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正倉院展の時期は法隆寺の救世観音(ぐぜかんのん)がご開帳されているので正倉院展から、法隆寺へと定番の拝観ツアーとなる救世観音は夢殿にて長い間秘仏であったが岡倉天心とフェノロサによりその扉が開かれた当時の法隆寺の僧侶たちは聖徳太子の怨霊を思いさぞかし肝を潰したことだろうその造形は異物である聖徳太子の顔をモデルにしたと伝わるがその顔といい、服装といいボーズといい、梅原猛氏いわく光背が頭を
梅原邸-ジャパンナビ・知多半島ナビ日本を代表する哲学者、梅原猛の育った家。2013年公開は終了しました。japannavi.co.jp検索したら出てきました!写真あります。一部引用させていただきます。江戸から昭和時代にかけて醸造業を営んだ「梅原家」。日本を代表する哲学者、梅原猛は、生まれて間もなく養子としてこの家で育てられました。少年時代をここ内海でのびのびと過ごし、後に哲学者として名を馳せていく礎を築き上げていったのでしょうか。公開に当たり、梅原家の所蔵品、梅原猛ゆかりの品々
今回、3泊4日で奈良を旅行した。2月20日(月)から23日(木)までである。今から半世紀近く前の話であるが、大学時代の終わり頃から日本の古典文学に興味を持つようになり、卒業後通信教育で学んだ。そのせいもあり、対象が古代史や寺社仏閣に広がった。当時読んだ本の中で衝撃を受けたのが梅原猛の『隠された十字架』(略して十字架)である。(大学時代に買ったものは上の単行本であるが、いつの日か売ってしまった。今回再読するために下の文庫本を買った。)彼の法隆寺論である。ミステリーの手法を用
前話へ_____________________________次話へ第27話法隆寺中門の中柱コロナが落ち着き、紅葉の秋になりました。観光の季節です。なかんずく奈良、法隆寺に惹かれて、多くの観光客があの五重塔を見上げていることでしょう。筆者も何度もその一人でした。惹かれた理由の始めは「世界最古の木造建築が、何故あの様に最高に美しいフォルムなのか?」という謎でした。木造ながら1400年に耐えた謎、あの美しくも危うげなフォルムが何度もの地震に耐えた謎。だから、法
土曜日はトレーニングのあと上野の国立博物館で開催されている「聖徳太子と法隆寺」展に行ってきた。35℃を超す暑さで、上野駅から平成館入り口までの徒歩10分で汗だく、入館したらクーラーが効き過ぎで非常に寒く、具合が悪くなる。室内は20℃くらいだったかもしれない、寒さに耐えられず集中して見学できなかったのは残念だった。今年は聖徳太子没後1400年ということで、奈良でもイベントがあるようだ。聖徳太子には昔から関心があり、梅原猛の「聖徳太子」「隠された十字架(法隆寺論)」も
法隆寺は聖徳太子の怨霊を封じ込めるための寺だ、という説は本当ですか?学会では否定されているんですか?うーんとねえ。隠された十字架―法隆寺論(新潮文庫)Amazon(アマゾン)117〜4,800円「隠された十字架」、読みましたか?頭から結びまで全部?読んだのであれば、我々が歴史だと思っているものの裏側に、なんかまるで異質の世界、「異界」が広がってるんだ、ってことに衝撃を受けたはずです。それで充分というか、それが全てなんですよ。歴史学、というのは、文献資料を研究する「科
どんどんいきます。奈良の旅レポのつづきです^^/世界最古の木造建築群、法隆寺です。法隆寺の謎のひとつとされているのが、西院伽藍の中門のつくり。通常、門のつくりは三間か五間といった奇数のつくりですが、法隆寺西院伽藍の中門は四間となっていてど真ん中に柱があります。それによって生まれたのが、あまりにも有名な梅原猛「隠された十字架」の、聖徳太子の怨霊を封じ込める説です。「物事は常識ではなく理性で判断せよ…」という冒頭に引きつけられて、関連書籍を読み漁ったものですが、実
東京世田谷は小雨が上がり、お休みの静かな朝がやってきました。近頃はカフェインレスコーヒーばかりです。「隠された十字架」は128ページ(全594頁)で挫折し5、6年経っているでしょうか。始まりは「法隆寺の七不思議」からです。先日のことである。私は久しぶりに、私の処女作『仏像ー心とかたち』の共著者である、前の大阪博物館長の望月信成(もちづきしんじょう)先生におあいした。私は法隆寺についてのある仮説に夢中になっていた。望月先生におあいしたときも、法隆寺のことをたずねた。すると先生はいわれた。
今まで法隆寺を何度参拝した事か・・・・恐らく7~8回くらいでしょうか?何度訪れても飽きる事は無い。他の寺院と比べると明らかに違います。書物で法隆寺といえば、梅原猛さんの「隠された十字架」を真っ先に思いだす。今回初めて目を通しました。御霊信仰の観点から法隆寺を眺めると「鎮魂の寺」なのでしょうねぇ~そもそも聖徳太子の聖人君主ぶりは他の皇族に比べても突出しています。ここまで「よいしょ!」しているのは太子及びその一族が無残な死に方をしている事が理由なのでしょ
(旧)弥生三十日謎深き門なり何を閉じ込めるはたまた何を拒む御柱雲端法隆寺における、世界最古の木造建築物は、金堂、五重塔、そして、この中門である。いわば、最初からこの形だったということだ。おそらく、寺社仏閣に興味の無い方からすれば、何が「謎深き」なのか、理解に苦しむだろう。けれど、寺社に通じた方であれば、この違和感に気づくはずだ。元来、門というものは、その寺のご本尊、神社の場合は主祭神が通るためのもので、もちろん、通路は「どまん中」と
巣ごもり生活も1週間が過ぎましたね♪元々オタク気質なので、ずっと家にいても全然苦ではなく、息子たちとそれぞれ好きなことして過ごしています(^^)昨日は山岸涼子さんの漫画を引っ張り出して、読みあさっておりました山岸涼子さんといえばもちろん♪厩戸様♡名作『日出処の天子』は、梅原猛さんの「隠された十字架」がきっかけで生まれた作品なんですよね☆古代史に明るい方はもちろんご存知の梅原猛さんは哲学者で、日本仏教を中心に置きながら日本人の精神性を研究されました。残念ながら昨年お亡くなりになっていま
梅原猛さんとの出会いは中学生の時だった。もちろんご本人ではない。歴史の先生が氏の著作を勧めてくれたのだ。その本は「隠された十字架」。氏が歴史学から大きな反発を受け、さらに日本の歴史学の定説を覆す転換点となった書籍。聖徳太子とその一族と法隆寺について多面的に捉えた怪著だった。もちろん当時僕らが使っていた教科書の論旨からは大きくはみ出す内容だ。僕らが通っていた中学校の修学旅行は岡山・京都・奈良。周囲の中学校は山口・萩だったから、ちょっと違っていた。例えば。枯山水で有名な龍安寺は
(ネットで何度か書き足してることですが、)法隆寺周辺のグーグルマップにのる聖徳太子の旧跡を全て訪ねたことがある。東の端近くに有るのが、太子の愛馬を葬ったという「駒塚古墳」(実は聖徳太子より遡る、4世紀頃の古墳)。西端に位置するのが、太子の狩った鹿を葬ったという「鹿塚」(こちらは実は江戸時代の信仰施設とのこと)。法隆寺を「馬」と「鹿」が挟んでいるという構図…🦌🐎🦌🏇🦌法隆寺が聖徳太子の怨霊封じの寺であると述べた「隠された十字架」等々、法隆寺などについて大胆な説を提示し続
瞑想を続けている方、瞑想が気になっている方、このブログへようこそ「日出処の天子」にはまったことをちょっと前の記事で書きました。で、山岸凉子先生が作品を描くきっかけになったというのが、梅原猛「隠された十字架法隆寺論」ということで、さっそく読んでみました。隠された十字架法隆寺論(新潮文庫)[梅原猛]979円楽天山岸先生はこれを読んで聖徳太子像が浮かんだというので、日出処の天子の厩戸に魅せられた私は、聖徳太子の人となりについて
私の妻の実家は浄土真宗大谷派の檀家である。和尚さんのお話(説法?)は、いつも興味深く聞いている。その和尚さんのお話の中で、特に印象に残っていることは、『他の宗派と違って、浄土真宗は人が亡くなるとすぐに仏様になる』とのことだった。したがって、香典は『御霊前』ではなく『御仏前』で出すのルールとのことだった。無宗教派?である私も、和尚さんの話を聞いていて、『親鸞聖人』『浄土真宗』について少し興味があった。<親鸞聖人>そんな中、書店でタイトルにある『梅原猛の歎異抄入門』が目
今まで読んできた書物で一番夢中で読んだ書物は?と、聞かれたら...梅原猛さん「隠された十字架ー法隆寺論ー」隠された十字架―法隆寺論(新潮文庫)961円Amazon山岸涼子先生「日出る処の天子」を読んで厩戸皇子(聖徳太子)にドハマリしまして。その、山岸涼子先生がリスペクトされて読み込まれたという書物がこの「隠された十字架」梅原猛先生も、「日出る処の天子」を絶讚されています。歴史はロマンだ!!と、ショックに近い衝撃を受けた書物です。中学の時の担任が歴史が大好きな国語の先生で、
1/12に、梅原猛先生が亡くなられました。心より、ご冥福をお祈りいたします。隠された十字架改版法隆寺論(新潮文庫)[梅原猛]907円楽天学生の頃、梅原先生の著作を夢中になって読んだ時期があります。特に、日本の歴史に通奏低音として流れる「怨霊と鎮魂」の考え方を知った時、目から鱗が落ちた気がしました。「聖徳太子」が何故、そう呼ばれるに至ったのか。「菅原道真」「平将門」が「神」として祀られるのは何故なのか。出雲大社の意味は。などなど「教科書が教えない日本史」の門をくぐっ
哲学者の梅原猛さんが逝去されたことをニュースで知りました。私が大好きな漫画家山岸凉子さんの傑作「日出処の天子」を描く前、聖徳太子の不思議さについて考えていて、疑問を同業の方(お名前失念してしまったわ)に話したところ、あなたの言っていることはこの本に全て書いてあると教えててくれたそうです。梅原猛著「隠された十字架ー法隆寺論」いわゆる定説とされている説を覆す内容で、賞も受賞した作品ながら研究家からは反論があったようです。しかし、文庫版「日出処の天子」で梅原猛さんと山岸凉子さんの対談があり、
哲学者の梅原猛先生が12日ご逝去されました。本当にこの冬は亡くなられる方が多いです。平成の次の時代には逢わなくてももうじゅうぶん、とでも言う声が聞こえるわけではないのですがでもなんだかそんな気がしてしまいます。本当に多くの昭和~平成に生きた歴史を刻んだ著名な方々を失っていきます。https://t.co/5cn94I4dZj独自の理論で日本古代史に大胆な仮説を展開した哲学者で、#国際日本文化研究センター(日文研、京都市西京区)の初代所長を務めた
きょうの「朝日新聞」1面。★梅原猛さん死去/93歳哲学者日本古代史独自の理論で日本古代史に大胆な仮説を展開した哲学者で、国際日本文化研究センター(日文研、京都市西京区)の初代所長を務めた文化勲章受章者の梅原猛(うめはら・たけし)さんが12日、肺炎のため京都市内の自宅で死去した。93歳だった。(中略)60年代から日本文化研究に傾倒し、72年に奈良・法隆寺は聖徳太子の怨霊を鎮めるために建てられたとする「隠された十字架ー法隆寺論」を出すと、73年には万葉歌人の柿本人麻呂は流刑死したとする
アメブロがようやく復旧しました。私のように仕事として使っている人たちにはさぞかし…。機種によってはまだ復旧しない方があるとか。…さて。昨日飛び込んで来た訃報梅原先生が亡くなられました。かなりのご高齢であったためいずれは…と思ってはいましたが。敬神生活に没頭するきっかけとなったお一人。著書を夢中で読み漁った記憶が甦ります。独創的であり、熱血的であり、時には暴走も。いや…ちょくちょくやらかしておられたようでご自身も反省なさりつつ。それまでの古い体質の考古学界を突き破
梅原猛さんの訃報に昨日接し、今日は埼玉新聞で記事を読みました。埼玉県では「ものつくり大学」の命名者で初代総長を務められたことで知られています。私自身、ものつくり大学という大学ができると知った時、総長に梅原猛さんと聞いた時、手先の器用な息子をこの大学に入れたい!と思ったものでした。伝統工芸などを扱う大学なのではないかと勝手に想像して。私の予想と違って、建築系の大学であったのですが、地元では、学生さんが授業の中で製作した様々な木の製品が自治体に寄付され、多くの市民に親
←梅原猛/著『隠された十字架―法隆寺論―』(新潮文庫)「法隆寺は怨霊鎮魂の寺!大胆な仮説で学界の通説に挑戦し、法隆寺に秘められた謎を追い、古代国家の正史から隠された真実に迫る」。ある親戚の家は、山間にある。森を切り開いた、丘の一角。動物はいろいろ出る。猿などは当たり前。熊も。びっくりして、どのような状況だったのか、尋ねることなど、思い付かなかった。その家にはワンちゃんは飼ってなかったと思うのだが。昔の里山は、熊どころか、猪や狼だって出没してたんだよね。梅原猛さんが亡くなられ
朝から晴天。暑いですねという会話の一日でした。じゃがいものおうちで余った種芋を植えた畑。しっかりと育っています。父が頑張ってビワの袋を被せています。白はヒヨドリに食べられるので緑が良いそうです。後、100袋足りないそうです。全部で1,100袋!高校サッカーは青森山田高校の優勝。一回戦ダイジェストを観てからの予想的中。但し、ハイレベルの決勝でしたが強い思いが伝わるほどではありませんでした。昨日の女子決勝の星槎国際湘南校と常盤木学園との試合は胸にグッとくる両校選手の
師走九日小寒次候:水泉動成人の日本日は我が國の祝日でもある「成人の日」、「国民の祝日に関する法律」によれば、「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」ことを趣旨としているそうです。現在はハッピーマンデー制度により、成人の日は(グレゴリオ暦)1月の第2月曜日とされており、この日やその前日の日曜日には、多くの各市町村で新成人を招いて成人式が行われます。今日もそらみつ☛成人の日~けじめの儀式~本日成人式を迎えられた皆様、本当におめでとうご
インターネットで梅原猛氏が亡くなったことを知りました。TVのニュースでは市原悦子さんの死去はたくさんやっているのに全く触れられないことが不思議です。わたしの世代では有名人であった。梅原猛。哲学者である。しかしどちらかというと、本業の哲学よりも独自の推論で新しい解釈を古代の日本文化に与えた『梅原日本学』の方が有名だ。従来の常識や通説、それを支える権威を疑う。彼の出世作『隠された十字架法隆寺論』(新潮文庫)によると「法隆寺はなぞの多い寺」である。普通の人はそうは思わな
今朝の読売の朝刊に梅原猛さんの死が大きく報じられた。(我が家の日経には、記事なし)三代目猿之助とスーパーカブキをつくり、梅若六郎(いまは、実)と、新作能をつくった。哲学者の視点からの「隠された十字架」は、大きな反響をよんだ。歴史学者からは、大きな反発を受けたが、古代のシリーズは、一般人に興味を芽生えさせたと思う。私も、子供の課題図書であったから、読み終わった後借りて読んで、引き込まれたのをおぼえている。平成とともに、また、ひとつの星が消滅した。ご冥福をお祈りする。
こんにちは。日本人なら誰でも知っている法隆寺(言い過ぎてしょうか?)は、別名を斑鳩寺とも呼ばれており、世界最古の木造建築としてユネスコの世界文化遺産に指定されています。そんな法隆寺に、不気味な風聞があるのはご存知でしょうか?実はこの法隆寺が、聖徳太子の怨霊を封じ込めるための寺であり、その成立の背景には御霊信仰があったとされているのです。史実では、推古天皇と聖徳太子が用明天皇(太子の父親)の病からの回復のために、607年に建立したと言われています。この「聖徳太子怨霊説」は、哲学者・梅原猛