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2024/2/14沖縄旅行の第21話です海中道路ドライブの後に向かったのは、世界遺産の「勝連城跡(かつれんじょうあと)」[観光地情報]名前勝連城跡(かつれんじょうあと)住所沖縄県うるま市勝連南風原3807−2電話098-978-2033うるま市の観光地の紹介です勝連城跡に到着してまず見つけたのは写真撮影のパネル足元にはシーサーのマンホールの蓋「おすい」ハイビスカスの花まずは「歴史文化施設」あまわりパ
3日目は、名護から那覇へ向かう途中、うるま市の勝連城跡と、伊計島へ寄りました。先ずは世界遺産の勝連城跡へ🚙(琉球王国のグスク及び関連遺産群)勝連城跡へ行く前に「あまわりパーク歴史文化施設」へ入ります。駐車場が「あまわりパーク」側にあり(勝連城跡とは道路を挟んで建っている)そこで勝連城跡とあまわりパークの料金を支払います。(大人一人600円)展示室にはジオラマやパネルなどがあり勝連城に関することを学習してから城跡へ向かいましたよ。いざ、目の前にそびえる姿は要塞感が凄い!敷地
ご訪問ありがとうございます。色で目覚める「自分の活かし方」レッスン♪プリズム田中つるみです。メニュー/ご予約・お問合せ/サロンHP/おもてなし/アクセス::::::::世界を彩るあなたへ連日、故郷沖縄のネタが続きます『▶︎3/3【東京:耳寄り情報】沖縄映画「HAPPYSANDWICH~幸せのサンドイッチ~」』ご訪問ありがとうございます。色で目覚める「自分の活かし方」レッスン♪プリズム田中
こんばんは💖「星の子たちの家」Katsueブログにいらしていただき、ありがとうございます💖「父と母と私の前世の物語」⑤今回、「肝高の阿麻和利」を観に行った時の体験を書こうと思って、過去ブログを探してみたのですが見当たりませんでした。私は、百十踏揚について調べているうち、そのお墓が玉城村(現在の南城市)にある事を知り、その供養に何回も行っています。その時、兄弟や尚泰久王のお墓やお仏壇にも手を合わせに行きました。その後、うるま市の中高生による「肝高の阿麻和利」を観に行きました。その日
うるま市にある勝連城跡・あまわりパークに来ました。勝連の歴史資料が見られます。こちらの建物では貸衣装があり予約しておき琉球装束を身に着け勝連城跡を見てまわり、本来はスタッフさんは付いて来ないそうですが、今日は一緒に付いて写真を撮っていただきました。阿麻和利の劇もやっいました海ぶどう収穫体験茎2〜3日1週間3週間先ずこれ位をとりタライに入れ左側の緑の方(先の法)を大人の掌サイズと茎部分を切り分けそれぞれ別のカゴに入れ選別する。緑の方は1週間真水につけ着いているエビやタコを取り除
※主観ブログです。※肝高の阿麻和利のネタバレが含まれます。今最も輝いているスーパーアイドルGran☆Cielの上丘鈴華さんが小学校3年生の時に観劇してお芝居の凄さを知り、幼いながらに私もこういう風に誰かの心を動かすようなお仕事をして、自分のような生い立ちの人でも夢は叶うんだってゆうのを証明するぞー!と決めたという、沖縄の伝統芸能とミュージカルを掛け合わせた阿麻和利(あまわり)というお芝居を8/20(日)文京シビックホールにて観劇した。肝高の阿麻和利とは観客動員数15万人以上、沖縄でロングラ
今日は、沖縄の高校生たちによる舞台「肝高の阿麻和利(きむたかのあまわり)」を見てきました。会場に入った瞬間からロビーに三線の演奏があり、地産品の販売があったりと盛り上がってます。そして舞台も素晴らしかった!!キャストは全員中高校生ながら、その熱量と純粋なパワーと数で、プロの舞台と遜色のない見ごたえがありました。20年続いているのが納得。徳島へ行って、ヤットサーの掛け声が脳内に残っていましたが、イーヤーサーサーに置き換わりました(笑)阿麻和利は琉球王朝時代の有名な勝連城主。つまり、首里から
2023年、今年のお正月は群馬に帰省しなかったので、ひたすらのんびり過ごしておりましたが、1月3日、明日から仕事始めだ!となった日に、旦那さんが突然、勝連城に行くぞ!と言い始めました。私も子供も、行ったことがなかったので、言われるがままついていきましたが、とても良いお天気の日だったので、眺めが良かったです沖縄に来て、思うこと。海ももちろん綺麗なんだけど、空が綺麗なの勝連城って、世界遺産だったんですね。偶然、行ったあまわりパークで、ライブパフォーマンスを見
沖縄宜野湾市出身のタレントryuchellさん(27)が死去したので、びっくりしました。前回の中城城近くで生まれたのですね。数日前にTV出演していたのを見たので信じられないです。ryuchellさんネットでの誹謗中傷や女性ホルモン使用による鬱が原因とか。ご冥福をお祈りします。勝連城から南西に宜野湾市があります。前回の続きです。今回は最終回で一の曲輪からの眺望です。沖縄の城には天守がありません。勝連城は一の曲輪が天守代わりなので、ここからの眺望がきれ
前回の続きです。今回は一の曲輪です。二の曲輪からピンクの石段を上がり、一の曲輪に行きます。一の曲輪への石段です。多くの敵が一挙侵入出来ないように、上に行くにつれて石段幅が狭まる構造になっています。解説板です。石段の幅が狭くなる上に、上からは横矢掛かりの攻撃が出来ます。下図R付近の虎口からQ方向です。現在地にある解説板です。上図Rの虎口付近です。Sにある玉ノミウジ御嶽です。この穴は二の曲輪のウシヌジガマに繋がっていて、有事の際の避難
5年前のアジサイの花を追加UPしました。『河合寺のアジサイの花2018前編』去年も紹介しましたが、今年もアジサイの季節なので、雨の日に撮影に行きました。河合寺の山門です。河合寺縁起によれば、この地の山々に五色の雲が何日にも渡り棚…ameblo.jp前回の続きです。今回はあまわりパークです。展示品の一部だけ紹介します。あまわりパークで咲いていたハイビスカスの花です。あまわりパークは勝連城の向かい側にある歴史文化施設です。公園エリアと飲食・物販エリアは未完成で
沖縄旅行2日目続き次に向かったのは、うるま市にある勝連城跡(かつれんぐすくあと)2000年にユネスコ世界遺産に登録。曲輪の城壁は琉球石灰岩の切石を使い築かれている。階段は攻め込まれにくいよう、はばが広かったり、傾斜があったり、狭かったり。地味にきつい出土遺物も豊富で各国と貿易が盛んだったことが明らかに。『初の沖縄旅行1日目続き世界遺産のあの場所へ』沖縄旅行『初沖縄旅行〜振り返り記録1日目』先月のふとしたきっかけから実現した初☆沖縄旅行1日目大学生の時、
今回、勝連城址・あまわりパークと今帰仁城址、そして創作芸団レキオスを訪ね、帰宅後、この動画をよく見て分かったのが、動画の構成である。孫の影響で見始めて以来ずーと、あの動画は勝連城址で、同じグループで構成されているとばかり思っていたが、実はそうではなかったことに気がついた。まず、この勝連城址で歌手のイクマあきらさんを囲んで踊っているのは演出家でもある平田大一さんと現代版組踊「肝高の阿麻和利」を演じる中高生たちである。勝連城址を訪れた3月1
沖縄で最も古い城、勝連城にやって来ました🏯勝連城跡は、2000年にユネスコ世界遺産、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の1つとして登録されたそうです。今、勝連城跡一帯は整備中で、広大な公園や飲食、物販施設、観光案内所などが立ち並ぶ「あまわりパーク」となるそうです。それに先駆けて、昨年10月に歴史文化施設がオープンしました。勝連城は琉球王国が安定していく中で、王国に抵抗した地方有力城主阿麻和利(あまわり)の居城でした。東アジアとの貿易を進め、大陸の技術を積極的に取り入れ、勝連は京都や鎌倉
琉球王国のグスク及び関連遺産群今回ご紹介する場所はここ勝連城跡
読んだ本に関連する風景印を取り寄せる、無理やりで地味なシリーズ。このシリーズ中断します!だったけど舌の根も乾かぬうちに😙面白い本を読んだので久しぶりに郵頼。++++++++++これは琉球版水滸伝だ!叛逆のカリスマ・阿麻和利vs.神謀のフィクサー・金丸!15世紀、黎明期の琉球の動乱を描く、圧巻の歴史長編(帯文)琉球建国記/矢野隆15世紀沖縄の史実を背景にしてるそうですが、どこまでが史実でどんな創作されてるのか…知識のない私にはわかりませんが引き込まれました。主要登場人物が信
ゆんたく💞つながり┌───────────────┐🎙聞き逃した〜🎧本日“再”放送🎙└───────────────┘先週の沖縄スタジオ「沖縄地域応援番組」めんそ〜れ!🏖美ら島ちゃんぷるー58(ゴッパチ)財団秋田弁MCマサオードモさんによる放送✨「あちゃー💦聴き逃したぁ〜😣」ご安心ください👍。………………………。本日5月14日(土)13:00〜13:30再放送ありまーす🙌。………………………。今回のテーマは琉球の歴史勝連
今日の1冊は、「琉球建国記」矢野隆著集英社文庫です沖縄旅行には、沖縄本でしょ\(^o^)/3泊4日の旅で、400ページの本を読み切りました(^o^)面白かったです(^o^)主人公は、阿麻和利歴史の本では悪く書かれることが多いようですが、この本を読むと、阿麻和利のファンになります\(^o^)/沖縄の歴史に興味を持つきっかけになる本だと思います(^o^)byXperia1Ⅲ
ゆんたく💞つながり┌─────本日─────┐📻めんそ〜れ!🏖美ら島📻└────On🎙Air────┘沖縄スタジオパーソナリティによる番組✨ゆめのたね放送局沖縄スタジオ沖縄地域応援番組めんそ〜れ!🏖美ら島本日5月7日(土)の放送は、ちゃんぷるー58(ゴッパチ)財団秋田弁MCマサオードモさんによる放送✨今回のテーマは琉球の歴史勝連城城主“阿麻和利”マサオードモさんの軽快な語りに思わず引き込まれます😁🎧聴いてね〜🎧∴・∵∴・∵・∵・
勝連城跡のふもとにある「あまわりパーク」沖展選抜展の開催及び施設のリニューアルを記念して、令和4年4月8日(金)~10日(日)の3日間を無料開放するそうです。良い機会なので週末行ってみてください。
自粛生活つれづれのYouTube10年前に沖縄へ行った時『組踊(くみおどり)』が観たくて国立劇場おきなわへ行きました組踊とは---琉球国王を任命に来る冊封使を歓待する為に踊奉行の玉城朝薫が創始1719年初演され今に至っています能や歌舞伎などをとりいれ沖縄の古事を題材にしその代表作の『ニ童敵討』は---勝連城(かつれんぐすく)の阿麻和利(あまわり)は那覇(尚氏中山城)へ攻め入ろうと勢いづいています。そこへ阿麻和利によって滅ぼされた護佐丸(ござまる)の遺児が現れ敵討ちに成功する
沖縄本島に戻って勝連城跡へ。前回訪れた際は世界遺産に認定される前でしたが、来年1月から入場が有料化されるんですよね。一方で今年関連の施設がオープンし無料期間中で、まさに素晴らしいタイミングで行くことができました。◆周辺事業の一環として整備される「あまわりパーク」のメイン施設が今年10月にオープン。歴史文化施設館には、勝連城跡の出土品やうるま市を含めた歴史の展示がありました。◆中でもこの施設の目玉は、勝連城10代目按司・阿麻和利の物語を伝えるライブパフォーマンス。普段はフィルム上映メ
世界遺産勝連城跡沖縄の城の中で最も古く、琉球国王に最後まで抵抗した阿麻和利(あまわり)が住んだ城です。八重山では琉球国王に反乱を起こした「アカハチ」が歴史上の英雄だけど、こちらでは「あまわり」です。アカハチも阿麻和利も、権力に屈せずに正義感が強く、皆の信頼を得たリーダーであり、最後までかっこ良く戦ったところは共通しています。坂道をずっと上がっていくので結構疲れますでも城上部からの景色は最高です立派な「あまわ
日々忘れものがないよう乗り越えるのに必死ですが、沖縄最終日にバストン=杖を搭乗口の席に忘れてきました😅先週の土曜日、6日は勝連城跡ライブでした。勝連城主阿麻和利さんの前でポーズお城のふもとにちょうど良い広場があって、そこでライブができたらいいなと思っていたけど、沖縄滞在中ずっと晴れていたのにこの日だけ土砂降りでした。調べると琉球王国が安定していく過程で、国王に最期まで抵抗した阿麻和利(あまわり)が住んでいた城として有名、とあります首里城で踊った後に勝連城で踊らてなるものかという天の力
😜沖縄✈️に降臨❣️沖縄の世界遺産の中で最古のグスク、勝連城跡に立ち寄り🌈
この坂は、護佐丸・阿麻和利の乱のときに、阿麻和利の軍勢により敗れた護佐丸の奥方と子どもたちが、この石畳道を登って逃げるとき、追っ手に射かけられた弓矢により彼女の袖が引き離されたことから、「スディバナビラ」と呼ばれているそうです。☺️戦の世は、大変だったでしょうが、中城ハンタ道の脇道になるので、今は静かな散歩道となっていますね。😊所々、ソテツやサンニンの葉に囲まれていて、可愛らしい小坂道です。🥰
12月25日~28日の沖縄旅、全9作中7作目となりました。後半戦です。まだ沖縄で遊んでるんですかっ!と言われましたが2月下旬から始まった沖縄ブログ、更新が滞っただけでずっと遊んでいるワケではありません(・∀・)ノ25日中城城→首里城→具志川城26日伊是名城→今帰仁城27日座喜味城座喜味城で強風➰🌀の洗礼を受け、次に向かったのは世界遺産でもあり、続100名城でもある勝連城🏯座喜味城から普通に向かえば40分ぐらいですが、寄り道しながらだったので1時間ぐらいかかりました。
🌺めんそ〜れ〜マナミです毎日、海たま〜に陸にいます😊✨琉球歴史✨✨ロマン探訪✨おきなわ〜世界遺産めぐり〜勝蓮城跡(カツレンジョウ)沖縄本島中部の有力なグスク(城)として繁栄✨1458年に首里王府軍に攻められ落城したと伝えられています。最後の城主阿麻和利アマワリは、民衆に愛される徳の高い人物だったと讃えられています。このグスク跡に立ってみると😊天下人を夢見た阿麻和利に会ってみたくなりました☺️阿麻和利が眺めたであろう360℃のパノラマは、絶景です😊ただ絶景ま
10月発行のモモト。一度わしたショップで手に取って、立ち読みしたのだけど、今日も置いてあり。やっぱり今、必要な特集か、と購入。モモト。百十踏揚(ももとふみあがり)から着想を得たタイトルとのこと。沖縄住んでた最後には、お墓まで行ったりしてたよね。家族で阿麻和利(あまわり)にハマってたあの頃も懐かしみながら。
3年ほどの沖縄史研究の結果、阿麻和利が存在しない可能性が出てきました。これは、尚巴志のようなポンコツとは違いショックなことです。勝連城が歴代継承されてきており、望月按司の阿麻和利の倒し方が極めて中華歴史であることが大きな理由です。さらに、明治政府作成の可能性が高い「おもろそうし」で讃え過ぎであること。源氏政権である鎌倉を讃えることも異様と言える。そして、最大の問題が阿麻和利の最期。勝連城のある与勝半島から残波岬方面へ逃げたとされ、読谷村に阿麻和利の墓があること