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仇山に伝わる「狐に化かされた話」。春野中学校西方。(静岡県浜松市天竜区春野町気田191-5付近)駐車場なし。トイレ・自販機なし。昭和の中頃の話、仇山の蕎麦畑の収穫前の九月頃の話。ある子供がここで着物の裾を捲り上げ水遊びをしていたのだそうです。畑で水遊び?本人は水辺に足を浸しているつもりだったのだとか。びしゃびしゃと水遊びをしているつもりが延々と蕎麦畑を踏み荒らしていたのだとか。なぜそんなことに…。↓【目次】その他の場所はこちらから検索↓
「神服部家」。初生衣神社の隣。(静岡県浜松市浜名区(旧北区)三ヶ日町岡本698)駐車場あり。トイレあり。自販機なし。久寿2年(1155)より初生衣神社織殿で織られた神御衣が伊勢の神宮に奉献されてきました。その機織を行っていたのが神織「神服部」家。江戸時代に建てられた神服部家の住居があります。さて「神服部家」という言葉職名に見えますがこれは「姓」「苗字」です。全国でも他には無し。ここでだけ引き継がれる姓。尚、同じ意味
「正麿さま」。山住神社に祀られています。(静岡県浜松市天竜区水窪町山住230)駐車場あり。そばにトイレあり。自販機なし。水窪の山住家に京都の吉田神社から養子を迎えたという話が残っています。1853年吉田鉨彦、5歳の時でした。その後、山住正麿と名乗り祈祷師として活動していたそうです。亡くなる時は佐久間の奥山家。大正7年(1918)没。葬儀は小畑の新屋(奥山家)で。亡くなった時野焼き火葬だったそうですがなかなか焼けないために叩いたら起き上がった
ご覧頂きありがとうございます。地方限定記事にしては閲覧数があり感謝しています。都合により“民話伝説”分類の多くの記事と一部“特別な記事”を「アメンバー限定公開」にします。アメンバー申請の際には簡単な自己紹介をメッセしていただけると幸いです。この記事のコメント欄でも結構です。ご協力よろしくお願い申し上げます。↓【目次】はこちら↓https://ameblo.jp/clubecoast/entry-12397560515.html
「山住さまの使い」。JR飯田線向市場駅から山住神社に向かう道で。(静岡県浜松市天竜区水窪町山住401)駐車場なし。トイレ・自販機なし。----------畑梨(はだなし)から山住神社社家・山住家に新年挨拶に来たもてなしを受けすっかり帰りが遅くなってしまうすると山住家が「お犬様をお供につけてやろう」と言う帰り道山の中腹に差し掛かるときには辺りも暗くなってしまったすると後ろから何やらゴソゴソ音がする「これが山住様のお使いの犬だな」そして家の
「狐に化かされた話」。花島と田河内をつなぐ道。(静岡県浜松市天竜区春野町田河内/仮!駐車場なし。トイレ・自販機なし。----------越木平の男が田河内からの帰り道人のいない一本道を歩いていると提灯の灯りを点けた誰かが後をつけてくる自分が止まると提灯の灯りも止まり自分が歩くと灯りはついてくるこれは狐に違いないと悪戯してみることにした男は木に登り灯りが近づくのを待ったそして木の下に来た所で灯り目掛けて飛び降りたすると悲鳴を上げて何か
「丸正自動車製造跡地」。六間道路沿い。(静岡県浜松市中央区(旧中区)城北1-12)駐車場なし。トイレ・自販機なし。昭和13年(1938)野口町で創業した丸正商会。戦後にこの場所に移転の後丸正自動車製造としてオートバイ製造を行います。浜松の歴史の中ではすごい数のオートバイメーカーがあったのですがこの丸正自動車製造の造った「ライラック号」(ML)に関してはその技術が「日本の自動車技術330選」に選定されている特別なものなのです。三菱の販
〈あの頃のマッチは素敵でした。その2011〉観光マッチ静岡県観光協会推奨東名高速道路由比附近日本坂トンネル#マッチ#燐寸#マルカ川島商店#マッチ箱#マッチ#マッチラベル#観光マッチ#静岡県観光協会推奨#東名高速道路由比附近#日本坂トンネル
「普化宗大同院跡」。本坂関所の犬くぐり道沿い。(静岡県浜松市浜名区(旧北区)三ヶ日町本坂69-3そば)駐車場なし。トイレ・自販機なし。この地域は"大同平"と呼ばれています。昔、普化宗の虚無僧寺「大同院」がありました。天蓋を被り袈裟を引っ掛け剃髪をしないで腰に刀を差すという姿。お侍様感たっぷり。または忍者。彼らは幕府からの指示を受け活動することがあった様です。ですから明治政府への権力移行で当然のように廃宗。この大同院も廃寺となりました、↓【目
浜松で知られた「ゴリラ」。浜名湖外周を走るライダーが取り敢えず停車する(静岡県浜松市浜名区(旧北区)三ヶ日町大崎650-11付近)キャノンのCMで使用(静岡県浜松市中央区(旧中区)伊左地町8869-1)エンパイアステートビル風Gorillaビル(静岡県浜松市中央区(旧中区)元浜町31-2)この3体はとにかくインパクトが強い…↓【目次】その他の場所はこちらから検索↓https://ameblo.jp/clubecoast/entry-1239756051
「新原東原踏切跡馬頭観音」。遠州鉄道軌道敷沿い、小林駅から北へ1km。(静岡県浜松市浜名区(旧浜北区)新原6090近く)駐車場なし。トイレ・自販機なし。ーーーーーーーーーー昭和初期の話この地にあった茶屋で馬方が昼食をとっていた馬は繋いであったのだがやってきた電車に驚き暴れだしたそして綱を振りほどき走り出してしまう可哀想に馬は電車に轢かれてしまった馬方は供養のためにここに馬頭観音を建立したーーーーーーーーーー今その場所は高架になっています。
「三神の村」。中部福塚線が縦断する町・参野町。(津毛利神社:静岡県浜松市中央区(旧南区)参野町113)駐車場あり。トイレあり。自販機なし。----------昔村を大きな嵐が襲った海は荒れ村を飲み込んだ「神様どうかお助けください」村人は天に訴えたすると三人の神様が降りてきた(表筒之男命・中筒之男命・底筒之男命)村人は神様を丁重にもてなす神様は村を守ることを約束するその三人の神様を祀ったのが「津毛利神社」であるそして村の名前が"参神野"とな
「佐久米駅のユリカモメ」。国道362号線(姫街道)沿い。(静岡県浜松市浜名区(旧北区)三ヶ日町佐久米725-9)駐車場あり。トイレあり。自販機あり。天竜浜名湖鉄道浜名湖佐久米駅。冬になるとユーラシア大陸から手ぶらで遊びに来るユリカモメ。おもてなしする日本人。歓ぶユリカモメ。屋根が無い場所に出ると頭にとまります。追記:2028年1月21日長い間続いていた佐久米駅でのユリカモメのえさやりは「当面」禁止となりました。↓【目次】その
「日本一短い県道/306号気賀停車場線」。天竜浜名湖鉄道気賀駅南。(静岡県浜松市浜名区(旧北区)細江町気賀369脇)近くに駐車場あり。トイレあり。自販機あり。気賀駅から南へ伸びる道。20mほどで国道362号線にさしかかります。そしてその先200m。併せて220m。その区間が静岡県道306号線。ヘキサなし。1960年4月1日認定。これが浜松にある日本一の長さ短さの県道。かつて存在した「気賀港」へ向かう「気賀駅」から始まる重要な道
「広福寺薬師如来」。大崎半島の根っこ辺り。(静岡県浜松市浜名区(旧北区)三ヶ日町都築230)駐車場あり。トイレ・自販機なし。鳳来寺と大福寺の薬師如来は同じ木から彫られたとされていますが広福寺の薬師如来も同じ木から彫られたものであるという話なのですが…‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ある時のこと三人の薬師如来さまが行基菩薩様が生まれた四方浄に集まり明日はそれぞれ安住の地を求めようと夜遅くまで語り合った翌朝一番最初に出発した「末」の薬師様は鳳来寺に二番目に
「狐にだまされた話」。東三方神社に“赤松の鳥居”。(静岡県浜松市中央区(旧北区)東三方町344)駐車場あり。トイレ・自販機なし。昭和16年に軍に切られた赤松。江戸末期西国巡礼の記念に植えられたものと伝わります。そのそばに鳥居もありましたがその時鳥居も撤去。今あるものは再建されたもの。----------三方原の開拓の頃ダスト(砕石を作る時にできる石粉)を取りに行った帰り道の話荷車を引いて赤松の鳥居まで来た辺りは真っ暗な月の無い夜航空灯台の明か
「家康と桶屋」。地元の方がめっちゃ来る飲食店の辺りが舞台。(静岡県浜松市天竜区佐久間町相月)駐車場なし。トイレ・自販機なし。----------武田信玄と徳川家康が戦っていた頃の話家康が和泉に逃げてきた桶屋に来た家康は隠してくれと頼む桶屋は今直している桶の中に家康を入れ仕事を続けたそこに信玄がやって来たが桶屋は仕事の邪魔だと知らぬふりを通す信玄が去ると家康が「おまえのお陰で助かった望みはあるか」と言うので男は「仕事の後片付けが面倒だから後片
なんで「鯨川」。堤町と倉松町の間を流れる小さな川。(静岡県浜松市中央区(旧南区)堤町943-1南西)駐車場なし。トイレ・自販機なし。今現在排水路として整備されているこの川の名前は「鯨川」。その名前の由来のお話。ここは現在遠州灘海岸から300mほどの場所。昔漁で捕まえた鯨の水揚げに使われていた場所という話があります。ここの海に鯨がいたの⁉と驚く話。いつの時代なんでしょう。鯨が毎回捕れるとは思えませんしそれ以外の漁も行っていたのでし
「下尾奈の巡礼碑」。天竜浜名湖鉄道尾奈駅東方龍谷寺裏。(静岡県浜松市浜名区(旧北区)三ヶ日町下尾奈1118の北側)駐車場なし。トイレ・自販機なし。----------享保3年(1718)この地から今切渡の労役に出された小舟に乗り入出の沖合にかかったところ突風が吹き舟は転覆乗っていた三十六人全員が亡くなったその後残された家族は供養のために西国巡礼に度々出るようになったこの巡礼碑は家族が無事に帰った時に建て続けられたものだ----------市内各所
「浜名湖ホテル跡」。舞阪町の西の端。(静岡県浜松市中央区(旧西区)舞阪町弁天島)駐車場あり。トイレなし。自販機あり。現在公園となっているこの場所昭和13年(1938)弁天島乙女園に国内屈指の高級ホテルが開業しました。外観は平等院鳳凰堂をモデルにしたもので立派なものでした。(平等院は10円玉に刻まれた建物です)たった1年半で閉業。その後昭和26年(1951)プリンスホテルが買収し箱根/芦ノ湖畔に移築されています。「竜宮殿」という名称に
「麁玉の洗濯狐」。大覚寺脇を流れる川でしょうか。(静岡県浜松市浜名区(旧浜北区)宮口1207付近)駐車場なし。トイレ・自販機なし。”平釜川”は夜になると狐が出てきてざぶざぶと物を洗う音をたてると言われていてそれを"洗濯狐"と呼んでいた…そうです。ーーーーーーーーーー「引佐郡麁玉村宮口東に平釜川といはれてゐる二間位の巾の流れがある附近に寺があり…」ずっと手を付けられなかった昔話。「平釜川」を探したのですがどうしてもわかりません。
富士神社「権現の杜」。“杜/もり”とは神社のことです。遠州鉄道助信駅そば。(静岡県浜松市中央区(中区)助信町49-6)駐車場あり。トイレあり。自販機なし。新津町・花川町の伝承に続き第三の「志津三郎」伝承。(志津三郎兼吉:室町時代初期の刀工)‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐この地に住む京藤原氏の流れをくむ内藤氏に内紛が起きた内藤家の嫡子・(志津)三郎を守る家臣は三郎を松の木立に隠し伊勢の大御神に守護を願うすると蛇が神の化身となりとなり現れ木
「都田競馬場跡」。もくれん通り沿い。(静岡県浜松市浜名区(旧北区)都田町9208付近)駐車場なし。トイレ・自販機なし。戦後すぐの時期に開設された競馬場。この辺りにありました。一周1000メートル弱のコースで昭和21年(1946)から運営されていたそうです。僅か3年後には閉鎖。敗戦後一年以内に競馬場。すごいですよね。同じ年にPEACEってタバコも発売。今では考えられない優先順位。でもこのつぶやきを見た方からのご指摘によると「競馬場は復興のために
「大山塚」。浜松環状線伊左地信号機交差点から一本北北西の道を西側へ。(静岡県浜松市中央区(旧西区)伊左地町)駐車場なし。トイレ・自販機なし。この付近を“大山塚”と呼ぶそうです。天保八年絵図にも“大山塚新田”と記載があるそうです。なにか塚があったのですね。消失した古墳でしょうか。↓【目次】その他の場所はこちらから検索↓https://ameblo.jp/clubecoast/entry-12397560515.html大塚製薬【6個セット】エ
「隠ヶ谷」(かくれがや)航空自衛隊浜松基地西方。(静岡県浜松市中央区(旧西区)伊左地町1795-5周り)駐車場なし。公園にトイレあり。自販機はなし。伊左地川の支流が流れる谷、隠ヶ谷。‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐元亀3年(1572)三方原の戦いのときの話家康は戦いに負けこの谷に逃げてきたその時、田んぼで草狩りをしていた百姓に笠と蓑を借り百姓の真似をしていると敵は気付かずそのまま行ってしまったその後天下を取った家康はその男に広い土地を与えた‐‐‐‐‐‐‐
「都田発電所跡」。今は教会があるようです。(静岡県浜松市浜名区滝沢町425-1)駐車場なし。トイレ・自販機なし。大正6年に工事が始まり大正12年(1923)に完成。高低差10m程で稼働していた水力発電所。昭和31(1956)に発電停止。昭和36年(1961)廃止。どこから水が引き込まれどこから排出されていたのか取水口はここかな…↓【目次】その他の場所はこちらから検索↓https://ameblo.jp/clubecoast/entr
「日比沢鈴木池長屋門」。国道362号線/本坂通り/暇街道沿い。(静岡県浜松市浜名区(旧北区)三ヶ日町日比沢383)駐車場なし。トイレ・自販機なし。初見だと通り過ぎてしまいそうな場所。道路南側にあります。外装がトタンで雨どいが付き入口はサッシ。窓にはシャッター。次の改装ではどうなるかが楽しみ。今更ですが長屋門とは。昔はある程度の地位がないと建てることが許されなかった建築。使用人を住まわせる部屋(長屋)がついた門。今ここにあるのは門
付近一帯「間淵商店」絡み一色。よく荷台に台車が掛けてある1トントラックが停まっているところ。(静岡県浜松市中央区(旧中区)肴町317-17)近くに有料駐車場あり。トイレなし。飲み物あり。創業元禄8年(1695)。音楽家バッハが亡くなってだいぶ経ちますがそういう昔の創業。間淵重右ェ門さんによる酒蔵が基。今でもオリジナルブランドの清酒がありますが今では食べる・飲むだけではなく結婚相手まで探して頂ける会社。言うだけ言ってみましょう。高収入・高学
「洗頭ヶ谷の池」(せんずがやのいけ)。静岡県道318号線側から。(静岡県浜松市浜名区(旧北区)都田町1572付近から南へ)駐車可能。トイレ・自販機なし。元亀3年(1572)の三方原の戦いのとき武田軍の武士が討ち取った敵(徳川軍)の首を洗った場所とされています。その後この池は農業用水として利用されてきました。洗ったのは刀じゃなくて首(頭)。これってホラースポットでは。↓【目次】その他の場所はこちらから検索↓https://ameb
「木寺宮家居館跡」。佐鳴湖南東。六所神社。(居館跡:静岡県浜松市中央区(旧西区)入野町4686-2)駐車場なし。トイレ・自販機なし。(矢田坂:静岡県浜松市中央区(旧西区)入野町6015)イオン浜松西店西側の南北の道を北へ進むと現在「矢田坂」と呼ばれる坂道に差し掛かります。この坂は昔「本坂」と呼ばれていたのだそうです。この坂を上った先の現在六所神社がある辺りに「木寺宮康仁親王」(1320~1355/京都で没)の居館があったのだとか。(後醍醐天皇の皇子であ