ブログ記事41件
稲荷山を下山し、人混みをすり抜け、徒歩で東福寺へ。東福寺は法堂が特別公開されてましたが、そちらにはいかず、特別公開されていた塔頭の龍吟庵へ。方丈は国宝です。受付で、「龍吟庵は御朱印はありません」と言われました。確かに中にも御朱印を扱っているところはありませんでした。しかも中は一切写真撮影できず。ないないづくし。去年までは御朱印もあるし、写真も撮れるしとありありずくしだったはずなのに。残念でした。でも中の三つの庭園は素敵でした。
素敵なお庭の光明院でゆっくりして、今度は東福寺の有名な臥雲橋を渡って…こちらも立派なお庭、霊雲院に美しい…しばらく、静かな時間を
前回からの続きです芬陀院から駐車場へ向かう途中で、こちらの看板を見つけました霊雲院こちらも庭園が見所のようです山門山門をくぐってからも綺麗に整えられてます六地蔵さま⁉その先に玄関拝観料は500円玄関入ったとこの受付に御朱印帳を預けて拝観しますこちらも嬉しいことに撮影OK♪受付から少し行くと書院になっていて、そこが九山八海(くせんはっかい)の庭(霊の庭)こちらも重森三玲が作庭した庭園でした♪他の庭園と全く違うとこは、この庭園の中央にある石の存在遺愛石(いあいせき)という
この日は、東福寺と塔頭の霊雲院、即宗院を参拝してきました。☆即宗院2度目のスタンプラリーです。☆東福寺御朱印☆霊雲院御朱印素晴らしい庭園でした(^∇^)
先日、雪がちらつくなか前から気になっていた「霊雲院」へ。紅葉の名所ともよばれる東福寺のすぐそば。清水寺からなら、京阪に乗り東福寺で降りて、東福寺に向かう途中にあります。東福寺へと向かう参道にありながら、ひっそりと空いていることが多い、と聞いていたのですが…この日もなんと人がおらず、貸し切り状態♡ここで昔は暮らした人たちがいたんだ!そう思うとお邪魔します!と背筋が伸びます。しかし、なんとも清々しく、ひっそりと静かな時間。難しいことはわかりませんが、い
1年前、台湾。台北郊外の北投温泉にある普済寺という寺の住職が、「自分を京都の妙心寺に引き合わせて欲しい」と、ワイフに頼んできた。そんな途方もないことを頼まれるほど、ワイフと住職が懇意である理由については、長くなるのでここでは省略するが、とにかく、その若き住職の願いは、終戦によって途絶えてしまった日本の臨済宗との交流を、なんとか復活させたいというものだった。そして、「そんな大それたことをことを頼まれても!」とうろたえる私を尻目に、ワイフは、その申し出をいとも簡単に引き受けてしてしまった。だが
本日の京都は昨晩大雨が降ったようで、陽射しはあるものの風が冷たく少しだけ冬の気配。それでは前回の泉涌寺からの続きを…東福寺に行く時は決まって北の道から入る。そして最初に目に入るのが東福寺塔頭の退耕庵。小野小町のゆかりの寺として小町寺とも呼ばれ、又、関ヶ原戦いの謀議をしたという茶室「作夢軒」がある事で知られている退耕庵。書院を挟んで南北に二つの庭園を所有し、性海霊見の作庭という南庭の「真隠庭」と6月に睡蓮が花開く北庭の池泉式庭園があるが、更に、四方の縁が竹を敷き詰めた極小の坪
#750年の歴史の重み旧山形市内で一番古いお寺#勝因寺#庫裏落慶法要素晴らしい庫裏の完成と素晴らしい落慶法要でしたご住職さまとご隠居さま寺族の方々や檀信徒の皆さまお世話になりました下の写真の右手京都#霊雲院#曇華室老大師のお言葉法の雨が降りて地が固まる良い日となる左手大分#養賢寺#蟠龍窟老大師のお言葉庫裏で心の掃除をして本堂に上がるその昔、和歌山から伝わる#普化宗#虚無僧尺八はお経の代わりにお唱え今日は#かみのやま温泉の#月岡ホテル#山形脱
ブログネタが溜まると嬉しいブロガーのほうが多いようですけど、私はどうもそれはナイみたい(;^_^A面倒臭くなっちゃうよー(つω`*)いつまでも過去のこと思い出すのが(笑)はい、普段から切替早くて、ストレス少ないタイプです(`・∀・)ノイェ-イ貯蓄型ブロガーからしたら、溜まってるうちに入らないと思いますけどねそんなワケで、ちょこちょこと色んな事*⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒*東大寺寶嚴院さんのコンパクト金剛力士(´・∀・`)ヘー奈良少年刑務所、長蛇の列に負けて帰った件
2017.6.17は京都五山の東福寺に行ってきました(´▽`)ノ東福寺方丈に引き続き、重森三玲関連の東福寺塔頭をいくつか…。霊雲院まさかの工事中で、拝観不可(>_<)「九山八海の庭」は重森三玲が修復したお庭で、須弥山に見立てられた中央の遺愛石は肥後熊本藩の細川家から寄贈されたものだそうです。「臥雲の庭」は紅白の砂紋で雲や水の流れを表しているそうで、色の違う砂を使っていることに興味を覚えます(*^_^*)門から無理やり覗き込む(⌒-⌒;)龍吟庵公開期間が決まっていて、通常
妙心寺塔頭・霊雲院。室町時代末期、妙心寺の第25世住持・円満本光国師が、その師である特芳禅傑禅師を開祖として創建した寺院です。妙心寺四派のうちの一つ「霊雲派」の本庵です。チケット書院や庭園が公開されていました。江戸時代に建てられた本堂。本堂から庭園を眺めていると、時が経つのを忘れそうでした。いただいた御朱印です。非公開文化財特別公開のガイドブックを購入して来ました。時々読み返して勉強しています。また京都へ行きたくなって来ました。母
東福寺には随分前、紅葉の季節に訪れたことがあります。記憶には広い伽藍に巨大な三門、そして紅葉に染まる通天橋。鮮やかな赤と黄色が織りなす圧倒的な景観は、全国もとより、全世界から旅人を招き寄せているそうです。今回はその超人気スポット「東福寺」に紅葉シーズン直前に訪れ、最新情報をお伝えしようかと思います。何故に紅葉シーズンではないかと云いますと、最近の京都の観光名所はビックリする位、アメリカ、ヨーロッパ、アジアそして日本人と、芋の子を洗う様な状況に陥り、とても落ち着いて撮影な
京都について、まず行ったのは、東福寺。いつもは、市バスで行くのだが、今回は、息子もいたので初めてのJR。駅から思いの外近い。通天橋を望む。紅葉も美しいが、青葉もきれい。通天橋を渡って、開山堂へ。開山堂、普門院の前のお庭は、江戸中期の名園だという。開山堂の形は、屋根の上に埋め込まれたように、2階のお堂?通天橋の下を通って戻り、方丈庭園を見学に。重森三玲が作った現代の名園。私が一番好きな北側の市松模様の庭。東のお庭も重森さんらしい。重森三玲のお庭を求めて、東福寺の塔頭の
霊雲院は妙心寺の塔頭で、龍泉庵、東海庵、聖澤院と共に妙心寺四派の一つ「霊雲派」の本庵です。1526年に妙心寺25世・大休宗休が師の龍安寺・特芳禅傑を勧請開祖として創建し、狩野派始祖の狩野正信の子・元信が逗留したことから狩野元信寺とも呼ばれています。最初の写真は方丈の唐門で、方丈は1543年に栂尾の閼伽井房を移築したのち、1693年に再建されています。次の方丈南庭は、全面が苔で覆われ、東側に赤松、西側に樹齢三百年といわれる五葉の松が植えられています。次は室町時代、1
「京の冬の旅」と「嵐電1日フリーきっぷ」を組み合わせた、ぶらっとお寺めぐりに行ってきました(´▽`)ノ(2016.1.24)天球院の前を、北総門から南総門に向かって進んでいくと、右手に霊雲院が出てきます。えー、「京の冬の旅」キャンペーンのスタンプラリーのために行ったようなもので、既にあまり記憶にない…(⌒-⌒;)あ、でも、写真の門の奥に見える仏様のお顔、柔和な雰囲気がステキでした(*^_^*)余談ですが、お庭が好きな方には、「嵐電1日フリーきっぷ」の優待施設に入っている大心院
相国寺から妙心寺へと移動。やって来たのは、霊雲院。残念ながら寺内は撮影禁止でした。門の外から適当に撮ったので水平出てませんね(苦笑妙心寺四派のひとつ、霊雲派の本庵だそうです。また、枯山水庭園は国の史跡名勝に指定されています。なんかちっちゃいお庭でしたね。壁に撮影禁止の張り紙が何枚も貼ってあってげんなり。自分的になんか印象に残らないお寺でした。もう1回か2回行かなきゃいけませんね。普段非公開、京の冬の旅では39年ぶりに公開ということで、由緒書きは無いそうです。けど意外にも御
霊雲院は東福寺の塔頭のひとつで、1390年に東福寺第80世・岐陽方秀によって創建され、はじめは不二庵と称していました。1630年頃、第7世・湘雪守沅に帰依した熊本藩主細川忠利・光尚父子から、「遺愛石」と銘をつけた須弥台と石船を寄贈されました。また、この霊雲院は幕末の頃、勤王僧・月照と西郷隆盛が倒幕の密議を交わしたところであり、日露戦争中にはロシア人の捕虜収容所にもなりました。このロシア兵が収容中に作ったというバラライカ風の楽器が展示されていました。最初の