運慶さんが作ったとされている仏像が全国に
運慶による東国での最初の造像とされる阿彌陀如來坐像のほか全五仏を所有されているお寺でございます。ボランティアのガイドさんの説明も受けれて充実した時間を過ごすことができました✨
千歳荘をチェックアウトした私達は、すぐ近くにある願成就院様へと向かいました。私と夫が伊豆へ旅行したら毎年お詣りしているのが三嶋大社様とここ願成就院様です。https://ganjoujuin.jp/ganjoujuin.html願成就院略縁起|天守君山願成就院公式ホームページ高野山真言宗天守君山願成就院は、文治5年(1189)に北條時政公が、源頼朝公の奥州藤原氏征討の戦勝を祈願して建立した。国宝運慶作御仏五体をお祀りしている。ganjoujuin.jp大変も
運慶の仏像巡り伊豆長岡伊豆長岡の願成就院さん住宅街の中にひっそり佇んでいますが若かりし30代頃の運慶作の国宝仏像がなんと5体も!!安置されております〜🥰全て国宝‼️阿彌陀如来坐像不動明王矜羯羅童子制吒迦童子三尊立像毘沙門天立像境内には北条時政のお墓もありますなのに観光客があまりおらずゆっくり心ゆくまで堪能できます❤️そして案内がなんともインターナショナル副住職の旦那様がイギリスの方なので作務衣を着て仏像の説明をしてくれます海外の
静岡県にある願成就院は、北条時政が創建したと伝わる、北条氏ゆかりの寺院。なんと言っても、35歳頃の若かりし運慶の仏像が五体も!(゜ロ゜)阿弥陀如来座像、不動明王と二童子、毘沙門天、中でも、毘沙門天立像は色々な媒体で目にする有名な仏像です。運慶独特の写実性、厳かなお顔立ち、翻る袖やひねった腰など、抜かりなき技法に裏付けられた美仏です!静岡遠征したいなぁ…(゜o゜)
昨日、今日と三島行ってきました。昨年もこの時期行って、今年も…。毎年恒例の忘年会になりつつある。都内在住の方なんだけどな…。昨日のコチラから行く電車はそぉでもなかったのよ。新幹線は混んでたけどね。オイラは鈍行で行ったからさ。終始座って行けました。今日の帰りよ、混んでたのは。全然座れなくてさ。三島から横浜までず~っと立ってた。横浜で千葉行に乗り換えたら座れたけど…。三島へ一緒に行った方が、「去年開いてなかったお寺行こうよ。」願成就院ですよね?覚えてませんか?初詣準備で年末一
12月18日(木)修禅寺~願成就院友人との2日目は、伊豆高原から山越えして、修善寺に。その後、願成就院で運慶作の国宝を拝観しようと思ったら、「年末の拝観休止」に当たってしまった。小生は一度拝観しているが、友人はまだだったので心残り。で、傷心のランチに、「さわやか函南店」でハンバーグを食べようということになり、行ってみたら、なんと2時間待ち。さすがに諦めて、先日テレビで見た厚木の「そば八」(定食も豊富)に。コスパの高い定食に満足。🔴アンビエント伊豆高原コンド
こんにちわ。私のこんな拙いブログをご覧いただき、ありがとうございます。日本史にハマっている私の旅記録シリーズです。今回は大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を観て行きたくなった伊豆の国市が舞台です。↓北条家ゆかりの願成就院創建は、鎌倉時代初頭の文治五年(1189)に遡ります。この地で源氏再興の旗揚げをし、鎌倉幕府を開いた源頼朝公の奥州藤原氏征討の戦勝を祈願して、幕府初代執権で北條政子の父、北條時政公が建立し「願成就院」と称したことに始まります。幕府の事蹟を伝える歴史書「吾妻鏡」には