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露菜です。気温が30度超えになったり、そうかと思うと、突然雹が降ってきたり。また、前が見えないほどの土砂降りになったり。この落ち着かない天候から本当に地球が加速度を増して変化していっていることを肌で感じで過ごしております。私は阪神・淡路大震災を15歳になる年に体験しております。ベットに寝ていたのですが、揺れで身体が突き上げられ浮き、何が起きたのか分からない冬のその日の事は、31年前のことですが、その頃の悲惨な日々の事は、脳裏にも焼き付き、身体にも
大変ご無沙汰しております。露菜です。毎日が目まぐるしく、気が付けば、夏の日差しも感じる時期になっています。時はどんどん過ぎていっているのだと、強く感じる今日この頃です。5月21日(1980年)に、父、村下孝蔵はCBSソニーからデビューしております。このデビュー日は、私が生まれる出産予定日だったそうです。実際には、数日早く生まれましたが。村下孝蔵は46歳で残念ながら亡くなっております。私は今年、父が亡くなった同じ年の46歳になります。大変感慨深いです。46歳からの
歌手で作曲家、シンガーソングーライターニール・セダカさんが、亡くなられた事をニュースで知りました。ロサンゼルスで2月27日。日本時間で2月28日。に、亡くなったと。86歳だったと知りました。奇しくも、2月28日は村下孝蔵の誕生日でした。生きていれば73歳でした。1978年の暮れか1979年の初め頃だったでしょうか。自費出版のレコード制作が具体化し始めていた頃。20代前半の若い村下孝蔵に、このような質問をしました。「作詞作曲は、どうやって学んだの?」
改訂版「太郎と花子の日本昔話」出会いの時⑥おかっぱLIVEHOUSE“おかっぱ“一番奥のボックス席。その、柔らかな椅子に落ち着き。顔を上げると、今、入って来たドアが見えた。ドア横に、小さな“ステージ“。花子から至近距離。ライブハウスの“ミニステージ“。実物を見たのは、はじめて。花子ひとり。。静かな興奮。。20センチ程の。高さ。ほどよい広さ。大人3人は立てそう。中央に、少し高めな。丸椅子ひとつ。オシャレ。。
改訂版「太郎と花子の日本昔話」出会いの時⑤花子幸恵を追いかけ螺旋階段を上る花子。階段を見上げるも、花子の視野に、幸恵いない。きっと、もう。。3階。それで、螺旋階段から、ビルに入ってて。。(花子の妄想)それで、私が遅いから。ちゃっちゃっと、先に。入店して。。多分。。。ウン。そうだ。(根拠のない自信)それで、笑顔満タンにして。「トイレ貸してくださ〜い〜」と。言って。ウン。そう。そう。
改訂版「太郎と花子の日本昔話」出会いの時④花子花子脱いでいた片方のハイヒールをゆっくり。履き直す。やっぱり。ハイヒール。小指が、痛い。私だって。痛いのだ。我慢してる。のに、、。トイレ!トイレ、トイレ!って。幸恵、騒ぎすぎ。ホントにもう!小学生なの!花子。イライラ。ホールの仕事の疲れ、ハイヒール痛み。お腹も空いた。飲み物欲しい。なんやかやで。イライラ。イライラ。珍しく、幸恵に当たってしまった。「幸恵お嬢様。警察呼ぶ?電話でトイレ
改訂版「太郎と花子の日本昔話」出会いの時③花子花子。(心の声)もうすぐ。もうすぐ。乗り場。乗り場。。タクシー乗り場。。イタッ!もうすぐイタッ!!もうすぐ。。。イタッ!もうすぐタクシー乗り場。イタッ。ウ〰︎ッ。花子。ハイヒールの小指。けっこう。イタッいのです。幸恵。心配顔。花子に近寄る。歩調を合わせ。提案。「花ちゃん。ここで、片足だけでもハイヒール脱いじゃったら?足休めた方が、ええよ。そのほうが。ええよ。裸足で歩くほうが、ええよ」
「太郎と花子の日本昔話」第一章出会いの時②花子A声楽家教授先生コンサート準備はバタバタとはじまり。あれよ、あれよと日が過ぎて。あっという間に。今日の本番。本日、お昼過ぎから。お手伝い要員、お仕事本番!ハイ、受付セッティング完了しました。ハイハイ、舞台上のお花の到着です。ハイハイハイ、声楽伴奏リハーサルですね。ハイハイ、伴奏担当花子いきます!ハイハイハイハイ賛助演奏の確認ですか。。ハイハイ、ハイハイ、ハイハイ。。ハイハイ
「太郎と花子の日本昔話」第一章出会いの時①花子時代は1970年代後半。どっぷり昭和のお話。場所、広島県広島市。その日は、日曜日。夜9時頃。広島市中央通り“宝塚会館ビル“の前。正しくは宝塚会館ビル前“タクシー乗り場“看板前。路上。女子大生2名。荷物多い。花束も見える。疲れた表情。タクシー待ち中。そこに立つは。地元の音楽大学生。ピアノ専攻。花子と幸恵。その日ずっと、2人は、広島市の立町(タテマチ)にある楽器店の中ホールにいた。
2025年。2016年から2019年頃まで。「太郎と花子の日本昔話」と題して、私の20代。広島市で出会った太郎とのお話を、ブログ上に、思い出すまま、書き綴っていました。月日が経ち。読み返してみると。句読点、改行、時間軸の稚拙な書き方など読み辛く。整え直したく。2023年に、「太郎と花子の日本昔話」は、一旦、ブログから下させて頂いてました。時間が、とても、かかりましたけれど。整え終えたものから、少しずつ、再度、上げさせて頂きます。内容は、事実に基ついてですの
「太郎と花子の日本昔話」昭和53年。日曜日の夜9時半過ぎ。そこは、通称“広島の中央通り”。広島市でも一段と賑やかで、華やかな、八丁堀交差点。東西南北にのびる、交差点。交差点からのびている一本の道路が“中央通り”と呼ばれている。交差点から、中央通りに向かって立つと。右角には堂々とした老舗の〝福屋百貨店”。そして、道を挟んで左角には流行をお洒落にとり入れながら急成長中の”天満屋百貨店”。趣の違う2つの百貨店に迎えられるように中央
今日6月24日は、父村下孝蔵の命日です。1999年に亡くなってから、26年が経ちます。2021年4月15日、従姉妹と名乗っておられる夏子さんのブログにて、「1988年に、父と母ゆうこが電話で会話をした」とされる捏造された音声が、無断で公開されました。夏子さんによると、「村下孝蔵自身が、電話を無断で録音していたもの」で「飛行機事故などで自分に何かあったら表に出してくれ」と絹代さんに託していたものだそうです。この音声については、父の生前の声と、母の近年
私は、広島県呉市で生まれ。昭和30年〜42年の間12才までその地で育ち。その後、画家だった父は、広島市に、アトリエ兼住居を建て。転居。学生時代を送りました。私の母は、父の3番目の妻。最初の妻との間に、2人の娘。2番目の妻との間に、2人の息子。異母姉妹、異母兄弟、計4名。3番目の妻(私の母〕との間に娘と息子。父、人生の中盤。にて。やっと、私の誕生。そして、私の弟にあたる、男子誕生。異母兄達とは、共に育ち。異母姉達は、時々、父の元へ泊まりに来てました
残暑御見舞申し上げます。残暑とは名ばかりで、ここ関西も、連日の酷暑と戦っている毎日です。色々な出来事に、心穏やかではない日々が続いている中、本日8月14日、神戸新聞の朝刊に取り上げて頂きました。大変励まされた、気持ちです。私達が業としている事は、すぐに目に見えるような事ではなく、日々地味な作業の積み重ねです。今現在、人間不信に陥りそうなそんな環境下ではありますけれど、3人とも、日々、真摯に仕事と向き合っております。今日はお盆。
露菜です。今日も一日、忙しくしておりました。本業も頑張っております。私、露菜のアトリエの風景です。コロナも落ち着き始めましたので、母ゆうこも、演奏活動を再開しております。本日の動画は、1年半ほど前に撮影した、古いアコーディオンで弾く「チャルダッシュ」です。
露菜です。1980年5月21日は、村下孝蔵のデビューした日です。私が生まれたのは、1980年5月17日です。私の年齢の数字が、村下孝蔵のデビューからの年月の数字です。単純な出来事だったことも、今や焦げ付いてしまいそうになっております。何もかも、きちんと整理整頓できないまままた今年も、村下孝蔵というシンガーソングライターの誕生した日を迎えてしまいます。亡くなってはしまいましたけれど・・。理解して頂き、整え、安心できることに繋がれば、何でも
ゆうこです。村下孝蔵というシンガーソングライターが1978〜79年の4月末頃までに作った曲の中に「下宿部屋」と「マイガール」があります。25歳の頃です。この2曲は、メロディーラインは同じです。78年に1つの旋律が最初にでき、「下宿部屋」という歌になりました。それから79年の春、「下宿部屋」と同じ旋律に、新しく違う歌詞を付け、「マイガール」という2つ目の歌として完成体にしてます。1つの旋律で、2曲の全く違う歌を作った、ということです。「下宿部
露菜です。またひとつ、”年”を重ねました。色々と思うことは多いです。時が過ぎるという事で、簡単になる事もあれば、時が経つという事で、難しくなる事もあるという事を身を持って体感しております。本日の動画は、村下孝蔵「夢の跡」アレンジカバーです。歌は、RONA&RINOです。1982年にリリースされた、3枚目のアルバム収録曲です。
ゆうこです。今日17日は、露菜のお誕生日でした。予定日よりも、4日早かったことを思い出します。RINOと手料理でお祝いしました。露菜には、「長生きして下さいよ」と声をかけました。寒暖差が激しい毎日です。私も体調に気をつけたいと思いますけれど、皆様もどうぞ、気温変化にお気をつけ下さい。本日の動画は、村下孝蔵「女優」アレンジカバーです。歌は、RONA&RINOです。「大安吉日」の優しさで包まれているような歌とは、全く角度が違うものです。村
露菜です。「初恋」「踊り子」など、村下孝蔵は、多くのヒット曲を生み出しております。昭和の時代にリリースした”LPレコード”の中には、ヒット曲以外にも、美しい旋律の歌が、とても多く残されています。令和の今に、村下孝蔵が残した様々な歌をさわやかに、又、丁寧に再現したく思い私露菜と妹のRINOの2人で2022年から歌い始めております。活動名は”RONA&RINO”といたしております。本日、見て頂く動画は、2022年6月の父の命日を前にYouTube上に、