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国の名勝に指定されている北区西ヶ原の旧古河庭園の春バラフェスティバルを見学に行きました2014年5月の蔵出し写真です明治20年代に外国との不平等条約改正を担当した当時の外務大臣の陸奥宗徳が土地を購入します陸奥宗徳の次男が古河財閥創業者の養子となり古河家の所有となっています古河家三代目が本宅として整備します洋館と洋風庭園は英国人建築家でニコライ堂、鹿鳴館、三菱一号館などを設計したジョサイア・コンドルですイタリア式庭園
NHKで明治の政治家、陸奥宗光を紹介していました。特に欧米との不平等条約の改正に力を入れたことを中心に描いていました。神戸海軍操練所に参加し、亀山社中にも参加。あちらこちらに故知を得て情報網や、知識網も多彩。資金調達能力にも長け、当時としては珍しい人物です。誰が交渉してもどうにもならない条約改正をメキシコを皮切りに、一番難しいイギリスを納得させる成果をあげました。きれいな話で終るのですが、ちょっと引かかったのはイギリスと調印した1894年7月16日です。この年に日本は清と戦
暁天の星、ははからずも葉室燐の未完の遺作だった。
いろんなとこに名前が出てきて、調べてみたいと思っていた陸奥宗光。津本陽さんの小説を見つけたので読んでみました!陸奥宗光って、坂本龍馬の弟分として海援隊に入っていたり、明治になってからも後藤象二郎とか板垣退助とかとつるんでたりするから土佐の人っぽいイメージがありますけど、ご本人は紀州藩出身なのね。父親が紀州藩で重用されたわりといい身分でしたが、藩内の政治闘争に敗れて一家追放されてたりしました。なので陸奥は子供の頃はけっこうビンボーしていて、「この恨みいつか晴らしてやる」と、反骨
桜に覚悟を伝えようみなさん、おはようございます3月も残り2日今年度の総仕上げですよく振り返ってじっくり新年度の生き方を考えたいものです桜もそろそろ咲きそうです覚悟を決めて桜に夢を語りましょうアリガトウ「3月30日」の國史です「下関休戦条約締結」明治28年(1895年)日清戦争の勝利となります清側の全権、李鴻章と対する日本側は内閣総理大臣の伊藤博文と外務大臣の陸奥宗光が交渉します陸奥は坂本龍馬の海援隊の出身ですカミソリ大臣と呼ばれる
日経新聞朝刊連載の辻原登氏「陥穽陸奥宗光の青春」が1月いっぱいで終了。あっけなさすぎて、ポカンとしてしまった。もともとタイトルからもわかるように、陰謀への加担が話の中心で、本人の”青春”時代、つまり外交手腕を振るう前までの話、とは理解していたけれど。あれだけ綿密に史実を精査していたのだから、経歴に照らした”本題”突入前に筆を引っ込めてしまったのはもったいないなぁ。外交人生が始まる前の終了ということもあり、結びのくだりはやはりインパクトに欠け、最後の<完>の文字を見たとき
先日ランチを楽しんだ「下関春帆楼東京店」正面玄関に飾られていた書初代内閣総理大臣の伊藤博文公が陸奥宗光公あてに書かれた直筆の手紙(レプリカ)なのだそうです中央部分に春帆楼の文字私が伊藤博文の名前を知ったのは小学校へ入る前戦後満州から引き揚げてきた我が家は子供に本を買う余裕はなく私は叔父のお下がりの数冊の絵本を大切にしていましたその内の1冊が伊藤博文の伝記本の名前は漢字で右から左へ書かれていました「文博藤伊」漢字の下にはカタカナでルビがふられていま
好きなシンデレラストーリーはある?メス猫じゃ~ないのかな?長靴を履いた猫と男の子だけどわらしべ長者だな~▼本日限定!ブログスタンプ実話で行くとオレの一押しは…今は一推しというのかなまぁ~どっちでもいいけれど陸奥宗光の妻「陸奥亮子」だな花柳界の名妓からその美しさと聡明さで「ワシントン社交界の華」「鹿鳴館の華」などと称されるようになったからな~でもまぁ~こんな話はたくさん存在するがオレは彼女の容姿が好きだから一推しにした教科書に載っているような白黒写真をA
朝鮮半島をめぐり日本と清は膠着状態。朝鮮半島を舞台に日清代理戦争が行われてきました。日本は清と天津条約を結び、何とか、引き分けに持ち込み、抜き差しならない状況は続いていました。天津条約では朝鮮に出兵する時はそれぞれ、通告することを旨とした条約で、基本的には両国の軍隊は朝鮮半島から撤兵するという決まりをしました。次に何かあれば、開戦という緊張状態です。そういう中で、朝鮮半島にまたもや火種が勃発します。1894年に東学党の乱が朝鮮半島で起きてしまいます。東学党は宗教団体とも、農民反乱とも言われてい
幕末の幕臣、勝海舟が、坂本龍馬の進言を入れ、越前福井藩からも多額の資金援助を受けて創設され、後の日本海軍の基礎を築いた幕府の「神戸海軍操練所」の遺構と見られる石積みの防波堤が、年末に見つかった。勝海舟の奔走による開設も1年で閉鎖操練所は、軍艦奉行の勝海舟が14代将軍の徳川家茂の直々の許可を得て、元治元年(1864年)5月に旧神戸村の生田川河口に開設された海軍士官養成機関、海軍工廠である。龍馬はもちろん、後に彼に従う海援隊のメンバーなど、全国から有能な士を集めて開設された。と
今、日経新聞朝刊で「陥穽(かんせい)」という、日本の不平等条約の撤廃に尽力した陸奥宗光が主人公の小説が連載されている。幕末から明治を駆け抜けていく話で、坂本龍馬ほか豪傑が次々と登場し、歴史が動く様を追体験できる。前回の「ふりさけ見れば」(阿倍仲麻呂、吉備真備ら遣唐使の話)も良かった。毎日の日経新聞朝刊が楽しみ!
昨日の続きです。明治記念大磯邸園内にある旧陸奥宗光別邸/旧古河別邸ですが、既述の通り関東大震災で建て替えられ、陸奥宗光が住んでいた建物とは別物になりました。このとき、古河家別邸の改築を担ったのは、建築家・葛西萬司が開所した葛西田中建築事務所。(葛西は当初辰野金吾と組んで辰野葛西設計事務所を運営。辰野の死後、単独で事務所を開所。その後田中實との共同事務所を開設。)葛西萬司については以前調べたことがあり、実は古河家と葛西家には強い結びつきがあります。葛西萬司の養父・葛西重
日経新聞の連載小説、辻原登氏作「陥穽陸奥宗光の青春」に登場するアーネスト・サトウの足跡が知りたくて、先日日光に行ったわけですが、さらにもう一か所、この小説がらみで尋ねた場所があります。本作主人公であり外務大臣経験者・陸奥宗光の別邸跡地です。場所は大磯にある明治記念大磯邸園内。同じ邸園内には、大隈重信の別邸もあります。互いに近接する陸奥宗光と大隈重信の別邸は、のちに古河財閥で知られる古河家(創業者は古河市兵衛)により継承されます。しかし旧陸奥宗光別邸を引き継いだ古河別別邸
和歌山県和歌山市一番丁3¥100小人、和歌山市在住65歳以上、障害者無料展示室1和歌山城の歴史文化紀州徳川家所用獅子紐印和歌山城の歴史雑賀衆の時代和歌山城の創建と町づくり紀州藩の成立と御三家城下町の広がり和歌山城の構造実際庵紀州徳川家の武家文化茶の湯能楽紀州藩主から将軍へ徳川吉宗展示室2わかやま人物探訪有吉佐和子小説家、劇作家、演出家松下幸之助松下電器(パナソニック)創業者経営の神様川端龍子日本画家俳人1南方熊楠博物学者
新聞を自宅で取り出したのは、僕が高校生になった頃だ。極貧の母子家庭だったが、新聞購読は大学入試に望むのに必須だったからだ。以来、大学進学後も、社会人になったら当然、新聞を宅配で講読していた。新聞購読歴うん十年で初めて連載小説を熟読新聞は、丹念に読む。しかし、ずっと読まないで飛ばしてきたのは、連載小説である。短くても半年、長いと3年は続く毎日細切れの小説を読む意味が乏しく思えたのだ。途中から、初めの頃の筋立てなどを忘れてしまうし。しかし、新聞購読歴うん十年で、初めて毎朝、一
先日、友人宅へ向かう途中に大渋滞に遭遇近道しようと脇道へ入ったところ入り組んだ道に翻弄される事にそんな時に目の前にドーンと現れた一軒の古い洋館。蔦が絡まり、白い板塀は朽ちていた。化け物屋敷か?と、興味津々に近づくと看板に遭遇。誰の屋敷か説明文が書かれていた。小学生の頃、日本史の教科書に出ていた廃藩置県などを手掛けた外交官であり、カミソリと称された大臣、陸奥宗光の屋敷だった。但し、ずっとここにいた訳では無く、政治の表舞台に立つ前にいた邸宅
ちょいと前に朝井まかての『朝星夜星』を読んだ折、主人公夫婦とは別に、彼らを取り巻くさまざまな明治の有名人が登場していたことは先にも触れたとおりですけれど、その中に取り分けに気になった人物ががいたのですな。切れ者であるが故に「カミソリ」の異名をとった政治家、陸奥宗光でありますよ。実は(といってうろ覚えながら)以前、足尾鉱毒事件に関わるあれこれに関心を寄せておりました時期に、時の能省務大臣であった陸奥宗光が被害を訴える農民たちに対してなんともすげない対応をしたような印象が残って、「なんだかなな
カミソリ大臣とも呼ばれた陸奥宗光の妻・陸奥亮子(むつりょうこ)さんですね。ものすごい美人だ。これは驚いた。「陸奥宗光」という人物名や成し遂げた偉業が日本史の問題に出てくるが。もし、「陸奥宗光は何をした人かを述べよ」という問題が出題されれば。私は「とんでもない美人を奥さんにした偉人」と記述するよ。正解だろ。ある意味。私が採点者なら120点を与える回答だ。
最近骨盤矯正運動をやり始めたのですが5分ぐらいの運動でヒーヒー言いながら汗かいてます。でも今はそんな運動の動画が気軽に見れるので助かってます。さて今回は,またまた下関条約のお話。今回で3日連続の下関条約なので下関条約トリロジーですね。あっトリロジーって三部作って意味らしいのですが,なんかカッコいいので使ってみました。んでトリロジー最後は陸奥宗光のお話。1回目のお話で日清戦争を使って領事裁判権の撤廃を成功させたということを紹介しましたが,今回は前回の三国干渉における外交能力です。
今日は中総体の決勝戦。応援に行こうかと考えていたのですが,外に出たとたん暑くて暑くてこりゃ死んでしまうと思い家の中に引きこもりました。さて今回は,昨日話題となった日清戦争のお話。んで今回は教科書に書かれていないことについて紹介します。領事裁判権の撤廃と日清戦争。これって指導する側が何も知らなかったら日清戦争と領事裁判権の撤廃は同じ年だから覚えとけってなるんですよね。実はその指導方法って最悪なんですよ。だって領事裁判権の撤廃と日清戦争には切っても切れない関係があるのとともに,明治
関門トンネル人道を通り下関側へ上がった後のお話読んでいな方はぜひ↓『関門海峡を歩いて渡る!?』関門トンネル人道高校の春休みを利用して関門海峡を見に行ってきました!本州から九州まで無料で行く行き方はないのかと探していると関門トンネル人道とい…ameblo.jpトンネルを出てきたところからスタート出ると関門橋が大迫力で目の前に!!壇ノ浦砲台跡長州藩は攘夷戦争に備え、彦島から長府に至る沿岸の各所に砲台を築きました壇ノ浦砲台跡には当時使用された大砲のレプリ
陸奥宗光林家三平正岡子規どういう組み合わせ?と、思いますよね。台東区根岸3丁目7-15:旧陸奥宗光邸台東区根岸2丁目10-12:ねぎし三平堂台東区根岸2丁目5-11:子規庵ということで、この3人にゆかりのある建物が東京都台東区根岸にあります。いずれも私がご紹介するまでもない方々ですね。[旧陸奥宗光邸]明治時代に駐米行使や外務大臣を務めた陸奥宗光が1883年(明治16年)から4年間住んだ邸宅だそうです。この邸宅は1888年(明治21年)に売却され、他の方の手
5/21に続き、再び、日経新聞朝刊の新聞小説「陥穽陸奥宗光の青春」(筆者・辻原登氏)関連のお話を。本小説は、以下の一文で始まります:現在、外務省には陸奥宗光の銅像が二つある。そして、この銅像にまつわるエピソードが紹介されます。外務省の情報と合わせると:・銅像は霞が関の外務省と神奈川県の同省研究所にあり、前者は、1907年に原敬らが発起人となり建立された;・作者は東京美術学校教授・藤田文蔵;・その後戦争へと突入し、軍需物資として金属回収が行われ、供出を余儀なくされる;・し
4日前のブログに、画家・小杉小二郎&勝新太郎さん&バルテュスのエピソードを書いたところ、学生時代の友人からメールを受領。「この人(小杉小二郎)って今、日経の陸奥宗光の挿絵描いてる人?」>辻原登「陥穽(かんせい)陸奥宗光の青春」>小杉小二郎画まさにそうです。そして2018年SOMPO美術館のクレパス展でも小杉氏の絵を私は見ていました。といっても、いまあらためてそのときの資料を見て気づいたわけですが。そのときの展覧会感想としてブログに記したのは、俳優・寺田農
2020年やったかな?姫路市の共済で下関ツアーがあるいうんで、飛び付いて参加したん。レンタサイクルで奇兵隊や平家物語ゆかりの地を回ったん。そんな場所がありすぎて、抜けてしもたとこや、回りきれへんとこを回るつもりやったん。赤間神宮に詣って安徳天皇陵に詣らへん痛恨のミスやな。ホンマ直ぐ隣やのに。レンタサイクル下に置いとんが気になって、そっちへ行ってもたんやな。今回もレンタサイクルで長府まで点在してる史跡巡りして、長府で乗り捨て考えたけど、雨で断念。水天宮とふくのシートのバスで出掛けた
米国世論を味方につけた金子堅太郎、外債募集の高橋是清、講和会議をまとめた陸奥宗光。■■転送歓迎■■No.3370■■R05.05.16■■4,078部■■【ブログ版】なし■目次00:20■日露戦争を陰で支えた国際派日本人たち02:08■「サムライ達の広報外交」05:28■「高橋是清」09:15■「ポーツマス講和会議」
洋館巡り。次は、旧古河邸です。この館は、旧岩崎邸と同じ、ジョサイア・コンドルさんの設計です。似ているような感じもします。こちらは、暗いトーンの落ち着いた感じです。水彩画。下絵と下塗りです。こちらからの眺めは、影となり、着席できる席があり、憩いの場所となってます。そんな感じをイメージし進めます。「旧古河邸のある西ヶ原の敷地は、かつては明治の元勲陸奥宗光の邸宅があった場所で、宗光の次男潤吉が古河家に養子に入ったことで古河家の所有となった。(潤吉は古河家2代目当主)大正3年頃、
しゅんぽ先生(伊藤博文)に「内閣をつくるのに助っ人が必要だから聞多(ぶんた)を連れてきてください」といわれました。井上馨の墓は西麻布の長谷寺にあるので、すぐに行けるところにあります。↓以前、行ったときの話です。『●8/3大松稲荷神社、従一位大勲位侯爵井上馨墓』大本山永平寺別院長谷寺(ちょうこくじ)へ行ってみることにしました。表参道駅の改札を出て、地上へ出る階段あたりで、強い意識を感じたのです。●8/3大…ameblo.jp『しゅんぽ先生、友達(井
「下関休戦条約」春帆楼で清側に日本の軍艦を見せつけたみなさん、おはようございます3月も残り2日今月の仕上げは進んでいますかさあ、今日「3月30日」の國史を学びましょう「下関休戦条約締結」明治28年(1895年)日清戦争の勝利となります清側の全権、李鴻章と対する日本側は内閣総理大臣の伊藤博文と外務大臣の陸奥宗光が交渉します陸奥は坂本龍馬の海援隊の出身ですカミソリ大臣と呼ばれるほどの切れ者でした下関の割烹、春帆楼で交渉は行われます陸奥は
広島・福山城への「城泊」、24年春開始へ-日本経済新聞日本経済新聞広島県福山市は大規模改修をした福山城を宿泊施設として活用する「城泊」を2024年春をめどに始める。23年度には宿泊を受け入れる事業者の選定を進める。名古屋城が焼け落ちた日…5/14を「名古屋空襲慰霊の日」に市が制定へ死者約8千人...-東海テレビ東海テレビ名古屋市は、戦時中に名古屋城が焼け落ちた5月14日を「名古屋空襲慰霊の日」に制定する方針を示しました。河村名古屋市長:安土城=滋賀県近江八幡市、