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2ヶ月に1度くらい神戸須磨寺にお参りをします。JR「須磨駅」下車北へ12分山陽、阪神、阪急電車「須磨寺駅」下車北へ5分です。寺院や宝物も立派ですが、他にも興味を引かれることがたくさんありますよ。・いつも、どこかしら建物の工事(普請)がされている。・見ざる(猿)、聞かざる(猿)などのお猿さんの像があり、頭をなでると動き出す。・お墓の前にクマの像があり、頭をなでると、「ベベーン」と鳴ったあと、「今日も暮れゆく異国の丘に・・
藤原俊成。平安時代末期の歌人です。百人一首を選んだ藤原定家のパパにあたります。ある夜のこと。俊成を訪ねてきた一人の武士がおりました。それは平清盛の異母弟であり俊成の弟子でもある平忠度。この時、平家一門は源氏に追われ、京を去ろうとしていました。時代は既に平家のものではない。家人たちも、もう平家に関わりたくない。しかし、俊成は忠度を受け入れ、向かい合います。「先生、平家一門はもはやこれまで。もし世が治まって先生が歌集を編纂される日が来たらわたしの歌を加え
今日は2021年5月19日(水)です。僕は旅番組が好きです。今日は夕方の情報番組「ニュースTEN」「若一調査隊」を見ました。今回は須磨寺(神戸)中山寺(宝塚)龍眼寺(生駒)を紹介して下さいました。僕は・・・・須磨寺中山寺は行った事が有ります。どんなところか皆さんに紹介します。龍眼寺は中に入ったことがありません。機会が有ったら行こうと思います。こんなお寺さんです。↓過去記事==================2
<Vol.321>いつも私のブログを見に来てくださるひまわり先生のブログひまひまわりのブログひまわり先生の音楽脳育広場さんのブログです。最近の記事は「♪青葉の笛(敦盛と忠度)(画像あり)」です。ameblo.jp今日は「青葉の笛(敦盛と忠度)」を紹介されていました。いつも美しいお花の写真と共に詳しい情報をありがとうございます。私はぜひこの動画を紹介したいです。「青葉の笛」一絃須磨琴演奏~一絃須磨琴保存会による一絃須磨琴演奏〜曲名:「青葉の笛」一絃須磨
5月13日🌼ミヤコワスレ=強い意志🏡言葉の風景五月晴れ五月サツキは本来旧暦名称実際は6月なので梅雨時の晴れ間を指しています。梅雨の長雨に人々の心もスッキリしない、そんな中雨雲が切れてパッと青空が広がった時に使う言葉。カラットした5月の晴天とは違って暑い夏を予感させる様な晴天。近年、新暦5月の晴天にも使われる事があり本来誤用ではあったけれど、これも正しいとして定着して来ているそうです。サツキバレと読めば6月ゴガツバレなら5月の晴天として使用され
前回にひきつづき、須磨寺内の史跡。。↓敦盛首塚へ敦盛首洗い池の西に、首塚への案内が建っていた。↓平敦盛公首塚享年17歳。まだ幼さの残る紅顔の美少年だったという。↓平敦盛公首塚須磨浦公園にある胴塚よりは小ぶりだが、五輪塔に立派な屋根まで付いている。↓平敦盛公首塚_説明首級は義経本陣の須磨寺へ持ち帰り、池で洗い首実検ののち、熊谷直実が義経の許しを得て供養のため埋葬。一方、胴体はそのまま討死にした場所に葬られた、という事か。なるほど。熊谷直実は戦場から青葉の笛な
今日は2021年3月26日(金)です。僕は旅番組歴史番組が好きです。昨夜は録画をしてあった「歴史鑑定」を見ました。今回は「源平合戦」でした。一ノ谷の合戦屋島の合戦壇ノ浦の合戦と続いて源氏が勝利平家が滅亡します。一ノ谷の合戦神戸市須磨屋島の合戦香川県高松市の屋島壇ノ浦の合戦山口県下関市いずれも訪れた事が有ります。それぞれの関連記事を読んで過去を振り返って見ました。過去記事です。↓=====================
毎年この季節になると、なぜかちょっぴり古典に浸りたくなります。2月の一ノ谷の戦い、3月の壇ノ浦の戦いと、「平家物語」の縁(ゆかり)の季節だからでしょうか。あまんきみこ文村上豊絵ポプラ社こんにちは。絵本セラピスト®️⭐️たなかみちこです。絵本の中には日本の古典を扱ったものも多くあります。この絵本、公共図書館で顔出し展示されていました。あまんきみこさんといえば、独特の優しい世界観を持つ児童文学作家さん。この作品は確か小学校5年生の国語の教科書に載っていたかな。難しい言い回しも
きっと須磨寺の中で一番有名な場所・源平の庭私もここだけは知ってました(逆に言えばここだけしか知らんかった☆)平家物語の哀話「敦盛最後」を再現したもの。熊谷直実と平敦盛の一騎打ちのシーンです。源氏方の武将・熊谷直実ほとんどの平氏が海に逃れ、逃げ遅れた平敦盛(清盛の甥)は直実に見つかり、一騎打ちを挑んだ結果、倒されます。直実が、首を取ろうと敦盛の兜を取ると、自分の息子と同じ、まだ十六、七歳ぐらいの少年。名を尋ねると「あなたにとって私は十分な敵です。誰かに私の首を見せれば、きっと分か
22.1/28thu.14:15-17:00山陽須磨寺駅から北西、山側へまっすぐに須磨寺前商店街須磨霊泉の交差点を過ぎ、参道を行く右側「須磨寺祈りの回廊亜細亜万神殿」に立ち寄り左に、須磨寺正覚院西国愛染明王霊場第6番納経して、御朱印をいただく仁王門を潜って右側に、千手観世音菩薩左には源平の庭、平敦盛熊谷直実の一騎打ち、場面を表現する石段の右に厄除大師堂石段を上って唐門をくぐる大本山須磨寺源平ゆかりの名刹正式名は上野山(じょうやさん)福祥寺創建88
今日は2021年2月11日(木)です。僕は旅番組歴史番組が好きです。今日は録画をしてあったNHKBS「英雄たちの選択」を見ました。今回は源義経でした。源平合戦が取り上げられていました。屋島の合戦一ノ谷の合戦の真相に迫りました。屋島須磨寺僕も行った事が有ります。過去記事を読み返しました。過去記事↓===================2012年3月17日(土)の出来事です。この日は、彼岸の入りです。前日16日に・・お墓参り
日曜日の楽しみは、歌謡番組の再放送でした。2018年6月の再放送ですから、3年弱前の映像です。司会のアシスタントでした。当時は、デビューして2年経った頃だったので、ステージ衣装は袴だったんですね。まだ初々しさが残っています。森昌子の「せんせい」を歌いました。その後、「青葉の笛」と「故郷」も。もっと露出の機会が増えるとよいのですが。
今日は2020年12月24日(木)です。阪神淡路大震災が起きたのは1995年1月17日でした、もう少しで26年目が来ます。夕方の情報番組のMBS毎日放送「ミント」で神戸を振り返る番組をしていました。いまは綺麗になりました。番組では12月22日はお好み焼き新長田と大阪の違い12月23日は火災に遭った最近の新長田の街を放送していました。震災が起きた時はショックでした。あれから26年神戸もすっかり綺麗になりました。僕は昔神戸の
母がよく歌っていた歌金木犀の香りと共にふと母の歌声がよみがえりました。里の秋里の秋Youtube~里の秋~倍賞千恵子里の秋うた:倍賞千恵子作詞:斎藤信夫作曲:海沼実この歌がはじめて放送で発表されたのは終戦の年、1945(昭和20)年12月24日です。当日の午後1時、南方で戦っていた兵士を乗せた引き揚げ船の第一便の浦賀港入港を迎えるため、NHKがラジオ番組、「外地引揚同胞激励の午后」という特別番組を放送すると...youtu.be惜別の歌惜別の歌Youtube惜
毎年夏のご挨拶で須磨寺へお参りに行っています。ここには青葉の笛の現物が保存されています。割れているので音は鳴らないと思います。レプリカを作って欲しい。篠笛のような笛だろうと思います。神戸の来られた笛吹の方は須磨寺で見てください🤗
昨日、若くして亡くなった美少年、平敦盛のことを書いたのですが、もう少し歴史のお話続きます歴史好きな方、良かったらお付き合いくださいこの敦盛と直実とのお話に必ずといっていいほど、出てくるのが小枝(さえだ)の笛(または青葉の笛)この小枝の笛というのは敦盛が最後まで身に着けていた愛用の笛です彼の祖父平忠盛が鳥羽院より賜ったという由緒あるこの小枝の笛彼の父、平経盛が受けつぎ、そして笛の名手であった敦盛に渡ったのでした敦盛を討ち取ったとき、直実が彼の腰にこの笛が一本さし
✡✨✨『一ノ谷』『敦盛卿首洗池』『一ノ谷の戦い』で熊谷直実に討たれた平敦盛の首を洗い清めた池と伝えられる。『義経腰掛の松』源義経は、『一ノ谷の戦い』で熊谷直実が討ち取った平敦盛の首をこの松樹に腰を掛けて首を実検したのだとか。『首実検の松』とも呼ばれる。!!…『平敦盛卿首塚』敦盛。。。『敦盛首塚』『一ノ谷の戦い』で熊谷直実に討たれた平敦盛の首塚。敦盛は、平清盛の弟・経盛の末子。1184年(寿永3年)2月7日、源義経の奇襲で『一ノ谷』の平家軍が劣勢
昔敦盛(中世の青葉の笛とか人間50年のセレブイケメン)、今あつまれどうぶつの森のあつもり。なぜか人気と悲喜劇に巻き込まれるあ・つ・も・りの言霊*武漢肺炎=COVID19≒新型肺炎の現実が(○゚д゚)ャバィカモ・・・なのに現実逃避できるゲーム?たぶん今んところ普通。『あつまれどうぶつの森』が世界的ヒット新型コロナの影響もあり”最も売れた日本のゲーム”のひとつに?https://realsound.jp/tech/2020/04/post-532023_2.html任天堂の新作・・
須磨浦公園に行ってきました。でも先ずは朝四時半に起きてハーバーランドのコメダ珈琲まで。暖房がやたら効きすぎてたのでクリームオーレでモーニング。小倉あんにソフトクリームを絡ませたらまた格別な味でした。ゆっくり休んで再びウォーキング。須磨浦公園到着。良い天気です。ロープウェイ。昔は時々乗りに来ました。今日もぼちぼちお客様が。ここから少し西へいくとこういう史跡があります。一ノ谷の合戦で命を落とした平敦盛を偲ぶ敦盛塚。因みに敦盛のお墓と有名な青葉の笛は須磨寺にあります。平敦盛と熊谷直
まいど~生きもの大好き絵本講師のくがやよいです。家の駐車場の隅にいつぞや植えたチューリップムスカリの方が早く開花しています。(↓これは2月の写真。...寒そ!)うちは山なので2〜3度気温が低い模様。チューリップも雪柳もまだ蕾です。今日久しぶりに絵本を読んでもらいました。のーびのーびお餅を伸ばすように心のストレッチをしてもらったみたいでとっても気持ちがよかったです。読んでもらった絵本15冊はあったかな?そ
1日1武将(16)熊谷直実の呼返しに振り向く平敦盛一ノ谷の合戦平敦盛と熊谷直実ダイヤの2いつもご覧くださる皆様、本当にありがとうございます。心から感謝致します。皆様にとって良い事がたくさんありますように!有名な一ノ谷の合戦での名場面です。今の埼玉県熊谷市にゆかりのある熊谷直実が、平清盛の甥であり美少年でしられる敦盛によびかけ、敦盛が振り向いて直実のところに向かってくる場面です。この後、組み敷いた敦盛が自分
先日、なかなか伺うことが出来なかった須磨寺に伺い「敦盛」の青葉の笛を拝ませていただくことができました「敦盛」をさせていただいているのに中々お参りできずやっと叶いました^^
『青葉の笛(敦盛と忠度)』作詞~大和田建樹(1857~1910)一、一の谷の軍(いくさ)破れ討たれし平家の公達(きんだち)あわれ暁寒き須磨の嵐に聞こえしはこれか青葉の笛ニ、更くる夜半(よわ)に門を敲(たた)きわが師に託せし言の葉哀れ今わの際まで持ちし箙(えびら)に残れるは「花や今宵」の歌*門を敲き・・・家を訪ね*わが師・・・歌の師匠の藤原俊成*言の葉・・・ここでは和歌*箙・・・矢を入れて背負う道具◇一の谷の戦
一の谷の軍破れ討たれし平家の公達あわれ暁寒き須磨の嵐に聞こえしはこれか青葉の笛更くる夜半に門を敲きわが師に託せし言の葉あわれ今わの際まで持ちし箙に残れるは「花や今宵」の歌隠蔽、改ざん、嘘言、私物化、逮捕令状さえ握り潰す・・・いま、わが国は法治国家ならざる人治国家になり果てている。やりたい放題の乱れた状況を終わらせたい。新年のことば:驕れる平家は久しからず
『安土城』🏯‼️✨✨『琵琶湖』✨✨✨『近江』☆ミ‼△▼『安土城』『MIHOMUSEUM』『MIHOMUSEUM』『MIHOMUSEUM』9月14日(土)-12月15日(日)『The備前-土と炎から生まれる造形美-』釉薬を施さないシンプルで原始的な〝焼き締め〟で焼成される備前焼。その土と炎から生み出される造形は、古くから日本人に愛されてきました。「窯変(ようへん)」「緋襷(ひだすき)」「牡丹餅(ぼたもち)」「胡麻(ごま)」「桟切(さん
「ミステリーツアーです」風邪を自力で治して2日後には添乗という過酷なスケジュールをなんとかこなしました。今回は、私の凡ミスでサービスでの添乗をさせていただきました。そもそも月曜日が閉館ということを忘れて日程を組んでしまったことが全ての始まりでした。それでも月に一度、第二月曜日は開いてますという海上プロムナードさんの開館日に合せて旅行の日を決めました。とろこが予定していた舞子公園の他の施設が休館だということを見
今日は2019年11月12日(火)です。僕のブログはヤフーブログから引っ越しをしてきました。ヤフーの時はハッシュタグの機能が有りませんでした。それと・・・お友達限定だったのでヤフー時代は数人のお友達しか公開していませんでした。アメバに引越しをしたのを機会にハッシュタグを入れる作業しています。同時に・・・過去記事として改めて記事を総ての方々に公開する事にしました。過去記事です。↓==============2012年3月17日(土)の出来事です
今日は家から須磨寺まで18キロジョグ。須磨浦公園から鉢伏山、旗振山を経由して須磨寺へ。源平合戦で一番の悲話。平敦盛と熊谷直実の一騎討ちの場面。討ち取られた敦盛は16歳。討ち取った直実は自分の子と同じ年代だったこともあり、逃がそうとしたけど、他の味方が代わりに討ち取る可能性もあるし、なにより敦盛の潔さに心をうたれ、「丁重に供養するから」といって泣く泣く討ち取り、丁寧に須磨寺の池で首を洗い義経を総大将とする源氏軍に首実検したそうです。その時に敦盛は笛の名手であることを知り、討ち取られる日の朝
ご訪問いただきましてありがとうございます。みっちーです。現在110期心屋塾マスターコース(みなマス)に参加しています。今日は雨の中、久しぶりに篠笛講座へ行ってきました。教室に入ると、小さめのトランクが部屋の隅に置いてありました。もしや?と思った通り、東京から福原徹先生がいらしていました。半年で1クールの篠笛講座。1回は必ず東京から来て教えてくださいます。「さくらさくら」などの初歩的な曲から、最後は「青葉の笛」という初めて吹く曲を教わりました。一度も聞いたことの
祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり・・・。平家物語と言えば須磨は一の谷の合戦でしょうか。其の合戦では源義経が率いる軍勢が平家の背後を狙って『ひよどり越えの逆落とし』が有名ですな・・・知らない御方は無視してね。然し、実際のひよどり越えなんちゅー場所は平家の陣から8㌔も離れてるし、背後の山でも・・・無い。平家が海岸に陣を置いてた須磨裏の背後は鉄拐山があるから、道無き道を下ったのは其処でしょうな。其の山からチョイ西北にある須磨寺・・・。須磨寺は源氏の大将源義経の陣地であったと伝えられてるの