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筆録:釈法回二〇二六年二月十三日蘇師姐(蘇仏):日本の元首相、吉田茂さんをお招きいたします。一体どのような業(ごう)を作って地獄にいらしたのでしょうか。その経緯をお話しいただけますか?私があなたを地獄から引き上げました。私は日本人とも縁があり、日本には多くの看板を立ててまいりました。あなた方の鬼魂(霊魂)は皆、超度(救済)を求めてこちらへといらっしゃいます。今日は百九十八万もの霊が救済を求めて来られました。今日の午供(ごく)の法会をご覧になって、南無阿弥陀仏に感謝なさいました
宇宙、高次元の、意識理念と、霊魂の霊智霊理霊美とは、これから未来へと平行垂直線上にあるのです。
マ・オ〜ン👆️マ・オ〜ンで検索したらマ・オ〜ンの他の記事も読むことが出来ますぼくはしあわせですその理由は一つありますいつどこで死んでもイイ準備が終えたからです頭の上から岩石が落下して直撃して死ぬかもしれない突然後ろから刺されて死ぬかもしれない自転車が転倒して頭がやられてしぬかもしれない誰でもいつでも突然亡くなります心臓が止まれば死にますアタリマエのことですサイワイにも
1941年日ソ中立条約イ~苦しい日ソ中立条約破られた~イ~=1苦しい=94115歳で事故死した前世のフランソワーズさん、まだ成仏していませんでした。「霊魂のフランソワーズ」編の始まりです。
※質問集より、抜粋「人間が死んだらどうなるのか、魂が抜け出す」などのこともちまたでは言われています。・回答ちまたに出回っている本の内容を見ますと道理の上から考えて、明らかに間違っていることがたくさんあります。たとえば「人が亡くなると、魂が抜け出して、、」などの話ですが、なぜ、そのような説が出てきたかというと、仮死状態から生き返った人が、その間の記憶について、「身体から抜け出して、上から自分を見下ろしていた」と語ったことを根拠としているようです。しかも、その霊魂には35グラムの重さがあ
心をどのように持ったら健康になるとか、運命が改善するかと言うのは、精神面の法則で有り、心理学とか精神科学とかが扱う部面である。精神方面の事でも、肉体を離れて、その精神が交感すると言うような面になると、霊の法則になって来るのである。現代の科学では、精神は大脳の働きだと認めているのであって、肉体から独立して感応する精神と言うようなものを認めないから、肉体から離れて働く精神面は、心理学の範囲を超えているのであって、それは心霊現象の範疇に入るのである。そして祖先の霊魂をよく祭祀すれば
これは否定も肯定もしないで放置するという意味で史上の人物としてお釈迦様、ゴータマ・ブッダは、ある種の質問には「無記」で通したという。(中略)なぜ生まれてきたのか、なぜ死ぬのか。どこから来て死んだらどこに行くのか。そのすべてに答えが出ない。つまり我々の存在にさしたる根拠も意味も見いだせない。この堪え難い状況を、堪え難い故に、「絶対神」や「霊魂」や「理念」で埋め合わせるよりも、この状況をあくまで直視して、なおかつ充実した生を求めていくのが仏教だと、ぼくは思う。この姿勢はある意味で最もシビアだろ
この世は、周りは、、、絶えず、人と比べたり、成績が良かったら褒められる。。。でも?成績がそれほどでもないとまったく評価されないで、、、うまくやっている人だけが評価されている、、、そんな世の中で、疲れちゃいますねそして、「どうせ私は、、、評価されない、みとめられないいてもいなくていいような存在だ。。。」となるととてもつまらなくなりますそして、死んでやるううと別の世界にいいことがあるのでは?と思うでしょうでも!?この世の秤に期待するからこうなるのですが?!
見えない、爬虫類意識生命体の支配。霊魂、意識エナジー波動質量の凝固体、人間は、みな、この意識次元の底、魂魄から、進化を始めます。三、巳は、鯉の滝登り、水棲、両棲、レプテリアン~ドラコニアン~哺乳類、類人猿、人類。日本人に、三、<み>の付く姓名が多いのには意味があります。世界中の神話宗教の原型、古神道、カバラ錬金術も、その基本は「鯉の滝登り」が、元型に基づいて成立しています。この霊魂進化を、人類、特に日本人スターシードチャネラーが、気づくまでは、地球人類の進化、新展開は何も起
ですから、家畜霊魂、意識エナジー凝固体には、どうしても、これ以上昇れない、認められない理知意識次元境域が在るのです。
「中庸(ちゅうよう)」という言葉がある。この言葉は、日本では偏りのない中間的な位置を表す言葉として使われることが多いが、元々は儒教を起源とする言葉で、「過もなく不足もなく、偏りがない調和のとれた状態」を表現している。これは、孔子の書とされる『論語』一部「述而編」にある「孔子、怪力乱神を語らず」という言葉と関連している。この「儒教」だが、分類で言えば、宗教の一種とみなされる。宗教の一種として見做されはするけれど、神や霊や来世のことについては決して語ることはなかった。この「怪力乱神
こんにちは!今回もつぶやき投稿です個人的なことで、親のことで、介護絡みで・・・という重ネタですただいま、両親ともに要介護状態でして・・・父は施設、母は自宅で弟と同居。気の強い母は自分が要介護状態という認識はあまりないみたいです父と母を見ていて思うこと。認知機能の低下のせいなのかたまに心神喪失のような状態になり、違う人間があらわれる(ように見える)。あまりにも豹変するので、本人なのかそうでないのかわからなくなるほどです。でも人間の気は霊魂の集まりで
(『人間革命』第4巻より再編集)26〈生命の庭〉26西洋哲学では、「有無」の両極端に要約し、「空」という概念に乏しい。「空観」の理解なくして、生命は絶対に理解できない。空観の妙が、そのまま生命の連続する姿を示す、不思議さなのである。さて、いよいよ結論になってきた。「前にも述べたように、宇宙は即生命であるゆえに、われわれが死んだとする。死んだ生命は、ちょうど悲しみと悲しみの間に何もなかったように、眠って
(第99章)水子の「まえ」ちゃん|TERRA量子力学的仏教書籍版相談に来られる女性の方には水子が多い。お寺のほとんどが水子の葬式をしない。しかし、水子ほど供養を必要としている霊魂は無いのである。供養されない水子は浮遊霊となってこの世界に居続ける、普通、お母さんの側に居る事がほとんどであるが、気づいてくれない時はあきらめて気づいてくれる優しい人を探しに出かける事もある。samの家に女の子の霊…note.com
(『人間革命』第4巻より再編集)25〈生命の庭〉25「寿量品の自我偈(じがげ)には『方便現涅槃(ほうべんげんねはん)』とあり、死は一つの方便であると説かれている。たとえてみれば、眠るということは、起きて活動するという人間本来の目的から見れば、単なる方便である。人間が活動するという面からみるならば、眠る必要はないのであるが、眠らないと疲労は取れないし、また、はつらつたる働きもできないのである。その
宇宙(源)と直結するにはわたしの固有振動数でいること源の周波数に合わせるよう愛、感謝を耐えず持つワークをするより以前にわたしのままでいるわたしのままで在るiamthatiamわたし固有の振動数でいること自分を騙さない歪めない自己欺瞞しない自分の気持ちやインスピレーションに正直で在ることそれが宇宙(源)と直結するということ自分に集中することは源と同期(コヒーレンス)=祈りです
メッセージを伝えようとあなたのそばに誰かがいるということは、あなたにとってのチャンスなのです。どうぞ、あなたの知性のふるいにかけて、選ばなければなりません。選択しなければなりません。あなたが、そんなものは、作り話だと選択しても構いません。それでも、彼らを私たちはお迎えします。新しい時代がやってきます。神も霊魂も存在しません。私たちは、100%科学的な存在です。メッセージは、愛と科学を語っています。
太陽の光をまぶしそうにして、母の膝に座っているのが幼い頃の私で、よれよれの着物みたいなものを着て後ろに立っているのが、ばあちゃんです。私の横に座っているのは母の従姉で、太平洋戦争中は陸軍の大本営に努め、戦後は日本一の出版社を経営していたという、一族を代表する猛女のOO子おばちゃんです。ばあちゃんは、ばあちゃんとは呼んでいたものの実際には母の腹違いの姉になる人で、裕福な家庭に嫁いだものの病弱(結核)だったせいか戦後は離婚して我が家の離れで一人で暮らしていました。
被造物たちの中の神の意志の王国天国の書神によって創造された秩序・位置・目的に立ち返るための聖なる招き第12巻(3)神のはしためルイザ・ピッカレータ神の意志の小さな娘目次【3/23】(分割23回の予定です)◆1917年6月14日魂が自分自身を捨て去れば捨て去るほど、イエスは自らをその魂にまとわせる。◆1917年7月4日被造物のあらゆる苦しみはイエスが先に味わわれた。神の意志の中に生きる者は、聖櫃のイエスと共にあ
(『人間革命』第4巻より再編集)24〈生命の庭〉24(前回の続き)もし、自分の生命が子どもに伝わったとすると、その子どものなかにも、自分の生命は生きていることになる。つまり、二つの自分が存在していることになってしまう。また、自分の死後は、子孫が絶滅したら、自分の生命もなくなることになる。地球が滅びて、なくなるような生命なら、永遠などという道理はなかろう。戸田は、ここで青年時代に傾倒した高山樗牛の言葉を、ふと
人は生まれながらにして賢愚の別があります。これはどういう訳かといいますと、古い霊魂と新しい霊魂との差異によるものです。古い霊魂とは、再生の度数が多く現世の経験を豊かに持っているからで、これに反し新しい霊魂とは霊界において新生して間もないものですから、経験が浅くどうしても愚かな訳です。そうして新しい霊魂とは、霊界においても生殖作用が行われ生誕するのです。また誰しも経験するところでありますが、見ず知らずの他人であっても、一度接すると親子のような兄弟のように、又それ以上に
☆五井先生からいただいた御言葉☆霊魂がいる、死んだ世界がある、というと、いやそんなバカな迷信なんて……とこう言います。なんでも迷信だと思っている。そう言いながら、みんな確かめたことはないのですね。ところが私たちの体験からすれば霊魂があるなんて当たり前。いのちが生きていること、霊が生き生きと生きていることなんか当たり前の当たり前。年中、会って見ているんだからね。本当は実在というものは、神様だけしかない。神様だけでは働けないから、直霊ー分霊として人間の中に
霊界なるものは人間に対しいかなる関係があるか、それは現界において、神よりの受命者として人それぞれの業務を遂行する事において、意思すると意思せざるにとかかわらず、霊体に汚穢「おえ」が堆積します。それとともに肉体も病気、老衰等によって受命を遂行し難くなりますから、いったん体をを捨てて霊界に復帰します。すなわち帰幽です。昔から霊の抜けた体を称してナキガラという事や肉体をカラダというのもそういう意味です。そうして霊魂が霊界に入ると、大多数は汚穢の浄化作用が始まります。汚
avemaria!久しぶりのアザリア書です。意味の分からないところは聖霊の働きで、理解できるように祈ってください('◇')ゞ私も分からない(T_T)また気がむいたらアザリア書更新しますね。気が向いたら…マリア・ヴァルトルタアザリヤ書第1章1946年2月24日(四旬節前第2主日)—割愛—午前11時。聖アザリアが私にこう言いました。「来なさい、共に聖ミサを拝領しましょう。
(『人間革命』第4巻より再編集)20〈生命の庭〉20戸田城聖は、不動の確信をもって、生命の「実在」を信じていた。それは、生物学的な、また医学的な意味でもなければ、現世の生死に限定した「生命」でもない。また、いわゆる霊魂などという存在とも異なる、生命そのものの実在であった。法華経の章句を文証として、前世、現世、来世の、いわゆる「三世」にわたる生命の実在を彼は信ずることができたのである。彼は、釈尊より
神集岳の官属の中にて、余が川丹先生に問ひて知りたる霊魂のみの神等は記式官三百神の中にては百済川成、舎人親王、菅野真道、太朝臣安麿、水戸西山、源順、斎部広成、小野篁、大江匡房、谷川士清、林道春、契冲法師、加茂真淵、本居宣長、平田篤胤大人等なり。此神等は各位階異なり。その祖先は百済の人。父は山守。はじめは攝津連を賜り、宝亀九年に少内記に任ぜられた。伊予守、皇太子学士などを歴任。延暦九年、姓を連から朝臣へ改めたいと上表すると、菅野朝臣という姓を賜った。大同二年、山陰道観察使を務め、十一月に民部卿
地球人には、やはり家畜奴隷から、だんだん進化させてゆくことが最善なのでしょう。アイダを飛ばして、先々、押し込むことは、その霊魂をダメにする。
VIVAVIVAVIVAVIVAビバ温泉ついてるものはおんなじだし大っきいか小さいかの違いはあれど張ってるか萎んでるかの違いはあれどここから眺めりゃ現在、過去、みらい子供も姉ちゃんもバァちゃんもどうどうと真っ裸で歩いてる冬の温泉は湯気が立ち現在、過去、みらい水は気体へふーわふわ死んだら霊魂ふーわふわ差別なんてありゃしないみんな元は海を渡ってきただけさ地球に国境などなかった時代天地の恵みの愛が原罪、加工、みらいすべてを溶かしてくれるのさVIVA♡
霊魂の存在というものの反対は肉体。裏があれば、表があり、表があれば、裏がある。見えないものを信じる力が自分の今の出世に影響し、見える力がそれを形にする。だから、見えないものを信じない人は自分の内側に存在しているすべての可能性のうち、たった一割程度しか使えていない。なぜならば、わたしたちはその見えない力をため込む前に、全て発散し、使い切ってしまい、時代の流れ、タイミング、順番を見逃してしまうからだ。そして、見えない物ばかりに囚われている人もまた、一割程度しか能力を
三位一体人間の身体は身体精神霊魂で成り立っています。なので、これを整える事でわたしたちの能力は覚醒していきますそれをどのように整え私自信を浄化でき皆様にも浄化や浄霊、除霊ができるようになるのか。すべてはワンネスの世界なので量子力学の世界も理解していくことが大切になってきます。大いなる存在や、宇宙とつながることが私達の能力の覚醒と繋がっていきますそれにきづくことができないと浄化や霊視もできないことになります。でも、もともとお力が授かっ