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http://blog.livedoor.jp/ebisu663/archives/80045798.htmlASCOの速報はおしまい。頭頸部癌でもキイトルーダ一色やね
6月3日(月)姉にきてもらい父をかかりつけの医院に連れてってもらうわたしは幸村についてC病院へ父は下半身の浮腫み幸村が頭がずーん!!と痛いのだという何事もないようにと思っていたんですけどね。今日の診察では頭が浮腫んでいるということだったあっちもこっちも浮腫み浮腫みって・・薬がまた増えるわたしのできることってなんでしょ?食事ですか?砂糖はいけないのでしょうか?添加物はもっと気遣った方がいいのでしょうか?もともと箱の裏は見て買ってはいますが・・完全とはい
5月30日朝幸村が頭が痛いと言う起きていつもの定位置でゴロリとしているなあと思っていたが食事の頃には起きるかと思ったらそうもいかず自分の部屋で寝るという買い物に行っても気になってしょうがないあの頭の画像白い影あそこでしょうかあの部分が痛むのでしょうか?薬の飲む回数も増えたというしどうしたものか。。買い物から戻るとだいぶ良くなったと起きて朝の分も食べるかのように昼食を食べていた5月31日朝起き
ここのところ幸村も父もなんだかよく寝ているこの家はそういう地場なのか磁場なのか?眠くなる家で病人や年寄りには持って来いの(’?!)眠れる家なのです。N大病院までにはまだ間があるのでそれまで何事もなく・・と願っています。願っていますじゃダメだとか昨今のすぴりゅちゅある・・あれ?!スピリチュアル?では言いきらなければいけないらしいです。何事もないこれもダメかな平穏です!!平穏な日々です!!とか?昔『重版出版』というドラマがあって元は漫画な
令和になって数日・・平成を思い起こすと・・平成の年に生まれた言葉?というか表現するようになった言葉に「生きづらい」という言葉があったと思うSNSやらなんやらで言葉の表し方が増えたような気がするこうして自由にブログなど付けて個人の記録として残すようないわゆる日記を人に見せていることも平成になってからだよね。だからかなあ・・心のもやもやを表現する人が増えて「生きづらい」なんて言葉も生まれたのかなあ「生きづらい」という言葉を聴いてあ!これだ自分のことだっ
死ぬとか生きるとか考えたことあった?考えないようにしてる生きられるはずだと思っている今までで1番辛かったことは?出血した時口が開かないこと「個人医院の耳鼻咽喉科の帰りこの日は父はディサービスでいなかったのでランチは外食することにしたそこで運ばれる間に訊いてみた内容が↑↑そしてまたスマホをいじってる淡々としている最初に病気がわかったときもわかるまでのときも(これはかなりきついと思うが)淡々としていた辛いことはもっ
いつもお読みいただきありがとうございます。同じ病気の人が読んでも何の力にもなれないただ淡々と状況を話しているだけのブログです。長いだけの文章です。それでも応援して頂けるとそれがパワーになるような気がするのです。生きる力になります。なお、病院名は皆イニシャルにしているのに日赤だけ日赤としていてごめんなさい。日赤は全国にあるのかなあと思って。。(どうなんだ?)5月2日(木)前日、バルーンをはずしたので診察と病理説明ということで病棟のなかの診察室に行く鼻
わたしは27日土曜日は仕事だったので9連休だったのだが・・・予定通りにはいかないものですねえ4月28日(日)幸村右からの出血が止まらずC病院へ自分で運転していくT先生に右鼻にガーゼ7本バルーンを入れて止血される出血から2時間くらいたらたらと血が出ている状態だったらしいのだが・・3月の時ほど大出血ではなかったらしいT先生に小言を言われる夕方になり鼻に詰めたガーゼが落ちてきたと言う鼻から頬にかけて穴があいているのだそこから詰めたガーゼが出てきているということらしい
令和元年5月ですねえ~れいわって令和って一発で変換できないんだねえちなみに初めて令和って書いたのは父の介護関係の書類だった・・幸村は平成元年の生まれ1月生まれなので平成に改元されてまもなく生まれた子平成を丸々30年生きた子わたしの中で先回の出血の際平成に生まれ平成に終・・・ダメダメそんなことはダメだよって念じててなので0時がきて改元を迎えた瞬間やった!!幸村令和にGO!!って心の中で喜び叫んだ!!!前回のブログで夫の前で泣いたと記した
2019年4月28日今日の二次救急当番病院はうちじゃないんですよそれなのに来られてもねわたし・・〇〇〇に行ってたんですよ(〇〇〇は県内でも有名な観光スポット)それで呼ばれても1時間半かかるんですよ今日の二次救急当番病院がうちだったらそんな遠くまで行きませんけどねわたしにも家族がいるんですよわかりますよね。もしもっと遠くへ行ってたら帰ってこれないんですよここは耳鼻科の医師がわたししかいませんからね。
前回の自分のブログ・・・なんというか自分でももう一度読み返すのもやんなっちゃうような内容で・・ごめんなさい。生きることを考えるも何も・・ずっと生きることしか考えてこなかったじゃないか・・と今更ながら思う振り返って昔のブログを読み返せば全てが命のために受け留めて受け入れてきたのだ不慮の事故や事件突然に命を絶つことになった人たちもいる生きることのみに頑張れているのだから幸せに思うといつかのブログにも似たようなこと記してきた比べられるようことではないのだけど命
2019年4月18日、4月19日G大に行く18日は全身PET検査と頭のCTとMRI病気になってから何度造影剤の同意書にサインをしたことか・・幸村が名前を書くこと・・ここ数年みな病気に関することだけである。9時に入って全部終えたのが3時過ぎていたそこから昼食を一緒にする19日は医師の病理説明最初は体調はいかがですか?から始まり・・・なかなか例の白い影についてふれない今回の画像も出てこない・・前回の鼻から口からの大出血についての話また
100g98円の豚肉を頼んだのに100g138円の薄切り肉を買ってきた幸村・・・陳列しているg98円の肉を見つつ138円の方の肉を手に取ったらしい・・あるよ。そういうこと。でもその後気づくだろ・・・いらいらぶつぶつぶつそんな様子のわたしに「間違ったものはしょうがないろ交換して来いってこと?!!」とまたいらいらと返してくる幸村社会人だったらおつかい間違えたらどんだけ叱られると思ってるんじゃい!!なんてことも思うのである社会人の顔をしてない息子です。
前回のブログに>体調悪い人は病院に行っちゃあいけないかあ。。なんて記してて考えてみたら病院って体調の悪い人が来るとこじゃんって・・・まあ言わんとしていることは伝わってるよね(笑)で・・自力で治したつもりが昨日までの数日35.4度~37.2度を行ったり来たりしてそれも1日の中で行ったり来たりしてる背中の一カ所が鉛を貼ったかのように重い・・という日が続いた寝れたら1番いいのだけどいやいや主婦して仕事して介護してなどなどで寝込むほどではない微熱の微妙さ・・みなさん
2019年4月9日すでに昨日のことになるのだが・・N大病院で見せてもらった画像は。。先月14日に撮った頭のCT画像とC病院で撮った4日のCT画像あきらかに・・先回より大きくなってる影一か月も経ってないのにどういうことだ?結局ここでまたG大病院に来週行く事になっていたのでそちらに委ねることに・・そこでN大とG大で相談して?今後の治療にとなるとのことそもそもその影がなにか?!転移なのか?重粒子線による後遺症・・組織障害なのか?画像だけではわからないらしい
4月5日(金)「ここんとこに、白い影があるって言われた・・」とおでこを触りながら幸村が言った子どもの頃、学校でもめ事があった時に「今日ねぇ学校でやなこと言われたあ」って言った時の顔をしてたC病院がこのあいだまで入院していたN大病院に予約を入れてくれたそうだなんでもN大で撮ったCTの時の白いもやっとより大きくなってるようだとのこと腫瘍が浸潤して硬膜を圧迫しているらしい(うわ~
4月になり元号も発表されましたね。わたしタイトルを西暦であらわしていたけど元号が変わる事を意識したわけではありません。記憶のありかたがいろいろで元号で覚えてることと西暦で覚えていることがあるんだよねえ。が・・しかしそれもあやふやになることも多々あるんですけどね。ちなみに幸村は、平成元年の生まれです。その後の幸村の様子・・病状は明日の脳外科の診察が終えてからお話しします。今幸村しゃっくりが止まらず・・辛・・・ツラ・・いやわたしが気になるだけか・・いつも読ん
3月は・・3月・・振り返ると幸村は毎年3月は体調を崩しているようだ1年前は「救ってくださいの」の固まりのようになっていた思いから解放されるそして、2年前はあと2割よくなってほしいと考えていたようだ今年は、ふりだしに戻ったような気がするのだがそれでも助かった命は愛おしいものだふわっと心に浮かんだ言葉が「神様仏様助けてください」でなくて「神様仏様ありがとう」だった退院して1週間経ちなんでもない日曜日が過ごせることに感謝です。そしてずっ
退院して数日・・・ちょっと元気がなさそうだけどまあまあ日常を取り戻しつつあります。幸村が体調を崩すちょっと前のブログにそろそろ仕事&将来のことを考えたら?とわたしの中でイラッとした思いと重なりこの言葉を何度繰り返しただろう?そしてそれを諦めさせるためか否か?なんらかの症状が出てまた入院するといったことが今まで起きてきたから不思議だと載せててで・・・至るわけでいやはやそういうこと考えるからそうなっちゃうんだよと引き寄
3月23日退院しました。入院してから夫と通った日もあり高速バスで通った日もあり・・・でした。高速バスで90分kらいかな・・その間、わたしは空想というと聞えがいいのだが妄想に近いのかもしれないちょっと楽しいようなそうでないような空想わたしがミクロ決死隊になって幸村の鼻の中に潜入するのだミクロ決死隊というものは外国のものらしいのでもしかしてわたしが子どもの頃見ていたのは手塚治虫氏の何かかもしれないがともかく小さくなって幸村の鼻の中に入る白い防具?ハニーハン
あっけないものでした。喜ばしいことに昨日鼻の中のバルーンがはずされました。2019年3月18日(月)朝から病院に行き「今日はずしてもらえそうだ」ときいたものの今日と言う日は手術日らしくそれが終えてからだから夕方とのことが・・しかし確実に今日という日にやってもらえるのか??などと思いながらの夕方5時頃ふらっと先生がやってきたほんとにこのS先生は背も高くひょうひょうとしていてクールな感じで背が高いせいか背中を丸めた感じでなんていうか”寒い”って時の人の動作
諸々あり現在幸村入院しています。専用の診察椅子(歯科の椅子のようなもの)に座り上を向いて横を向かないでと言われながら鼻の中口の中診ようとするT先生その間血は流れつづけゴッホゴホむせるように咳き込む幸村血しぶきが先生に床に飛び散るT先生が「ちょっとかかるじゃない汚れちゃう咳き込まないで」「ああ・・床にも・・」ここで看護師のIさんが「仕方がないんです!」ときっぱり言ってくれてT先生黙るそれから別な部屋に一旦動く先生は他の患者も診なくちゃなの
いいね!をくださる皆様こちらを読んでてくださる皆様いつもありがとうございます。ご無沙汰しています。PCからしかやってなくてそのPCが年季が入ってて調子悪く週末に帰って来ていた夫に修理してもらいやっと使えるようになりました(*^_^*)さてはてその間ですが・・・またか!!!でした。前回のブログにそろそろ仕事&将来のことを考えたら?とわたしの中でイラッとした思いと重なりこの言葉を何度繰り返しただろう?そしてそれを諦めさせるためか否か?なんらかの
昨夜幸村が就寝前に薬を飲んでいたわたし「それはなんの薬?」幸村「不安を和らげる薬」わたし「不安なんだ・・」幸村「不安だよ!!」そして今日たま~~に幸村に対して爆発するわたしともかく幸村は起きればまた居間で寝てる・・日々しっかり起きてからはスマホとタブレット・・・ゲーム頼まれて父(幸村にとって祖父)の世話洗濯とりこむまたは干す買い物洗い物などなどそろそろ仕事&将来のことを考えたら?とわたしの中でイラッとした思いと重なりこの言
2月12日N大病院の整形外科の診察レントゲンからの先生とのお話今日は二人のインターンの面々もいたけどそんなん無視無視レントゲンの結果は転移はなし転移なんてないだろうなあ・・と漠然と思ってるわたし「そもそも転移なんてするんですかあ?」なんてのん気に今さら?!!の質問をするわたし・・先生「はい。この病気でもあるんですよここでは胸を診てG大では全体を診てもらってればいいでしょ」先生がいうにはやはり5年は転移を心配しなければだそうです先生
今日は幸村の30歳の誕生日30歳ってけっこう大人だよねが・・・しかし社会に触れてない男ってって感じの息子です。はい。人が大人になるタイミングっていろいろあると思います。親元を離れた時就職した時結婚した時親になった時家をもった時親をなくした時などなど・・・そこが世の中の仕組みを知る時だったりもするからかもしれないのだけど。だからといってこの経験が多ければ大人だ!というわけでもなく。(まあちょっとわたしの偏見かもしれないけど)うちの30歳はどれ
1月18日認定調査は1年に1回あるらしい・・今日はその日です。あれこれ質問をされてる父を台所に立ちながら、ふむふむと聴くわたし母のような娘のような心持で聴いているわたし質問の捉え方って面白いなあと思ったことが・・調査員の方は毎回毎回のことであろうが父には今日だけの事である調「〇〇さん今はどんな季節かわかりますか?窓の外を見てみて・・どうでしょう?」父「そうだの~春のようでたまに初夏のような光が・・」調「春ですか?」父「今が冬だってことはわ
一応病勝のブログがメインなので12月の幸村ですが・・2018年12月21日金曜日口からの出血濃いタイプの出血PM7:00くらいいったん収まったのでほっとくまたまた出血今度は長くでてるPM8:00くらい過去の事を思いだすhttps://ameblo.jp/kokoni-iruyo-etoko/entry-12352255731.htmlどうしたものか・・やはり病院に。。。タクシーで行く(父にご飯を食べさせおむつを替え・・父はしっかり事
自分の出身大学に入局したとき、受け持ち患者のほとんどが頭頸部癌患者であった。耳鼻咽喉科としての入院ベッドは60人ぐらいだったが、そのうちの8割以上が癌患者であった。喉頭癌がもっとも多く、他に上顎癌、下咽頭癌などがいた。受け持ちはグループ制になっており、60人の患者を3グループで分ける。各グループ、20人の患者を4人ほどの医師で診察にあたる。上の医師は、バイトにいったり、外来にいったり、研究していたり、いろいろあるので、普段の患者の管理は、研修医にもっぱらまかされる。がんの患者さんに毎会のよ
叔母が逝き初七日も過ぎた昨日、叔母の家・・うーん姉の家を訪ねると時々弔問客が訪れるくらいで落ち着いてきたようだ。茶の間には、叔母ではなく姉の夫が座っていた(ああ・・そうだね)それでも遠くから来ている、孫ちゃんがまだ滞在していていい華となり悲しみや寂しさを払ってくれているようだわたしもツリー姿になり?!孫ちゃんを抱っこした年齢を重ね、わたしも涙もろい年頃になった甲子園の応援もしていなかったチームなのに監督の最期の話を聴けば涙し・・観てもいなかったのに、最終回近くの宣