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昭和の文豪「阿部知二氏」の所蔵品を多く所有している文学館です。少年期から青年期まで過ごした第二のふるさとでもあります。その自宅も昨年残されていた建物も無くなりました。またこれまで活動に参加していた”阿部知二研究会”も会を閉じられてしまい姫路を訪問する機会が減っています。ただ姫路には知り合いの方も多いのでこれからも時々は訪問する予定です。その訪問時にどうしても見ておきたいのがこの姫路文学館とそこから眺める姫路城の雄姿です。南館の壁面にも姫路城が写っています。こちらも姫
地元の若いメンバーが元気です!第22回おかやま県民文化祭の一環として地元湯郷温泉でもこの”わくどきマルシェ&街歩き”が開催され子供連れの若い人たちでにぎわいを見せていました。その中でもこの温泉街の名所を巡る街歩きは楽しい散策になりました。メイン会場ではマルシェが開催されワークショップや地元のキッチンカーの出店、体験コーナー、美作の文化の紹介など盛りだくさんでした。地域の文化祭がなかなか盛り上がらない今、このような取り組みと一緒に活動するのもひとつの方法かもしれません。若い人たちの力が今は田舎に
昨日姫路城の北東部のお堀周辺を散策しました。その理由ですがこのお堀の近くに顕彰活動を行っている昭和の文豪・翻訳家の阿部知二氏が住んでいた家がここ数日で取り壊される情報がありその前の姿を残していこうという事で数人で訪問してきました。いつもですと姫路文学館側から見る姫路城ですがまたすこし角度を変えて眺める姫路城も素敵な姿でした。お城の桜はまだ満開ではなかったですがこのお堀の桜だけはほとんど満開でした。この桜の古木の一部に阿部知二氏の父であった元姫路中学校(現姫路西高)の理科の教師であった阿部良
昨日姫路文学館にて「阿部知二と椎名麟三展」が開催されその開会式に出席してきました。ふたりとも姫路市と関係が深く奇しくも同じ年に亡くなって50周年を迎えることでこの展示会が企画されました。4月に開催された阿部知二研究会に寄る知二忌以来の訪問になります。阿部知二研究会もこの50周年の知二忌を最後の会の行事としてその幕を下ろしているため姫路の訪問が減ることは仕方有りません。今回の展示会は阿部知二氏の実績を残されている現物を見ながら確認できる貴重な機会と思いますので期間中にまたゆっくり訪問したいと思い
<佐多稲子、阿部知二、徳永直>1297「くれない」佐多稲子長編中野重治:解説新潮文庫二年の勾留生活から解放され、猛烈な勢いで文学の仕事をしようとしている夫、小説家であり「新しい女」である妻。互いに愛情と理解をもって新生活の建設に努めているはずの夫婦が、家庭生活にまつわる因襲や習慣から苦悩をなめる姿を、プロレタリア運動に参加する作者自身に起った事件をもとに、仕事をもつ妻とその夫とが当面する問題を深く追求し、妻の立場から的確に描いた
昭和の文豪・翻訳家でもある阿部知二氏が姫路市内の野里小学校から姫路中学校(現姫路西校)まで過ごしました。その後第八高校(現名古屋大学)から東京帝国大学へ進み第三の故郷を離れています。その一家の住んでいたおうちはこの姫路城の北東、坊主町のお堀沿いにありました。今では近くに建てられた大きな記念碑がそれを教えてくれます。その阿部知二を没後20年を記念して姫路文学館にて阿部知二の研究会が設立されました。それから30年経った今年その「阿部知二研究会」が幕を下ろすこととなり没後50周年にあたる4月23日で
フランス・エーミル・シッランパー『若く逝きしもの』(阿部知二訳、みずいろブックス)を読みました。1953年に筑摩書房刊の復刊との事ですが、この本を手に取るまで僕はこの作家についてまるで知りませんでした。(巻末の桑木務の解説を読んで知ったのですが)1939年のノーベル文学賞受賞者だったとは…。この小説は、フィンランドの農村におけるシリア(女性)の生涯が中心に書かれているのですが、前半に克明な彼女の父親のクスタアの農場主から没落していく過程を置く事で、後半のシリアが薄幸ながら健気に生き
まるで梅雨が明けたような真夏日の中で白い姫路城が涼しげにその雄姿を見せてくれていました。4月以来の2ヶ月ぶりの訪問です。阿部知二研究会の読書研究会に参加してきました。知二氏の初期の作品を朗読しそれに対して背景や参加者の思いなどを語り合うこちらもとても熱の入った会になりました。姫路文学館からの姿なのであまりなじみのない姿になります。
美作市中山地区、先日取り上げたツバメ屋敷のおうちの横にこの生誕地の記念碑が設置されています。今から約23年前この作家を顕彰する会「美作阿部知二を知る会」が発足されその最初の取り組みが生誕地へ記念碑を建立することでした。今は亡き大阪から美作へ移住されてきた一人の小学校の教師の熱心な取り組みでこの会が成立し今に到っています。この先生は昭和初期の阿部知二氏の作品の大ファンだったそうでこちらに引っ越してこられるきっかけにもなったのではと想像されます。今年もその功績をたたえる生誕祭が6月26日に開催予
姫路城訪問は昨年12月4日依頼です。コロナ渦でなかったら3月にも訪問機会があったのですが約5ヶ月ぶりになります。今回は1973年(昭和48年)4月23日に亡くなった昭和の文豪阿部知二氏の『知二忌』が開催されたのでそれに参加してきました。姫路文学館の創設期にこの姫路の出身者でもある阿部知二氏にかなり焦点を当てて特別展を開催された話など興味深い講演を聴くことが出来ました。その知二氏も小学校から旧制中学校時代をこの地で過ごした経験は色んな作品に現れています。特に『人工庭園』という作品は後の木下恵介監
今回倉敷を訪問した目的の一つがこの倉敷民藝館を訪問することでした。この民藝館を戦後すぐに訪れた英国の詩人で東京大学の英文学の講師も務めたブランデン教授の話があります。その場所を訪問したかったためです。ブランデン教授は戦前東京大学で英文科を卒業して小説家になった美作市出身の阿部知二氏の恩師でもあり彼の影響がその後の作家活動にも大きな影響があったようです。そのブランデン氏が縁あってこの倉敷民藝館を訪れその時に英文の詩を捧げています。それが当初のパンフレットに載せてあったようです。
ちょっと見づらいかもしれませんが、手書きされたコピー紙の束で、簡易ながらちゃんと製本させている表紙の部分です。上から、こう書かれています。【回想のシャーロックホームズ】コナン・ドイル作阿部知二訳よりTheYellowcFace(1893)創元推理文庫つまり文庫本の表紙と中見出しの写しです。そして束ねられているのは、その文庫本に収められている短編の一つ、「TheYellowFace」ということです。丹作造氏から、これを贈られた。
昨日は、入院手続きを終え、病院食の昼食を済ませてから、メインイベントとなったわけだが、前立腺の生検の話(まず若い女医さんが、何が面白いのか、私の肛門から指を突っ込んで……)なんぞ、だあれも知りたくないだろうから、ばっさりと省略してしまう。ちなみに、事前に「骨髄穿刺とどっちが痛いんですか?」と訊くと、「う〜ん、種類が違うからねぇ〜」と意味深な答えが返ってきた。確かに違っていた……(^^;というわけで、今朝9時半には入院病棟から追い出され、めでたく退院となる。院内にあるコンビニ横のホールで
津山藩からはたくさんの洋学者を排出しています。その後明治、大正、昭和と翻訳者が育っている土台にもなっています。代表的な翻訳者としてシャーロックホームズなどの翻訳で有名な阿部知二氏や延原謙氏、そしてさまざまな西洋文学に貢献した木村毅氏などもこの近辺の出身です。今回訪問したのはその洋学者の宇田川榕庵氏のお墓です。宇多川家3代の墓所である泰安寺を訪ねました。それぞれ3代のお墓には解説版も設置されていました。因みに宇田川榕庵氏は”珈琲”の名付け親として知られ、お城の東側に整備されている城東街並
10月3日(土)、姫路文学館を訪問してきました。目的は阿部知二研究会(姫路市)主催の読書研究会に参加する事でした。3月と7月の読書研究会と知二氏の命日(4月23日)の前後に開催される「知二忌」が中止になり約9ヶ月ぶりの再会でした。会のメンバーは昭和初期に文学少女時代を送られた方々がメインのため会の開催を控えていましたがようやく開催でき皆さん再会を喜ばれていました。姫路城も綺麗な姿で迎えてくれました。またこの日から樋口一葉展も開催されてそれも短時間でしたが見ることができました。24歳の若さで
シャーロック・ホームズといえば、やはり本の魅力。今回はパシフィカ版とポプラ版のお話。◆山中峯太郎先生の謎の翻訳に迫る!まずは『深夜の謎』こんなタイトルのホームズあった?と思われるでしょう。山中峯太郎版はなぜかタイトルが大きく違う!これは「緋色の研究」なのですが、なぜ、このタイトルになったかは永遠のナゾです。内容も前半と後半を入れ替えるなど、大胆な構成。なぜか、登場人物が近所のおっさんのような親しみやすさ。これぞ、山中峯太郎先生のリアリティなのです!それが故に人気が高く、何
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昭和初期から戦後にかけて小説、評論、世界文学の翻訳、そして様々な平和活動を行ってきた“阿部知二”ですが一般的にはほとんど知られていない状態です。映画化された作品も10本以上ありますが今視聴できる作品は木下恵介監督の作品で「女の園」だけです。昭和29年に封切られたこの作品は同じ年に公開された「二十四の瞳」に次いでその年の人気映画のNo2に輝いています。原作は阿部知二氏の「人工庭園」という小説で当時の京都の女子大学におこった事件を取り上げて小説にしています。そんな阿部知二氏を皆さんに知ってもら
何度か書いているように自分はホームズ全集は二度読了している。一度目は中学生時代に偕成社版、二度目は創元推理文庫版の旧訳で。自分は別にシャーロキアンではない(ネットの筆名からピンとくるかもしれないけれども自分はミス・マープル派である)のだけれども、映像や本などついついホームズ関係のものはチェックしてしまう。このあたり我ながら不思議である。さてさてこれまた何度か書いたように亡くなったおば(祖父の姉)に本を貸していたのだけれども、高齢のためたいてい本はボロボロになってしまっていて他の人なら怒