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旧甲州街道の旅は、国道20号線の深沢入口交差点から柏尾橋で深沢川を渡り、芭蕉句碑の下を通り過ぎて240m進んだ右側の一段上にそびえる山門が目立つ、真言宗智山派のお寺、大善寺からはじめます。大善寺は拝観料の必要なお寺なので、内部を見学するには山門下より80m手前を右斜めに入り、手前宿坊前に駐輪して、駐車場入口ゲートの右脇、客殿入口にある受付にゆきましょう。ここで大人一人500円(2024年10月現在10名以上は割引あり)を支払います。車もオートバイも自転車も、駐車(輪)に料金はかからず拝観
お立ち寄り下さり、ありがとうございます。中軽井沢・離山公園の旧雨宮邸新座敷で行われている「稲垣黄鶴・書の世界~野の花と小鳥の声に囲まれて~」。軽井沢・追分の旅籠の娘として生まれた稲垣黄鶴は、1歳の時、上田藩主の祐筆を務めた湯浅家の養女となったことから、幼い頃より書に親しみ、才能を現した書家。東京女子師範学校を卒業後、中国・日本高等女学院の教師として請われて中国に渡り、さらに書を学びやがて迎えた終戦。中国軍に銃を突き付けられながら心情を書にしたためたことで許され帰国。帰国後も
お立ち寄りくださり、ありがとうございます。この季節、町のあちこちで見られる小さな赤いかわいい実。モミの木と間違えそうな緑と赤のクリスマスカラー。雌雄異株の常緑樹「イチイ」。地方により「オンコ」「アララギ」などと呼ばれるそう。集まっていても…バラバラでも人目につくかわいらしさでも種子には強い毒性があるとのこと要注意です常緑なので、刈り込んで生垣に使われることも多いのですが、20mにもなる大木。名前の由来は、仁徳天皇の命によりこの木を使って笏(シャク)を
”中央本線の旅”最終回は、夢の中だった甲府界隈の小ネタをちょっとご紹介します。日本で最初に鉄道が開通したのは明治5年、新橋⇔横浜間だということは歴史で習われた事と思います⁉中央線の前身、甲武鉄道時代に走っていた1800形蒸気機関車イギリス:キットソン社製その後の鉄道建設計画(東京⇔京都間)では、現在の東海道ルートか?または中山道ルート(中央線)か?で壮大な議論が巻き起こり、内外の有識者や政治家、軍部までを巻き込み意見が対立していました。その後の混迷ぶりは甚だしく、明治16
離山公園(旧雨宮敬次郎邸)は無料駐車場が2ヶ所あります。軽井沢なのに?無料です。雨宮池に水が入りましたし。(4年ぶり)公園内にはベンチがたくさんあります。撮りきれてない所にもあるみたいですから、探してみてください。また離山図書館の方にも…こちらは国道から遠いので静かですね。図書館の駐車場ももちろん無料、一番大きいかも…つまり駐車場はみんな合わせて3つ?あるよん。ところで図書館の駐輪場2ヶ所は知ってる?ごみ捨て場じゃないよ。看板ないから注意だね。公園ですから、散策も出来ます。隠し
今日もご覧いただきありがとうございます。朝起きると一面の雪。この冬1番の積雪?深さはこのくらい晴れてはいるのに、時々粉雪が舞う1日。午後、軽井沢書店のイベントに出掛けました。昨年5月にオープンしたブックカフェ書籍、雑誌、雑貨、文房具も揃えています専用カートでペットと一緒に入店できるのも嬉しい書店軽井沢ゆかりの書籍・雑誌も充実ミニレクチャーの前に店内のカフェでランチを。カポナータサンドのスープデリプレートサ
軽井沢に着いたので、娘たちをアウトレットで降ろした。シッタカはちょっと近所を探検。近衛文麿別荘という看板があったので寄ってみた。市村記念館http://www.town.karuizawa.lg.jp/www/contents/1001000000931/index_k.htmlというらしい。雨宮敬次郎の屋敷の敷地に移設されている。雨宮敬次郎は軽井沢の別荘地の開発をまっさきに手がけた人らしい。奥まったところにありました。意外
何と本日はお休みを頂いて、旧中山道歩きを堪能して参りました。何てったって、今期の御休みを取ろうと思ったら今日か明日しか無い訳ですからね(≧∇≦)。歩行ルートは☟(ルートラボの大きな地図はこちら)。朝6:58上野発の新幹線で8時過ぎに前回ゴールの軽井沢駅に到着。新幹線の駅が直接スタート地点だとラクでいいなあ。まずは駅から、プリンスホテルのスキー場などを激写。まだちゃんと雪残ってますね。都内は朝早くからかなり暖かかったですが、こちらは暖かいながらもちょっと風が吹くと急に冷
平成29年度山梨県市議会議長会後期議員合同研修会に来ています。本日は江見宮隆之さんを講師に招き「甲州財閥、今に生きる」と題した講演です。今年は明治維新から150年の節目であり、NHKの大河ドラマも本市出身の林真理子さんの原作である「西郷どん」がスタートしたところであります。明治の近代化としての富国強兵‼︎地租改正、殖産興業、教育振興などの政策が推し進められた時代でありました。山梨の時代背景としては、薩摩や長州、土佐とは違い、幕府の直轄地であった甲斐国からは、政治的成功が難しい土地であり
ちょこっとお出かけついでに見鉄。今日は良い天気だけど、季節風が吹き出した。明日の朝は寒そうだ。いつもの春日居町~石和温泉の場所に撮り鉄が10名ぐらいたむろしている。桃畑に入ったりしやがって・・・。最初に下ってきたのが彼です。場所を石和温泉駅近くに移すと程なくやって来たのがこれ。そうか、これを狙ってたのか・・・。と、程なくやって来たのがこれ。おお、なかなか豪快に走って行くじゃん。なんとなく、成田エクスプレスの色違いに見えてしまうな。で、ガソリンスタンドに行くとこんなパンフレッ
スタジオシフト深澤竜也デザイン事務所です。山梨県でデザインの仕事をする中で、必ず関わりが出てくるのは、山梨県の歴史です。歴史は個人的な趣味でもありますが、中でも明治から昭和にかけてのいわゆる「甲州財閥」に関しては、どうしてもっとドラマや映画などで取り上げられないのか?と思うほどです。甲斐国では近世に甲府城下町が発達し、甲州街道や富士川舟運をはじめとする諸街道・物流網が成立し商業が展開される。甲府城下町では八日町を中心に大店を構える有力商人が出現します。一方で在方において
雨宮敬次郎ー甲州財閥雨宮一族その子孫ー(Amebaブログ近代名士家系大観様より抜粋)・雨宮敬次郎長野県在籍弘化3、山梨、雨宮宗平二男東京商品取引所理事長、熱海鉄道、江ノ島電鉄各社長等を歴任日本製粉、大師電気鉄道(京浜急行電鉄)の創設にかかわり、軽井沢の開拓に貢献したことでも知られる養子・亘(後述)養子・豊次郎別掲http://ameblo.jp/derbaumkuchen/entry-12039480664.html養子・信一郎明治16其妻・たま明治2
こちらが、総持寺の紫雲臺(しうんたい)の中で、最も、煌びやかなお部屋でした。ここは、総持寺の貫主、大寛眞應禅師さまと面会する時のお部屋なのだそうで、この日は、直ぐ後に、面会のご予定があると、席が用意されていましたので、じっくり見学という訳にはいきませんでした。煌びやかと言っても、かなり渋めの色遣いでした。廊下を挟んで反対側には、達磨禅師さまの大きな絵が。少し前まで、総持寺では、この達磨禅師さまの絵入りの御朱印が頂けることで有名だったようなのですが、とて