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2024年最後の記事が赤線だなんて・・今年もお世話になりました。お手数になるのに、いいね、コメントをくださっていつも励みと新しい発見ができて感謝でいっぱいです。来年も成長がない全く変わりないスタンスでUPし続けます。どうぞよろしくお願いいたします。駅は近鉄奈良線と近鉄大阪線前の分岐の駅(名称わからん)駅前には昭和っぽいアーケード街があり、下町感がいい感じ賑やかな雰囲気があります。この虹色の天井って大阪でよくみる。。。まず北口側。帰宅後、ここが元青線の寿三郎横丁と知るこ
大阪新世界の劇場から50mほどに怪しい一角がありました。この辺が青線だったのか赤線だったのかという記述を古い本でも見つからないのですが、建物や・・エロ劇場の並びにあるんだからもう・・風俗がなきゃ可笑しい立地なわけで。。赤線青線的な定番な作りの建築が大量にありました。というか未だ現役かな?裏路地にも出入り口がある。西に多いスタイルなのが、狭い正面入り口に植樹、南天。これ四国でもよくみます。南天は縁起物なので、遊郭系に多い松竹梅のデザインと同じ意味合いなのかなー。転業旅
前回のコメントでびっくりまさか東京の人が湘南弁を知らないなんて驚きました。。。「じゃん」は横浜弁です。そうだべ?行くべぇ?っていう語尾をあがりぎみに使う中居くんの喋り方が湘南弁。多分下げるのが栃木弁かと。湘南爆走族のとか、、あれは地元民が書いてるよなって漫画だった。特に湘南弁は海岸〜1国くらいで強く使われていた気がします。(そこから北に私が行ってないのもあるが)おじいちゃんの知り合いの漁師さんの家が酷い訛りだった記憶があります。「じゃん」が全国化したのはスラムダンクらしい
遊郭跡地に行くとひょうたんの妓楼を良く見かけるよね✨最後の二枚目は熱田神宮前のシャッター街、熱田神宮と言う凄い観光地なのに開発進まず😂
名鉄神宮前の直ぐ隣にあるバラック街、目の前に昭和レトロな建物があります昔はカフェー今はJazz喫茶昔はカフェーだったのでしょう、鑑札ありますね。美しいステンドガラスですね✨この作り、遊郭の張見せみたいですね!ここは名古屋テレビのドラマのロケ地になったラーメン屋です。現役でした!
大井新地横丁は品川区大井にある飲み屋横丁で、東海道本線大井町駅の西、直線距離で200mあまりのところにあります。空中写真によると大井町駅の西側、イトーヨーカ堂の辺りは昭和54年の段階でも闇市のようなものを引きずったまちなみが残っているようにみえます。また、阪急百貨店の横あたりも、昭和30年代までは鐘紡の工場ったり、周辺は工業地帯だったそうです。駅裏という感じでしょうか?そんな地域も現在はマンションなんかが建っていますが、この一画だけ小さな建物が残っているようです。昭和24年の空中写
東小路飲食店街は東京都品川区東大井にある飲み屋街で、東海道本線大井町駅東口すぐのところにあります。駅のすぐ横にあるごちゃごちゃとした飲食街です。昭和19年撮影の空中写真では、おそらく建物疎開がおこなわれたのか、空き地になっています。昭和23年には現在と同じような感じになっています。当時は通路の一部に屋根が架かっているようにもみえます。2024年3月に訪問しました。大井町駅東口の東にある「東小路飲食店街」です。南北に2本の通路が並行しています。北側の通路の長さは約70m、南側は約1
山王小路飲食店街は東京都大田区にある飲み屋街で、東海道本線大森駅の西側、線路沿いにあります。空中写真によると昭和31年には形成されていそうです。昭和22年、23年にはないようです。2024年3月に訪問しました。看板で見にくいですが、東海道本線(京浜東北線)大森駅の線路横にずらっと並ぶ建物のところが、「山王小路飲食店街」です。駅の西側にある池上通り沿いには、大森駅山王口商店会のアーケードがあります。上のアーケードの左側に階段があり、その下が「山王小路飲食店街」です。結構な高
「眼の壁」は昭和32年に週刊読売に連載が始まり、昭和33年に新潮社から文庫本が発行されたものである。あの「点と線」と同じ年代の作品で、清張がそれまでのトリックを重視した推理小説から、社会性と人間性や、知的犯罪など新しい形の推理小説を試みた最初の作品だそうだ。わたしは内容は勿論、題名すら知らなかった。その通りの作品で、数回読み返したほどの、よく出来ている。従業員5000人の給料日を目前に控え、3000万円の資金繰りに苦悩する会計課長は上司の専務と遅くまで相談している。取引先の銀行
おはようございます。DJToshiです。このブログ、昨日の閲覧数がバカ伸びしててびっくりしました…なんでしょ…つばさの党の注目度が高いの?なんやらわけわからんけど。あのブログ書いてからなんか疲れちゃってね…クソみたいな国家権力とそれを後押しするマスメディア。それに賛同するアホな一般庶民。てめーらも虐げられてんのに権力寄りで喋るキモさ…心底うんざりしてんですよ…政治の話をする一般ピープルが必ず陥る無力感か
「三軒茶屋三角地帯」は東京都世田谷区三軒茶屋にある歓楽街です。東急電鉄田園都市線、世田谷線三軒茶屋駅すぐのところにあります。三軒茶屋駅周辺は第二次世界大戦の戦災で焼失してしまったそうですが、「三角地帯」の東角を中心に闇市がようです。その名残が「エコー仲見世」や「三茶三番街」のあたりなのだそうです。「三軒茶屋三角地帯」は、三軒茶屋交差点を東の頂点として都道3号線を東約450m、国道246号線を南西約170mに囲まれた地域を指すそうですが、特にごちゃごちゃとしたまちなみは東の頂点あたりに残って
1里道、赤道、赤線里道(りどう)とは[里の道]という字のとおり、公図が作成された明治時代に道として利用されていた土地のことで、昔の公図で赤く塗られていたことから、赤道とか赤線とも呼ばれています。2水路、青線公図が作成されたときに、河川、水路となっていた土地のことで、昔の公図で青く塗られていたことから、青線と呼ばれます。3地番脱落地地番のない土地には、里道・水路のほかに、地番脱落地があります。
年末の再訪独身の頃何度か飲み歩いた場所その頃は青線も赤線も遊廓も知らなかった。子供の頃の夏休みの旅行は神社仏閣めぐり。その影響かな。過去記事です。『遊郭跡地巡り神宮前青線跡(名古屋市熱田区)』再開発が進み駅ビルの象徴だった名鉄百貨店が取り壊される名鉄神宮前駅。あたしの名前はこの熱田神宮の中にある上知我麻神社で一文字頂き父が名付けてくれた。熱田神宮に…ameblo.jpリノベして新しいお店や細々とやってるお店が残るこの路地。後日鑑札があるのを知りました。何故ちゃんと見なかった
新天街(甲府新天街)は山梨県甲府市にある飲み屋街です。中央本線甲府駅の北西、950メートルくらいのところにあります。甲府駅の表口は南口側なので、北口は駅裏といったところでしょうか?しかし、北口を出て少し西に行くと北に向かって「朝日通り商店街」があります。疲れていたので車で通っただけですが、それなりにお店があり歩道も整備されているなど、ちょっとした繁華街なのでしょう。この通りが中央本線と交わるところは古いガードもあり、主要な道だったこともわかります。朝日通り商店街の北端近くに古ぼけた飲み屋
新世界乾杯通りは山梨県富士吉田市にある歓楽街です。富士急行大月線月江寺駅(げっこうじ)の東方向、500メートル弱のところにあります。一帯は富士吉田の歓楽街「西裏(にしうら)」と呼ばれており、飲食店がたくさんあります。絹織物産業で栄えていたころには、相当な歓楽街であったそうですが、今は比較的ひっそりとしています。歓楽街の中心を東西に「西裏通り」が通っていますが、ここから東側に分岐する横丁のような通りです。ここを初めて訪問した時に「こりゃ、なかなかやなー」という感想を持ちました(それだ
埼玉の遊郭跡を調べていてたまたまヒットしたので、川越市の喜多院周辺を散策。以前川越に住んでいて喜多院や時の鐘、菓子屋横丁などにプラベでも仕事でも行ったことあったのですが、興味関心が変わると見える景色も違う!マジで物凄い町!古い建物や遊郭跡をどんどん取り壊して住宅やマンションにしていく傾向にある都内とは全く違う。重要文化財的なやつに市が指定したりして、古い建物を(遊郭跡であっても)積極的に守ってるんだよまず遊郭跡がそのままカフェになっているお店に向かう。凄くないですか?店主さんここに住ん
おはようございます😊今日も出勤昨日は、車を1時間半走らせ、地元さんから水路が壊れて水漏れしていると連絡が入った、水路を確かめに行ってきました。昼間の気温は2℃だが、現場は陽が差して、寒いけど気持ちいい。水路は、確かに水漏れを起こし、周りも崩れているのだが🤔⁉️水門も有るし、これはもしかして青線⁉️役所へ電話し、水利組合を調べたり、公図を調べたりと、資料を揃て地元さんと話をせねば、簡単には手がつけられません。青線とは、里道や水路など、道路法や河川法が適用されない公共物を「法定外」公共
堀川飲食店街(仮)は北九州市八幡西区折尾にある飲食店街です。鹿児島本線折尾駅旧東口の南西すぐ、堀川沿いとその周辺にあります。緩くカーブした堀川の沿いに簡易な建物が並ぶ様子は北九州市を代表する風景のひとつです。(旧)筑豊本線1番乗り場の裏にあたる場所に在ったことから、どうなんでしょうね?第二次世界大戦後の混乱期とかにできたのでしょうか?まあ、その前から筑豊炭田が栄えていたわけですから、もっと古いのかもしれません。飲食街の前を流れる堀川は正式には「新々堀川」というそうで、遠賀川から洞海湾
新京町料飲協同組合は鹿児島本線小倉駅の西側にあります。京町2丁目界隈です。駅から駅前の「ロッテリア」「マクドナルド」の間を入って西に250メートルくらい歩くと到着します。右側には自走式の立体駐車場、左側にはぽつぽつと歯抜けになった古そうな建物があります。建物の間には細道が続いているのが確認できます。ほんの少し前までは、この細道が街区内で分岐したりして小さな建物が密集する魔窟のようなところであったと聞いています。そしてそこでは非合法なことが行われており、とても有名な場所でした。しか
「瓦町駅裏の旅館街」は香川県高松市にあった旅館街です(つまり今はないということです)。高松琴平電気鉄道琴平線瓦町駅の南東200メートルくらいのところでしょうか?瓦町駅の西側は商店街がありますが、東側は夜は特に人通りも少なく、完全に駅裏の風情です。旅館街があったのは、ことでん長尾線の線路に沿って歩き、長尾線の留置線が途切れるくらいのところ左側でした。栄養ドリンクなどの自販機が目印でした。訪問時には、夜になると玄関に赤い光を灯した旅館がありました。その横にも灯りがついたお店のよう
パラダイス通りは香川県高松市にある歓楽街です。高松琴平電気鉄道琴平線片原町駅(ことでん築港線)東へすぐのところにあります。だいぶ前に紹介した城東町(八重垣)が合法的な場所だったのに対して、こちら内町や百間町は非合法な場所だったようです。特に片原町駅すぐの「パラダイス通り」と呼ばれているところは小さな建物が密集しているところで、前回の終戦後というような雰囲気を残しているのではないでしょうか。次第に小さな建物も解体されつつあるようです。「パラダイス通り」すぐ近く、「三越裏」というところ
「大須賀飲食店街」は山陽本線広島駅南口を出て横川方面に線路沿いに行ったところにあります。空中写真で見ると、広島東郵便局と駅西高架橋の西側に小さい建物が密集した場所が見えます。ここは、現在は「エキニシ飲食店街」と呼ばれているそうで、新しい飲食店ができてにぎわってようです。どこかの文献で(ひょっとしたら勘違いかもしれませんが・・)、前回の戦争後に広島駅周辺に闇市ができると同時に(少し前に紹介した「愛友市場」などのことです)、街娼が駅周辺に出没し、時には駅のホームなどで客を取ろうとしたよ
思い立って春頃熱海から掛川に弾丸1泊2.5日的な旅を。そんなに勢いよく行ける距離じゃないので簡単に旅のしおりを何パターンか作っていってきました。熱海に行かないパターンとか色々。どうやって旅行の予定とか組むのでしょうか?割と行き当たりばったりなワタシ。距離があるし気分で行き先が変わることもあるし見学でめちゃくちゃ時間かけたり夜中12時に出てひたすらじわじわ走る走る事6時間朝日が昇る少し前に熱海の町に入りました。なんとも言えない昭和な街並みにアホみたいにテンションが
地方のマイホーム、ルートイン。長年使っているPCの会員登録パスと導入されたアプリとパスが共有できない謎に頭を傾げる。。つまりアプリの私は新規会員。PCで予約したらアプリによるスマートチェックインが効かないって事か・・JRは共有、ルートインは非共有、アプリにより違うのほんと困る、しかもPCのパスワードは7文字、アプリは大文字込み8文字とパスの共有もできない。謎の新規再登録でイラっとしましたが、アプリ内にヒョコヒョコ顔を出すルートン君(ルートインのゆるキャラ)が可愛いから許す。
ジャンポケ斎藤くんが”不倫”をあげられとるけどこんなん不倫でも何でもなく浮気やろ知り合いやなく夜の店の女でそれも行きずりなら浮気やないかいそんなことでフリン不倫ゆうとったら世のお父さん方は不倫だらけやがなしかしでもタレコミ女が多いでホンマ我がの股間の緩さを棚に上げて週刊誌に売りよる日本の男や有名人は言い訳したら恥ずかしいみたいなんにかこつけて平気で暴露しよる
先日、空き時間の時間つぶしにネットオークションを眺めていたら面白いカバーを見つけました。ここで目を引いたところ、それは「簡易書留」の表示の左にある青色の縦線です。この青線の意味は何なのでしょうか。このカバー、一見、簡易書留郵便物なのですが料金的には配達記録のそれです。となればこれは簡易書留の表示があっても配達記録として扱われたものに間違いありません。配達記録郵便は平成7年11月1日から施行された制度ですが、配達記録用バーコードラベルが使われ始めたのは施行から一年以上経った
2022年10月に出版された、小針侑起さんの『遊郭・花柳界・ダンスホール・カフェーの近代史』を読み終わりました。明治から戦後(1950年代)の接待婦について書かれた本です。ランプの本なので、写真も豊富。廃止直前の赤線の街々や青線の界隈を比較しているページもあり(値段や街娼のタイプなどが記されています)青線の方は、『人間探求』という雑誌を参考にしたようですが、元の記事を書いた人の執念というかよく調べたよねと言いたくなる。歩いてコツコツ調べたんでしょうね。あと娼婦だけでは
甲府に来るのでどうしても行きたかった場所の1つがココ!!ん?なに?と言う感じですが正面からみると新天街の看板がひっそりと写るかつては栄えたであろう新天街天井もなく雨ざらしそれでも2・3件はやってるのだろうか?共同トイレも渋すぎる以前は2階も使われていたらしい…なんとも言えぬ哀愁漂う場所…あっ!肝心なものを載せ忘れましたそう!カフエーの鑑札これでまた仕事頑張れるわぁ~YU-MEブログ『朝日のあたる家~バラック街を歩く~』愛した男が帰らなかった…
年末は、友達のなつみかんさんと堺を歩くという楽しい出来事がありました!『年の瀬の堺散策ingちゃんと一緒に』年の瀬にブロ友ingちゃんと堺散策どうやって記事をまとめようかな。堺の街は少し前に他のブロ友さんと巡る予定だったんだけど、都合で場所変更になりました。…ameblo.jp私も近いうちに、ご紹介したいと思います。先日、現在武庫川女子大学建築学部のキャンパスになっている旧甲子園ホテルに見学に行ってきました。(これは次回に)見学後、阪神電鉄出屋敷駅に移動。
性人式の夜…当日だったかは記憶にないが、お嬢さんから、「どうだった?」と聞かれ、「こんなもんかぁ。」と答えた。あぁ…懐かしい…https://kotobank.jp/word/%E8%B5%A4%E7%B7%9A%E3%83%BB%E9%9D%92%E7%B7%9A-814480赤線・青線とは-コトバンク百科事典マイペディア-赤線・青線の用語解説-1946年連合軍総司令部の指令によって日本の公娼(しょう)制度は廃止されたが,従来の遊廓地帯と私娼街を特殊飲食店街と呼んで,その