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こんばんは、お葬式のひびき松永です。忙しい毎日で、ブログサボり気味でした近況ですが、故人様をお預かりする際にホールでのご安置ではなく、別店舗にて保冷庫でお預かりもしております。ここ2~3年は保冷庫がフル稼動している状況です。この前の冬場は保冷庫スペースでは足りないほどでした。またホールとの距離もあり、時間帯によっては渋滞にはまり往復で1時間かかります。ホール近場に安置所を探していた状況の中、やっと近場に倉庫を見つけました倉庫内の荷物を処理したりと、作業をすすめこの倉庫
病院で働いていた時に金縛にあった霊感なんかないけど職場の真下に霊安室があって2遺体入るんだけど遺体が、冷凍安置されている時には金縛にあったねもう経験したので、今後はそこで働く事はないしむしろ拒否するけどね仕事だから、悲しんでいる暇など無いけどね次から次と遺体が出るのでベルトコンベア状態です葬儀屋も大変過ぎる!!ヤサが働きいた所は、昔は野戦病院だった場所亡くなった父親から聞きましたなので、気になって外周をしたらありました!!防空壕の跡地が今は、入れない
お仕事で警察の前を通る時目が行くのは霊安室…今日はワンボックスカーが霊安室の前へとまっていた…きっと葬儀屋さんのお迎え…あ…悲しいお別れをしたかたがいるのだね…などと思いながら…ママとキミたちの時のコトを思いフラッシュバックして心が痛くなる…
母の日松はおかあちゃんに薔薇をお供えしました🌹🌹おかあちゃんともゆっくり話をしましたよ警察署の霊安室で血だらけの母を見た時の光景は松が生きている限り忘れることはできません白い髪も血のりで赤く固まっていましたしかし、松はその母を警察官の方のお許しをいただいた上でいっぱいさすってあげました産んでくれてありがとうねたくさん…たくさん…伝えましたマンハッタンで迎えた母の日お線香をたきながら…昔話をしました母は聴いてくれていたでしょうね
こんばんは、お葬式のひびき松永です。ここ1週間は比較的に落ち着いた日々でしたが、本日は18時過ぎからの2件のお迎え(搬送依頼)。先ほど2件目お迎えが終わり、弊社安置所へご安置させて頂きました。まだこの時間なので、体力は充分です‼️明日は弊社、家族葬ホールで告別式の予定がありますので、お迎えに上がりました喪家様は明日の夕方からのお打ち合わせです。頑張っていきましょー‼️お葬式のひびき松永火葬のみでのお別れ(前橋市直葬・前橋市葬儀、前橋市お葬式、前橋葬儀
おはようございます。4月20日本日お誕生日の方おめでとうございますさて、今日は少し前にお世話をさせていただいた故人様の話。故人様、左右の手首、腕、手の甲などに点滴の痕がありました。その中でもガーゼで圧迫されてテープでとまっているところが。疵を確認のためテープとガーゼを剥がします。出血も止まっています。仰々しくテーピングされているものを剥がすと、「え?どこが疵?」なんてこともありますがこういう圧迫止血があるからこその「え?どこが疵」となるわけで、病院関係者や
只今、入院中。先週の水曜日の透析後、トイレ出たり入ったりを繰り返し、おまけに嘔吐もして、脱水状態になってしまいました。このまま、病院の霊安室に安置してもらおうかな。
前回お話した、娘の入院は一カ月近くに及びました。息子の方は、私の両親に預けて。小さな子どもはお見舞いには来られないので、私が息子に会えるのは週末、娘の付き添いを主人が代わってくれる時だけ。娘の病院は、今でこそ新病棟が出来て普通になりましたが、当時は古くて怖いところに小児病棟があることで有名でした。ほぼ木造の建物。病室は、窓がキチンと閉まらない状態なので新聞紙を貼って🗞補強してんですよ!なんか、明治大正時代の病院みたいな…もうこれで、どの大学かわかっちゃうかも?!検査室は、
2023/02/17父の緊急入院3日目パート勤務が終わり帰宅。スマホに連絡もなく…まだ大丈夫だと思っていた。PM02:51妹から着信「病院から電話がきた、お父さんの瞳孔が開いてきているから来てください」と。心の準備や覚悟なんてできる訳もなく実家の母と次女を車に乗せて、病院へ向かった。三女と病院で合流して4人で呼ばれるまで待ち救命救急センター入口で母だけが父の死亡確認に向かう。PM04:01父死亡78歳看護師さんから家族だけが入
こんばんは。今日は少し前にお世話をさせていただいた故人様のお話を。初めての場所(霊安室)でのお世話、使い勝手や動線が分からず。ふと故人様のお手元を見ると何かを握って手を組んでいました。手をほどいてみると丸まった写真が。家族写真のようです。お着替えのときに一旦お取りして仏衣にお着替えの後胸元、組んだ手の下にお持ちいただくような形に。お支度が整った後葬家様にお入りいただきましたがすぐにその写真に気づき「これ!どこにあったんですか?」と。故人様が握っ
病院の先生に呼ばれた日、私は病院で弟夫婦にキレました。笑理由は、こそこそと話ができないから。自の声が大きいのもあるのか、こそこそ声がデカいの。お母さんがそろそろ危ない…って連絡来たから飛んでったんだけど、結局間に合わず…で、どこに連絡するか、子供達(連子)に連絡とって…それから…とか言ってる。夜中の2時の病院内(しかも霊安室、そこにお母さんいるし)でベラベラ喋ってる…もう少し、悲しみとかしょんぼり感って出ないの?うちらは本当に死んじゃったんだ…ってドーンって気持ちでいっぱいで連絡なん
https://youtu.be/F2n7XvkQGnM【宮脇睦(みやわきあつし)】1683ざまぁ朝日「論座」終了はリストラ。理由は社長らの「背任罪」の経営リスクか。「霊安室」閉鎖でホームレス朝日文化人|みやわきチャンネル(仮)
続き迷路のような通路の奥は、一旦建物の外に出された。駐車スペースの脇に、倉庫のような小さな部屋。ここ、冷蔵庫じゃん⁈凍えそうなくらい寒い部屋。お巡りさんがカーテンを開けた。そこには、ベッドが一台。白いシーツに覆われた人らしきものが寝かされてる。中央には、ロウソクと線香が焚かれた台。まさに、ドラマで観たことある景色。「ご確認お願いします」とお巡りさんが、白いハンカチをめくった。そこには確かに息子がいるのに私は、思わずその姿を見て、口を覆った。「・・うそ??・・違うよね?な
ご訪問ありがとうございます。昨年、ショートステイ中、転倒して大腿骨頸部骨折で入院し(10/22)、誤嚥性肺炎、コロナ陽性を経て、1ヶ月後(11/22)に人工関節の手術を受けた父、現在リハビリ入院中。さてさて、入院している父の事は進捗もないので、2019年11月、89歳にうっ血性心不全(死亡診断書)で亡くなった母の忘備録で、【母のこと】の続きです。『【母のこと】危篤状態脱したはずが、最後の日に』ご訪問ありがとうございます。ショートステイ中、転倒して大腿骨頸部骨折
一足先に前乗りしているときちゃん翌日、もちろん面会へみんなで行きました初めての空間面会室という名のあれが霊安室というところかそこには、初めて見る棺に横になる母の姿(なんかときちゃんっていう言葉をつかえないというか、使いたくない。私はまだ受け入れたくないんやなと今まさに再確認したええんやで私。それでいい。←言い聞かせw)箱入り娘ならぬ『箱入りときちゃん』やな・・・・近寄り覗き込むそこには、浮腫みもないきれいな
いつもご訪問して下さり、有り難うございます~~~👋😊先日、そろそろしておきましょうか...と...かかりつけの病院で血液検査をしたのですが...膵臓の数値が悪かったみたいで...😢😢😢紹介状を書くから検査しに行って来て...と、先生に言われ、なんか気落ち...💧まだ、死にたくな~~~い📣内視鏡の検査だったんだけど...今日、初めて行く病院に行って来ました...💦昔からそうなんだけど...私って...たぶん、呼吸が下手なんだ
文字起こし北京の「死体安置所」が満杯!感染拡大が深刻!2022年12月13日看中国北京は、封鎖を全面的に解除してから2週間しか経っていません。しかし、新規感染者が急増しています。病院や救急センターはすでに負荷に耐えられず、北京の各病院の霊安室もすでに満杯で、遺体を泊める場所がないというニュースが流れています。また北京は、16日に集団感染の第1波のピークに達するという内部情報もありました。中国公式メディアの報道によると、北京の発熱外来には、11日1週
冷たい雨の1日昨夜も寝付けずドリエル飲んだ今日も実家へ11時半頃今日は母方の従兄弟が当日来れるか分からないので父に会いに来てくれた。昔話で盛り上がり泣いたり笑ったりみんなが帰ってからは静まり返って寂しかった。お父さんいるから暖房もかけれず^^;16時実家から少しの所の霊安室へ移動父の場合は腹水が多い為この時期でも傷みが進んでしまうようです母の時は実家に置いといたので霊安室は初めて。何とも言えない寂しさ(・o・;)次合うのは前日の金曜日湯灌式だよと伝えてその
長女が亡くなったあと4時間程病室で過ごしました。その間にしたことは、まず…夫と私の両親に連絡をしました。何名かの先生や看護師さんが長女とお別れの挨拶をしに来てくれました。息子が選んだお洋服にお着替えしたり頬をピンクに塗ってあげたりしました。主治医から今までの治療経過と解剖の有無の話などがありました。解剖は希望しませんでした。そして、死亡届と死亡診断書を受け取りました。この後の流れがどうなるのか。全然わからない…長女を霊安室に連れて行ったあと病院にいる葬儀屋さんと
ゾッとする一夜昨日から一泊で検査入院に来ていたSさんは、午前中に全ての検査が終わり、奥様と一緒に担当の先生から結果の説明を聞いて午後には退院されて行きました。こうしてまた4人部屋を個室利用になった私はいよいよ一人寝の一夜を迎えました。夜の病院の病室は蛍光灯の灯りだけが白々と四面の壁に冴え、暖房が入って病衣だけでいられるとはいえ、どこか薄ら寒さを感じます。私はテレビを契約してはおりませんが、いつもなら他の人たちが消灯までそれぞれのテレビを点けているので、イヤホン使用で音は漏れないけ
何があっても母は笑って受け止めた。僕はそんな母の受け止めるという術を肌で感じて育った。祖父の家に預けられた僕はずっと母が迎えに来るのを待っていた。学校の授業が終わると真っ直ぐ家に帰り、部屋の中でじっとしていた。寂しいという感情は既に通り越していた。寂しいと思って泣きわめいたところでどうにかなる問題ではないと、幼心ながらにもそう思っていた。だが生前母と顔を合わせる事は無かった。最後に母と顔を会わせたのは都内の病院の霊安室だった。
母の葬儀は息を引き取った日から8日後と9日後になりました。随分空いてしまいますが、ちょうどお彼岸と重なってしまいお寺の都合がつかないようです。遺体は自宅に安置してもらいましたが、3日後からはお寺の霊安室(冷蔵室)に移動になります。ご近所の何となくの慣習なのですが、ご近所さんは葬儀には出席しない代わりに自宅安置している間に弔問します。母の元にも昨日は5組のご近所さんが会いに来てくれました。皆さん自分が子供の頃からのご近所さんで、高齢のため歩くのが不自由だったり座れなか
納棺師という仕事を始めるにあたり最初はもう何が何だか。先輩方の施行をとりあえずは見学。私の最初の現場は二人施行で、霊安室でのお世話と納棺式。今思うと、霊安室で、という場合は何かしら事情があることが多い。(通常はご自宅、納棺室やホールでのお世話と式)お体の状態が好ましくないこともありますしホールが混んでいて使えない、金銭的な理由などなど。因みに霊安室でのお世話は狭くてやりづらいところが多い💦「初日、〇月✖日、△時に事務所に来てください」と言われて、ついて
おはようございます。8月26日本日お誕生日の方おめでとうございます先日お世話をさせていただいた故人様、お口がしまるとなかなかイケメンになりそうな予感…ということでお世話をさせていただきました。上品な雰囲気が漂っている頭脳派のお父様?お体の割に足が細目だったのは現役を退いた後は株投資などをしていたとのこと。お顔を整えて担当さんにご確認していただき「きれいになったわ」と。その日は斎場の霊安室でのお世話。お立会いなしでした。担当さんが、写真がある
8月25日子供の頃、周りでいわれてたローカル都市伝説。「中央公園のローラースケート場は旧清瀬病院の霊安室だった」これはわからないよなと思って触れずにいましたが、郷土資料館の展示にあった病院の見取り図に、外周通路の先に小部屋らしきものが。場所的にローラースケート場に重ならないか。心霊スポットは守備範囲外だけど、これは実在なので検証したいと秋津に行く前に寄り道。商業誌だったら関係者に話を聞いて、正確な検証ができますが、路地裏のボロアパート的個人サイト
続きです➰このドライアイス、故人様の状態によって当て方も変えます。お顔色が心配な場合はお顔の近く、ドライ焼けしないような形で。亡くなられてからすぐの場合は腹部(内臓を冷やすため)に。場合によっては細かいものを直接あてる場合も。腹水あるのにお腹にあてられてしまってオーマイガッ!という場合もあるので(うまくカチカチになってくれる場合もある)腹部に必ずあてるとも限らないのが難しいところです。脇に大量にあてる場合もあります。最近はご納棺前は手を組まずに故人様にお休
15時過ぎに主人が病院に着いたとの事で、看護師さんと共に地下階へ。1日目は違う方でしたが、あとの3日間はずっとお世話して下さった看護師Oさん。一緒に折り紙折ってくれたり、ゆうきの事も取り上げて下さいました。一緒に涙して下さったり、ずっと寄り添って下さったOさん、本当にありがとうございましたそんなOさんと、看護師長さんが、一緒に来て下さいました。地下の霊安室前で主人は待っていました。そして看護師さんが赤ちゃんが入った箱を持って来て下さいました。二人で号泣箱を受け取り、玄関へ。
ここで告白しますが、実は父がこの新潟旅行中に永眠しました。享年74、ちょうど母の逝去の半年後となりました。長年老人ホームにお世話になっていましたが、自力で食事がとれなくなり、急遽の入院からわずか1週間ほどでの旅立ちとなりました。父に異変があったと病院から私の携帯電話に緊急の電話が入ったのが、なんと旅行初日の行きの電車内でのこと。父のことは妹がメインで担当することにしていましたが、妹は仕事中で繋がらなかったため、入院先の病院から2番目の連絡先である私に電話があったので
おはようございます。8月15日本日お誕生日の方おめでとうございます少し前にお世話をさせていただいた故人様色々心配だったんですがお直しの連絡もなく無事に旅立たれたようです。ご対面させていただいた時にはあっちから、こっちから大変なことになっていて時間がかかってしまいました💦お顔もかなりむくんでしまっていたんですが担当さんが生前のお顔をお写真に収めてくださっていたので(葬家様にお願いしてを写メしてくれました)最終的には‥生前のお顔に近くになったかな。