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旧梓川テプコ館より望む。堤体直下にあるのが安曇発電所1~2号機の発電棟。有効落差135.78㍍を流れ落ち21万1,000kWを発電する。その下流側にあるのが3~6号機の棟。有効落差134.86㍍のダム水路式と水殿ダム湖との揚水で41万2,000kWを発電。合計62万3,000kWの電力を生む。水力ドットコムには常時出力0kWとあり、発電する時期は限られているようだ。当初、東京電力は安曇ダムという名称を付けるつもりだったが、事前に新聞に報じられたことで旧奈川村の住民が反発し、梓川と奈川の合
2023年1月9日(mon)この前、仲間と下諏訪の温泉街を訪れ、偶然、諏訪電気株式会社本社跡の碑を発見した。諏訪電気がこの地域に電気を送ったのは明治33年(1900)。その水力発電所が和田峠に向かう国道142号沿いにあることを知った。(写真/国道脇には電気発祥の地であることを教えるサインがある)この流域には3基の水力発電所が存在する。もっとも歴史が古いのは落合発電所。次はその上流にある蝶ヶ沢発電所(明治42年(1909))。最下流に位置する砥川発電所(大正3年(1914))であ
平成23年(2011)7月の新潟・福島豪雨災害では上田ダムは、本名ダムと伴に大量の土砂が堆積するなど被災し、運転が再開されたのは平成27年(2015)6月になってからのことだ。これにより阿賀野川水系で被災した東北電力の水力発電所は全て復旧している。運転休止が余儀なくされたのはJR只見線だけではなかったのだ。(写真/左岸下流側から洪水吐ゲートをみる)上田発電所は延長17.51㍍の水圧鉄管3条、有効落差26.3㍍を流れ落ち、最大出力63,900kW、常時出力16,100kWの電力を発電してい
2022年10月29日(sat)動画の撮影を続けている大糸線JR西日本区間は、紅葉の映像が収録できれば、とりあえず四季を網羅したことになる。この週末は好天が予想されていたが、日本海側は雲が多い予報へと変わってしまった。(写真/平岩駅近く、デンカ株式会社横川第二発電所付近から白馬大仏をみる。山肌はまだ紅葉には早い)姫川温泉を見下ろすように存在する達磨山。大糸線はこの岩山をくり貫いて走っている。2012年の本編で、この山がロッククライミングの人気のスポットと紹介したが、それからもう何回も
黒又川第一ダムの見学を終え、これから黒又ダムまで下るが、先ほど管理事務所に電気を供給していた電線も道とほぼ並行していく。せっかくなので、その行先を追ってみるが、鉄塔はほとんど送電鉄塔の形状と変わらない。配電鉄塔にある表示板には、黒又第一ダム分岐配電線とある。見た目は送電線でもやはり配電線なのだ。しかし、設置されたのは昭和59年(1984)とあり、ダムの竣工よりは遅い。おそらく、このタイプの鉄塔に建て替えたのが、この年だったのだろうと推測する。電源開発送変電ネットワーク黒又第一ダム分
木崎湖を一周するなら確かめてみたいことがあった。それは西岸の森の中を少し踏み入った場所にある。(写真/自転車の森の入口に停める。山から下ってくる水路沿いに坂を上る)今居るのが赤〇の場所。山側に少し入れば昭和電工の旧青木送電線と青木湖から取水された導水路がある。しかし、その送電線は2017年7月頃にその役目を終えており、2018年10月に訪れた時は、すでに送電線は外され送電鉄塔だけが残っていた。(図/本日現在、国土地理院の地図には、まだ青木送電線が記載されている)■送電鉄塔が残る風景
建物の側面には北陸電力の社章が飾られている。同社のロゴは馴染みがないので、調べてみてようやくわかる。昔は、ここに創業した会社の社章が掲げられていたのだろうか。この側面は出入口になっている。外階段が設置されているが、東北電力のSNSには「積雪は150㎝。その雪の中を歩いて発電所に向かい月1回の巡視点検を実施している」とある。もしかすると冬はその階段を上って2階から中に入るのかもしれない。発電に使われた水は建屋の直下から放水され、延長168.1㍍の放水路を流れ破間川へと放水される
薮神発電所の最大使用水量が、上流に位置する電源開発株式会社黒又川第一発電所の最大使用水量より小さいことから、放流していた水を純国産のエネルギーとして有効活用している。(写真/発電された電力は発電所横の変電施設から送電される)薮神第二発電所で発電された電力は、東北電力ネットワーク薮第二薮神支線で同須原線に接続されている。(写真/東北電力ネットワーク薮第二薮神支線No.1送電鉄塔)薮神第二発電所の上流には管理棟がある(写真)。まだ新しいので、おそらく発電所の竣工に合わせて建てられ
2022年5月4日(wed)東北電力上條発電所は新潟県魚沼市のJR只見線上條駅の近くに佇む。昭和2年(1927)運転開始され、現在は東北電力が管理している。運転開始時は魚沼地区の電力開発を手掛けた長岡市にあった北越水力電気株式会社が創業したと予測されている。(写真/建屋の左側に変電設備がある。手前は破間(あぶるま)川)位置関係を国土地理院の地図で確認してみる。先ず、破間川(A)から取水し、総延長580.2㍍の導水路を経て黒又川へ放水され潮流される(B)。黒又ダム(C)から総延長3,69
大正7年(1918)運用開始の東京電力リニューアブルパワー猪苗代第二発電所の建屋は完成当時のままのレンガが使われている。ただし、表面は明るく塗り直され、前編の水抵抗器室の建屋が本来の色だったのだろうと思われる。猪苗代第一発電所と同様、東京駅や岩手銀行本店を設計した辰野金吾が監修している。建屋の側面には、この発電所を創業した猪苗代水力電気株式会社の社章と思われる円形の意匠がある。復元されたのはおそらく最近のようでミスマッチだが、運転開始当初はこうして誇らしげに社章が掲げられていたのだろう。
水圧鉄管を跨ぐ橋の上から下側をみると、猪苗代第一発電所の建屋がみえている。水圧鉄管の内径は1.9~2,7㍍で板厚は9~16㎜なのだという。場所を移動して建屋にやってくる(Vol.1地図(I))。先ほど見下ろした橋の欄干が僅かに写真右上部に確認できる。水圧鉄管はそこから角度を急速に傾ける。こうして猪苗代第一発電所は有効落差105.67㍍を流れ落ち最大出力62,400kW、常時出力13,300kWの電力を生む。【追記】東芝の元エンジニアの方に教えていただきました。猪苗代第一は運用開始
水力ドットコムによると放水路は幅13.68㍍×高3.64㍍、総延長60.5㍍とある。おそらく建屋から五百川本流(写真右)に合流するまでの間を指すと思われる。GoogleEarthでみると上部水槽からは余水路が建屋の北側を流れていて本流に放水されている。写真右奥の傾斜した構造物がそれと思われる。放水路から100㍍ほど下流に位置する丸守発電所の取水ゲートがある(写真)。丸守発電所が運転開始するのは竹之内発電所から2年3ヶ月後の大正10年(1921)のことだから、すでに取水口をここに設けること
認識番号をみると、No.138Aとなっているばかりか、建造された年月日が昭和60年(1985)2月に変わっている。今までも建て替えられた鉄塔はあったが、認識番号には運用開始当初の昭和25年(1950年)5月がそのまま表示されていた。これは一体どういうことだろう。その先の昭和電工赤松線No.138B送電鉄塔は塩尻市総合運動場の北西の隅に立つ。その先の向きをやや東方向に変えていく。昭和電工赤松線No.138Cと思われる送電鉄塔は屋内運動場と畑の間に立っていて接近できないが、高さが
2021年11月20日(sat)昨年の5月と11月、そしてこの10月の三日に亘って追跡してきた昭和電工赤松線。アルピコ交通上高地線の起終点駅である新島々駅に隣接する赤松発電所から昭和電工塩尻事業所を繋ぐ送電路線だ。今日はその最終日となる。(写真/JR中央東線と西線が交差する塩尻駅では一日20本前後の貨物列車が運行し運転士の交代も行われる。駅には問い合わせがあることから、東口の線路脇きに貨物列車時刻表が設置されたと地域紙で知って、輪行で塩尻駅までやって来る)前回の続きから送電鉄塔
ここで位置関係を整理してみよう。取水口と発電所は延長3,445.3㍍の導水路で結ばれている。信州のような急こう配の地形ではないが、それでも巧みに地形の高低差を考慮している。こんなにも海に近い水力発電所は、日本にどれくらいあるのだろうか。早川発電所の建屋も歴史を感じさせる佇まいだ。正面玄関の前の木が大きくなり過ぎて、出入口付近がよく見えないのが残念だ。奥の建屋は変電設備の建屋だと思われるが、海に近いため、錆びるのを防御しようと考えたのではないだろうか。今は、その後ろに北陸新幹線の高架橋が横切
2021年5月3日(mon)東北電力早川発電所取水堰は、河口から4㎞ほど上流に位置する。水門は3門あるが2:1:1の比率になっている(写真)。同様にローラーゲートの巻上げ機が収納されている上屋の高さも異なっている。水門が設置されているピア部は石積みになっていて歴史の重みを感じさせる。そう、早川発電所は大正元年(1912)12月に運用開始された歴史ある水力発電施設なのだ。早川発電所を造ったのは上越地域電源開発の父と呼ばれる国友末蔵氏。京都帝国大学(現京都大学)電気工学科を卒業し、創立
昭和電工赤松線No.126送電鉄塔の袂から進行方向を見ると、河岸段丘の上の段にある鉄塔に続いていく。私の記憶が確かならば、その段に工場団地や果樹園などがあり、さらにもう一段上に塩尻市街地が形成されている。狭い田んぼの脇の道を進むと、偶然上の段へ上る道を見つける。おそらく農家の方が軽トラックで往来できるように造られた道なのだろう。段差はおおよそ15㍍余ほどか。ここを自転車で駆け上がる。案の定、昭和電工赤松線No.127送電鉄塔はぶどう畑と工場団地を隔てる場所に立っている。中部電力PGの
昭和電工赤松線No.122送電鉄塔をNo.121側から見てみる。跨ぐアルプスグリーン道路は、この先、写真右の木曽方面に向かうが、赤松線はそれと交差して河岸段丘を下る。一挙に25㍍ほど標高を下げると、そこは田園地帯となる。農道の脇にはNo.123送電鉄塔が立っている。(写真/南から写している。奥が松本方面)南東に向かう昭和電工赤松線は、それまでと異なった形状と大きさのNo.125導電鉄塔が奈良井川左岸に立っている。しかし、河岸段丘の上に立つ、中部電力PG中信変電所のアンテナ塔や
果樹園に立つ送電鉄塔には、躯体上部に金網のようなものが設置されている(写真=No.110送電鉄塔=)。おそらく鳥が巣を作らないように防御していると思われるが、むしろ、隙があれば餌場の近くの場所に営巣する野性の逞しさに感心する。野菜畑の中からゴールに向かって直線に進むNo.114送電鉄塔から先を写す。その途中ではスプリンクラーが激しく水しぶきを上げて散水している。キャベツ畑越しにトラクタが耕している様子がみられる(写真)。夏野菜の出荷を終え、次は何を植えるのだろう。すでに大
2021年10月6日(wed)昨年5月と11月の二回に亘り追跡してきた昭和電工赤松線。アルピコ交通新島々駅に隣接する赤松発電所から同社塩尻事業所を結ぶ自社の送電路線だ。果たして最終鉄塔までどんな道を辿るのか楽しみだ。(写真/信州まつもと空港を囲むスカイパークに車を停めて、そこから自転車で漕ぎ出す)前回は、ちょうど松本市今井地区から塩尻市に入った付近のNo.100送電鉄塔までを追った。そこに戻るためには広い畑の中を進む。ゴールの塩尻市街地方面を望むと送電鉄塔が連立している(写真)。塩
国土地理院の地図で取水口である姫川第三ダムと同発電所の位置関係を整理してみよう。青色破線の導水路は姫川右岸の山の中を北上する。短期間で竣工が見込まれると言われた通り、総延長3789.6㍍の短い距離で結ばれている。その他、着目してほしいのは発電所からの放水路。眼下の姫川に放水されることなく、姫川の地下を横切り、下流側の水力発電所へ送水されている。いずこへ送水されるのだろうか。姫川第三発電所は、有効落差55㍍を流れ落ち最大出力12,100kW、常時出力3,900kWの電力を生む。ただし「水力ドッ
2021年2月21日(sat)今まで東京電力リニューアブルパワーが管轄する犀川の5ダム、生坂ダム、平ダム、水内ダム、笹平ダムそして小田切ダムを付随する発電所とともに巡ってきた。水内ダムを除き、戦後になって東京電力が電源開発してきたが、それらすべての電力は、長野市信州新町の高台にある東京電力パワーグリッド(PG)新町開閉所に送られる。(写真/犀川沿いにある国道19号からインクラインで新町開閉所と接続している。開閉所は上部の電波塔の下の段になる)インクラインの麓側の乗車口から山の方へ上
昭和58年(1983)秋雨前線の停滞と台風が重なり信州新町(現長野市)は水害に見舞われた。その被害の原因は水内ダムにあるとして、地元住民が損害補償とダム撤去を求めた。これに対し東京電力は天災だとして拒否したが、2年後に5億円の解決金と、総額3億8,500万円の被災地生活再建対策費を支払うとともに、水内ダム湖に堆積した土砂を浚渫するとして交渉は妥結している。(写真/発電所のすぐ下に犀川が流れている。放水路は石畳のようなコンクリートの地下を渡っていると思われる)ところが長野県は、当地の50分
Ⅵ.調査PART2■国土地理院から地図を取り寄せる。■「松川」と「有明」地域の2枚の地図を取り寄せる。(国土地理院の地図を取り寄せる)地図に記載されているはずの送電線を調べようと国土地理院の地図サイトを閲覧するが、地図を拡大するとパソコンの画面上でははっきりしない。そこで、国土地理院から地図を取り寄せることにした。昭和6年(1931)の地図であれば、昭和アルミニウム工業所が開業する2年前。大正14年(1925)に建造された現中部電力パワーグリッド宮城昭電広津線第133号送電
泰阜ダムの摩耗が激しいと指摘された中部電力は建設省(現国土交通省)、電力中央研究所と「泰阜ダム補修対策調査団」を結成、現地調査を行う。その結果、1億5,000万円余を投じて摩耗したダム表面に新たなコンクリートを打設する補修工事に昭和44年(1969)着工し翌年には完工している。(写真/泰阜ダムの取水設備を通り過ぎると未舗装の山道になる。貯水池の総貯水容量は1,076万立方メートル)昭和59年(1984)には貯水池末端の阿知川合流地点で砂利の採取が始まる。同時に上流の飯田市川路・龍
平ダムは信濃川水系犀川に建設された重力式コンクリートダム。Powergeneration(発電)を目的に東京電力リニューアブルパワーが管理している。ダムの規模は、堤高20㍍、堤頂長87.8㍍、堤体積1万7,000立方メートル。(写真/ダムのすぐ下流に東京電力が架けたとされる橋梁があるが、橋名は不明だ)平ダムは5門の鋼製ローラーゲートで構成されている。左岸の一門だけ川の中に導流壁が造られていて、川の中心部に水を誘導している。この意味はよくわからないが、下流で右に大きく蛇行していることと関
左岸沿いの上流側へ向かうと水鳥公園があり、そのまま犀川左岸沿いに生活道路が続き、日野橋まで達っしている。(写真/ダム湖に浮かべるための舟があり、クレーンで吊る仕組みになっている)ダム湖の名は特別付いておらず生坂貯水池と呼ばれているようだ。総貯水容量は311万立方メートル。水鳥が多く生息しているのは、流れてきた生ごみが格好のえさになっているという。(写真/左岸側の2門はコンクリートの越流面が無く、その分ゲートピアが他の4門よりも2㍍高くなっている)常用洪水吐は鋼製ローラーゲート6門
振り返ると東京電力パワーグリッド甲信幹線寄りにある松本養護学校の校舎を囲む桜が真紅に染まっている。乗鞍岳(写真左上)には雲が掛かっているものの、辛うじて雪に覆われた山肌が確認できるので、敢えて別の路線を写す。No.94送電鉄塔は近寄れたので確認できたが、No.95もしくはNo.96鉄塔(写真手前)は田んぼの中に立ち、おそらくどちらかは欠番になっている。それがわかったのはセブンイレブンのロードサインの右側に立つ鉄塔がNo.97(写真右)だったからだ。No.97送電鉄塔はアルプスグリー
No.82送電鉄塔は高かったので、次のNo.83送電鉄塔(写真)は欠番になっているかと思ったがそれはなかった。逆に方向を少し東に方向転換していることから、ショートカットすることもできず、この場所に鉄塔が必要だったと思われる。No.84は欠番。No.85はプレートの写真しか撮らなかったが、No.86送電鉄塔から先の写真を収めるものの、No.87鉄塔(写真中)とNo.88鉄塔(写真右)、そしてNo.89鉄塔へと回り道している様子を捉えていなかったためボツにして、一つ先に進んだこの写真で説
広大な畑の中ではあるが、軽トラックが入れるくらいの道が碁盤の目のように存在し、斜めに突っ切っていく赤松線とそんなに離れずに追跡できる。(写真/No.71送電鉄塔の足元には野草が可憐に咲いている。農家の方がそこだけ耕さず残してくれたのだ)進行方向から振り返ってNo.74、No.73、No.72送電鉄塔をみる。この付近の鉄塔はおそらく昭和25年(1950)の建設時のままだと思われる。耕地もそんなには姿を変えず、70年の時を共に歩んできたのかもしれない。進行方向の昭和電工赤松線