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○『刃牙道』板垣恵介少年チャンピオンコミックスより本部以蔵:なんとめでたい「日」もあったものだ。「夢」を追いかけ・・愉しみ継続けし幾十年・・・そいつが今宵、報われる。「清酒」の霧で祝福ってやろう・・・。範馬刃牙:嗚呼・・この状況が好きだ・・・。培った全てを・・出すしかない・・・他の選択肢の・・一切が閉ざされている。すなわち、手にしてる全てを出していい。以上、歴史能力検定本番が首尾よくいった時の感慨の代弁を「刃牙」語録から拝借いたしました。ちなみに、想定以上に問題が難しくて自
◎このブログの目次はこちら2018年11月、「よんぶんのビワイチ」と称して、滋賀県米原市から長浜市高月町までをサイクリングしました。米原駅でレンタサイクルを借りて、女子4人でのグループライド。私がその後、ビワイチに参加するきっかけになったこの旅を、振り返ってみたいと思います。よんぶんのビワイチ(米原~高月)コースプラン(C)GoogleMaps|地図データ@2023(文字と線をブログ管理人が追記)※帰り道を正確に覚えておらず、浅井三姉妹の郷から近江
色々と言われてはいるものの、結局「LGBT理解増進法」が可決された。なんだかこれまで法律制定を推進してきたLGBT側は「差別増進法」だと不満足のように見えるが、日本社会が「LGBTの存在を認めた」ともとらえ、一歩進んだと評価できるのではないか?もちろん、後世には「『北海道旧土人保護法中改正法律』の二の舞だった」とされるかもしれないが、可決された「LGBT理解増進法」は「現在の日本社会における最善」だったことも厳然たる事実だと思う。さて、今回は『海遊録』という文献に現れた江戸時代日本の先
集英社が創業95周年を記念して「アジア人物史」全12巻の刊行を企画し昨年末から順次発刊した。人物を中心にアジアの歴史を描くもので、総勢1万人の登場人物だそうである。最初の発刊が、第7巻「近世の帝国の繁栄とヨーロッパ」、第8巻「アジアのかたちの完成」の2冊。アジアに関心のあるけんじいは「これはすごい本が出た」と思い、7巻8巻の順に1ヵ月ほど間をあけて図書館に申し込んだが、どういうわけか第8巻が先に来た。この第8巻は17〜19世紀のすなわち近世の、アジアの舞台で活躍した人々を通
滋賀県彦根市のピアノ教室夢京橋おんがく堂🎼ですホームページはこちら夢京橋おんがく堂彦根城下・夢京橋キャッスルロードに2022年春オープンした「夢京橋おんがく堂」。グランドピアノのある小さなスタジオで、ピアノ教室、コンサート等行っています。ただいまピアノクラス新規生徒さん募集中です。www.yumekyobashiongakudo.com少し前の話になりますが、昨年秋にミュージカルでピアノを弾かせていただいた、長浜市の富永小学校🏫『芳洲先生ミュージカル、無事に終わりました』この投稿
この投稿をInstagramで見る夢京橋おんがく堂(ゆめおん)/滋賀県彦根市ピアノ教室(@yumekyobashi_ongakudo)がシェアした投稿レッスンのお申込み、各種お問合せはこちら夢京橋おんがく堂公式LINEのお友だち登録で、一対一のトークができます(お問合せ専用)⬇️
昨日の続きは、この本の読み下し文では読み取れなかった部分を、この本の後につけられた解説から補った内容。だから、けんじいが直接著書から読み取れたわけではなく、田代和生さんの校注からの紹介ということになる。(1)雨森は「両国の外交で「誠信」という言葉をしばしばお互いに使うけれども、誠信とは実意を伴ったものであり、互いに欺かず争わず真実を持って交わることを言う」と明言している。つまり、単なる精神論ではいけないと述べている。この部分は原文を読んでわかった。(2)そしてそのためには充実し
先般朝鮮通信使の「製述官」申維翰の著作「海游録」を紹介したが、続いてその中にしばしば登場する雨森芳洲の著作を読んだ。繰り返しになるが、雨森芳洲は対馬藩において日朝外交の実務的な責任者だった人である。ほぼ漢字ばかりの原文を書き下し文に直したものを読んだが、高校で古文を習ったくらいでは正直言って歯が立たない。1回目は、まあこんなことだろうと理解できたことを中心に紹介する。「朝鮮交接の儀は、第一に人情・事勢を知ること肝要」というよく知られる文章で始まる。要は国によって習慣や事情が違うので
この本は、ソウルから江戸までの往復の記録のほかに、付録として「日本見聞雑録」(原文は「日本聞見雑録」)があり、ここで日本の地理、暦、産物、植物、動物、衣食住などが説明されている。内容によってはこちらの方が面白い。例えば、「誰でも水は飲まず必ずお茶を飲む」とか、「クジラを1頭捕まえると大金持ちになるそうだ」とか、「夏でもハエがほとんどいないのは、いつも清潔にしていて腐るものは直ちに土に埋めるからだ」とか、なかなか細かい。面白いのは、我々も疑問に思う話、例えば「柳生但馬守は奈良
一昨年栗駒山に登った帰りに中尊寺に立ち寄り、中尊寺を開山したと伝えられる円仁大師に関心を持って、「入唐求法巡礼行記」を読んだのだが、今月中旬に対馬の山に登ったついでに朝鮮通信使のことに改めて関心を持ち、この本を読んだ。けんじいはインバウンド、アウトバウンドの旅行記が好きだ。著者は徳川吉宗の征夷大将軍就任を祝うために朝鮮からはるばるやって来た通信使の「製述官」。この言葉は当然漢字を使っていた朝鮮の単語そのままだろう。一般には書記官と訳すことになろうが、単なる書記官というよりは、文章詩歌に
2年前の1月に「日本百低山」の講演会で同名の本をもらい、本の中でも講演会の中でも紹介されて印象に残ったのが、対馬の白嶽だった。その時は漠然と行ってみたいなあと思っただけだったが、ある時生涯の友人に話したら、「対馬山行」大賛成ということになり、実現した。大学時代学生寮で2年ほど同室だったこともあり、気心は十分すぎるほど知れていた。6日間で御岳、白嶽、金田城山、清水山、龍良山の5つの山に登ったが、標高差の合計は1700m足らず、歩数は特に岩登りなどが多いと正確にカウントされていないと思
3421局目:高月井口【たかつきいのくち】郵便局(滋賀県長浜市高月町井口191)46173長浜市高月町のJRから東側の地域は高時川から取り込んだ水路が町を巡っていて、暑い時期は清涼感がある。昔から野菜を洗ったり便利に活用していたそう。井口から少し北にある雨森地区は水路に花を飾ったり美観に努めている。(今回は雨森地区には行けなかった…>_<)雨森地区にある『東アジア交流ハウス雨森芳洲庵』は…江戸時代に日本と朝鮮の善隣外交に顕著な業績を残した雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)がこの辺りの出
雨森芳洲庵(あめのもりほうしゅうわん)。雨森芳洲庵東アジア交流ハウス雨森芳洲庵長浜・米原・奥びわ湖を楽しむ観光情報サイト。琵琶湖の観光をもっと楽しく。長浜・米原を中心に北びわ湖の観光情報が満載です。kitabiwako.jp男色男色-Wikipediaja.m.wikipedia.org雨森芳洲雨森芳洲とは-コトバンク朝日日本歴史人物事典-雨森芳洲の用語解説-没年:宝暦5.1.6(1755.2.16)生年:寛文8.5.17(1668.6.26)江戸中期の対馬藩の
「ノクドゥ伝~花に降る月明り~」時代背景と朝鮮第15代王・光海君、俳優チョン・ジュノ紹介navicon[ナビコン]...ノクドゥ(チャン・ドンユン)と、妓生(キーセン:朝鮮時代の芸者)になりたくない女性トン・ドンジュ(キム・ソヒョン)のロマコメ時代劇。なぜかつての日本は大量の空母を建造できたのか=中国メディアニフティニュース中国のポータルサイトに、「戦前、戦中にかけて、どうして日本はあれほど多くの空母を建造することができたのか」とする記事が掲載された。コロナ時代に振り返る
所在地滋賀県長浜市高月町雨森(雨森芳洲庵)特徴浅井氏の配下にあった雨森氏の平城で、芳洲庵の東側にかなり大きな土塁が残る。江戸時代に対馬藩に仕えて朝鮮との外交を担当した雨森芳洲は子孫になる。感想資料館が建っていて、朝鮮通信使などの資料が展示されている。
2021年2月8日(月)日経新聞朝刊26ページ社会雨森芳洲に見る日韓関係、「欺かず、争わず」今こそ「人間という存在に対する限りない優しさであるといえるだろう」。江戸時代、対馬藩に仕えた雨森芳洲(あめのもり・ほうしゅう、1668~1755)の人柄の特徴を司馬遼太郎は、こう残した。将軍の代替わりに訪れた500人の外交団「朝鮮通信使」の応接役として、堪能な語学を操り、友好を旨として職務にあたった。今の日韓関係へも多くの示唆を与える。芳洲は滋賀県長浜市高月の生ま…www.nikkei.com
我が肌は上様だけのもの…徳川家光への男色に殉じた堀田正盛の壮絶な最期エキサイトニュース江戸幕府の第3代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)が男色を好むあまり、なかなかお世継ぎが生まれず、乳母である春日局(かすがのつぼね)が...信長も信玄も使ったハンコ、吉田茂も岸信介も使った花押…文書史から考える日本の印鑑文化BusinessJournal鎌倉幕府の実務を構築していったのは、京都から下向した大江広元(おおえの・ひろもと)などの下級官吏なので、鎌倉幕府はハンコではなく、花押..
台湾野球と日本(上)台湾人が忘れられない西武ライオンズ黄金時代――デストラーデから郭泰源...Nippon.com高校時代の制服はカーキ色で、胸元に学籍番号と名前、それに学年を表す横棒を刺しゅうすることが義務付けられていた。反抗期の男子としては...“映え”の時代に心に響く「なにげない写真」〜映画『浅田家!』写真家・浅田政志さんインタビューBLOGOS“映え”の時代に心に響く「なにげない写真」〜映画『浅田家!』写真家・浅田政志さんインタビュー.BLOGOS映像研究会.202
新緑に癒やされよう。青もみじが美しい京都のおすすめスポット5選大紀元神社の神聖な雰囲気に包まれた森の中で、森林浴に浸れますよ。2.東福寺.次にご紹介するのは「東福寺」。禅宗のお寺で、美しい枯山水の庭園や、...アマビエお札を花火大会の協賛お礼にkiji.is神社でお清めをした後、花火大会に協賛してくれる企業や個人に渡す。今年は昨年(約千発)程度かそれ以上の花火の打ち上げを目指し、準備を進める。「こういう...「突引」奉納、来年に思い尺八、箏で関野神社で高岡2団
シダレモモと境内彩る都留・桂林寺fujisan-net.jp都留市金井の桂林寺で、境内のソメイヨシノとシダレモモが見頃を迎え、訪れた人の目を楽しませている。境内にはソメイヨシノ8本とシダレモモ約20本が植え...中尊寺金色堂の拝観休止、毛越寺も宝物館で実施へ岩手日報町も両寺の町営駐車場を同じ期間、閉鎖に踏み切り「世界遺産の町」は観光客の入り込み抑制へとかじを切る。町によると、同感染症による寺社の拝観休止は県内...手水舎に彩り「花手水」インスタ、SNSで人気
こんにちは爺さんです。良い気候になって来ました。爺さんは暖かい日が何より。貿易史の中では外交官が活躍します。なんと言っても雨森芳洲でしょう!ご存知ですか?対馬藩で朝鮮外交を任されました。木下順庵門下の朱子学者朝鮮語、中国語に堪能です。色々人物伝はでているようですが、小説ではあまりよいものが出ていない。健在であったら吉村昭さんに是非書いて貰いたかった。雨森芳洲は、引退後尚向学心は衰えず、様々な著作をものにしています。江戸時代中期の優れた外交官雨森芳洲の名は未だ、知られてい
即位儀式彩る壁画「賢聖障子」全9面を初公開京都国立博物館47NEWS江戸時代から昭和の天皇即位といった重要な儀式を彩った京都御所(京都市上京区)の障壁画「賢聖障子(けんじょうのしょうじ)」が、東山区の京都国立博物館で...朝鮮通信使、人形で再現「雨森芳洲庵」元館長・平井さん長浜/滋賀毎日新聞江戸時代の儒学者、雨森(あめのもり)芳洲(ほうしゅう)の顕彰施設「雨森芳洲庵」(長浜市高月町雨森)の元館長、平井茂彦さん(74)が、朝鮮から江戸幕府へ...若者が使うまじは今時
厳原八幡宮神社から通りを挟んだ地区へ。中村地区と呼ばれ、寛文年間(1661〜1673)に武家町として整備されたものです。今も遺る石垣や武家門が往時を偲ばせます。中村地区武家屋敷通り(長崎県指定まちづくり景観資産)対馬は石の文化。美しい色味の調和を魅せる石垣。宗義智公之像対馬藩初代藩主・宗義智の銅像。宗氏は関ヶ原の戦いで西軍につきましたが、徳川家康から朝鮮との国交回復を命じられ、その代わりに所領は安堵されます。けれど、正室の小西マリアは、
行きたい”が見つかるMachiTagで、小江戸・川越がもっと楽しく!江戸情緒あふれる川越を拠点に活動する...PRTIMES(プレスリリース)「NPO法人カワゴエ・マス・メディア」は、江戸情緒あふれる埼玉県川越市の街づくりを行う団体です。インターネットを通じた地域情報の発信やイベント・ワーク..日本のロック史における最重要バンドのひとつ、JAGATARAが奇跡の復活!Jagatara2020として30年...TOWERRECORDSONLINE(プレスリリース)1
「フォート・ウオーク倶楽部」という、欲張りな同好会に入会しました。県下に強風注意報が発令されている中、一路湖北を目指しました(電車です)樹齢不明の古木(銀杏)、残念ながら雄木だそう。かの「白洲正子」や「司馬遼太郎」に激賞された、渡岸寺(向源寺)の国宝「十一面観世音菩薩」わたくしがこれまで拝観した観世音菩薩の中で、文句なく№1だと思いました。寺伝では、天平の作と伝わりますが、調査の結果、平安中期の860年±10年という。他に例のない、大きな耳飾り腰
いつもありがとうございます。英会話×心理学×数秘術であなたの魅力を再発見☆彡辻優子です。今日は友達と長浜へお出かけ。湖北の琵琶湖は、こんなにも神々しくお迎えしてくれましたお目当ては「朝鮮通信使ゆかりのまち」のイベント内でのジャン・ホギョ君のライブ優しい歌声と、キレッキレのダンスのホギョ君。彼の活躍はこちらでチェックできます↓JangHogyo:K&Dエンターテイメントホギョ君のステージは、いつにもまして最高でしたが、それ以外にも今日は感
ヨルダン北部の遺跡ジェラシュ外国人観光客ら8人刺されけがNHKNEWSWEB中東のヨルダンにあるローマ帝国時代の遺跡が有名な観光地で、外国人観光客ら8人が刃物を持った男に刺されてけがをしました。現地の警察は男を拘束して...清和源氏系図歴史チップス清和天皇┳陽成天皇━元平親王━源経基?←天皇家┣貞純親王━源経基━━満仲┏頼光...〈きやぶ今昔物語〉武将・
300年前、先生の活躍を芳洲庵の平井元館長が小冊子長浜/滋賀毎日新聞江戸時代の儒学者で、朝鮮通信使に2度随行した雨森芳洲(1668~1755)を顕彰する施設「雨森芳洲庵」(長浜市高月町雨森)の元館長、平井茂彦さん(74)が...平貞盛のもみ消し2.禁断の標的歴史チップス丹波康頼が退室した後、平貞盛は息子の平維叙を呼んだ。「まずいことになった」「治らないとか?」「いや、治る方法は...【9月18日付編集日記】オーガニック食材福島民友江戸後期の儒学者佐藤一斎は、郡山