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GW前まだ桜のシーズン事前予約し修学院離宮の参観に当日受付もネットでも直接でも空きがあれば参観時間少し前まで入口で待機約1時間30分のコース上中下の3つの離宮からなっていますいくつかのグループに分かれstart柿葺屋根で花菱紋の透かし彫りが施されている御幸門
後水尾天皇の正室・東福門院が延宝6年に没した後、天和2年に皇女・光子内親王の為に女院御所の奥対面所を移築したものである。客殿の一の間は12.5畳で、一間半の飾り棚を構えるが、互い違いに配された大小5枚の棚板があたかも霞がたなびく様に見える事から「【➉】霞棚」と呼ばれ、桂離宮の「桂棚」、三宝院の「醍醐棚」、と共に天下の三棚と称されている。戸袋には更級模様、地袋には友禅染、引手は羽子板形、花車を模った七宝流しの隠釘など、女性の住まいらしい華やかさが表現さ
桂離宮修学院離宮[京都新聞出版センター]楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}修学院離宮の続きです次の門をくぐるとまた違った風景が待ち構えていました広い広い里山です客殿霞棚祇園祭の放下鉾(ほうかほこ)と岩戸山が描かれています鯉の図は、鯉が絵から飛び出るのを防ぐ網まで描いた緻密な絵反対側は破れている個所まで描かれていて遊び心があります林丘寺の門につながる石段網干の欄干キラキラな豪華絢爛ではありませんが、至る所に雅な優雅さを感じる造り修学院離宮
『修学院離宮②棚田と中離宮』『修学院離宮①下離宮寿月観』京都仙洞御所の記事が終わったので、勢いで修学院離宮の記事も進めてしまいます。修学院離宮は後水尾上皇によって造営され1659年に…ameblo.jp②からの続きになります。中離宮、楽只軒。南側は庭に面して広縁が設けられ、床を低くとって庭との一体感が深められています。客殿は東福門院(後水尾上皇の皇后、徳川秀忠の娘和子)の死後に女院御所の奥対面所から移築された、入母屋造りで木賊(とくさ)葺きの建物です。廂(ひ
名古屋のシンゾウです二人の女性「①吉祥女と②吉光女」①吉祥女(きっしょうめ)菅原道真の夫人、道真公が九州に左遷された年に、夫人の吉祥女は子女三人と共に、遠地の岩手へと流されました。しかも、4人は離れ離れにされたそうです。寒くて辛かったでしょう。吉祥女の墓はこの地にあります。家族のことは、殆ど知られていません。②吉光女(きっこうにょ)親鸞聖人の母は吉光女で、一説には、源義朝(源頼朝の父)と修理大夫中原範兼の娘との間に生まれたとされます。父は藤原氏の流れをくむ日野有範です。
名古屋のシンゾウです試験後遺症もあってか、どうしても5時前に目が覚めてしまいます。このところは、早朝からTV番組を見ながら問題を作るという至福の時間にあてています。問題を作りながら、あれはどうだったかな、これはどうだったかな、あれは誰だったかな.....雑念が際限なく広がっていきます。少しは知識が増えたのかなぁと思う反面、なんと忘れっぽいことか!.....なかなか1問が完成しません。1問の筈が5問も出来てしまうこともあります。なかなか1番組が見終わりません。続きは明日やるか!!この緩さがたまら
名古屋のシンゾウです女房と二人だけのクリスマスイブ.....それはそれで楽しいのですが、やはり孫達がいないのは寂しいですね。本日も緩い問題を掲載します。◆◆◆◆◆◆◆◆◆本日の問題(346)◆◆◆◆◆◆◆◆◆《緩い問題(6)》【17231】高山寺は誰が鎌倉時代初期に再興したか。【17232】京舞井上流、流派の基礎が築かれたのはどこか。(!遊郭)【17233】山鉾巡行で柳の枝を垂らすのが特徴の山鉾は。(2つ)【17234】相国寺境内にある承天閣美術館
・・・5段の違い棚は何と呼ばれているか?「天下の三大名棚」とは、醍醐棚(醍醐寺三宝院)桂棚(桂離宮)と、霞棚(修学院離宮)で、中御茶屋客殿にある1間半の飾り棚で、大小5枚のケヤキの棚板を互いに組み合わせて吊るし、あたかも霞がたなびく様に見え「霞棚」と呼ばれる。地袋やその上に置く3角棚の小襖絵や引手にも細やかな意匠が凝らされている。
先週申し込んでました。後水尾上皇の自らの設計によって江戸初期に造営された別邸☝️(上、中、下離宮に分かれています☝️)京阪出町柳駅から、叡山電鉄に乗り換えて修学院駅で下車。そこから徒歩20分くらいです。京都市左京区。叡山電鉄。修学院離宮入口。8時40分着。2万4千坪☝️休憩所。御幸門。柿葺の屋根と花菱紋の透かし彫り☝️時間になったので、先週の仙洞御所と同じく、ツアー形式でぞろぞろと。まずは下離宮。灯籠がいろいろ。寿月観。扁額は、後水尾上皇の宸筆。岡本豊彦「泊舟」。
王朝文化の美意識の到達点と言われる修学院離宮へ歴史的背景、細部に亘るこだわりを、解説を聞きながら見学やんごとなき方は暮らしが雅でも生涯箱庭にいるようなものだから自然に焦がれるのだろうか何百年も前から同じ風景だったろう里山にその自然景観と見事に融けあった庭園を富士山も海も滝も、実際に見られないから作った後水尾上皇の雄大な構想になる理想の山荘表総門磨き竹の袖塀と太い磨き丸太の門柱御幸門行幸の際に用いられた寿月観広大な里山風景中御茶屋表門客
修学院離宮は、上、中、下の3つの離宮(お茶屋)からなっています上離宮背後の山、借景となる山林、それに3つの離宮を連絡する松並木の道と両側に広がる田畑で構成されています(パンフレットより抜粋)中離宮へは、先ほど見た下離宮「寿月観」の上の広場から、長い松並木を歩きます松並木のすき間から、借景の東山と上離宮に向かう松並木が見えます松並木の両側は、田畑が広がっています、これも離宮の一部景観を保つため、ちゃんと作物が作られています