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10月15日にNHK-BSプレミアムで、明治維新150年スペシャル「決戦!鳥羽伏見の戦い日本の未来を決めた7日間」という番組をしていました。初回の放送は2017年12月だったようですが、本日は仕事が早く終わったので、録画しておいたのを見てみました。番組全体は当然のことながら、「鳥羽伏見の戦い」なので陸上戦中心の内容でしたが、この戦闘の最中に薩摩軍の艦船と徳川幕府軍の艦船の間に発生した、通称「阿波沖海戦」が取り上げられていました。鳥羽伏見の戦いの火蓋が切られたのは慶応4年正月3日でしたが
戊辰戦争150年、新政府軍に最後まで抵抗した会津藩のその後の“苦しみ”とは!?«ハーバービジネスオンライン今日は戊辰戦争の開戦日。始まりは鳥羽伏見の戦い薩長軍が錦の御旗を掲げた。それにより薩長が官軍に変わる。旧幕府軍に勝利。旗は開戦前に用意していた。この為錦の御旗は偽造の可能性が高い。戦火は更に広がり阿波沖海戦。慶応4年1月4日(1868年1月28日)。日本史上初の蒸気機関を装備した近代軍艦による海戦。その後江戸城無血開城。それでも終わらず市川船橋戦争。慶応4
伊東祐亨(すけゆき)は、あまり有名じゃないけど、どの本読んでも必ず出てくる名前。それもそのはず、初代連合艦隊司令長官で、海軍初の元帥。(陸海軍の最高位)日露開戦となったら、東郷平八郎を司令長官にしようと考えたのも、伊東さんなのだそう。つまり、後の「日本海軍の父」山本権兵衛はもちろん、東郷平八郎、島村速雄、鈴木貫太郎など、後の英雄全ての上司。幕末~日清戦争を駆け抜けた先駆者なんだ。天保14年(1843)生まれの薩摩人。色白で背が高く、ガタイも良く、若い頃は「桃太郎の人形」
西郷と大久保、そして岩倉具視は、西宮から山崎にのぼっていく長州を瞬く間に、薩摩藩の友軍としてしまう。西郷と大久保、そして岩倉。彼らは魔術のように政略を操った。鮮やか過ぎるこの手際に山田市之充は、感嘆した。「この戦、もしや勝てるかもしれん」山崎に布陣していた藤堂藩は「帝の命」の一言で、すぐさま武装をといた。極めて政治的な配慮だ。長州軍はそのまま、山崎を経て、続々と入京した。「一に三ツ星」の家紋が入った、長州の荷駄隊の隊列を見た京の人々は「あ
たくさんの偉人を生んだ鹿児島市加治屋町。加治屋町出身者のひとりに井上良馨がいます。☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★井上良馨は1845年に加治屋町に生まれると、薩英戦争で初陣を飾りました。井上良馨はイギリス海軍に魅了され、陸軍から海軍に転向することを決意しました。戊辰戦争では『春日艦』の小頭として、阿波沖海戦、宮古湾海戦、箱館戦争に参戦しました。その後、『雲揚』の艦長になると、征韓論者である井上良馨は釜山に乗り込み、、示威砲撃訓練や無断測量をするなど挑発して朝鮮西岸へ進出しました
自分の歴史の勉強のために歴史探索ブログを書き始めましたけど、今回で40回目ですね。歴史探索は本当に楽しいからやめられないです。これからも歴史ブログを書いていくとは思いますが、読みたい人は読んで、興味ない人は別に読まなくていいよのスタイルでやっていくので、よろしくお願いします(このスタイルは歴史ブログというよりも、このブログ全体に言えますが)。あくまで自分の歴史の勉強のために書いているだけやから。☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★さてさて、今回は東郷平八郎のことをやっていきます。東郷
本アカさんのブログでも書いたのですが関西テレビ『よーいドン』という番組の『隣の人間国宝さん』というコーナーに出ていた大阪・池田のラーメン店の女性店主が艶が~るにハマってるってことで大々的に宣伝してくれてました番組表に「龍馬に恋する女主人」みたいにあったのでもしかして?と思ってみてたら「携帯ゲームにはまってます」で、出て来たのが慶喜さんのスチルで
日々是妄想そんな毎日を送りながら新しいお話を書いては消し、書いては消し……やっぱり、資料って大事だなーと思いつつネットで調べてるうちにあちこち気になる事が出て来てそこからどんどん深みにはまってしまうのが私の悪い所です……今回のお話に全く関係ないのにたどり着いた開陽丸の事開陽丸と言えば慶喜さんが大阪から江戸に帰った時に使われたり土方さんが仙台から蝦夷に渡る時に使われたり