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とうもろこし身体のビタミンBを欠乏させる、、僕はそう思ってる、、、ビタミンB群ナイアシン欠乏は頭頸部癌を起こすだけ、、隠れた基礎疾患を探すこと、、再発も自由、、、飛ぶのも自由、、僕は自由と創造、、
喉に首に、、放射線照射、、首に放射線を当てること、、これは拷問である❤️僕はね願ってるよ、、国民すべてが首に放射線照射、、拷問を受けるのだ、、首に55グレイ以上放射線を当てる、、ことどうなるか??首のノコギリで切られる感覚なのだ、、こんな拷問はないのだ、、、頭頸部外科頭頸部がん❤️、、頭頸部癌自殺、、検索してね❤️僕も自死したい途中がん患者は告知後,治療中,再発時,治療の中止を告げられたときなど多大なストレスに曝露されるためメンタルヘ
11月10日日曜日にがん患者大集合というイベントが開催されるそうです。https://canps.jp/場所:築地の国立がん研究センター中央病院築地キャンパス新研究棟大会議室時間:13時から参加費無料このイベントで主治医が講演します。パンフレットをもらった時の感想。えっ、主治医ってこんなに偉い人だったんだ!偉い人が主治医だったんだ!二度ビックリ。がんサバイバーでなくてもウェルカムなイベントみたいなので、お時間とご興味のある方はぜひ行ってみてください。無料です。
クロストロフォビア閉所恐怖症/ドラガン・バケマ【字幕のみ】【中古】【洋画】中古DVD楽天市場283円今日は放射線科の担当医の診察日であった。色々と問題を起こしている❔らしいが舌も口腔内も治療効果がでているとのこと。ちなみに起こしている問題とは、閉所恐怖症が出てしまい治療を中断させてしまう行為のこと。治療中には毎日、「これが奴隷やらの人体実験とかだったら、ナースコール鳴らしても無視される。暴れれば、動けないほどの暴力を受けて大人しくされての放射線被爆するのだろ
ブログのタイトルを変更しました。これからがんのことだけでなく、趣味のことなどもアップしていきます。今後ともよろしくお願いします。
放射線をあてたところの痛みは、気温や湿度は気圧に関係すると言われています。今月に入ってから、急激に寒くなった。雨が続いている。次から次へと台風がやって来た。痛くなる三要素がすべてそろっています。そのため、放射線をあてた首からのどにかけてが、いつも以上に痛いです。これから寒くなるのは仕方ないにしても、天候が安定してほしいです。
がんになって、たくさんの「なぜ?」が浮かんできた。うちの家系はがんにならない家系である。両祖父母、両祖父母の(知りうる限りの)兄弟姉妹、両親、両親の兄弟姉妹、誰もがんに罹患していない。病院などの情報を見ると、上咽頭がんはタバコが7割と言われていると書いてある。生まれてからこの方、タバコを吸ったことがない。血縁者にがんに罹患した人がいなくてもがんになる。受動喫煙、副流煙などの問題はあるにしても、タバコを吸ったことがなくてものどのがんになる。がんになるときはなる。私は嫌煙家です。
先日参加したがんのイベントで「がんを宣告されて、ある日突然マイノリティーになってしまった」という発言がありました。また以前「がんサバイバーもマイノリティみたいなものだよね」と言われたことがあります。がんサバイバーはマイノリティーなのか、そうでないのか。その議論はわきに置いておいて、自分ががんサバイバーになってはじめてわかったことはたくさんあります。
がんを宣告されたとき、世の中には「まさか」が本当にあると思った。
がん宣告までの流れをブログにアップしてきたのですが、他にも書きたいことがたくさん出てきたので、ちょっと休憩して趣味のことなども書こうかなと思っております。いろいろ書いて気が済んだら治療編に入ろうかと思います。
がん宣告をされる前日のことを思い出したので、せっかくなのでブログに載せたいと思います。今日は日曜日、今の心境と同じ、梅雨空の曇り空。せっかくの予定がない日曜日なのに。読みかけの本を読んでいても、お気に入りの音楽を聴いていても。落ち着かない、じっとしていられない。まだ病名を聞いていないので、どこに何があるかわからない。頭部に何かがあることだけはわかっている。もし脳だったら、どうなるんだろう。きちんと治療ができて、生きていたとしても、体が動けないまま?普通に生活できなくなる?
なんでも「ハラスメント」とつければいいというわけではありませんが、「がんハラスメント」という言葉があります。がんハラスメントが行われる時期は主に2回です。1回目:がん宣告を受けたとき。2回目:がん治療を終えて、復職したとき。人によっては3回目ということで、再発転移をしたときも考えられます。がん宣告を受けて、会社にがんであるということを告げました。それから本当にいろいろありました。そのいろいろはいろんなところに抵触するおそれがあるので、ブログには書きません。もしかして書けません
かつての文豪たちも自死、、自殺してる、、賢いなら自死だよ❤️頭頸部がん癌局所制御不可、、局所腐敗、、強烈な腐敗臭、、瘻孔、、不幸な転帰僕は美しく、、美的感覚、、カッコよく、、局所制御不可なら❤️自死を勧める、、僕なら❤️太宰治、、三島由紀夫川端康成、、芥川龍之介、、自死する、、腐敗臭、、生きられるかよ綺麗事なんだよね❤️頭頸部癌がん、、腐敗を知らないからだ、、僕も自死するよ❤️頭頸部癌がん偽善者きれいごと、、、くさい、、めちゃくちゃく
がん宣告から数日経った。一人になると涙が出てしまう。そんな中、知らない電話番号からの着信。よく見ると、がんセンターのある市の市外局番。おそるおそる電話に出ると、放射線科の医師からだった。もっと詳しく検査をしたいので、MRIのときに検査を追加したいと。もちろん了承。もしかして予想以上に悪い?転移とかしてるの?悪い予感しかしない。がん宣告から1週間ちょっと、MRI検査の日がやって来た。喘息があると、造影剤を使った検査は難しいと言われた。小児喘息だったので、20歳になるまで
10月22日(火)即位礼正殿の儀の日テレビで繰り返し流れている中今日は休日のせいか病院の7階ラウンジは大賑わいこういう場所があることはありがたいことです。病室だと休んでいる方もいるかと思うとちょっとの話し声も気になるものねまして幸村の地声って大きいのよ今日は病室に行くと幸村がいなくてわたしはベッドにもぐりこみ夫は隠れていたんだけど・・売店から戻ってきて気づいた幸村は「おお・・うーむ警察呼ばなくちゃ・・」とか言ってwwwなんだかお菓子や漫画を買い込んでたなそれ
幸村が入院してから毎日更新していたブログだが昨日は休んじゃって・・えっと日付はずれるけど昨日のことです10月21日(月)幸村から喉の穴をふさいでもらったと連絡が来る抜糸は外来でもできると。。ああ。。自然にふさがるのは待たずに縫ったということか・・今日は被災にあった友人にお米とタオルを送った娘にもお米を送った被災地は流通がまだスムーズでないらしく1度は断られてしまった(タオルのほう)大元に連絡したら生ものでなければOKとのことつまりスムーズにいかない
昨夜は普通に眠れて、今朝は普通に起床した。自分ががんだと分かったこと以外、世の中は何も変わらず、進んでいく。がんのことは考えない。意識から切り離していた。いつもと同じラッシュにもまれて出社し、帰宅する。食欲はいつもと変わらない。いつもと同じように夕食を食べ、携帯でニュースなどをチェックする。何だか文字がぼやけて見える。どうしたんだろうと思い、指を目に近づける。濡れている!無意識に泣いていたようだ。涙が止まらない。通勤途中や会社では涙は出ていなかったと信じたいが、家
帰宅して、検査結果ががんだということを、結果を心配してくれている人にメールを打とうと思った。でも「がんだった」とメールが打てない。「がんだった」と書くと、自分ががんであるということを認めてしまうということになる。がんと診断されたんだから、もうがんであることには違いない。でもメールが打てない。がんだと打てない。時間にすると1時間は経っていたのかもしれない。自分の中では何時間にも感じた。ようやくがんだったということをメールする。もうすぐ夏至、1年で一番昼が長い季節。それでも気
10月20日(日)今日は晴れいつもは日曜日お願いしてないディーサービスに父を託して幸村のいる病院へとりあえず元気喉には大きなガーゼが貼ってあるで・・いつものラウンジでコーヒー飲んだりしてまったりと・・夫は読書幸村はスマホわたしは折り紙・・そうこうしているうちに幸村が胸が痛い・・・とかいいだすその胸というか首のあたりらしいんだけどちょっと心配今日は日曜だし~ずっと痛むようなら当直の先生に診てもらいましょうと看護師さんに言われ・・その後は普通に過ごせてたんだ
この日も検査があるかもしれないと思って、朝食は抜いてきた。でもおなかが減らない。気持ち悪い。もしかして空腹のせいで気持ち悪い?ふらふらしながら、迷路のようながんセンターをCT撮影室へ向かう。注射を打たれ、点滴をつなげられる。「造影剤を使って撮影します。最初は使わないでの撮影。途中で造影剤を入れます」とのこと。ベッドに横になり、撮影開始。CTはMRIと違って、うるさくない。しばらくして「造影剤を入れます。一瞬熱くなりますが、動かないでください」と言われる。「え?」と思ってい
どんなに時間が止まってほしいと願っても、時間は止まってくれない。6月19日、検査結果が伝えられる日がやって来た。足がすくむ。足が重い。足を前に進めることが怖い。何度も立ち止まる。駅まで10分ちょっとの道を何分かけたのだろう。電車とバスを乗り継ぎ、がんセンターへ。待合室で呼ばれるまでの間、じっとしていることができない。何回も帰りたくなる。呼び出しのブザーが鳴って、診察室へ。医師から「お一人ですか?」と聞かれる。「はい、一人です」と答えるのが精いっぱい。「そうですか」と
10月18日(金)どうやら大部屋に移ったらしい個室がどんなかわからずじまい・・幸村に今日のうちにシフォンケーキを買っておいてねとラインするとりあえず2つ買ったしばらくして追加で2つ買ったとww夕方S医師から電話があり体調がよさそうなので退院について考えようと思います。と連絡ありう~~ん退院はいいのだけどまだ細胞についてどうなったか聞いてないんだけど~~?頭はどうなるう~~?とりあえず明日幸村に会いにいきます。
6月9日、本日は検査だけなので、受付を済ませて検査室へ。麻酔を打たれて、右鼻からカメラを入れられる。麻酔をしているので痛くはないが、なんか変な感じ。検査が終わっても何だかまだ体が変な感じが残っている。看護師さんに「気分がよくなるまで寝ててもいいよ」と言われたので、ご厚意に甘えて、検査を待つための部屋の空いているソファで横になる。窓の外には、まだ梅雨に入っていない青空がどこまでも広がっていた。今の気分とは対照的な青空。このまま時間が止まってしまえばいいのに。
6月6日、気分は晴れないまま、がんセンターへ。何らかの検査をすると思い、朝食を食べずに病院へ向かう。紹介状とM病院で撮影した画像データを提出。「頭頸部外科」というところに通される。医師から本日の時間の有無を聞かれる。今日は会社を休んだことを伝えると、今日いくつか検査をすると言われる。その後採血、生体検査、レントゲン撮影ののち、再び診察室へ。「今日はこれでお終い。まだはっきりがんと決まったわけではない。9日にカメラを入れて映像を撮って、19日に検査結果を伝える」と。この時「はっきり
10月17日(木)喉の器具が取れた傷は1週間くらいで自然にふさがるとラインで知らせがあるそのほかやはり個室から大部屋に移動出来たらしてほしいとラインしておいたでもわたしも個室を見たい気もする~N大病院は今回は3度目の入院だけどその前の2回は緊急で個室だと思っていた部屋は個室でなくこの病院でいう重症部屋だったのかなあ?謎である娘(幸村の妹)からそういえば昨日幸村の様子をうかがうラインが来てたなま・・それなりに心配しているのかな手術の日もウルトラマンのスタ
5月中旬、がんセンターの予約センターへ架電。「M病院の耳鼻科からH先生を紹介されたのですが」と伝える。「H先生はトーケー科の先生ですね。トーケー科で予約をお取りします」と言われる。「トーケー科」という単語に、漢字が当てはまらない。後で調べると、「頭頸科」という単語だと判明。
1016日(水)手術から1週間になる今日は幸村から何も連絡がこない腫瘍はなかったといまだに正確な生検結果をきいていない大部屋が開いていたら個室から移動するように・・とメールしたいところだが少しゆるやかな気持ちにしておいてあげたいような気もする週末にその部屋を見たい気もするし・・でも経済的なことも考えるし・・とまたあれこれ考えてるわたしです。話変わってニュースは台風19号のもたらした被害の話が多いですね。何かできないかとも思いちょうど父の家を片付けたと
4月中にCTやMRIの検査をして、連休明けの5月、検査の結果を聞きに病院へ。もうはっきり言って、イヤな予感しかしない。診察室に入るなり、医師から「私の知り合いでがんセンターの医師がいます。紹介状書くから、近いうちに行ってきて」と。「思った通りの病気だったらいいんだけど、もし違っていたら・・・」などと怖い独り言まで聞こえてきて。診察後、紹介状と画像データをもらい帰宅。「何かはわからないけど、頭の中に何かがあるんだ」と、周りの景色が色を失くして見える。がんセンターは予約制なので電話で
10月15日(火)幸村からは病室が変わったとメールが来た個室のようです。↑高いです。最初に入院手術が決まった時に術後は数日個室のほうがいいだろうと思い、個室で・・・と看護師さんに話し数日後に大部屋にしてほしいと言ったらその時にちょうど空いてなければダメです。と言われそれももっともと思い空いてたらで・・と考えていたところがである術後の人はしばらく重症部屋というのがあるらしく(もしかしたら幸村の場合だけなのかあ)そこで数日過ごせたのです。一人部屋で
聴力検査の結果「右耳の高音部の聴力が落ちています」とのこと。両耳の聴力が全体的に落ちていれば、聴力が落ちていたということに気づいたのかもしれませんが、片方の耳の、それも高音部だけだと聴力が落ちたことには気づきません。それから医師から告げられたのは「レントゲンを撮りましょう」でした。レントゲンはすぐに撮ることができるので、その日のうちに撮影。画像を見て「ここ(右の鼻と耳の中間地点当たり)に何かあるんですよね。もっとはっきりと映る画像検査をしましょう」と。予約をして、後日CTとMRIの撮影