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年末に胸椎T12を圧迫骨折。10日間の入院ののち退院。その後は、自宅療養。骨折時より40日が経過しました。怪我直後から先生は、コルセットしていれば社会復帰して良いと言っていたが、まだ1日起きていることができず。肋骨の脇あたりが痛んでくるので横になって凌ぐ。骨折当初から、骨折箇所ではなく痛むのは肋骨の脇あたり。もちろん、随分よくなったし、毎日3キロ歩いてるし(後半痛んでくるけど)、PCやピアノの前に座ることができるようになった。15年前にT7を圧迫骨折した時はこんなに痛みが長引くことは
ゲストで出ていただいたり、ライブで何度がご一緒している方。前々から医療関係の人というのは知っていたのですが、なんとジストニアが専門であることが判明!!打ち上げの時にちょっと見てもらったら、(発症箇所を触りながら)すごく合点のいく話をしてくれました。音楽家の治療もたくさんされているとのこと。ちょっと遠いけど通います。少しでもよくなるといいなあ。-----マシュケlit.link(リットリンク)音楽家、SNS、Youtube、ブログ、商品、HPなど、いま見て欲しいリンクを
「HALFABOYHALFAMAN/NOBODY」久しぶりに聴いた。いやー、カッコいい!どの曲もすべてカッコいいのだ。楽曲はもちろん、演奏も、ちょっとざらついた感じの音も。---マシュケlit.link(リットリンク)音楽家、SNS、Youtube、ブログ、商品、HPなど、いま見て欲しいリンクを、まとめてシェアlit.link
体壊して、ほぼ寝たきりになって収入が途絶えて、かなり弱っていた時の話。普段なら絶対手を出さないものに手を出して大失敗したのでした。「オンライン音楽ビジネスなんちゃら」ってやつ。簡単に言うと、オンラインレッスンを高単価でやって楽して稼ぎましょう、そのノウハウ教えてますよって感じですね。Facebookで流れていた広告をクリックして紹介動画を見たんです(これも普段なら絶対しない)。稚拙な動画(本人はいけてると思っているみたいですがw)で、やたらと「そのままだと死にますよ」とかって意味不
今のバイトは4月には復帰できそうなのだが、そもそも体調的に続けることが出来るバイトではない。制作、演奏、レッスンでやっていかねばなのです。とはいえ、制作、演奏が今すぐどうこうなるわけではなく。となるとレッスン。マシュケ音楽ラボ「大人のためのピアノ教室」生徒さん大募集!大人の方で初心者、久しぶりの方是非に。オンラインレッスンも可紹介もお待ちしております。詳細はお気軽にLINE登録して下さいませ。https://lin.ee/mHI4VpD---マシュケlit.link(リッ
さて、少し自由がきくようになってきたので15分ほどピアノを弾いてみる。先日も書いたけどジストニア症状が強く出ている。お休みするとダメなのね。17日のライブからはなんとか復帰したい。が、身体は大丈夫でも右手がもうちょっとなんとかならんと、、、。
2024年3月現在の演奏活動は、「まぁま」「朱音」が中心。まぁまは、都雅都雅での「毎月最終水曜日はまぁまを観る日」、福猫堂での「今日という日は福猫堂・枚方でまぁまを観る日」、阪急高槻市駅高架下での「唄まき」への出演が中心。朱音は、T-trueでの「久遠の時」、福猫堂での「久遠の時〜スピンオフ〜」が中心。その他、不定期に月陽のサポート、キャプテンKYOHEYのサポート、賢朗さんのサポート、SEiZIのサポートなどなど色々。今のホームは、都雅都雅、T-true、福猫堂です。どの場所
長いことやっていると辛いことも起こりますね。右手には元々故障があったのですが、演奏にはほぼ支障ありませんでした。2022年6月ごろ、異変に気づきます。右手の薬指、小指、親指の動きがおかしい、というか動きづらい。特に小指は思った所に落ちない。整形外科、整体、色々行きました。レントゲン、MRI色々検査しました。最終的な確定診断は「ジストニア」。現在の症状は、親指の動きはほぼ元通りになりました。が、薬指と小指はいけません。特にアドリブソロで高音部は怖くてほぼ弾けません。決まっ
2019年ぐらいからは、少しずつピアノを教えるようになりました。誰にも師事したことなく、小中学の音楽の時間以外に音楽教育を受けたこともなく、下手くそで、そんなので人に教えるなんて、、、とためらいがありました。でも、僕の演奏を聴いて「教えてほしい」という人が出てきて教え始めたのです。今では、「マシュケ音楽ラボ大人のためピアノ教室」として正式に教室運営をやっています。もちろん、絶賛生徒さん募集中!人に教えると、自分やってきたことが言語化されていくんですよね。副次効果です。
2017年、他の仕事をすべてやめて1年間音楽一本にしぼりました。今までの活動以外にやったことは、1)アイドル曲コンペに挑戦2)業者さんのBGMアルバムの募集に挑戦3)ソロ名義のアルバム作成他結果、1)30曲ほど応募しましたが、箸にも棒にも引っ掛からず。2)2枚リリースされて、現在もAmazonなどで市販されています。3)「白い花」という作品が完成しました。食っていけないのでバイト再開(苦---マシュケlit.link(リットリンク)音楽家、SNS、Youtube、ブ
まぁまで色んなところに演奏しに行きました。東京を始め、色んな地方にも行きました。その中で本当に沢山の人とご一緒させていただきましたが、その後の活動に大きく関わる出会いが2つあります。1つは、月陽との出会い。存在は知っていましたが、滋賀県のマスタッシュで対バンになり初めて話しました。その後、月陽が高槻(地元です)で「唄まき」という月一回の野外イベントをやっているということを聞き、参加させてもらうようになったのです。そのイベントの中でのことですが、歌いたいけど伴奏者がいないという人が出てき
まぁまとして次にお世話になったのは「都雅都雅」。バンド時代からずっとお世話になっているライブハウスです。結成22年目。今ももちろん「ホーム」です。ブッキングライブ、レコ発ワンマン、そしてマンスリーライブ。「毎月最終水曜日はまぁまを観る日」は200回を超えました自身の大怪我や、あすかの出産など二人でステージに立てないこともありましたがずっと続けさせてもらっています。感謝という言葉しかありません。広瀬さん、ありがとうございます。
まぁまが最初にお世話になった場所。「インディアンキャンプ」。月2回ぐらいのペースで、2ステージのワンマンライブ。10人も入れば満員状態の小さなスペース。ここで、まぁまのライブの基礎が築かれたのです。お店に飾ってあった看板が素敵でした。『お客さんへライブの人達への感謝の気持は・めっちゃ得をしたと思った時は、是非チップを!!・損をしたと思った時は、二度と来ないで他の所で悪口を言って下さい』何気ない看板かもしれませんが、気にいらんかったらもう店に来るなと。こんなの中々ないです。
当初、まぁまはリズムやギターが入ったバンドにするつもりでした。実際、「Asuka&Masque」の初ライブが終わったあとは曲作りをしながらメンバー探ししてたのです。そんな中、ちょっとしたきっかけで2回目のライブをすることになったのですが、このライブが転機となりました。「二人でもいけるやん、てかええやん。」。周りの評価も同じ。バンドで活動することはやめました。その後しばらくはパーカッションは探しましたが、二人で活動することになったのです。ここまでの音楽生活。ここに書いていない活動もいくつ
AnalogVoxのスタジオリハが終わったあとロビーでミーディング(休憩)していると、入れ替わりに入ったバンドのキーボードが、突然やめたってことで「ちょっとスタジオ入いらへん?」という誘惑。知ってる面子ばかりだったので「いいよ」ということで1,2曲弾きました。このことがきっかけで「蟹蟹☆双天山」に入ることになったのです(当時はまだバンド名はありませんでしたが)。このバンドへは後にボーカルにあすかを迎えます。現在も継続して活動中。この頃、メインのバンドが、「AnalogVox」と「ま
「AnalogVox」での僕の芸風は「THEBOSE」の頃と変わることはなく(ミュージシャンとして成長せず)、というより引きずっていて変えることができなかったという感じです。バンドの活動自体は可もなく不可もなくという感じでした(言い方悪いですが)。ライブは月に2回ぐらいするし、CDも作ったし。続けてゆくのに問題はない。でもなんか煮え切らない。その煮え切らない感がだんだんと大きくなっていきます。そんなある日、某インディーズミュージシャン出会い系サイトで一人の女性と知り合いました。とあ
浪人の身となりました。腰まであった髪もばっさり切りました。誰かのライブを見に行くと、うらやましさ半分寂しさ半分。どうしようかなあと考えていたときに声をかけてくれた人がいました。「師匠、バンドしーひん?」※師匠とは芸名以外の通名w何の師匠かは謎声をかけてくれたのは「ThumbUp」でいっしょにやっていたボーカル。彼女自身がそのバンドに参加するわけではないですが、鍵盤を探しているバンドがあるからと。メンバーを聞くと、名前と顔は知ってる面子。一人はよく知ってる奴。集まったメンバーは「濃
THEBOSE全盛期の3年間は、色々とその後のきっかけとなる重要な時期でした。大きく二つ。一つは、滋賀県に引っ越して楽器店で働いていたことがきっかけでできた仲間。そこから広がった人脈は今でもたくさん生きています。その中でも「ThumbUp」という女性ボーカルポップスバンドに誘われて活動していたこと。「THEBOSE」だけでは見えないことが色々と見えて勉強になりました。その他にもぽつぽつとお手伝いとかはあったのですけど、勉強になったのは「ThumbUp」。自称名曲の「月の詩」が生まれ
さて、メンバー探しです。探すのはドラマーとギタリスト。その一方で個人練習もまじめにやり始めました。毎日、基礎練習から。「ハノン」なるものもやりました。30番ぐらいで挫折しましたが(苦)。それでも、暗黒期には週に一度、スタジオのときだけしか鍵盤触らないってときもあったことを思うと大きな変化です。ドラマーは三人目、ギタリストは二人目でメンバー固定できました。「THEBOSE全盛期」そして終焉に向かっての始まりです。バンドのスタイルが固まるまでには1年以上かかったと思います。ライブ
メンバーの進学とともに1人抜け2人抜けしていった「THEBOSE」。メンバー4人となって、オリジナルをどんどん作ってゆき軌道にのるか?という頃にドラマーが就職で東京へ。「どうする?続ける?続けるとしてどうやって続ける?」ドラマーはいつかは関西に帰ってきてバンドをいっしょにやりたいという(結局帰ってきませんでしたが)。ならば、と打ち込みでバンドを続けようということになりました。その過程で女性ボーカルが在籍していたこともありました。それでも諸事情で活動はままならず(僕も就職しました)、TH
自分で作詞と作曲を始めたのは、大学にすすんでから。19のときです。あ、作詞と書きましたが、一応試みたことはあったのです。でもどうにもこうにも、、、あーー、な状態なものしか書けないので断念したのでした。曲作りといっても、バンドに提供する曲よりも多重録音によるインストが多かったです。バンドに曲を提供したのはもうちょっと後です。曲作りを始めた当時、10万円で4トラックの多重録音ができるMTRが発売されました(それを購入するまではラジカセ2台によるピンポン録音でしたw)。メディアはカセットテープ。
1月に結成した「THEBOSE」、3月には初ライブが決まっていました。それに向けての猛練習です。練習場所はというと、山の手の住宅街にあったドラムの奴の家。普通の2階建て住宅の2階にあった六畳の部屋。防音なんてしていません。その部屋に、7人入って練習していました。ツインギター、ツインキーボードという豪勢な編成、もちろん、ドラムセットも。今思えばどうやって7人も入ったんだろうか?と思います。確か、ボーカルは押し入れに入って歌っていたような。。。防音していないとはいえ、あまりにもなので雨戸
高校に入学したときは中学でやっていたバスケット部に入部しました。しかしながら2週間で退部。理由は、練習についていけなかったのと、あまりにも馬鹿な先輩なる生き物がいたため。その後は、帰宅部として過ごしていました。何もすることを見つけることができず、家でキーボードをちょこちょこ練習する程度の日々。帰宅部仲間(?)と放課後ぼーっと過ごしていたり、とりとめもない話をしたりしていたのですが、その中でギターを弾くやつが二人いたのです。そのギターにあわせて歌ったりして遊んだりもしていたのでした。で、
鍵盤楽器に興味を持ち初めたのは中学3年生ぐらい。きっかけは「YMO」の演奏を目にし、耳にしたこと。「なんや、かっこええなあ、俺でもできそうやなあ」という大いなる勘違いが事のはじまり。高校に入学したときにポータブルキーボード(カシオトーン)を買ってもらって、それで練習を始めました。初めて弾いたのは、松任谷由美の「守ってあげたい」。明星のヤンソンに載っていた楽譜見て、わけもわからず練習しました。それまでそういったものにはほぼ無縁。音楽の授業ってものがありましたけど、ちんぷんかんぷんでしたし。
右手の薬指、小指あたりがジストニアと思われる症状になって1年半ほど。「美」を表現したいと言いながら、思うように動かない指が歯痒い。ま、元々上手じゃないですが(苦それでも上手ではないなりに表現してきました。今は、特に高音域の薬指、小指が怪しいので、演奏中、そこに行きたくても怖くて躊躇してします。なので、ソロも中音域中心になっている。結局は与えられた環境の中でベストを尽くすしかないのだから、今置かれた状況でやっていくのだが(無論それを打破する試みも大事)。---https:
今年の目標1)個人作品集のリリース2)まぁまのマキシシングルリリース3)朱音のアルバムリリース4)ピアノ生徒10人増必)ジストニア症状の改善---https://lit.link/masque
次水曜日27日は「まぁま」の200回目のマンスリーライブ。結成5年目過ぎたあたりから行っている都雅都雅でのマンスリーライブです。200回とはいえ17年もやっていると、僕が大怪我したり、相方あすかには子供ができたり等々で欠席があり200回全部出演しているわけではないのですが、、、。一番出席が多いのは何気にお客さんだったりします。何はともあれ、区切りのライブになります。僕の生誕日でもあります。そして、右手がジストニアらしき状態になってから2回目の年末。その症状については次の機会
10月25日「毎月最終水曜日はまぁまを観る日198回目」でした。ゲストは堀江淳さん。気さくな方で仲良くしていただきました。感謝です。とても、良いライブでした。セットリストと、ツイキャスのご案内。オープニングアクト01.待宵の数え唄02.ありのままで本編01.比翼の鳥02.サイハテ03.午前3時の初恋04.29905.残像の隣06.樒が花の名の如し07.いつかの君へ08.ありがとうEN.ドライブ(カバー(というか、堀江淳さんが中森明菜さんに書いた作品)w
9月30日(土)「昭和とらいあんぐる関西ツアー2023in京都〜ただよふ昭和の薫り〜Lady’sVocaldeNight!Vol.2」相方あすかの流行病により、「まぁま」としては出演キャンセルですが、マシュケ単体で出演します。2曲入魂。主催バンド「昭和とらいあんぐる」のボーカル「いまのまい」とデュオで演奏します。いまのまいは25年来の音楽仲間。その昔、東京進出しようとした時に、ひょんなことから知り合って、そのきっかけを作ってくれてからの付き合いです。演奏曲は「月の詩」→作
7月26日「毎月最終水曜日はまぁまを観る日195回目」でした。ゲストは吉本篤央氏。三線も弾けるので三線で数曲参加してもらいました。あすかの歌い方が、よく「沖縄の人ですか?」と言われることもあり、三線とよく合います。良いライブでした。セットリストと、ツイキャスのご案内。01.ありのままで02.愛すること03.29904.水浅葱05.比翼の鳥(with吉本篤央)06.童神(カバーwith吉本篤央)07.涙そうそう(カバーwith吉本篤央)08.怪獣チエリーナ