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昨日の記事福岡の旅を決めたの中でふれた安曇族の祖・阿曇磯良(あずみのいそら)は潮の干満を操ることが出来る潮満珠(しおみつたま)潮干珠(しおひるたま)を龍宮から借り受けて神功皇后に献上し三韓征伐を助けたといわれている。『福岡の旅を決めた』今度の週末が思いがけなく4連休になるということで急遽いろいろ旅する可能性を考えたが、福岡県内の宿はどこも高いし、青森県はやはりまだ時期尚早と考えて関東近辺で過…ameblo.jp阿曇磯良は顔にアワビや牡蠣などが貼り付き、身体にワカメなどの海藻などがとりついた
今度の週末が思いがけなく4連休になるということで急遽いろいろ旅する可能性を考えたが、福岡県内の宿はどこも高いし、青森県はやはりまだ時期尚早と考えて関東近辺で過ごすことにした。だが来月の福岡県の宿の宿泊料金を調べたら今はまだ安く、天神の繁華街の宿をおさえておいた。そして福岡県の旅の主要なテーマは【阿曇磯良(あずみのいそら)】とする。滋賀志賀は志賀島から『滋賀志賀は志賀島から』昨日BSNHKの「にっぽん縦断こころ旅」で志賀海(しかうみ)神社を観て思い出したことがある。志賀海神社・・・我なが
昨日BSNHKの「にっぽん縦断こころ旅」で志賀海(しかうみ)神社を観て思い出したことがある。志賀海神社・・・我ながら覚えてるもんだね『志賀海神社・・・我ながら覚えてるもんだね』帰宅してBSNHKの「にっぽん縦断こころ旅」を観たら、本日のゴールに見覚えのある景色が出てきて「志賀海(しかうみ)神社かな?」と思ってたら正解だった。志賀海神…ameblo.jpそれは志賀海神社のある志賀島(しかのしま)が海人族・安曇族の本拠地であり、安曇族が志賀島から琵琶湖や能登半島などに進出したといわれているこ
風浪宮福岡県大川市大字酒見726-1本宮は神功皇后が新羅御新征よりの帰途(西暦192年)軍船を筑後葦原の津(大川榎津)に寄せ給うた時、皇后の御船のあたりに白鷺が忽然として現われ、艮(東北)の方角に飛び去りました。皇后はその白鷺こそ我が勝運の道を開き給うた少童命の御化身なりとして白鷺の止る所を尾けさせられ、其地鷺見(後の酒見)の里を聖地とし、武内大臣に命じて仮宮(年塚の宮)を営ませ、時の海上指令であった阿曇連磯良丸を斉主として少童命を祀りました。(旧暦11月29日)↑白鷺が止ま
にしこです☺️いつもブログをご覧くださりありがとうございます☺️初めてご訪問の方もありがとうございます😊↑↑↑ポチッとしてね雨が降り続いていますが皆さんのところは大丈夫ですか?警報が出ている所もあるので危険だと思ったら躊躇せず避難などされてくださいねさてさて昨日はこちら💁♀️ななころちゃんのお話会に行ってきましたよななころちゃん今までも沢山の方とのお話会などされてました。別の方のお話会で一緒になったことはあるんだけどマンツーマンは初めてちょっとドキドキ
磯良塚・磯良丸神社福岡県大川市大字酒見780-1風浪宮のすぐ側。幼稚園の中にあるので近くに行くのは無理だろなーって、みんなで外から眺めていたら、園の方がどうぞと入れて下さったよ。やったね!さすが、がっつり「歴史と自然をまもる会」って書いたバスに乗って移動している甲斐があったというもの☺️個人じゃあなかなか頼みにくいからさ、こういうのありがたい。立派な楠の木を囲むようにして、磯良塚と磯良丸神社。磯良丸神社阿曇磯良丸を祀っています。磯良丸は、干珠満珠をもって皇后に従い船団の海
『出張の合間の神社巡り北陸編『御皇城山皇祖皇太神宮』~原初の神と見えない道~』『出張の合間の神社巡り北陸編『奥田神社』~そしてカラスに救われる~』『出張の合間の神社巡り北陸編『姉倉比賣神社』~機織りの女神再び~』『出張の合間の神社…ameblo.jp↑のつづき。さて、次の目的地への行き方をGoogleMapで確認したところ、、その道のりは先ほどの御皇城山皇祖皇太神宮の向こう側にあった。とりあえず、御皇城山に戻って、先に行ける道を探した。MAPとは少しそれていたが、謎の道を発見。
ご訪問ありがとうございます🙏住んでいる市の図書館に『儺(な)の國の星』という真鍋大覚さんが書かれた古代史を那珂川市図書館から取り寄せてもらって読んでいます。星に関係する神々の本です。また、言葉や地名の語源(古語)が記されています。まだ途中までしか読んでいないので、本の中に「儺の国」の意味が書かれているのか不明だけど、「儺」を辞書で調べると、疫鬼(えきき)を追い払うこと。また、年中行事の一つで、大晦日の夜、疫鬼を追い払うための儀式。中国の風習が日本に伝わったもので、中国では三月・八月
はい!奈央です。前回に引き続き、朝倉橘広庭宮(あさくらのたちばなのひろにわのみや)についてです。今回は、実際に行ってみた時のことをご紹介しますね。平塚川添遺跡から、車で30分くらいだったでしょうか。長閑な田園地帯をひた走り・・・というのは嘘で、何度も道に迷いつつ、狭い路地を抜けながら、1時間以上かかって、やっとたどり着きました。だって、車一台分しかない路地なんかもあるんですよ。そして、ここが辿り着いた朝倉橘広庭宮跡の駐車場です。下の写真はお借りしたもので
先日、夢に「櫻井神社の境外摂社」というワードが出てきたので糸島へ行ってまいりました。こちらは博多湾(玄界灘に面した湾)に位置する櫻井二見ヶ浦です。櫻井二見ヶ浦は櫻井神社の社領となっており櫻井神社の宇良宮(うらのみや)(裏宮)として夫婦岩がお祀りされています。この日、到着した時間がたまたま干潮時間と重なったようで、はじめて鳥居をくぐることができました。ラッキー鳥居は結構大きいです。鳥居の先からはじめて拝んだ夫婦岩🙏🙏ありがたい🙏🙏海岸で見つけたギザのピラミッド風クジラ岩もあ
奉納前夜は22時頃には床に就いたのですが、なかなか寝付けずウトウトしはじめたのが1時頃でしょうか。しかし、4時少しすぎには目が覚め、禊のことを考えていました。女将さんが背中を押してくださったので、禊をする気満々だったのですが九州の朝は遅い…。5時になっても5時半になっても真っ暗なのです。肝心の、禊後に使わせていただけるシャワーの場所を聞いておらず、女将さんが起きていらっしゃる気配もなく、朝日と同じように、5時になっても5時半になっても厨房は真っ暗のまま。「玄関は開けておくから」と仰
2021年7月15日のブログ【7月15日は、祇園祭、斎竹建て】を記載していた時、気付いたことがあったので、まとめ直します。船鉾大船鉾(上記の写真は、祇園祭参照)2019年5月下旬頃、祇園祭のご神事に参加する為私の好きな女神様(神功皇后)が乗船する「船鉾」「大船鉾」について調べていました。同山鉾には、住吉明神・鹿島明神・阿曇磯良も同乗しています。この時、阿曇磯良を初めて知り国史大辞典で、調べました。大浜宿禰とも云われています。その時、同辞典から
聖地の警固と本土防衛「斉明天皇の朝倉宮と仲哀天皇の橿日宮①」「斉明天皇の朝倉宮と仲哀天皇の橿日宮②」の続きです。神功皇后と武内宿禰大臣は仲哀天皇の意を引き継ぎ、筑後まで侵略していた熊襲(くまそ)の羽白熊鷲(はじろくまわし)と田油津姫(たぶらつひめ)の軍に打ち勝った。橿日宮に戻って来ると、朝鮮半島への渡航準備に入った。甘木・朝倉は大和朝廷にとって、発祥の地(邪馬台国〇)であり「聖地」だった。聖地奪還に成功はしたが、熊襲が再度北上してくるかも知れない。神功皇后は軍師であ
昨日27日、大快晴の空の下で志賀海神社に行きました♪祭神:宇都志日金拆命ここの神社はイイ♪全ての繋がりの根源のように、ルーツも文化も全て答えが繋がるような。温かい笑顔のような場所ちょっと良い事がコチラで沢山ありすぎて記事に書けません(笑)ちょっとした発見やちょっとした心霊現象やちょっとした音や近くの自販機でも・・・あ、やっぱ書けないw思いがけない良いことが起こりすぎました。なのでぶっ飛んだ話も、ぶっ飛んだ答え合わせも今日
クマヤーガマの写真を紹介しますね。これ以上、場所の詳細は記載できません。気になる方は、調べてください!この石碑を拝見した時、熊野(和歌山県)のクマは、黒い神とも言えるという御話を想い出しました。(サンカさんが信じていた神でしょうね...)宗匠が、文字の因数分解と言っているの🖤...と仰っていましたよ。(Youtube番組・シンクロ加速しんごチャンネル二條隆時宗匠との対談より)総合して考えると...和歌山県熊野市で、神様がかくれんぼしているのカモしれませんね
私事ですが。。。最近とても気になる古代人がいるんですそれは歴史作家『関裕二』先生のこちらの新刊に登場する『安曇磯良(あづみのいそら)』という人物です安曇氏の祖神で神道の海の神とされ、志賀島をはじめ海の要所にお祀りされているのですが、記紀には登場しない神です。この神様を知ったのは関先生の本を読んでなのですが、なんと磯良は海底に長く住んでいたので、顔にカキが付いていたというのです顔にカキが付いていたって一体どんな⁇見てみたい〜♪ということで、関先生の本を参考にちょこっと調べてみま
前回の続きです綿津見神三神の誕生御祭神の綿津見神三神(わたつみさんしん)は身滌大祓(みそぎおおはらい)の祝詞の一節にある「~皇御祖神伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に御禊祓へ給ひし時に生座る祓戸の大神等~」伊邪那岐大神が禊祓の際に誕生されました。亡くなった妻:伊邪那美大神から逃れるため黄泉の国からなんとか逃げ戻った後、朝日が昇るとすぐに日が当たりとても清らかで重要な
前回の続きです間が空いてしまってすみません💦階段を上がるとしめ縄が張られた石造りの太鼓橋が育民橋です~民を育む~いい名前だな~春と秋の例祭:山誉神事の際、宮司さんが育民橋の上に立って籾種を四方に蒔くそうです敷石にしめ縄の影がくっきり映って綺麗でした立派な楼門です時の筑前守護であった第12代当主:大内持世公(永享年間1429~1441
ご訪問頂きましてありがとうございます。拙い文章力はどうぞお許しくださいませ。志賀海神社結構な反応を頂きましてⅡの巻でございます。Ⅰの巻で、海の民阿曇氏のお話しましたが阿曇の祖神は阿曇磯良(あづみのいそら)です。変わった神さまでもあるのでⅡの巻は阿曇磯良の伝説世界を見て参ります。まずは伝説の内容から。古事記のなかで、神様の時代と実在の天皇を記述した時代との狭間のあたりです。登場人物として重
月が昇っています。獅子座の満月です。満月の正確な時刻は、16:33つまり日没前のことでした。この満月の波動取りは日没をみて開始しています。後は月の様子やボトルの状態をちょいちょい確認して、夜明け前に撤収する・・・ひと段落した、この宵の時間にきょう思い出したことをお話ししましょうそれはこの本にあった、モーセの話なのです。出エジプト記の秘密モーセと消えたファラオの謎[メソド・サバ]3,080円楽天著者は、
冬至の三社参りその3です。その1高良大社その2水天宮水天宮から30分くらいで到着。立派な鳥居でワクワクなんだけど、雨が結構降っていました。この雨だし、誰もいない参道。御神池ありました。赤い御神門を潜ります。御祭神少童命(わだつみのみこと)息長垂姫命(おきながたらしひめのみこと)住吉大神(すみよしのおおかみ)高良玉垂命(こうらたれたまのみこと)拝殿に像があり、見られているような(笑)どなたかというと宮司家の祖・海神阿曇磯良。手に持つ二つの宝珠は、潮盈珠(しおみ
今年の出雲詣でではソサノヲ尊の御子である木の神・五十猛命(いそたけのみこと)の御陵に行きたいと考えている。この五十猛命は北九州を治めていた神で後に木の国(紀伊国)を治めたとされる。この神を安曇氏の祖・阿曇磯良(あずみのいそら)と同じとする説があるようだ。阿曇磯良は海人族安曇氏の祖神とされ、神功皇后の三韓征伐の際に皇后に潮の満ち引きを操ることが出来る潮盈珠・潮乾珠を授けたという伝説がある。五十猛命=阿曇磯良説の真偽のほどは不明だが、阿曇磯良は綿津見神(わたつみのかみ:海の神)の御子・穂高見命
福岡県が誇る偉大な海人族!福博の夏の風物詩である「博多祇園山笠」が1日開幕しました。追い山のクライマックスまでは豪華絢爛の飾り山笠が主役です。9日(火)に天神地区、中洲川端地区、博多駅の10本の飾り山笠を巡って来ました。今年は「令和」の元号を迎えた初の飾り山笠ですから、天皇・皇室関連、それと太宰府の「梅花の宴」をテーマにした標題が多いのであろうとの予測で出掛けたのですが・・・「梅花の宴」の関連は1本も無かったですね。何が残念かと言うと、「大伴旅人と遊行女婦(うかれめ)・児島」の人
船鉾(P106)息を吸って、吐いてを何度か繰り返し、自身を落ち着けた。その後、船鉾・大船鉾に同乗している、住吉明神・鹿島明神・阿曇磯良について、調べることにした。*住吉明神は、鶏鉾の御神体にもなっている。・住吉明神。同神は、底筒男命、中筒男命、表筒男命(日本書記での表記)の三柱を指します。*因みに、古事記によると、表が上と表記され、之がそれぞれの筒と男の間に入っています。違うのですねぇ~。この時、何故か?「武内宿禰が語る古代ヤマトの真相奈良編」(youtubeで
お陰様でパーフェクションも10年が経過!昨年からの病気治療も一段落したところで心機一転屋号変更します!詳しくはホームページをご覧くださいませ。パーフェクションのホームページ新屋号は…ISORAMARINEイソラマリンISORA・・・磯良そう、阿曇磯良(あずみのいそら)です!伝説の海神のお名前をお借りしました!北部九州を拠点に大活躍した海人族、九州阿曇(安曇)族の祖神です‼️阿曇磯良さま^^志賀海神社のHPより【
2019年令和元年5月4日・5日英彦山のお宮へ祈り旅…長くなりますが、したためます📝5月4日早朝、博多へ向かう✈️ために成田空港に向かうもののその早朝予定便が欠航と…メールが届く…(´⊙ω⊙`)…え?人生初の体験から始まった英彦山への旅!まるで数霊33…門、GATE、にみえる世界。門の向こうには虹の橋が🌈見えます!レインボー🌈の橋をかけに行くのでしょか。こちらで待機して6時始発の新幹線で向かうことに変更しました。目の前のモノモノがあとあとサインとなり
次に参拝させていただいたのは【長田神社ながたじんじゃ】です。御祭神は事代主神(ことしろぬしのかみ)こちらも、廣田神社や元住吉神社と同様に、神功皇后による託宣から鎮座が行われた神社です。登録有形文化財の本殿及び拝殿は、何とも趣があります。節分の追儺式(ついなしき)は、県指定重要無形文化財で、御祭神の事代主神=長田大神(ながたのおおかみ)が七匹の鬼と化身し、松明の炎と太刀で天地四方・国土の隅々、人々の除災消滅と平安を願って奉仕するお祓いが、特殊行事として有名なのだそうです。事代主神が鬼
志賀海神社:福岡県福岡市東区志賀島車のまわりは本州に向かうと思われるトラックだらけだ。10トンを超える大型トラックに四方を囲まれ、視界が狭い。まるで函の中に入れられているかのようだ。車線を変えるのも難儀したが、なんとか左折して海の中道に入ると、車の数は大きく減った。博多から車で三十分も走ればもうそこは志賀島だ。島の入口に海鮮レストランがあったので腹拵えしてから島を巡ることにする。三月なら鰆だろう。刺身の定食にした。海の中道に橋が架かったのは昭和六年。それまでは潮が引けば砂州が現れて志賀島と繋
神功皇后伝説(第六話)玉依姫の思いやり「神功皇后伝説(第五話)朝鮮半島への渡海準備」の続きです。●物資の兵站基地は和白だけでは間に合いません。武内宿禰(たけうちすくね)と阿曇磯良(あずみいそら)は朝鮮半島進出用の新しい兵站基地と港を箱崎に造ります。米俵・水・食料を集めた所が、現在の「米山(よねやま)弁財天」です。武器・防具など諸々の道具を集積した場所が馬出5丁目の「道具山神社」です。軍船の重心を保つため、また重たい水・食料・武器を載せた船のバランスを調整するために当時は砂を
神功皇后伝説(第五話)朝鮮半島への渡海準備「神功皇后伝説(第四話)天照大神のお告げ」の続きです。●今回の朝鮮半島進出成功のカギを握るのは軍船です。武内宿禰(たけうちすくね)は、海人族のリ-ダー的存在である阿曇磯良(あずみいそら)を呼び出し相談しました。阿曇磯良は阿曇海人族と同様に対馬海峡の航路に詳しい胸形(むなかた)氏、そして、瀬戸内海で勢力を誇る宇佐氏にも声を掛けるよう進言します。●皇后は三氏を呼んで天照大神(あまてらすおおかみ)のお告げ(御神託)があったことを伝えま