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【立冬】24節気のひとつ。暦の上での冬の始まり。日の光が弱くなり、朝夕など冷え込む日が増える。【ウェルカム・ウインターデー】(立冬と同日)新米で作られたあられやおせんべいをコタツに入りながら食べてもらおうと立冬の日に。「あられ、おせんべいの日」ともいう。全国米菓工業組合が制定。【世界都市計画の日】1949年(昭和24年)にアルゼンチンの都市計画学者、パオレラ教授が世界都市計画機構の設立を目指し、毎年11月8日を世界都市計画の日と定めた。日本では(財)都市計画協会が開催に携わっている。
【世界都市計画の日】1949年(昭和24年)にアルゼンチンの都市計画学者、パオレラ教授が世界都市計画機構の設立を目指し、毎年11月8日を世界都市計画の日と定めた。日本では(財)都市計画協会が開催に携わっている。【いいパックの日】(~9日)簡易包装を呼びかける。「11(いい)8・9(パック)」の語呂合わせ。【刃物の日】「11(いい)8(刃)」の語呂合わせ。刃物供養祭が行われる地域もある。【伏見稲荷大社火焚祭、鞴祭(ふいごまつり)】京都・伏見に所在する伏見稲荷大社の祭礼。鍛冶屋などが
新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、イベント中止や日程変更があります。【世界都市計画の日】1949年(昭和24年)にアルゼンチンの都市計画学者、パオレラ教授が世界都市計画機構の設立を目指し、毎年11月8日を世界都市計画の日と定めた。日本では(財)都市計画協会が開催に携わっている。【いいパックの日】(~9日)「11(いい)8・9(パック)」との語呂合わせ。簡易包装を呼びかける。【刃物の日】「11(いい)8(刃)」の語呂合わせ。刃物供養祭が行われる地域も。【伏見稲荷大社火焚祭、鞴
先週末、ブラックスミスをやっている友達(カッコよく言ってみた、鍛治ね)のアトリエ(カッコよく言ってみた、工房ね)の鞴祭に行ってきました。もう何書いてるのかわからないね^_^若い女の子3人でやってるアトリエです。鞴とは「ふいご」と読むんだけど、昔の刀鍛治職人が空気を送るのに使ってた道具。鞴祭とは火を扱う鍛治職人の火の神様に安全を祈願するお祭りです。で、叩いてきた。作ったのが下の釘何に使うかわからないけど、カッコいい!上のロウソク台はプレゼント^_^本題ミニのエンジンがマニュア
前日の夜に雨が降りましたが、鞴祭当日は朝から素晴らしい天気でした。参列者の皆様と御本殿に昇殿参拝の後、火床を設けた御神門北側で鞴祭の神事となりました。祭始めの楽、降神の儀、献饌と進み、いよいよ火熾しの儀。鉄の棒を、手槌で叩いて熱くしたもので付け木に点火し、その火で火床に火熾しをするという古式に則ったやり方をするのですが、この日は一度では火が…点かなかったのです。実は柔らかい生鉄でなくてはならない火熾し棒が、鋼だったため、硬い上に叩いているうちに先端が割れて温度が上がらなかったのですね
【伏見稲荷大社火焚祭、鞴祭(ふいごまつり)】京都・伏見の伏見稲荷大社の祭礼。鍛冶屋などが仕事をやすめ火の周りを清める。参詣する職人も多い。伏見稲荷大社(和柄・千本鳥居)【お守り風根付けキーホルダー】/京都かみんぐオリジナルキーチェー...378円楽天伏見稲荷大社(千本鳥居)【懐紙(かいし)】30枚入り/茶道・メモ帳やお手拭きに486円楽天ポストカード【風景】京都伏見稲荷大社鳥居正面(act-c/PO-31)162円楽天ポストカード【風景】京都伏
堺の刃物屋さん『こかじ』です。こんにちは。堺はあいにくの雨模様、今はほとんど雨は降っていませんが、空はどんよりしています。さて、今日(11月8日)は鞴祭(ふいごまつり)の日です。鞴(ふいご)とは、火をおこすために窯に空気を送る道具です。下の写真で黄色くマーキングしている部分、これが鞴です。余談ですが、上の写真は鋏鍛冶の佐助さんの作業風景ですが、鋏用の火づくり場なので、この鞴はかなりコンパクトな部類です。そして鞴祭(ふいごまつり)とは一体なんぞや、と申しますと
【伏見稲荷大社火焚祭、鞴祭(ふいごまつり)】京都・伏見に所在する伏見稲荷大社の祭礼。鍛冶屋などが仕事をやすめ火の周りを清める。参詣する職人も多い。伏見稲荷大社(日本の古社)[三好和義]3,024円楽天ポストカード【風景】伏見稲荷大社千本鳥居横(pin-NN110)162円楽天神社百景DVDコレクション第5号北野天満宮伏見稲荷大社1,499円楽天ポストカード【風景】京都伏見稲荷大社千本鳥居縦(act-c/PO-28)162円楽
わたしが子供の時分には、寺町界隈に住んでいたので、その周辺は古い家屋が密集しており戦前はおろか遠く江戸の風情を残した古き良き街並みを毎日行き来しながら何気なく生活しておりました。そんな寺町の各所にはなかなか立派な火の見櫓があって、火の見櫓のてっぺんに半鐘が取り付けてあって、腕白ざかりだったこともあり、大人の目を盗んでは櫓に登って鐘を鳴らしたりという悪戯も時々したものです。あれから三十年近く経ちますが、その間に町のすっかり火の見櫓は撤去されてしまいまして、最近では半鐘を仰ぎ見るような事もなくな