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紙の新聞は昨日6月22日付朝刊に掲載、デジタル版は6月18日付に掲載していましたが、野菜の包装に使用する《ボードン袋》という袋が4月頃から入手困難になっていたそうで、JAに買いに来た生産者は「野菜を作っても入れる袋が無ければ意味がない」と肩を落としていたそうです。ナフサ不足で「野菜作っても袋がない…」夏野菜の出荷にも影|毎日新聞水分が豊富で夏バテ対策にもなるキュウリやトマトのおいしい季節になってきた。だが、そんな夏野菜の出荷にも米イランの戦闘長期化が影を落とす。政府はナフ
1,鹿鳴館女子のその後というわけで、鹿鳴館時代は終わりを告げました。鹿鳴館を彩った女性陣もそれぞれの道を歩むことになります。井上武子のその後は何度か書いていますが、明治20年代は綾子などと政府高官夫人としての活動が見えます。新島襄を夫の井上馨に仲介したのは武子の可能性が高いです。ただ、明治34年に馨が大命を拝辞。日露戦争にも徹底的に反対して政府中枢を離れたこともあり、二度と表舞台に立つことはありませんでした。武子の親友・大隈綾子の人生はむしろここからが本番。馨の後を継
さて、なんだか2回目になった鹿鳴館の話題。そんなある日、鹿鳴館に現れたのが大隈重信夫人・綾子。ですが、その姿をみた多くの人があ然としました。鹿鳴館のTPOをもちろん洋装です。ですが、日ごろから「洋装嫌い」で通っていた綾子は和服で現れました。これを出迎えたのが鹿鳴館の女主人・井上武子です。実は……これより2年前。政府内で伊藤博文と大隈重信が対立。これを外務卿・井上馨が伊藤を支持したので、孤立した大隈が政府を去る事態となりました。以来、井上と大隈は対立状態にあり。その妻同士が洋装と和
本日は11月28日です。旧暦天保6年(1835)11月28日は井上馨の生誕の日です。そして、明治16年のこの日に鹿鳴館が開館しました。実は新暦の1850年(嘉永3年)11月28日は大隈綾子の誕生日でもあります。武子にとって夫と親友の誕生日が微妙に一致していたりします。……本当ならこの日まで明治女性内閣を終わりにしたかったのですが、オチが思いつかなくて。鹿鳴館は国賓や外国の外交官を接待するため、外国との社交場として計画されました。おそらく、武子と馨がアメリカ、ヨーロッパに行った明治
馨「さっき津田梅子さんが泣きながら帰って行ったみたいですが」武子「なにほどのことはない。これであの子も一端の総理大臣になるだろう。これからが楽しみだ」馨「この企画は今回で終わりでしょう」武子「その予定だったんのだがな。作者がオチを思いつかない」馨「ノープランでこんな企画をはじめるからですよ」武子「なので、今回はもろもろの事情で組閣から漏れたメンバーを紹介したい。まだまだ、人材は百花繚乱だ」馨「多士済々なのは結構ですがね」武子「そんなわけで今回は「明治のダブル亮子ともうひとり
朝、やきとりすみれの前を通ったら、表の看板にオレンジ色の提灯が2つ下がっていました。顔はジャコーランタンでしたが、ランタンを提灯で作ったところが如何にも日本的だと感心しました。今年も後2箇月なんですね。いつまでも真夏日が続いていたので、来年の手帳の注文をすっかり忘れていました。横浜迄行っても、JR品川駅の改札を出ることが無くなって久しいのでこちらもすっかり忘れておりましたが、今年も近畿日本鉄道とJR東海とのコラボ広告が掲示されたそうです。画像ギャラリー|品川駅に「近鉄電車
税関を見学した後は海岸通りを目指しますが、その前に港の近くにある旧海軍操練所跡を見に行きます。日米修好通商条約批准のため、勝海舟(勝麟太郎)は、1862(文久2)年に軍艦奉行並になりました。翌年、勝海舟は大阪湾を巡視した第14代将軍徳川家茂に、京都の朝廷を守衛できるよう、大阪湾の防衛体制強化のための海軍拠点として「神戸海軍操練所」の設立を建言し、1864年6月24日(元治元年2月21日)、現在の神戸税関付近に「神戸海軍操練所」が開設されました。操練所跡の石碑軍艦マーチ少し南側の空き地
武子「よしよし、立憲政友会は伊藤くんに抑えさせて、憲政本党も党首格は大隈さんだから、綾ちゃんが入っている限り大人しくしているはずだ。政党は大丈夫だろう」綾子「本当にやるの?だいたい、大命なんて簡単に下りないと思うんだけど」武子「料理回の最終回で言ったけど、皇后さま(昭憲皇后)の母方は新田家。このために外戚は押さえておいた。鍋島榮子さんの兄の藤波言忠は天皇の近臣だから、大命は降りると思う」綾子「あら、そこは封建的な手を使うのね」武子「あとは軍部だけど……なんか山縣(有朋)くん絡みの汚職
戸田極子・・・1858~1936。日本の華族。岩倉具視の三女、美濃大垣藩知事戸田氏共の妻。陸奥亮子と共に「鹿鳴館の華」といわれた。昨日の陸奥亮子の話の続きです。陸奥亮子と共に「鹿鳴館の華」といわれた女性がいらっしゃりまして・・・それが戸田極子です。その写真を探してみますと・・・申し訳ないですが・・・陸奥亮子ほどでもないような・・・と言いますか、そこまでもないような・・・でも、この本に載っていた写真を見ますと・・・陸奥
陸奥亮子・・・1856~1900。陸奥宗光(明治期の外交官、政治家)の妻。以前にもご紹介しましたが、こんな本を購入しました。過去の歴史上の人物や出来事の白黒写真を・・・現在のAIを活用して、カラー着色、一部画像補正を行ったものを掲載してます。この中で、ものすごく綺麗な女性が載ってまして・・・陸奥亮子・・・陸奥宗光の奥様です。カラー写真にしますと、綺麗さにリアル感を感じますね。すごい綺麗な人だと思いましたら・・・この本によると
いつもなら神代植物園を見た後に、名物のお蕎麦をいただきますが、今回はお昼を食べてから行きました。なぜか?それは、大谷の試合があるから〜神代植物園を後にし、「明日のお昼はラーメンを作る!」ん?作る?土日は、貴方が作っているじゃ無い?「一から作る!」あー、面倒なことを‥鶏ガラや出汁、鶏油(チー油)の為の鶏皮も別に買って‥あー、面倒後片付けやお掃除もお願いしたいメチャ美味しく出来ました!が、食べちゃって一人で3時間以上かかって、「二度と作らない!」そう。幻のラーメ
昨日の続きです。明治記念大磯邸園内にある旧陸奥宗光別邸/旧古河別邸ですが、既述の通り関東大震災で建て替えられ、陸奥宗光が住んでいた建物とは別物になりました。このとき、古河家別邸の改築を担ったのは、建築家・葛西萬司が開所した葛西田中建築事務所。(葛西は当初辰野金吾と組んで辰野葛西設計事務所を運営。辰野の死後、単独で事務所を開所。その後田中實との共同事務所を開設。)葛西萬司については以前調べたことがあり、実は古河家と葛西家には強い結びつきがあります。葛西萬司の養父・葛西重
カミソリ大臣とも呼ばれた陸奥宗光の妻・陸奥亮子(むつりょうこ)さんですね。ものすごい美人だ。これは驚いた。「陸奥宗光」という人物名や成し遂げた偉業が日本史の問題に出てくるが。もし、「陸奥宗光は何をした人かを述べよ」という問題が出題されれば。私は「とんでもない美人を奥さんにした偉人」と記述するよ。正解だろ。ある意味。私が採点者なら120点を与える回答だ。
説話社さんの公式HP占いhappyweb連載更新致しました。今回は「カミソリ陸奥」で有名。陸奥宗光です。ご家族揃ってカッコいいし、奥様の亮子夫人、素敵です。いつの時代もそうですが、条約・法律が決まってしまうと、どんなに不都合が生じても、議会を通して、承認されない限り、破棄や変更ができないのです。議会はその為にあるけれど、予算委員会のテーブルに上げたもの(議事録に載った記録)は、本筋と関係なくても議論しなければならないのがいつの世もなんとももどかしい限りです
こんにちは。今日はいい天気です。今日は、俺の誕生日…。46年も生きた…。俺は50歳で死ぬ予定だからあと4年…。さてはて。陸奥亮子という女性を知ってますか…?明治美人ですよ。ほんとに美しい女性…。ねっ、美人でしょ…
陸奥亮子さんの昔の写真目鼻立ちのはっきりした凛とした美人さんですね。調べてみると・・・・旗本・金田蔀の妾が生んだ長女として江戸に生まれる。明治の初め、東京新橋にある柏屋の芸者となり、小鈴(小兼)の名で通る。板垣退助に愛された小清とならんで「新橋の双美人」と呼ばれ、新橋で一、二を争う美貌の名妓だったという。花柳界に身を置きながら、男嫌いという評判もあり、身持ちも堅かったといわれるが、結局は明治5年(1872年)2月、陸奥宗光の先妻蓮子が亡くなり、同年5月に17歳で客である宗光
美しい...。それ以外の言葉が見つからない。写真の人物は、陸奥亮子。カミソリ外務大臣と呼ばれた陸奥宗光の夫人である。正確に言うと、先妻が死去した後に妻となった人...つまり後妻さんなのだが、そんな事はどうでもいい。こりゃ、溺愛したのも頷ける。海援隊士から成り上がり、明治新政府の重鎮にまでなった陸奥ともなれば...かように美しい美女を妻にすることも出来たと言う事だ。実に羨ましい。彼女は旗本の長女として江戸に生まれた。維新後、東京にある柏屋の芸者となり、小鈴と呼ばれた。板垣退助が熱を
2014年5月17日記事文明開化アピール作戦時は明治、近代化(西洋化)した日本をアピールすべく、外務卿・井上馨様が思いついたのが、国賓や外国の外交官を接待する為の社交場を建てるという計画。かくして造られたのが「鹿鳴館」。鹿鳴館というと、陸奥亮子様のこのお写真がつきもの。鹿鳴館建設当時、既に、ヨーロッパでの生活も経験済み。ちょっと吉永小百合様的なお美しい肖像写真。そりゃまあ、集まる貴婦人が、皆様こんな美貌なら、問題あるまいが、時代は明治、そう簡単に行くはずない。
コロナに翻弄された今年の最後の土曜日に、葉室先生の「暁天の星」を読みましたので、感想を書いておきます。本の帯には「これだけは書いておきたい・・・」と書かれており、葉室先生が病をおして書いていた最後の作品です。残念ながら、先生は執筆途中で、2017年12月23日にお亡くなりになったため、本作は未完です。3回忌に合掌。主人公は、明治時代の外交官、陸奥宗光(1844~1897)です。陸奥という苗字は改名後の姓で、もとは伊達といい、紀州の武家の出でありました。20歳ごろ、その苗
NHKBSプレミアム『英雄たちの選択』(2016/4/14放送分)の取材時にアメリカで発見された写真FB友達・亀田真砂子氏談(2017.2.23):陸奥宗光夫人の陸奥亮子。置かれた場所で、見事な変身を遂げる。新橋の芸者から、陸奥宗光夫人になり、ワシントン駐在時に社交界の花となる。夫から、本を読むように、新聞を読むようにと言われ、『日本外史』まで読めるようになった。英語を猛勉強して、遂には日本の小説の英訳までして「日本の小説は面白い」と評判までとる。異国の地でのそんな彼女自身の努力もだが、
このはなさくやです。前回の記事では、終わりのない婚外恋愛にズルズルはまりつづけて自分で終止符を打てない女性についてわたしが思っていることをお話ししました。繰り返しになりますが、わたし道徳的な「良い・悪い」で言ってるんじゃないんですよね。だってほら、明治の元勲にも、いわゆる「芸者上がり」っていうんですか?そういう花柳界出身のお妾さんがいて、表に出ることなく裏でしっかりと事実上の妻として支えてくれた、そういう女性の存在があった人、けっこういたじゃないですか?も
【史跡和歌山城】内の展示に、和歌山県出身の著名人を紹介するコーナーがあった。そこには「あの人」の名前もあった和歌山県出身とは知らなかった……しかも、生誕地の石碑もあるというではないか「よーーーしっ見に行こう」ココロたちは、順調に進むスケジュールに新たな目的地を追加した「あの人」……の前に出会ったのは………【徳川吉宗公之像】【徳川吉宗】(1684年~1751年)江戸幕府第8代将軍。将軍就任以前は、越前国葛野藩主、紀州藩第5代藩主を務めた。吉宗と言えば………タタタ〜
NHKを見ていたら…NHK「歴史ヒストリア」を見ていた際にふと思いました。写真は、陸奥宗光の妻、陸奥亮子知性と美貌で夫を支えた良妻で、「ワシントン社交界の華」「鹿鳴館の華」と言われていました。確かに美しい…けど、誰かに似ている。誰だっけ?女優さん…うーん。あ!あの人だ!キスマイの藤ヶ谷くん!似てないですか?友人は誰も同意してくれませんでしたが…。写真が悪いのかな?いつか、陸奥宗光の大河ドラマなどを撮影する時には、きっと奥様役は藤ケ谷君だ
ウィキペディアより陸奥亮子(むつりょうこ、安政3年(1856年)11月-明治33年(1900年)8月15日)は、明治時代の政治家で外交官でもあった伯爵・陸奥宗光の妻。日本赤十字社正社員。その美貌と聡明さによって「ワシントン社交界の華」と呼ばれた。確かに、今の宝塚の方の様に華がある美人な方ですね。勝手にイメージしてカラーにしてみました。こんな感じでしょうか???画像加工・写真修正の専門店株式会社朋成一般のお客様も、1点からでもお気軽にお問合せ
明治時代の華族・士族の写真を元に日本人を分類してみた。日本は元来、男社会であった為、男性遺伝子(Y-DNA)の系統(大まかにDとO)で分類を試みる。明治時代以前は男系男子の家系と家格など家柄を重んじ、男女の自由恋愛の結婚は殆ど無かった為、男性遺伝子(Y-DNA)の系統と顔つきに相関があると期待される。もちろん恋愛結婚や養子縁組や不義密通などで例外は生じうる。Y-DNAハプログループD2(旧分類)の縄文人や秦氏系の渡来人の系統はネアンデルタール人由来の眼窩上隆起と濃い髭と面長などを特徴とし、Y
鹿鳴館の華・陸奥亮子時代は幕末から明治へと移り変わり、その時駐米公使、政治家として活躍した政治家・陸奥宗光の妻、共に外交活動を展開し社交界では“鹿鳴館の華„といわれ、すばらしい眉であるとも、褒められています。小鈴という名で芸妓をして居た頃、前妻を亡くした宗光に見初められて後添えとして迎え入れられました。芸妓のころは男嫌いとの評判もあり、身持ちも堅かったそうです。陸奥は肺結核で亡くなりますが、3年後の1900年その後を追うように亮子も亡くなります。45歳でした。二人は現在、鎌倉の寿福寺で静
英雄たちの選択明治トップレディーたちの華麗なる変身~条約改正に挑んだ女たち[字][再]ウェブ検索2/16(木)20:00~21:00(60分)この時間帯の番組表NHKBSプレミアム(Ch.3)ドキュメンタリー/教養-歴史・紀行,ドキュメンタリー/教養-カルチャー・伝統文化,ドキュメンタリー/教養-ドキュメンタリー全般番組概要“鹿鳴館の華”といわれた井上武子。そして、このたび写真が発見され、その美貌と教養で“ワシントン社交界の華”といわれる陸奥亮子。
にっぽん!歴史鑑定『鹿鳴館の華陸奥亮子』ウェブ検索1/30(月)22:00~22:54(54分)この時間帯の番組表BS-TBS(Ch.6)ドキュメンタリー/教養-その他番組概要明治中期、ワシントン社交界の華と称えられた日本人女性がいた。後に外務大臣となる陸奥宗光の妻、亮子。芸妓から一転、政治家の妻となった美貌の女性、亮子の生涯を辿る。番組詳細【歴史鑑定人】田辺誠一明治中期、アメリカに“ワシントン社交界の華”と称えられた日本人女性がいた。後に外務大臣となる陸奥宗