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この金曜日から九州に来ています。第一回目の記事はこちらです:https://ameblo.jp/shanehashi/entry-12573757665.html第二回目の記事はこちらです:https://ameblo.jp/shanehashi/entry-12574006776.html第三回目の記事はこちらです:https://ameblo.jp/shanehashi/entry-12574236643.html今回の九州旅行も、今日が最終日。昨日の夜に熊本
昨日の続きです。下図⑧の頬当御門枡形内から見た渡櫓門跡です。石垣の上に渡櫓がありました。ほんとに立派な御門です。江戸城の御門を少し小さくした感じです。江戸時代中期頃の八代城です。石垣には番号や記号が刻まれています。造ったのは3万石の加藤正方ですが、熊本藩加藤家の総力で造られたのでしょう。加藤正方の肖像画です。加藤正方は熊本藩加藤氏の家臣の加藤(片岡)可重の子で、元は近江出身の片岡氏でしたが、加藤の名字を下賜されています。1612年に江戸幕府より
昨日の続きです。今回は本丸大手門である頬当御門までです。下図④から⑥方向です。グーグル写真より八代城です。江戸時代中期頃の八代城です。(上が北)⑤から⑪方向です。⑤から⑥の間に渡櫓門がありましたが、現在は撤去されて道路になっています。下図⑥から見た本丸大手門である頬当御門跡です。この反対側は二の丸になっています。二の丸跡です。現在整備中ですが、ガイドさんの話ではここに二の丸が復元されるそうです。下図には市役所の建物が見えますが、撤
昨日(12/10)、午前中は天満橋で用事を済ませ、夜には退職した職場の忘年会にお誘いがありましたので、その間の時間を埋めるべく、約5時間を有効活用した「お城巡り」を敢行しました。行き先は、「柳沢家」15万石の「大和郡山城」(奈良県大和郡山市)と、「片桐家」1万1千石の「小泉陣屋」(奈良県大和郡山市小泉町)の二か所です。勿論、事前に綿密な時間表を作成して、夜の宴会に遅れないようなプラン作りをしていましたので、それを下に行動をしました。上本町のハイハイタウンの地下でサッとランチを済
写真の追加をしましたので再UPしました。昨日の続きです。毎日の更新なので、文章の推敲がおろそかとなり、誤字・脱字などあり申し訳ございません。分かり次第に修正して再UPしています。今回は頬当御門から天守までです。地震前の頬当御門です。熊本城に入園する正門となっている頬当御門です。天守閣を顔に見立てると、御門が兜の頬当に見えたところからこの名がついたそうです。明治4年(1871年)頃の写真では、鳥居になっています。明治4年の古写真です。頬当御門が鳥居にな
熊本城🏯特別公開へいらっしゃるみなさまへ。今月、10月の5日から熊本城🏯特別公開が始まりました。ラグビー🏈のWORLDCUPも重なり、マチナカ🏢🏬🚶🚃でも多くの観光客の方とお会いします。昨日、出勤☀🚃🚻前に熊本城🏯稲荷神社に参拝に行きました。その際に、熊本市役所向い側にある瀬戸口門付近で、熊本城🏯へ向かうルートを訊ねていらっしゃる方をお見かけしました。熊本城🏯へ入る門として4つの門があります。1つ目が天守閣へ入る門である頬当御門、2つ目が城彩苑近くの櫨方門、3つ目が熊本市役所向い側
あま姫👸、お疲れ様😌💓でした(*^^*)熊本城おもてなし武将隊のあま姫が昨日、出立されました。6年でしたか?熊本県立美術館に勤務していた私の通勤時間は、熊本城おもてなし武将隊のみなさまが頬当御門が開門に行かれる時間と同じでした。今ではすっかり熊本の顔となった熊本城おもてなし武将隊ですが、まだまだシャイさが残る男性の武将隊が多い中、凛としたあま姫さまでした。流石、肥後の女子(おなご)でございまする(*^^*)肝が座っておられる🎵(笑)あま姫さま、次なる途でもお健やかにお過ごしくださいま
震災前の熊本城です。二様の石垣。石の積み方の違いを比較できる場所です。傾斜の緩い方は築城初期、急な方は後期のものです。頬当御門(ほおあてごもん)。天守閣へ向かう正面入口です。この門は城を顔に見立てたとき、甲冑の頬当てに見えることから、そう呼ばれるようになったと言われています。頬当御門には鎧を着た門衛が配置されています。西大手門熊本城は西・南・北の3つの大手門を持ちますが、その中で最も格式の高い門とされます。南大手門。
どーも※2018/8/17のお話です。それではメインの本丸。頬当御門・枡形まずチェックすべきは本丸の正門。この正門にたどり着くには南にあった大手門(大鳥居のあった場所)から二の門を経由してぐるーっと回り込む形となります。大手門から真っ直ぐ正門を設けないのは導線を複雑にすることで長い時間敵を攻撃に晒せるという守備側の利点があります。もっとよく見ると大手門、二の門、頬当御門と必ず敵のバックから攻撃出来るように設計されてるのが分かります
熊本城🏯、来年10月から一般解放になりそうです(*^^*)二の丸広場~西大手門楼門~頬当御門~天守閣前まで行けるようになるそうです。建物の内部は工事中🚧で入れないようですが。http://rkk.jp/news/index.php?id=NS003201809181909200111
熊本城の元太鼓櫓が倒壊しました(。>д<)というニュースが入ってきました。が、熊本城って櫓が沢山あって、元太鼓櫓ってどこよ?って思われた方も。熊本地震の前々、二の丸駐車場の車やバスを停めて、天守閣のある頬当御門に向けて歩いているときに櫓の中を通られた思いますが、そのくぐった櫓門は西大手門櫓門。くぐる前に右側に見えているのが元太鼓櫓です。実は、2年前の熊本地震の後、大雨や日照りが続いた事もあって、私達は、何度も見ているので、昨日よりも今日は大きく傾いて崩れていく熊本城の櫓などを見ているので
二の丸広場から天守閣🏯へ向かう道。この石垣の向こうに頬当御門があるはずだけど(。>д<)・・・遠い。
熊本のシンボルと言えば、熊本城。今も、熊本地震の影響で立入禁止の場所も多いですが、熊本城の桜は、熊本地震の前と変わらず、今年も綺麗に咲いています。先日は、普段は復興工事の車両が行き交い立入禁止となっていました行幸坂の通り抜けが期間限定で始まりました。坂を上り始めると右側に、熊本地震後、「一本足の石垣」として一躍、有名になりました「飯田丸」が見えてきます。今は、その勇姿は復興工事の為に足場が組まれ、まるでビルの工事のようですがてっぺんの白い帽子をかぶったような様子が可愛らしく、思わず頑張って
熊本地震発生後、「奇跡の一本足石垣」として話題になった飯田丸櫓の解体が始まっています。熊本城🏯に行った事はあるんだけど、飯田丸櫓ってどれだっけ?と思われる方も多いようですので、熊本城マップを付けました。多くの方が入場する頬当御門に行く行幸坂を上らず、城彩苑とは反対側、馬具櫓の方へ下る少し広くなった所があり🌸🍺🌸の季節は多くの人で賑う広場がありますが、地震前はそこから飯田丸櫓が見えていましたが、今は木が生い茂っていて見えなくなっているようです。熊本城は、加藤清正が中世城郭を取り込み改築した平
こんにちは、philosophiaです先週、台風一過の店休日に肥後熊本城に行ってきました。(^^♪(大好きな熊本城は、かなりの長編です)熊本城へ行くときは、いつものように福岡ICから九州道に入り植木ICで降ります。国道3号線をしばらく南下し、大窪交差点より県道303号線で城内に入っていきます。今回は、桜の馬場城彩苑Pに停め、桜の馬場より登城します。自販機も熊本城がモチーフです(^^♪本丸は立ち入り禁止区域も多く復興見学
皆さまお疲れ様です。人事の東谷です。今日で熊本の地震から1年が経ちました。個人的にも熊本は第2の故郷と思うほど毎年訪れる大切な場所なのでとても心を痛めた出来事でした。そして印象的なのは、東北の時は熊本の皆さまが、熊本の時は東北の皆さまが、自分のことのように心を寄り添わせて助けて下さいました。本当にすてきなやり取りに携わることができました。亡き人を偲びながらも忍耐強くがんばってゆきましょう。そしてこの地震では熊本城が崩れてゆく映像が取り上げられ衝撃的でしたが、日本建築の本来の発想として
こんにちは😊昨日『くまもと復興映画祭』熊本城二の丸広場18:30〜会場の様子などレポートも交えて私のPVを撮影して頂きましたちょっと早目に加藤神社境内から熊本城を見上げながら小雨がパラパラ降る中での撮影写真ではちょっとわかりにくいですが頬当御門前に復旧工事車両が通行する為の「巨大スロープ」ができていました加藤神社に向かう曲り角辺りの崩落した石垣はほぼそのまま桜は昨年と同じ
こんばんは🌟4月1日待ちわびた熊本の開花宣言平年より9日遅い春です期間限定で開放され歩行者のみ通行できる「行幸坂」提灯の灯りを楽しみに夕方から桜を見に行ってきました坂道の途中近くで見ることができた「奇跡の一本石垣」で持ちこたえた『飯田丸五階櫓』復旧工事が進んでいますまっすぐ進むとお城の入口頬当御門ここから先は通れないので左折します手が届きそうな桜もうすぐ咲きそう😆日暮れ例年ならたくさんの花見客でワイワイ賑やかな場所城彩苑から二の
お昼の散歩、曇り空でした!加藤神社経由して熊本城一周宇土櫓と天守閣頬当御門には重機が通れる橋がかかってました!ちょっと撮し方悪いですね‼奉行丸広場には、大きなプレハブが立ち並んでいます!工事事務所かな?全国的に流れてるbossのコマーシャル📺が境内で流れてましたよ🎵またまた、お会いしました‼忍バックがいいでしょう🎵入ってはいけません‼🚧🚫🈲皆さんご存じですか?お名前知ってますか?とうとう聞きましたよ❗忍者たか丸❗いつもいるんですか?と聞いたところ、たまにいるそうです
源九郎稲荷(大和郡山市)幼き歓声、境内に再び/奈良毎日新聞その源九郎狐が安土桃山時代に郡山城郊外の高僧の夢枕に立ち「我をまつれば、城を守る」とお告げ。それを信じた城主、豊臣秀長が城内に創建したのが源九郎...11/5浜田城・浜田城下町ウォーク!なつかしの国石見浜田城・浜田城下町ウォーク!近年の調査により判明した浜田城・浜田城下町の特徴や魅力を市の文化財専門職員の“江戸時代の絵図やCGを使ったガイド”を..ずしり最大1トン一つ一つ、石垣撤去に着手毎日新聞熊本
傷は負ったが…巨大地震に耐えた熊本城のスゴイ技術Naverまとめ大きな地震に襲われ一部壊れてしまった熊本城。しかし、当時の知恵が最後まで城を守りぬいた熊本城を復旧させる「一口城主」制度1分で感動熊本城の天守閣の瓦が崩れていたね。あれ、実は倒壊しないようにわざと簡単に落ちるようにしてあるのよ。所謂昔の人の知恵ってやつで、地震が起きた時は...熊本城地震で「しゃちほこ」なくなるNHKこの地震で熊本城では天守閣の瓦がずれたほか、「しゃちほこ」が落ちてなくなっていることが分
先月のシルバーウィークの2日目の夜から、連休最終日までの4日間(平成27年9月20日(日)~平成27年9月23日(水・祝))で、熊本と高千穂に旅行に行ってきました。◇序章今年になってから、いつもこの時期に一緒に旅行に行くメンバー(私の大学の同級生で、広島県在住のT本君、私の高校の先輩のN松さん、私の高校の同級生のⅠ葉)が顔を合わせたときや、LINEなどで、今年の旅先をどこにするか、いろいろ話し合ったのですが、私が、宮崎県の高千穂を提案したところ、その提案がとおり、さらにⅠ葉が、それな