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高校野球/壷井むつ美ポリドールDR6393壷井むつ美、1980年3月リリースの2枚目シングルでラストシングル?1980年でもあったんだな、ベタな青春歌謡。今だったらパロディにもならないかな。アイドル歌謡の王道か?デビュー曲『自転車通学』はTVで何回かみた覚えがある。
テレビで歌う元King&Princeの岸優太君の声の幅の広さにいつも感心していた明石家さんまさんのいう熟練の演歌歌手言われればそうとも思える彼の歌を聴きながら、その昔、城拓也という歌手がいたことを思い出した代表曲は骨まで愛して本名を菊池正規といい、当初菊池正夫と名乗るウイリー沖山と共に横浜の曙町に住んでヨーデルの歌い手としてのど自慢に出てカントリー&ウエスタン歌手になり、一方で民謡ロックとしてスタコイ東京やダッキャダッキャ節、アホカイ節というを歌っているまた、
恋旅行(アメリアッチ)久保浩小川知子カップルペアアベックで、箱根へ前回記事でちょっと書きました「恋旅行」実は小川知子のデビュー曲はこの曲でした。久保浩と小川知子のイチャイチャ掛け合い曲恋旅行(アメリアッチ)昭和41年(1966年)♪うれしい?二人の恋旅行決まっているわうれしいに僕を愛してくれるかいきかなくったってわかるでしょ電車は行く行く市街地あとに川をこえたよ山がみえるロマンスカーで恋旅行明るい窓の若い顔作詞・佐伯孝夫作曲・吉
先日、YouTubeチャンネル「英雄星チャンネル」にゲスト出演しました。色々とお話させていただきました。よろしくお願いします。↓第324回江戸時代から続く台本のない世界語る【落語家林家たけ平】今回は落語家の林家たけ平さんが登場!見習いや前座の修行とは?江戸時代から続く台本のない世界語るYouTubeチャンネル刑部たけ平の昭和の歌声https://www.youtube.com/@user-kv9ol1rk5mオフィシャルサイトhttps://h-takehei.co
1965年(昭和40年)3月に発売された舟木一夫さんの「はやぶさの歌」は、映画「北国の街」の挿入歌です。作詞:丘灯至夫/作曲:山路進一みなさぶろう73歳と1ヵ月の時。https://www.youtube.com/@minasaburho2萬年の雪積む山のいたゞきにはやぶさは住む嵐おそれず吹雪にたえて春くれば春くればあかるくうたう群れをなす敵はあれどもただ一羽はやぶさはとぶ翼ひろげてねらいをさだめわが空をわが空をはゞたき進む
1965年(昭和40年)に発売の舟木一夫さんの「浜の若い衆」です。作詞:安部幸子/作曲:山路進一安部幸子さん作詞の舟木さんの曲は「木挽哀歌、火消し若衆」に続く3曲めのカバーです。発売されている安部幸子さん作詞の26作品のほとんどが死後の発表です。この「浜の若い衆」も、発売される1年前に24歳の若さで亡くなっています。みなさぶろう73歳と1ヵ月の時。https://www.youtube.com/@minasaburho2網を一打ちゃ朝やけいそに大漁願いのは
1978年にリリースされた舟木一夫さんの「立ち話」をカバーしました。舟木さんのカバー26曲になりました。動画は、猿江恩賜公園、隅田川です。作詞は尾中美千絵さん、作曲は三木たかしさんです。あなたは美しい今も変わらない夕暮れの人並みに押されてめぐり逢い久しぶり元気かとありふれた言葉煙草のけむりに心かくして立ち話
1964年(昭和39年)3月にリリースされた舟木一夫さんの「涙の敗戦投手」をカバーしました。作詞は丘灯至夫さん、作曲は戸塚三博さんです。みんなの期待背にうけて力のかぎり投げた球汗にまみれたユニフォームだけど敗れた敗戦投手落ちる涙はうそじゃない
1967年(昭和42年)にリリースされた西郷輝彦さんの、望郷・郷愁の抒情歌謡「潮風が吹きぬける町」をカバーしました。作詞:奥野椰子夫作曲:米山正夫編曲:重松岩雄この歌をカバーしてる舟木一夫さんの歌は、前奏が無くて前半がスローテンポで始まり2コーラスで終わっていますが、西郷さんの歌だと知らない方は、舟木さんの持ち歌と勘違いされてる方も多いのでは。日本詩人連盟大賞受賞作品。潮風が吹きぬける町浜茄子がゆれて咲く丘わがふる里夜ごと夜ごと胸にひびくあの潮騒はるかな潮騒
1999年(平成11年)にリリースされた西郷輝彦さんの「桜花のとき」をカバーしました。作詞:荒木とよひさ/作曲:中川博之/編曲:竜崎孝路みなさぶろう71歳と7ヵ月の時。https://www.youtube.com/@minasaburho2桜の花の花のひとひらが幸せ薄いお前の肩に春よ春よこのまま春よ春よ散らずにふたりを見捨てて逃げないでこの世が夢の夢の途中なら川辺に遊ぶ遊ぶ子供たち大人になるな悲しいだけの春よ春よこのまま春よ春よ
先日、熱海で、敬老落語会でした。その会場で働いておられたのが、歌手・守屋浩さんの娘さん!何度かメールで、やり取りはしていましたが、会場でお会いするとは、ビックリ!色々、お話できて良かったです。下記の写真が、生前、守屋浩さんと対談した時の様子です。対談を大変に喜んでおられたと娘さんにお聞きしました。私も守屋さんとの対談、光栄の何ものでもなかったです。そして、これまたご縁、本日・9月19日、守屋浩さん、ご命日です。その前日に娘さんと
高原のお嬢さん高原のお嬢さん(舟木一夫)1965年10月にリリースあの人に逢いたいたまらなく逢いたい高原に風はわたり白樺はゆれていた夏がゆけば恋も終るとあの人はいつも言ってたリーフ・リーフ……君にぼくの恋を語ろう日活映画北川和夫=舟木一夫(コロムビア)小泉淳子=和泉雅子三島進=山内賢/吉野先生=葉山良二サブ=堺正章遠藤光子=西尾三枝子小泉百合子=堀恭子他
1980年10月に発売された舟木一夫さんの「どうしているかい」をカバーしました。作詞:吉法かずさ/作曲:徳久広司/編曲:竹村次郎みなさぶろう71歳と6ヵ月の時。どうしているかい幸せかいいまでも一人でいるのかい季節が花を変えるよに五年の月日が俺を変えたよどうしているかい幸せかい笑顔にかくしたおまえの涙いまなら拭いてあげられるのに
2023-8-18(金)おはようございます。街角のペンタさん(ペンタスさん)が鮮やか。。「ペンタ」は「五角形」の意味です。。ペンタゴンも五角形でした。一昨日はお出かけ。。台風一過の道路は落葉の海。市の方とか近隣の方が掃除されていました。。大変。ああ、「八十八」で「米」。。「十」のまわりに米粒がとびってっている様子の象形文字が由来とか。深紅のペンタスさんも素敵です。
1964年12月にリリースされた、西郷輝彦さんの「我が青春」をカバーしました。作詞は水島哲さん、作曲は北原じゅんさんです。夢も希望も青春の嵐とともに消えてゆく熱い血潮が涙をよべばそれが若さと知るや君
昭和歌謡のみならず、日活映画の発展にも貢献された大物を忘れていました😝テヘ小林旭さん映画界から昭和歌謡の発展に貢献したマイトガイです。でも、私の家には旭さんのレコードはなく、私が就職した当時にヒットした「昔の名前で出ています」がフィーチャーされたクラウンから発売された美川憲一さんや瀬川瑛子さんたちとのオムニバスアルバムを買ったのが最初でした。CDもポリドールから発売された全曲集と青春歌のオムニバスCDに収録された曲のみで、旭さんのファンには物足りないかも知れません。※「昔の名前で出
月が改まりましたので、青春歌謡パート3を始めます。梶光男さん幼心に覚えた曲は齢老いても自然とくちずさむようです。梶光男さんの曲はそんな曲の代表です。坂本九さん一般公開を断念「上を向いて歩こう」のヒットで世界に羽ばたいた九ちゃんですが、惜しくも日航機の事故(事件?)で亡くなってしまいました。パラキンに居た時の曲はパラキンとして紹介したいと思います。(九重佑三子さんや石川進さんも同じ方針です)ゴールデン・カップスと同様に、UMG(EMIRecordsJapanの代理)により
青春歌謡①に次いで、青春歌謡として家事の時につい口ずさむ懐メロを紹介しようと思います。大御所以外は殆ど青春歌年鑑シリーズから拾い集めていますが、他にもオムニバスのCDが山積していますので、間違ってお宝を発見するかも知れません。三田明さん青春歌謡①では御三家を紹介しましたが、三田明さんを紹介していないことがどうにも気がかりでした。今回、青春歌謡を調べてみたら「歌謡ビッグ4」なる画像をみつけて、そうだよな御三家に匹敵するよなと納得しました。では、下記サムネから動画をどうぞ。美樹克彦さ
今日の俳句雨降りて今日を限りに雨水(うすい)かな雨水かな晴れ間見つけて畝作り雨水かな葉の芽花芽の別れ時雨水かな濡れて畔田の黒々と雨水かな温む小川の魚の影気は巡るほどよき雨と雨水かな今日の短歌二月十九日「家内」今日雨水小雨に濡れる朝の庭新芽芽吹きて花待ち遠し「私」歌を聴く暫し楽しきティータイム我が青春の昭和歌謡曲「愛の定義」愛は身近なもの。愛のキーワードは六つ。詳しくは下をクリック
長浦港のカモ見に続いて、長浦の倉庫街のことを書いている。日本海軍が使っていた建物が今も残っており、そのうちのいくつかは現役で使われている。戦後のこの海軍への物資の輸送や戦後の倉庫としての荷役の関係で、かつてここまでJR田浦駅方面から貨物線が引かれていた。地図上に記入をするとこんな感じで、田浦駅とつながっていた。そして、この貨物線はいくつにも分岐をして、物資輸送が円滑に行われるように工夫が凝らされていたようである。その線路も倉庫群と同様に今も残っている。場所によ
今日の俳句明けぬれば庇にちゅんと寒雀寄り来れば陽だまり恋し寒雀寒雀お宿は傍の鎮守杜寒雀纏ふはふくら羽衣啄むは何の実庭の寒雀今日の短歌一月十六日「家内」人生は百年と言う時代生き忘れてならぬ愛ある人生「私」今日も又昭和の歌謡聴き暮らし懐かし青春輝ける日々「愛の定義」愛は身近なもの。愛のキーワードは六つ。詳しくは下をクリック思いやり、相互理解、信頼尊敬、相思相愛、対等自由、創造英語訳もつけて、
今日の俳句喪中無き目出度き年や賀状書く幸あれと連ぬ大文字賀状書く見栄えより全文手書き賀状書く悪筆も手書きの温み賀状書く賀状書く年経て淋し友の数今日の短歌十二月十八日「家内」忙しくて書くのも遅き年賀状我が背珍しみな手書きにて「私」懐かしき青春歌謡聴きおれば我が青春の時ぞ輝く「愛の定義」愛は身近なもの。愛のキーワードは六つ。詳しくは下をクリック思いやり、相互理解、信頼尊敬、相思相愛、対等自由、
西郷輝彦:チャペルに続く白い道冒頭の弾むようなメロディーが好印象を与えます。やはり昭和青春歌謡の傑作の一つに数えられるでしょう。さてロケーションはどこでしょう。私はずっと昔、北海道を旅行したことがあります。その時、函館で有名な二つの教会を訪れた記憶があるんですね。もしかしてその一つは、トラピヌチス修道院ではないでしょうか?松原智恵子さん西郷輝彦さんいずれにしても、西郷輝彦さん、松原智恵子さん、さわやかカップルですよね。とりわけ、松原智恵子
これは私中三の頃でしょうか?「青春の城下町」この頃はあまり興味無かった私中高時代はどちらかというとクラシックでしたが何気に、走り出すと青春歌謡なんぞも口ずさむから不思議今日は10キロのつもりになって何故?一昨日8キロ走ったのに!?昨夜、月みて年甲斐もなく、その気になって・・・今日の出で立ち^^そういえば私のベストランって・・・手賀沼エコマラソンで2時間を切ったことこれっていつ頃?過去を辿ると10年(64歳)も前でした!
舟木一夫&和泉雅子:素敵なあなた短編小説:和泉雅子さん私はこれまで、日露戦争、第二次世界大戦と二つの大きな戦争を経験し、後者の戦争ではシベリア収容所生活も5年間余儀なくされました。帰還船で日本に帰り、不動産投機の世界に身を置きました。この50年の間、東京都の土地をすべて買い占めることができるくらいの資産も手に入れることができました。再来年、100歳を迎える私ですが、長年生きて来て学んだこと、それは、人生で一番大切なことは、和泉雅子さんのような配
昭和42年(1967年)1月1日に休暇でハワイホノルルへ。前日は、「絶唱」で日本レコード大賞・最優秀歌唱賞を受賞し、NHK紅白歌合戦に出場。ハワイで急性肺炎いなり、帰国後板橋の日大病院に入院している。約一週間後退院。入院と言えば昭和40年にも、東北巡業中に倒れ、日大病院に入院している。日活のテレビドラマ「山のかなたに」「「雨の中に消えて」「あいつと私」と出演し、主題歌も歌っている。今年のコンサートでも、『青春歌謡』と位置付けて歌われているが、実に爽やかな歌で、昭和の青春歌謡の代表
一日遅れだけれど昨日の朝刊のテレビ欄を見た瞬間にワァオーいきなり舟木さんの写真が目に飛び込んできたやっぱりねすぐさまに舟木さんのお顔パッと見た瞬間に目がいって気が付くんですよね名曲特選集CD2枚組の広告かと・・・(抜粋)善き時代、善き歌、善き友・・青春時代の情熱全てを注ぎこみ同じ時代を共に歩んだ青春歌謡のプリンス・舟木一夫。優しく響く歌声、懐かしいメロディと共感できる歌詞に青春時代の記憶が蘇ります。50年の時を過ぎた今でもくち
『聴かないと損・・・627』壁]ω・)チラッ...ども、蛙です♪今夜の曲は・・・三田明『美しい十代』1963年のヒット曲♪ノリノリ昭和歌謡、青春歌謡の名曲です♪(V)o¥o(V)フォッフォッフォッ…蛙の紹介する曲にハズレ無し♪(^◇^)ケロケロッ♪
「舟木一夫芸能生活60周年記念コンサート2022」ツアーコンサートに初めて参戦した。東京国際フォーラムでのコンサートから約2か月、久し振りのコンサートは、東京練馬にある練馬区文化センター。行くのは二度目で、懐かしく思い出の場所。西武池袋線練馬駅からは、ペデストリアンデッキを越えると、真っすぐ正面にある。こんなに駅から近い会場は、さすらいが今まで行った会場の中では最短と言って良い。当然の事ながら、迷わずに行かれる。開演30分前、既に一階席はほぼ満員。開演前のざわざわ感が、意外と好きな
今回は普通の人形たちです。雛人形を飾った部屋…人が誰もいなくなるのを待ってまあ、あれです…♪おもちゃのチャチャチャ…みたいな作詞は「野坂昭如」でしたね。爺ィの「青春」がまたひとつ消えました…。追悼西郷輝彦♪そんな気持ちにさせるのは君の素敵な黒い髪~…(by君だけを)「御三家」と言われた「橋幸夫」「舟木一夫」「西郷輝彦」。「誰になりたいか?」と問われれば…(誰がそんなアホなこと聞くんでしょう?)でも、私は迷わず「西郷輝彦」…