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エルサレムを離れず、わたしからかねて聞いていた父の約束を待ちなさい。ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなた方は、間もなく聖霊によって洗礼を受けるからである。使徒言行録1-4聖霊の洗礼とは?よく分かりません。ただ、聖霊が降ると力を受けると聖書には書いています。使徒たちは、聖霊を受けてから力強くなっていることが分かります。主よ、わたしにも聖霊の洗礼を与えてください。昨年は、咲かなかったハイビスカス。今年は、たくさん咲いています
姉が53歳の若さですい臓がんで亡くなりました。姉は、両親の面倒をみると言っていたのです。が、当初の計画?は見事に崩れました。神様のご計画のみ成るという事ですね。認知症の父、片麻痺のある両親の今後をどうしたら良いのか。母はまだしも、認知症の父の面倒を離れた岩国からどうみたら良いのか。とりあえず父を精神科の病院に入れた方がいいのかケアマネさんに相談しました。姉が亡くなってその六日後。昼から母が父が糖尿病などの治療で入院している一般の病院へ行くと言ってた
ペテロに仰せになった、「わたしに従いなさい」。ヨハネによる福音書21-19イエス様に従うとは?イエス様が言われたことを守ること。イエス様が言われた言葉で一番大切な言葉。それは、あなたの隣人を愛しなさいでした。少しでも隣人を愛せればいいですね。台風が来ているので涼しい朝を迎えることが出来ました。今日一日、平安に過ごせますように。
Mark11:24NIV[24]ThereforeItellyou,whateveryouaskforinprayer,believethatyouhavereceivedit,anditwillbeyours.https://bible.com/bible/111/mrk.11.24.NIVだから、こう言っておく。あなたがたが祈り求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、その通りになる。Matthew25:31-46
掟を守る人は、神のうちに留まり、神もまた、その人のうちに留まります。神がわたしたちのうちに留まっておられることをわたしたちは、神がわたしたちに与えてくださった霊によって知るのです。ヨハネの第一の手紙3-24「掟とは、わたしたちが神の子イエス・キリストの名を信じること、また、わたしたちにお命じになったとおり、互いに愛し合うことです」。と聖書に書かれています。少しでも掟を守れるように聖霊の導きを願います。夕食の献立を考えるのは私の役割で
イエスはシモン・ペテロに仰せになった、「ヨハネの子シモン、この人たち以上に、あなたはわたしを愛しているか」。ペテロは答えた、「はい、主よ、ご存じのように、わたしはあなたを愛しております」。ヨハネによる福音書20-29わたしは、イエス様を何番目に愛しているのだろう?わたしには、妻、子どもなど、愛している人は多くいます。金銭、名誉も・・・・・。イエス様が愛する順番の後ろの方になっています。先般、県内で最高気温を出ました。気温39.
言葉や口先によってだけでなく、行いと真実をもって愛し合いましょう。これによって、わたしたちは真理に属しいることを知り、たとえ良心に責められることがあっても、神の前に安心していることができます。ヨハネの第一の手紙3-18良心に責められない人は、いないのではないでしょうか?人を愛するという行為が、わたしたちの責められる心を覆ってくれるのです。猛暑の中、畑仕事をしてきました。収穫は、白オクラと小さなスイカです。妻が食べた後の種を蒔いたメロ
イエスはトマスに仰せになった、「あなたは、わたしを見たから信じたのか。見ないで信じる人たちは幸いである」。ヨハネによる福音書20-29イエス様に一度で良いからお会いしたいと思っています。まだ、一度もお会いしたことはありません。なのに、なぜわたしは、キリスト信者なのだろう?信じるとは?ただ、わたしは、日々、み言葉に接して、そのみ言葉を実行しようと努めています。
求道者としての歩み人々の霊魂を助けたいとの熱望によって、そのためにどうしても学問の必要を感じ、彼は1528年、パリにおもむき勉学に励むことになった。しかし霊魂を良く助けるため、また説教するためには単なる学問ではなく、司祭職をめざす必要があった。残念ながら、当時の多くの司祭は学問に乏しく、貧しい生活に追われ、世間一般の評判も余り芳しくなかった。全く不思議なことに、彼の成徳に魅かれ、また個人的に霊操指導を授けることによって、次第に仲間と呼ばれる人々が
弟子たちに息を吹きかけて仰せになった、聖霊を受けなさい。ヨハネによる福音書20-22聖霊降臨の重要な箇所です。聖霊は、信じれば身近に感じますが、気にしないと存在が分からないものです。日々、聖霊に導かれて歩んでいることを自覚しないといけませんね。
主に忠実な者よ、主を愛せよ。主は誠実な者を守られるが、高ぶる者にはきびしく報いられる。すべて主を待ち望む者よ、雄々しくあれ、心強くせよ。詩編31-24心が弱っている人に、雄々しくあれ、心を強くせよと主から言われても、言われた人は更に心が萎えてしまうのではないでしょうか。心が弱った人には、何が必要なのでしょうか?主からの助けではないでしょうか。
ルツは額を地につけ、ひれ伏して言った、「どうしてこれほどのご厚意にあずかり、お目を留めていただけるのでしょう、わたしは異国の女ですのに」。ルツ記2-10ルツはモアブ人。モアブ人はイスラエルと血縁関係にあったが、信仰を脅かすものとして主の会衆に加わることを禁じられていたそうです。そのモアブ人がダビデの祖父の母となるのです。この物語は、信仰が血統によるのではなく、すべての人に注がれる神の恵みであることを証しています。
自分たちが突き刺した者を、彼らは見るであろう。ヨハネによる福音書19-37自分たちは、イエスの死を確認するために、脇腹に槍を突き刺した。そのイエスが生き返ったとき、死が意味のないことであることを知るでしょう。
自分の半生記みたいになって具体的に神様が何をして下さったかよく分からない文章で申し訳ないと思っています。でも、神様なしでは生きていられなかった。小さな事に忠実な者は大きな事にも忠実です。というみ言葉は、まさに神様の事だと思います。限られた持ち合わせの時にどうしても必要な物があったけど教会のためにお金を先に使ってしまい定価では買えないのに、お店に行くと割引になってて買えた事。自動車学校で、原付の講習で暴走した時に、先生が体当たりで止めてくれて、
イエスは酸いぶどう酒を受けると仰せになった、「成し遂げられた」。そして、頭を垂れ、霊をお渡しになった。ヨハネによる福音書19-30「霊をお渡しになった」は、息を引き取られたの意味。これは、聖霊をキリスト者に与えることの前触れと解釈されるそうです。死と正面から向き合い、死に打ち勝つことが出来るのは、イエス様だけ。わたしは、死については、たじろいでしまいます。猛暑が続いています。熊本地震で車中泊していた70歳代の女性は、熱中症で死亡し
教会で「愛のメッセージ」が語られるとき、しばしば引用されるのが良きサマリア人の例えです。倒れている人を助けるサマリア人の姿は、確かに「隣人を愛する」ことの美しいモデルです。しかし、この例えを聖書が語るすべての愛の基準としてしまうと、重大な誤解が生まれます。なぜなら、聖書には隣人愛(一般的な愛)と兄弟愛(霊的な愛)の二つがあり、この二つは似ているようでまったく別物だからです。この違いを知らないまま「すべての人を愛しなさい」と教えられると、多くの人が疲れ果て、消耗し、時には霊的に
【8月8日、『4つの愛の奇跡』が世界へ】人は皆、誰かを愛し、幸せにしたいと願っています。それなのに、なぜ愛している者同士がすれ違い、ときには対立してしまうのでしょうか。私は長年、人材育成や研修の現場で多くの方々と関わる中で、「愛にも、人によって異なる表し方や受け取り方がある」ことに気づきました。本書でお伝えするのは、「家族愛」「隣人愛」「存在愛」「自己愛」という4つの愛です。どの愛が正しく、どの愛が間違っているということではありません。大切なのは、お互いの違いを知ることです。
わたしは、真理について証しするために生まれ、また、そのために世に来た。真理に属している人はみな、わたしの声に聞き従う。ヨハネによる福音書18-37わたしは、真理に属した人なのか。主のみ言葉を守って日々生きているだろうか。絶えず祈る人でいたいですね。妻が今年生まれたツバメが大きくなってきていると話してくれました。やはり、夏にはツバメがいないと寂しいですね。ツバメ、スイカ、花火大会、盆踊り。夏の風物詩は、大切にしたいで
主に忠実な者よ、主をほめ歌い、聖なる名をほめたたえよ。主の怒りはほんの一瞬、その厚意は一生。夜は嘆きに包まれ、朝は喜びに明ける。詩編29編ー5主は、私たちが道から離れると、道に戻すために私たちに試練を与えることがあります。しかし、主は、一生私たちを導き愛していて下さるのです。主に感謝。
神の言葉を守る人は、その人のうちにほんとうに神の愛が全うされいます。そのことにおいて、わたしたちは神のうちにいることが分かります。神のうちに留まっていると言う人は、イエスが歩まれたように、その人も歩まなければなりません。ヨハネの第一に手紙2-5神のうちに留まることが平安な生活を送る秘訣です。喜びと平和な生活を今日も送ることを願っています。朝は、涼しく過ごし易くなりました。昼間は、相変わらず猛暑ですが、涼しい時に仕事がで
何十年も前、小さな教会でキムヨンイルさんのコンサートがありました。素晴らしいサックス🎷で、演奏を聴いて涙が溢れました。心揺さぶられました。賛美は歌われませんでしたが、この歌声が心にしみます。主よ、憐れみたまえ❗️
シモン・ペテロは剣を持っていたので、それを抜いて、大祭司の僕に切りかかり、右の耳を切り落とした。その僕は名をマルコスといった。そこで、イエスはペテロに仰せになった、「剣を鞘に納めなさい。」ヨハネによる福音書18-10武器は、持っていれば使いたくなるものです。今も、各地の戦争で色々な武器が使われて、多くの住民が殺されています。人間は、罪の塊ですね。人間は、成長しないのでしょうか?何度も同じことを繰り返しています。
命が現れました。わたしたちは見ました。そして証しをします。御父とともにあり、わたしたちに現れた永遠の命をあなた方に告げ知らせます。ヨハネの第一の手紙1-22000年前、命の根源であるイエス様が来られました。御父のもとから私たちを救うために来られたのです。今も生きておられ、私たちを導いてくださっているのです。ですから、静かに黙想すればイエス様の声が聞えるはずです。あまりにも暑いので毎日、かき氷を作って食べています。
「自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め」と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。敵を愛する程の信仰はありませんが、相手のために祈ることは出来る気がします。祈るとは相手を思いやることではないかと私は思います。
義の道を深く知っていながら、自分たちに伝えられた聖なる掟に背を向けるくらいなら、それを知らないほうがよかったのです。ことわざに、「犬は自分の吐き出した物のところに戻る」また、「豚は体を洗った後、また、泥の中を転げ回る」と言われています。ペテロの第二の手紙2-21イエス様を信じた後に、背を向ける生活をしてはいけません。ですが、罪を犯す時には、いつもイエス様に背を向けている自分がいます。犬のことわざは箴言26-11に、豚のことわざは、外典
【令和8年熊本地震】このたびの地震により被災された皆様に、心よりお見舞い申し上げます。被災された地域の一日も早い復旧と、皆様の安全、そして平穏な日常が戻りますことを心よりお祈り申し上げます。------------そんな中で離れて暮らす私たちが今、できることは何でしょうか。災害医学、経済学、心理学、宗教学、哲学、スピリチュアルなど、さまざまな視点から「命」と「心身の健康」を守るために私たちができることを考えてみました。私は、優先順位は次のようになると思います。①命を守る②心身
兄弟たちよ、召されたこと、選ばれたことが確かなものとなるように心を尽くしなさい。そのようにすれば、決してつまずくことはありません。ペテロの第二の手紙1-10心を尽くすとは、信仰に徳を加え、徳に知識を、知識に節制を、節制に忍耐を、忍耐に信心を、信心に兄弟愛を、兄弟愛に愛を加えることだそうです。信仰につまずくことがないように気を付けなければ・・・・昨日は、熊本地震がありました。わたしの所も震度3普通より長く横揺れが続きまし
隣人愛の実践だと声高に主張しながら、困っている隣人を救うのは、彼らではなく、隣に住んでいる気のいいおじさんやおばさん。菩薩行の実践だと声高に主張しながら、困っている隣人を救うのは、彼らではなく、隣に住んでいる気のいいおじさんやおばさん。昔からそのように相場が決まっています。カトリックとプロテスタントの信者を見てきましたが、まあ、ずうずうしい我利我利さんや我利我利君が多かった。そして人の家を泊まり歩いて、お金を盗むようなしつけをする、菩薩行実践団体の子弟。それが宗教なんだ
禾山(かさん)老師のもとで雲水修行をしていたころ加藤晁堂(かとうちょうどう)和尚にかかわる逸話である。晁堂を含めた六人の雲水を伴って禾山(かさん)老師が托鉢に出ておられたある日のこと、坂道にかかったところで、重い荷物を山ほど積んだ車が坂を登りかねているのに出会った。晁堂は無意識に列から離れて車の後ろから押してやった。と、このとき、これに気づかれた老師は、一人でさっさと寺に帰ってしまわれた。そして、直ちに晁堂を破門処分にするように命じられた。道友も心を痛めて、せめ
生れ出た時から、わたしに負われ、胎を出た時から、わたしに持ち運ばれた者よ、わたしに聞け。わたしはあなたがたの年老いるまで変わらず、白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。わたしは造ったゆえ、必ず負い、持ち運び、かつ救う。イザヤ書46-3主が私たちを造られたのだから、全てを負って下さると言われるのです。命を全うするまで、主が共にいて救ってくださることに感謝の心しかありません。