ブログ記事14件
せっかくのChopinのワルツ14番・・・ショート動画のためなのか、リピート部分どころか、いろんなところを端折り過ぎで勿体ないけれど・・・YouTubeを表示したら、いきなりこちらの動画が出てきて・・・もう、今じゃ、こんな風には弾けないだろうなぁと思う。ワルツ14番は、自分にとっては中身の濃ゆ~~~~~い思い出の詰まった曲なので、普段は封印しているのだけど・・・クリックして聴いちゃったもんだから・・・やっと、やっと・・・かな。この曲を耳にしても
2年前にクリニックの看護師を退職しグループホームに転職、今年4月からクリニックに転職し、毎日悪戦苦闘して凹んだり、笑ったり忙しいマーコです老後の為、将来楽しむために何とかポンコツなりに頑張ってますこんにちは!ご訪問頂きありがとうございます。今日、震災で亀裂が入った壁、クロスなどメンテをしようと思ったらいくらになるのか、見積もりを出してもらおうと業者に見に来てもらう事にした結構かかるなら直さないかもしれない目立つクロスは
阪神大震災の後建物の仕様が変わりました。基礎換気口が無くなり,基礎パッキンが採用されらる様になりました。現在の建物も9割は基礎パッキン採用じゃないでしょうか?換気口は換気口効率が悪く、換気口を設けても基礎が湿気を帯びることもありました。外壁吹付(湿式)からサイディングの採用が多くなってきました。震災で吹付はひび割れや、割れて落下もあった為。震災後工期短縮もあってサイディング採用が増えた背景も。あの頃は画期的と思ってましたが、厚さ12ミリが主流でタイル調のデザインのものが多く
震災後、やっぱり仙台市も被災地だから、悲しみや不安に飲み込まれないように、笑顔を忘れず暮らしていても、どこか重苦しい空気もあって、疲れが出てくるこの頃。町の復興には、まず、自分たちの生活もしっかり立て直していかねばと、震災後しばらく閉じていた家計簿を、ついに引っ張り出してきた。家計簿とにらめっこし、ちょっと溜息も出るが、「これも復興費だ。何とかこのくらいは使えるな」と、やりくりする。そこへ、嬉しい便りが届いた。薬莱のわさび茶屋が、冬季休業明けが震災で遅れていたけれど、今年も
広瀬川で、歌声が響いていた。彼らの歌声は、明るく力強い。だって、命を繋ぐために、遠くからやって来たのだもの。彼らは、素早く目の前を横切って、川面を滑るように行き来していたけれど、ある場所に集まり、休憩しているのも見つけた。高く柔らかに抑揚があり、語尾に特徴のある声が、ちょいとばかし歌劇を思わせる。その声の主が、休憩場所にいる姿は、まるで音符のようだった。今年もツバメがやって来た。あすと長町では、再開発地区の空き地でヒバリの声が響いている。長町から広瀬
私は内陸育ちだが、小学生の時に、「いつ、誰がどこで、海沿いにいて地震にあうか分らないから、覚えておきなさい」と教わったことがある。「海の近くにいて、地震があったら直ぐに高いところへ逃げろ」昔、三陸で起きた津波の話を、その時に聞いた。車などで遠くへ行こうとした人は助からず、直ぐに歩いて裏山に登ったお婆さんは助かったという。津波の時、遠くでなく高いところへ逃げる、物を取りに戻るな、これが教えである。海沿いの町は、豊かな海と上手に付き合うことで成り立ってきた。漁港や観光地
昨日、町の中を歩いて歩いて、底が減り所々が切れかかった靴と別れ、新しい靴を買った。このところ出歩けば、明るい兆しの一つと思い、復旧の様子や春の勢いを実感する様子を見つけて、写真を撮っている。そんな中、先日は仙台市内の高台から、遠くの沿岸部を見た。そこは、誰にも邪魔にならない場所であり、以前から時々散策する場所なのだ。そこから、変わってしまった景色を見て、「町の再生へと、自分が出来ることをしていくのだ」と、また思いを強くする。まずは、その足で商店街へ出て、募金箱にお金をいれ、
失った町を再生する道は、始まったばかりである。今の仙台市内は、電気・水道・ガスの復旧が進み、必要なものも買える様になったし、ゴミの回収もあり、だいぶん落ち着いてきた。だが、水道は流れればそれで終わりではないし、ゴミも集積所に出せば終わりではない。下水処理場の復旧まで、いつも以上に節水し、処理の負担を考えて普段よりもゴミを減量するなど、市民みんなの協力が必要なのだ。特別なことではなく、誰もが出来る当たり前のことをしっかりやるのも、再生への努力であり、支援の一つでもある。
大地震から、1週間ぶりに買い物に出た時のこと。順番に店内に入るので、入り口で並んで待つ間、直ぐ後ろから、「大丈夫、大丈夫だよ」という女性の声がした。振りかえると、小さな子どもが、黙ってお母さんの手を引いている。その子が、静かに不安を我慢していたのが分り、思わず私も、その子の頭をなでながら、「大丈夫だよ」と声を掛けた。しばし、その子のお母さんと会話したが、津波、怖かったそうだ。話しているうちに、その子も少し落ち着いた様子で、こちらもほっとした。順番が来て、そのまま流れに乗っ
今、仙台市で自宅避難生活だが、水はあるけれど節水中。なぜなら、下水処理場が津波被害を受けて損傷したため。下水の処理能力が低下しているのだ。そのため、一斉に多くの人が普通に水を流してしまうと、下水があふれ出すおそれがあるという。市では、洗い物に使う水を少なく、庭のある方は流さずに庭にまくなど、節水や下水減量を呼びかけている。我が家も、色々と工夫している。普通の節水よりも、一段引き上げた非常時節水だ。地震直後からトイレは3回に1回を目安に流す。洗い物を少なくする鍋
海沿いの町、そこに住む知人、その方の家も流されてしまった。知人とその家族は、どうなったか分らない。仙台にいる私達も覚悟した。ところが、一昨日、知人が家族ともども無事だったと知らせが入った。良かった、生きていてくれて。これからどうしよう、大切な家を失った方の落胆は大きい。それでも命がある。とはいえ、自力でまた、元の生活を取り戻すのは、相当の力が要るだろう。国の助成は、どこまで被災者に光を与えられるだろうか。私達に、できることはなんだろう。みんなの日々が、落胆
仙台市内は、中心部や東部道路から西は比較的被害が少ない。倒壊や大きな火災がなく、何とか生活できる家が多々ある。当方も、避難所に行くことなく、仙台市内の家で過ごしている。ただ、恐ろしい震災と津波で、何度も行った町が消え、知り合った方々がどうなったかも分らず切ない。でも、無事だった人間は、一歩一歩前へ進み、今はまだ悲しみに立ち止まった人が、後から歩き始めた時に道が見えるように、何かしら目印をつけていきたいと思っている。(励ましの声を集めようと、地域SNSふらっとで、「ふくらく通
今朝、名取の友人から連絡があった。3月18日~21日までに、災害ボランティアセンターには、延べ870人の“善意”が募ったとのこと。文化会館に出向き、子供たちの遊び相手になったり、行政に届いた救援物資の仕分け、搬入搬出をしたり、各公民館での活動、各家に行っての後片付けなどの活動を行っているようだ。遠くは愛媛県、岡山県の方の協力があり、友人は、「偶然の出会いでありますが、なにか不思議な縁に導かれているような感じです。今日もがんばります。」と語っていた。本当に世の中というものは、
停まったままの金太郎。仙台駅を通過し長町駅を通ったところで、太子堂駅との間で停車。そのまま今も、静かに復旧を待っている、力持ちの貨物列車「金太郎」だ。線路も復旧めざして、人々が懸命に工事中。ここの高架橋は、まだ新しく、倒壊はない。だが、事故の無い、安全な走行のためには、一度内部まで調査、確認しながら修繕しているようだ。市民はみんな、諸々の制約の中で、様々に工夫して暮らしている。普通の暮らしが出来るまで、みんなが努力して明日へとつなげていこうと思う。運行再開への
仙台市、長町駅や鉄道高架橋、懸命な復旧作業と工事が進められている。そして震災から1週間ほどで、スーパーや食品小売店以外にも、飲食店や美容院、花屋さんなども店を開け始めた。みんなで頑張ろうという、思いが伝わってくる。19日は、ついにご飯を食べた。お腹いっぱいになった食事は久しぶり。これまでずっと、物がない方を優先して、自分はなんとか備蓄でやると決めていた。それで食事は、雑炊や麺類など、穀物を汁でかさを増して食べていたが、1週間経って開く店も増えたことから、ついに今日、震災