ブログ記事48件
1月22日今日の歴史寛永14年(1637年)1月22日徳川家康側室阿茶局83歳で死去雲光院に葬られた戒名は雲光院殿従一位尼公正誉周栄大姉実は京都にも阿茶局の墓(供養塔)があります阿茶局開基の上徳寺通称世継ぎ地蔵で有名なお寺です阿茶局は夫の死後未亡人で家康公の側室になり秀忠などの教育係りも務め大阪の陣でも豊臣方の常高院、大蔵卿局と和議の会見を成立させた東福門院和子入内の際には守役を務めたこの事により後水
外は寒いがええ天気♪ちょっとぶら歩き、ぶら飲みしとうなるような日和ですなあ(´-`)♫ゆう訳で、特に予定のない週末(って、アンタ、毎日やんけ!)、気の向くまま、大江戸は下町情緒たっぷりなエリアにやって参りましてo(^-^)o森下界隈!いきなり老舗名店の登場やが、今日はここで飯食う訳ちゃいますねん(^^)結構流行ってそうな下町のパン屋さんやが・・・「カトレア」!元祖カレーパンとかゆわはってますが、後で調べたら、「名花堂」というここの前身の店が、ホンマにルーツらしいですわ('O'*)
徳川家康公の側室・阿茶局の菩提寺、浄土宗龍徳山雲光院に行ってきました。雲光院は東京都江東区にあります。駅でいうと半蔵門線の清澄白河駅、B2から5分くらいのところです。徳川家康公の側室阿茶局の菩提寺として、慶長十六年(1611年)阿茶局自らの発願により、増上寺の高僧であった潮呑上人を開山上人(初代住職)として仰ぎ開創されました。阿茶局の法號「雲光院」がそのまま寺の名称になりました。江戸時代には幾度か火災にあい場所も変わったそうです。その後も、関東大震災、東京大空襲などにより、ご
江戸時代の金座御金改役後藤三右衛門の墓参りです。後藤三右衛門とは江戸幕府による文政・天保改鋳の際の金座御金改役。信濃国飯田の商人林弥七の4男。名は奥輔。初代三右衛門の婿養子となり、文化13(1816)年12月家督を相続、光亨と称し御金改役に就任。文政小判・天保小判の改鋳や天保二朱金などの新鋳によって約1000万両益金をあげ、幕府財政に貢献した。天保改革期には、鳥居耀蔵・渋川六蔵(敬直)と共に「水野の三羽烏」といわれたが、幕府と金座の癒着ぶりも目に余るものがあり、水野忠邦失脚後の弘化2(
雲光院には、吉原遊廓を創設した庄司甚右衛門の墓があります。庄司甚右衛門とは吉原遊廓の開設者。前名甚内。1612年(慶長17)に江戸市中の遊女屋を集めて傾城(けいせい)町を設立することを出願し、5年後に許可されて吉原町ができると、その町の名主に任命され、自らも西田屋という妓楼をもった。「おやじ」と通称されたことにその権威を推測させるが、出身は小田原北条氏の浪人とも、東海道吉原宿の人ともいわれ、不明な点が多い。
雲光院には、阿茶局の墓があります。どうする家康では、松本若菜さんが演じております。阿茶局とは徳川家康の側室。名は須和。甲斐武田氏の臣、飯田直政の娘。駿河今川氏の臣、神尾忠重と結婚したが、1577年(天正5)、一子を抱えて寡婦となる。2年後、家康に仕え、阿茶局と称した。しばしば戦場にも従い、1584年の小牧長久手の戦いの際には戦場で流産した。才知に優れ、1614年(慶長19)の大坂冬の陣のときには、淀君の妹で京極高次の妻常高院とともに大坂城に入り、和睦の使者をつとめて淀君・秀頼母子の誓書をと
今回は、どうする家康で活躍している阿茶局が開基した雲光院です。阿茶局の墓は次回法然上人像水かけ不動尊地蔵尊本堂雲光院由緒徳川家康公の側室阿茶局の菩提寺として、慶長十六年(1611年)阿茶局自らの発願により、増上寺の高僧であった潮呑上人を開山上人として仰ぎ開創されました。阿茶局の法號「雲光院」がそのまま寺の名称になりました。開創地は中央区馬喰町付近でありましたが、明暦三年(1657年)の大火に被災し、神田岩井町に替地となり、天和二年(1682年)現在の深川の
今回は、個人的に大好きな人物を訪ねて来ました♪徳川家康の21人にも及んだ正室・側室の中で、ひときわ異彩を放つ女性がいます甲冑に身を包み徳川家康と共に戦場を駆け抜け、大坂冬の陣では豊臣方との交渉にあたった『阿茶局(あちゃのつぼね)』実は、武田家臣飯田直政の娘として天文24年(1555年)生まれました雲光院本堂阿茶局の墓一般のお墓の中にある、異色な大型の宝篋印塔が見事です大変お美しい女性だったと伝えられています大河ドラマ『どうする家康』では、どんな彼女に出会えるのか凄く
おはようございます寝た気が全くしません何度、眼が覚めたことでしょう就寝前から部屋は蒸し暑くて気になっていたのですが・・・「雲光院」清澄白河2020年浄土宗龍徳山雲光院(公式ホームページ)浄土宗龍徳山雲光院のトップページですwww.unkouin.or.jp昨夜は良い睡眠が取れませんでしたねえ普段は漢方薬の効果で、ぐっすりなのですが・・・変な夢も見ましたどこか外国に
何度かお知らせしていたお寺ヨガですが、10/14(金)からスタートします✨ヨガをやったことのない方、体がかたい方、運動経験のない方、男女、年齢問わず参加できるクラスですので、この機会にぜひ!ご参加いただければと思います❤️お寺の本堂でヨガをやりますので、日常と離れた癒しの時間を体験していただけます✨音叉と、シンギングボウルを使って、身体の内側から癒していくことが出来るので、深いリラックスを感じていただけることと思います☺️私の担当は10/21(木)からとなります。
令和3年9月23日参拝霊岸寺の近くはホントにお寺ばかりです。お彼岸だから普段は訪問しづらい小さなお寺も本堂を開けてお香の用意がされててお参りできた♪(´▽`)うろちょろしてるうちに思いついたのが深川七福神めぐりでした5分くらい歩いて龍光院へ到着しました。龍光院は浄土宗の寺院で本尊は阿弥陀如来。阿茶局(徳川家康の側室)の菩提寺雲光院(すぐ近所です!)の塔頭として寛永16年(1611)馬喰町に創建されたのが明暦の大火にかかり神田岩井町へ替地となりますが再び火災に焼失して天和2年(16
おはようございますいきなりですが火曜日~目が覚める度に思いますあっ、生きてるお昼寝でさえ・・・大袈裟と取られてしまいそうですが、本心です2年前の6月、胃ジストの手術直前に死を覚悟しましたそれと比べ月曜日には覚悟なんて全く意識せず用心の為に受けた大腸内視鏡検査でしたから
おはようございます空はグレーだし、寒そう・・・さて写真は「雲光院」今は季節はずれですが、時期になると、お花が色々咲いていて気に入っているお寺さんの1つです表札専門の工房です
こんばんは~風もなく温かい日差しの中、たくさん歩いて、いっぱい写真を撮って、たっぷり吞んで、お昼寝しちゃいましたあすっご~く、いい気持ち~写真は清澄白河です清州橋通り
こんばんはきのう今日と調子に乗って普段は飲まない冷たいものをたくさん飲んだらお腹に来ましたあ暫く、お腹が痛かったですねえ子供のときから夏でも熱いお茶をのむ習慣がありまして、今でもビール少々を除いては冷えたドリンクは極力さけていますが一旦すずしくなっていきなり暑くなるとつい写真は今回も近いところで
おはようございます昨夜も扇風機の御世話になりましたが、かなり汗をかいて寝ていましたねえ。これから、もっと酷くなると思うとゾッとします写真は、大好きなお寺さん「雲光院」今回は、可愛いお地蔵さんたちは撮ら
こんばんは3時から出かけましたお気に入りのお店を3軒最後に寄ったビンテージ家具屋さん、本当に久しぶりでした。https://stoop.jp/素晴らしい画家さんの作品展が中で開催されていて、すごく感動して友人・知人に宣伝して数日後コロナ騒ぎで休業に入りました大作の数点は、売れてしまったそうですが少し残っていたのを再度みれて嬉しかったですオーナーは休
おはようございます夜中に、何度起きたことでしょう?あまりに回数が多くって、数えておりません前日も、朝までぐっすりでしたが何が違うのかな・・・矢張り、たくさん歩いていないから?昨日、お昼頃に調子がいいので住吉の釣り具店「キャスティング」に釣りの生餌を買いに行こうと思い始めましたしかし、昼食後にベッドでTVを見ていたらいつのまにか寝てしまいましたたっぷりと1時間以上
こんばんは午前中は、お米屋さんに行きました「赤札堂」に寄って、トイレットペーパーを買っただけ真っ直ぐ、家に帰りましたお昼から、ウオーキングに行こうと思うのに身体がイマイチついて来ない・・・明日は悪天候なのだから、きょうのうちにお日さまに当たっておかなくてはだけど、なんとなく出かけたくないのです私らしくも無く、家に居たいしかし、頑張って外に出ました出来たば
四季山人『善もせず悪も作らず死ぬる身は地蔵も褒めず閻魔叱らず』🖌️いい事もしなかったけど、悪いこともしなかったのだから、お地蔵さまに褒められたことは無いけれど、閻魔さまに叱られることも無いだろう。....ごく普通に真面目に生きた一般の人の思いは多分こんなところだと思いません?☺️実は、この句は辞世句です。もしかしたら、あの世とやらで閻魔さまに叱られるかもしれないと思う御仁は、今からでも徳をより多く積んどいた方がいいと思う今日この頃😏☝️四季山人安永五年~文政五年(1776-182
おはようございます気持ちの良い朝を迎えた深川ですきょうは目黒の親友が、わたしの住むエリアに来ますその前に、要るもの買うついでのウオーキンゲヘ三好町、平野町ですわたしの好きなお寺さん「雲光院」阿茶の局のお墓が有りますよ
おはようございますしかし、昨日はよく降りましたね~普段は雨降りでも、ガンガン歩くわたしですが飯田橋の漢方医を出た後風が強いので用心して飯田橋駅に戻りましたショッピングセンターの中の「三浦屋」が好きですむかし東中野に住んでいた時吉祥寺で見つけ大ファンに漢方医に通い始めてからは飯田橋店に殆ど必ず寄りますねえオリジナルの美味しいスイーツは勿論のこと、普通のスーパーには並ばない珍しい鮮
【芝連】◆大木戸黒牛(おおきどのくろうし)🐂芸名鶴賀若狭掾。剃髪して鶴翁と号す。通称高井庄兵衛。天明六(1786)年三月廿三日歿、年七十。◆赤坂成笑(あかさかのなりわら)栗成笑。通称八木岡政七。赤坂に住す。◆つくばねの峰依(つくばねのみねより)花沢氏。◆浜辺黒人(はまべのくろひと)本芝三丁目の書肆三河屋半兵衛。本名斯波孟雅。字は子頌。寛政二(1790)年五月十八日歿、年七十一。◆女奈里(おんななり)女流⁉️それにしてもなかなかシャレてます。◆茶碗愚意呑(ちゃわんぐいのみ)
龍光院から50mほど北のところに、徳川家康公の側室であった阿茶局(あちゃのつぼね)の墓(供養塔)があります。仏像に向かって左の塔です。---江東区指定有形文化財(建造物)石造宝篋印塔(ほうきょういんとう)寛永十四年在銘三好2-17-14雲光院平成十三年三月二十九日指定本塔は、雲光院の開基である阿茶局の墓塔として建てられたものです。宝篋印塔とは、内部に「宝篋印陀羅尼」を納めたことに由来する塔婆の一形式です
こんばんは~涼しかったですこういう日を逃すまいと、急遽父のお墓参りに行きました船橋市なのに端っこで意外と遠いし、乗り換えの回数も多いからよほど体調や天候が良くないと行く気になれません。(;°皿°)まず門前仲町で乗り換え次は北習志野で乗り換えお次は三咲駅で下車そこからバスに乗って降りたら10分ほど歩きます今年になって、行ったかな検査に継
こんばんは朝の7時半に家を出て、夜の7時半に帰宅~信じられませんねえ、こんなに長時間の外出が出来たなんて\(゜□゜)/まあ、お腹もさほど心配なく10000歩を超えたけど、大した疲れもなく精神的には、充実感と満足感でいっぱい午前中は、鶴見総持寺の写経会午後は、横浜で大先輩とお喋り体調が良ければ、いろいろなことが叶いますо(ж>▽<)y☆
真景累ヶ淵から「豊志賀」をネタおろししました。毎月やっている「深川ひるま寄席」で今回は本堂を使わせて頂いてネタおろししました。まずは喬の字兄さんの「お菊の皿」はこちらもネタおろし、そして私の「豊志賀」、中入り挟んで司兄さんの「質屋庫」の三本立てでした。いつもは雲光院さんのお座敷を借りてやっているのですが、今日は「怪談噺特集」ということで本堂を借りて公演しました。怪談と言えば、ロウソクなので、ロウソクもお借りして使わせて頂きました。なかなか出来ない趣向でしたので、お客さんにも楽しんで頂け
なかなか本筋に戻れなくてすみません。英勝院に対する家康からの愛。もちろん疑いはしません。けれども、それでも英勝院もまたたくさんいる「側室」の一人でしかなく、家康は英勝院を「正室」にしてはくれませんでした。家康が最も信頼していたのは「阿茶」だったという説もあります。この「阿茶」が「養母」として育ててきたのが「秀忠」です。側室と側室、家康を取り合いケンカになってもおかしくありません。でも争いはありませんでした。一つ屋根の下、英勝院はうまく先輩の「阿茶」をたててきた
深川方面は以前にもお参りして来ましたが寺社の多い所で今回は隙間をぬって清澄白河駅からスタート東京都近代美術館や清澄庭園など見所の多いエリアですが大きなお寺さんではありません「龍光院」道路から直ぐ本堂が望めます門の脇に小振りな梅が・・・墓所へ続く本堂横に六地蔵本堂の前に鎮座しているのは「ちんねんさん」深川七福神の毘沙門天を祀るお寺さんです江戸初期日本橋に創建されたお寺ですが度重なる江戸火災で焼失1862年に現在地へ移転されたそうですお隣の「雲光院」との関連が深く徳川家康に