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テーマ:伝えたい先達の志SkankinPickle-Racistworld和魂漢才という言葉がある、古来よりこの地の文明が異文化との交流にあたって独特の異能を発揮していたことを示す言葉である。海外の優れた文物を積極的に受け入れつつ、換骨奪胎し自分のものにしてしまう。仏教の受容も、律令制の導入も、維新期の西洋文化の輸入も、鹿鳴館の浮薄ぶりに関して少々反省すべきとしても、この精神を損なうことはなかった。グローバル化時代にふさわしい自律自存の在り方を先人達が示
マルクス「57-58草稿(経済学批判要綱)」S.499《なんじ額に汗して労働すべし!とは、エホバがアダムに持たせた呪いであった。そこで、A.スミスは労働を呪いと考える。「安息」が十全な状態として、「自由」および「幸福」と同一のものとし現われるのである。個人は、「その健康、体力、活動、熟練、技巧の正常な状態において」は、正常な一人前の労働への欲求をも、そこでの安息の止揚への欲求をももつのだということ、——このこのとは、A.スミスには全く思いもよらないもののようである。》アダムーーイヴの
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100歩譲って「自業自得」を認めるとしても,それで片付けられないでしょう。感染症ですからね。他人事と割り切れる胆力には感嘆しますが,到底,真似はできませんwww人気ブログランキング草莽崛起(TheRisingMultitude)「日本」を屠る決意人気ブログランキングへ
この文章を書いた時点では、社会の生産力と労働の生産力の区別についての意識が希薄だった。後半部分の一部を次のように改めておきたい。《環境的自然との間で物質代謝を行う際に発揮することのできる既存の社会の生産力(対象との実在的な関係状況)が、生産関係としての人間相互の関係を規定する。社会の生産力は人々の自然に対する関係行為(労働によって媒介される物質代謝)を当然規制するので彼らの社会的関係は、この社会の生産力に対応したものとして形成される。しかし、そうした社会
「歴史は資本主義から社会主義へという把握にかわって、財産中心社会から組織中心社会へ非連続的に移行しつつあるととらえるべきである。」「人を結びつける紐帯は市場から組織それ自体になる。個人の社会的地位・社会的機能・所得をきめるものは、’いかなる財産をもつかではなく、どの組織体に属し、組織の中のどの地位についているかによって決まってくる。」。社会主義社会といわれる社会は、国家なり自治体なりの公的機関が支配的な所有者となった社会にすぎない。個人の富の所有は、その人に社会的地位・社会的機能をもたらさない
rxtypeさんwroteCHINAがやることは全て間違いという前提にたっているようですが、果たしてそうでしょうか?CHINESEは息を吸うから、息を吸う事は悪いのでしょうか?日本の場合は、CHINAと違って、愛国心教育というより、事実に基づいた教育をするだけで、祖国を好きになりますから心配無用です。実際に「心のノート」を見ましたか?その「我が国を愛しその発展を願う」のページは「あなたは「日本の伝統や文化」の頼りになる後継者である」というだけの内容です。伝
「あらゆる保守主義の基礎となっている観念は、物事は放っておけばそのままになっているという考え方である。ところがこれが誤りなのだ。物事をほうっておけば、まるで奔流のような変化に巻き込まれるに決まっている。たとえば白い杭を放っておけばたちまち黒くなる。どうしても白くしておきたいというのなら、いつでも何度でも塗り替えていなければならない」(「正統とは何か」p208)伝統とは、労働する諸個人の生活経験の中から析出・結晶化するものであって、国家が集約することのできる限られた知識を用いて官僚が介入
AboutUsJacobinisaleadingvoiceoftheAmericanleft,offeringsocialistperspectivesonpolitics,economics,andculture.jacobinmag.com上記のサイトの記事の翻訳、くだんのシステムが人間の自動集荷選別装置となることを危惧する内容。かかるシステムが一部のテクノロジスト以外には、ブラックボックスである事実を踏まえれば、杞憂であるといえまい。
BIによって労働力の脱商品化がある程度進むとしても,その一方で生活の商品化(生活再生産の商品への依存)はかえって進むことになる可能性がある。貨幣という物象的形態でBIが支給されることで,生活のための財・サービスの社会的な,非営利協同的な生産が,営利目的の生産に置き換わっていく可能性があるのである。将来社会は,脱・物象(市場),脱・官僚,脱・人格依存という3つのベクトルの集約点として存在する。それがアソシエーションである。すなわち,相互排他的な私的労働からなり,その全体編成が無秩序的
今年は,クロンシュタット・ソビエトの革命蜂起100周年です。ボリシェビキの反革命独裁に対するロシアの労働する諸個人の決死の抵抗から学ぶべきことは少なくありません。【関連記事】『アドバイスをいただきました。』《マルクスを救い出すために、マルクス・レーニン主義を批判するのも大事だけど、後進国ロシアだけで革命が起きてしまったということ自体を悲劇と思えば、その理論も方法…ameblo.jp『2工場委員会運動の転換――「生産者」志向の登場(杉本「労働者」から「生産者」へ)』《
従来の性愛家族に替えて「ケア・ユニット」ーケア提供者とケアの受け手から成る集団単位ーを政策対象に据えるべきだという議論やケアの受け手に対してこそ受給のエンタイトルメントを認めるべきだという考えがえが紹介されている。堅田氏は、「ケア提供者手当」は、ケアの範囲や内容が同定困難であること、ケア提供の役割が女性に集中する性別役割分業を維持再生産する可能性があることなど、課題を抱えているとして、これらの課題を克服し得る政策としてBIが依存とケアを中心に据えた社会正義にかなうものであると論じている。BI
ソ連などに代表されるいわゆる「社会主義」国は、実際には、資本主義とは別ものであったわけではないと僕は考えています。その理由は、資本主義の本質は、賃労働と商品生産だからです。ソ連でも中国(「改革開放」政策以前から)でも、労働者は賃金労働者で生産物は商品でした。ソ連が崩壊してから資本主義が主流になったのではなく、それ以前から資本主義は主流でした。いや,というよりも資本主義とそれ以前の段階にある社会しかなかったのです。では、自称「社会主義」国は、何をもって自分たちが「社会主義」だと主張しているの
《人間は、その生活の社会的生産において、一定の、必然的な、かれらの意思から独立した諸関係を、つまりかれらの物質的生産諸力の一定の発展段階に対応する生産諸関係を、とりむすぶ。この生産諸関係の総体は社会の経済的構造を形づくっており、これが現実の土台となって、そのうえに、法律的、政治的上部構造がそびえたち、一定の社会的意識諸形態は、それ〔土台〕に対応している。物質的生活の生産様式は、社会的、政治的、精神的生活諸過程一般を制約する。人間の意識がその存在を規定するのではなくて、逆に、人間の社会的存在がその
どちらの言葉も使う人によっていろいろな内容で使われるので一義的な区別はつきません。いくつかの立場ごとに、どういう使い分けがされているかを説明します。1)18世紀ごろまでの自称「共産主義者」たち「俺たち共産主義者は、財産共有と集団労働を重視するが、社会主義者の連中は、個人経営を認め、他人を雇って働かせない限りは、私有財産も認めるやつが多い」といった感じ。2)同じく同時代の「社会主義者」たち「われわれは、私有財産を擁護しているわけではない。共産主義者が人間の共同性を重視するあまり、個々人の
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RyCooder-RallyRoundtheFlag-TheLongRidersこのサイトのあなたのレビュー!https://blogcircle.jp/commu/11/topic/3にほんブログ村政治ブログにほんブログ村人気ブログランキング草莽崛起(TheRisingMultitude)「日本」を屠る決意
資本の有機的構成高度化*は人口増を制約する。つまり構成高度化によって現役労働者の絞り込みが行われるなら(あるいは現役労働者数の増大が他の階級からの没落や新規学卒者による労働者階級全体の増加量以下に抑制さるなら)、現役労働者の労働負担増と失業者の数の増大と彼らの貧困化をもたらす。*資本の有機的構成の高度化とは、投下総資本の構成要素のうち、労働力購入費である可変資本の割合が相対的に低下していくことを言う。ブルジョア経済学的に表現すれば、労働の資本装備率の上昇といえる。企業の投資額のうち人件費
《マルクス主義に関心があります。マルクスの思想を理解するうえでの、入門書のようなものがあれば、教えて下さい。非常に抽象的な質問ですいません。》すでに、紹介されいますが、大谷禎之介訳/ヨハン・モスト著/カール・マルクス加筆・改定『マルクス自身の手による資本論入門』大月書店、2009年10月は、マルクス自身が目を通し手を入れたものとしては分量も手ごろでとっつきやすいと思います。同様に比較的読みやすいマルクス自身のテキストは、共産党宣言もなかなかいいのですが、最初に出されたのはマルクス自身
神田は、自分と異なる見解をマルクスが持っていることを以て、いつでもそこに「マルクスの無理解」を見出す。我々は、かえってそこに神田自身の知的傲慢を見出すww.勿論、マルクスもミスを犯すし、それは、むしろ、普通の人間よりも多いのではないかとさえ思える。だが、神田の批判は、自己の見解の妥当性の検証がなく、あたかも自己の見解が妥当なものであることが前提であるかのよう書き方になっている。.《マルクスの『ヘーゲル法哲学批判』を読むと、彼のヘーゲル理解の稚拙さが目に付く。…例えば、「理念」とは、空
自己規律と自己制御の権利と義務を放棄して自己の身体、生命の処遇を他人の意思にゆだねることは、尊重されるべき個人としての資格を失うことを意味します。個人としての責任と義務を放棄する「左翼全体主義」を自己批判することなく、この考え方に無理やり「個人の尊厳」という考えを接ぎ木したらどうなるか、「個人」ではないもの、すなわち自己規律・自己制御の主体ではないものに「尊厳」を認めてしまうことになります。自分で自分をコントロールする習慣を持たず、他人の言いなりになってきた人間、あるいは「人を尊重するとい
>虐待などが増えたのは、自己中心的>な人が増えた結果です。激しく同意です!それこそが、「戦後左翼思想」のもう一つの側面と深く結び付いています。この側面はいわば、「私民主義」と呼ぶべきものです。さきほどの「左翼全体主義」がコミンテルン由来なのに対して、アメリカ由来のものです。あなたは、「私民主義」の解毒剤として「愛国心」「集団意識」(事実上「左翼全体主義」と同じもの)が有効だとお考えです。しかし、歴史的な経緯は逆です。戦前、戦中の日本は「愛国心」「集団意識」(「左翼全体主義」)
>個人の尊厳を守りすぎたから、か>えって「思いやり」が廃れ…僕はそれ>を極めて嫌う為に、個人の尊厳と対>立する「愛国心」「集団意識」を大切>にしようと考えている大変素直な考え方です。しかし、それが「戦後左翼思想」なのです。より正確に言うと「戦後左翼思想」の「戦前左翼思想」(コミンテルン由来)から継承された側面です。北朝鮮の金体制や中国の共産党独裁や連赤の同志殺し等々は、全てこのような思想と結びついています。組織や集団の目的のために個人を生贄にしてよいという考えです。学生
マルクスは利潤の源泉は搾取であり、搾取のない公平な社会の実現を目指したようですが、その場合って雇用主は自分の給料無くないですか?まず雇用主という存在について正確に理解する必要があります。取締役など役員報酬という形で所得を得ている人達は、一応、被用者に属します。ゴーンさんとてルノーや日産に雇われていたわけで、故にへまをすれば解雇されることもあるのです。真の雇用主は、企業利潤を山分けして配当として受け取っている出資者達です。アソシエーション社会では、このような経済的役回り(純然たる出資者)は無
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