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こんにちは😃今回は、ずっと書きたかった台湾についての記事です。皆さんは霧社事件(むしゃじけん)をご存知でしょうか。台湾が好きだとか、歴史に詳しい方以外はあまり知られていないと思います。霧社事件とは、日本統治時代に台湾の霧社で起きた原住民による反乱事件です。厳しい日本の統治に不満を抱き、セデック族を中心に運動会を襲撃、100人以上の日本人が殺害されました。ドントテルミー荒井さんが解説してくださってます。セデック•バレという映画も気になってAmazonで購入しました
【川中島部落(現:清流部落)入口】埔里からバスで1時間程で行ける山間に位置する部落です。こちらは、日本統治時代に起きた『霧社事件』を起こした部落の人たちの末裔が住んで居るエリアです。この部落には私の知り合いもいるので、今までに沢山の日本人の方たちも訪れています。特に何か特別なものがある場所ではありませんが、霧社事件に興味がある方には是非訪れてもらいたいお勧めの名所です。私はいつもスクーターで30分程で行けるので、昨日もお土産(今月四国旅行するので友人へのお土産)を買いに行ってきまし
町の様子です。霧社はとても面積が広い仁愛郷の中の一部分で、政公所(役所)がある場所です。役所関連の何かの手続きをしなければならない時は、こちらへ訪れる必要があります。私も友人の付き合い(通訳とかで)で、何度もこちらにある政公所へ訪れています。取り合えずの有名所です。日本人が大量殺害された霧社事件の首謀者であるモナ・ルダオを英雄扱いしている公園です。殺人集団の首領がどうして?と思う点もありますが、原住民と日本人どちらが悪いとかやりだすとキリがない。『これは過去に起きたお互いの悲し
最近読み直している本です。台湾で日本人として生まれながらも、敗戦後も『日本人』として台湾に居残ったために本当に苦労された人生を歩まれた下山操子さんとその一家のお話です。日本の敗戦に伴って中国から国民党が台湾にやってきました。当時、下山一家が住んでいた霧社にも国民党が入りこんできて、霧社事件の犠牲者(日本人)たちのお墓も国民党たちに破壊されてしまいました。この地に残って生活していた下山さんたちは、お墓が破壊される情報を事前に掴んでいて、破壊される前夜(深夜12時ごろだそうです)に一家
2024年1月霧社事件の現場へ行く。ここは、現場となった小学校の跡地正門を道路から撮影したもの。敷地内に入ると、当時の面影は何もない。横幅約150メートル。正門から突き当たりまで、目測約5〜60メートル。突き当たりの奥は、小さな崖。モーナ・ルダオの慰霊の場所他に誰もいない。こんなもんか、という感想しかない。当然ながら、読めません。結構な山の中にありました。道場の先生に「モーナ・ルダオの墓に行ってみたい」とお願いして、実現した。これ
もう今から10年ほど前に公開された映画作品ですが、日本統治下にあった時代の台湾霧社事件を題材にした超大作「セデック・バレ」をご紹介します。前編後編を合わせて4時間半にも渡る長編映画です。また、台湾史上最高額となる制作費をかけられました。今では台湾は親日国として日本に最も近しい国ではありますが、日清戦争後に日本の統治下となった台湾の先住民の蜂起は数多くありました。中でも大きな抗日運動だったのが、セデック族との間で起こった悲劇❝霧社事件❞です。台湾側からの視点での制作であるものの、反日感情
台湾島にはもともと台湾原住民(Wikipedeia)が居住していましたが、漢民族が沿岸部に移住しはじめ、内陸部は山岳地帯に追いやられました。台湾原住民は数十の部族に分かれていましたが、主に狩猟採集を生業としていました。彼らには国家統治は及んでいません。限られた狩場をめぐって部族同士の争いは絶えず、殺し合いのなかで敵部族の首を狩って一人前、とする風習が続いていました。「首狩り族」と聞くと私たちはそれだけで野蛮で理解できない民族として扱い、震えあがりますね。ほんの数十年前までそれは実際にあった
先輩の御指導を賜り、学生証を受け取ることが出来ました。そして、図書館へも入る事が可能となり、利用させてもらっています。放課後、日本語類型?(日本関係の書庫がある)のある地下1階に行き本を眺めていると、霧社事件に関連する本があったので借りる事にした。でも、借り方が分からないのでスマホをいじっていた女子高校生に聞いた。本を借りたいのだが、どこに持って行けばいいの?それは、上の階です。あっ、私が案内します。有難う。と、二人で1階フロアーに行き、高校生が係員にこの、おっちゃんが
台湾に行くと決めてから、台湾についてより関心を持つこととなった。暇あるごとに台湾の文化や語学学校の事、台湾の生活についてブログやYouTubeなどで、検索してみた。当初は中国語の勉強や台湾の生活についての情報収集がメインであったけれど、最近は語学学習よりも台湾の一地方で使われている「宜蘭クレオール」や台湾建国の歴史・台湾原住民に興味が移ってきた。クレオール(言語)を簡単に言うと、意思疎通ができない異なる言語話者の間で自然に作り上げられた言語で、その話者達の子供たちの世代で母語として話さ
16年ほど前、台湾で。
外国人と英語で会話してこいというのが大学で最初の課題だった。街頭で外国人をインタビューし、録音したテープを提出せよと。クラスは大騒ぎになった。英語は教室でやるもの、外で使う実用ではないという意識が大半で。課題を出した英国人講師の説明では、あらかじめ質問を用意しておき、インタビューを3件以上集めること。相手に録音の許可をとること。そこまでは大学生でも理解できたが、インタビュー内容は「宗教ダメ、政治ダメ、歴史ダメ」と。強く繰り返し念を押され、それが日本の大学生にはわけがわからず。
皆様、ご機嫌YOです!今でも日本の友好国である台湾、この国はかつて旧帝国時代に日本の植民地となっていた過去が有る事は皆様ご存じだろう。比較的長期間にわたり植民地にされたにも拘らず、今も日本に対し友好的と言う珍しい、そしてありがたい国である。ただ、真の意味での両国の友好の為にも、旧帝国時代の占領の過去は我々は光と陰の両面を知っておくべきだろう。今回紹介する動画、それは旧帝国と台湾の先住民族の一つであるセデック族との争いが凄惨な事態に発展した事件である。霧社事件と呼ばれるこの事件では
興味がある方はリブログされたし!!台湾「霧社事件」を歩く:(上)最大の抗日蜂起頭目モーナ・ルーダオの彫像は写真スポットに|毎日新聞台湾で大ヒットした映画「セデック・バレ」。日本統治下の台湾で起きた原住民による最大の抗日蜂起、霧社(むしゃ)事件について、セデック族のモーナ・ルーダオを主人公に全編セデック語で描き、日本でも大きな話題を呼んだ。約90年前に起きた事件のゆかりの地を、「抗日霧社事件をめぐる人々」(日本機関紙出版センタmainichi.jp台湾「霧社事件」を歩く:(下)
私は台北本社に移ってから毎朝、本社の前のテントのような店で新聞を買うのを日課にしていました。今日も新聞を買いに店に行ったところ、お金を払おうとした時に携帯が鳴って、それは東京本社からの電話でした。話終わると何時もはブスッとした年配のオジサンが「あなた日本人?」と聞いて来て「僕は昔、高砂義勇兵としてラバウルに出征したんだ。日本の上官は俺たちを平等に扱ってくれて、糧秣(食料)が少ない時は皆で分け合って食べたもんだ」と言って軍歌も歌ってくれました。台北の繁華街、林森
人と人も同じですが、国と国もお互いの歴史や文化を正しく理解してこそ、より深い尊重し合える関係を結べると思います。オリンピック柔道60キロ級で楊勇緯さんが銀メダルを取ったことから、台湾先住民について三船文彰先生から話題提供していただきました。(楊勇緯さんは台湾先住民のパイワン(排湾)族です)今回のワクチン提供にもご尽力なさられ、また長年芸術を通して日台の文化の橋渡しをなさっておられる三船先生からご助言いただきましたこともあり、今日は台湾の先住民について触れようと思います😊台湾の先住民について
◆台湾車道最高地点に立つ!7月20日、7時過ぎに起きた。ちょっと寝坊だ。昨夜買っておいた弁当で朝食。悪くはなっていなようだが、ちょいと怖いよなー。でも、残らず食った。大丈夫!大丈夫!!9時に出発。買った地図は、台湾全図なので、道は大雑把にしか分からない。まーなんとかなるだろー海の方向と逆に行けばいいんだろーと、とりあえず走り出した。それにしても、台中もでかいビルの建設ラッシュだ。台中駅にて途中、「高雄牛乳大王」というのを見つけ、PAPAYAMILKを飲む。これが絶
15年ほど前、台湾で。
昨日のニュースで台湾元総統・李登輝氏が死去「民主化の父」有難い事に、昔,17か18年前1度お会いする機会がありまして、当時起業塾で学生スタッフをしてた頃懐かしき、BBTオフィス(当時はohmae@ビル)の1階で働いてて2階のスカパー757チャンネルの撮影ルームに来られた時に、玄関でお会いし当時名前のある方たくさん来られてて、撮影ルームをよく覗きに行ってたのですが対談で、AIBOを見て興味持ってた李登輝さんが印象的でした。その頃、来る人来る人、著名な方ばかりだったので、とに
7月5日(日)、朝7時15分から、日本映画専門チャンネル(BS放送501ch)で、「湾生回家」(2015年、台湾映画)を見た。ホァン・ミンチェン(黄銘正)監督、エギュゼクティブ・プロデューサー:チェン・シュエンルー陳宣儒(日本名:田中實加)とある。以前読んだ「台湾を知るための60章」(明石書店)で知ったが、「湾生」という言葉があるらしい。日本統治下の台湾で生まれた日本人のことをさす。その「湾生」の人たち数人が登場し、「故郷」台湾を語る。開拓移民として花蓮などの荒れ地に
魏德聖監督の台湾映画。第一部「太陽旗」と第二部「虹の橋」、合わせて4時間超えの超大作。しかも宇多丸さんが2013年ベスト1に挙げていたやつ。元気のあるときに…と思っていて、外出自粛のこの際にやっと観れました。時は日本統治時代の台湾。南投・霧社で起きた、日本支配に対する原住民の蜂起、それに関わった人々を描く。日本統治をよく思わない原住民、共生しようとする原住民、原住民を理解しようとする日本人、原住民を見下している日本人。いろんな立場の人をなるべく偏りないバランスで取り上げつつ、あの状況で
すさまじい映画。よく撮れたなぁ~今年ベスト候補文化vs文化の闘い。台湾であった「霧社事件」という日本人120人以上の虐殺事件を描いた実話ベース。こういう映画侵略者=日本人を悪く描けば分かりやすく、勧善懲悪モノになる。ところがそうなっていない!いい日本人もいれば悪い日本人もいる。日本人好きなセデック族もいれば日本人嫌いもいる。そんだけの多面性がある分尺が長い!:5時間!この映画実はミュージカルなんだわな~歌いまくるーーーとにかくとんでもない!映画。よ