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バスで9時過ぎに浄瑠璃寺前について、長い参道を歩くと五重塔が見えてきました。9:30からの拝観だったのでお庭を見て待ちました。山奥ですが他にも観光客がいらっしゃるのが凄い。まだこの時間だと結構寒かったです。朝は日陰になっているので冷えます。受付付近の建物とか、ご住職のお住まいと一緒になってる感じで、アットホームな感じだなと思いながら拝観。本堂は奥に続く横長の造りで、中に入ると柱の間に一体ずつ阿弥陀仏が安置されていました。ずらっと9体。壮観です。まだ金色の塗装も残っている。と思ったら令和五
弥陀の大船に任せ切りかれこれ1年ほど前になるでしょうか。ある看護師から聞いた話なのですがある夜のこと1人の患者さんの容体が急変し救命虚しく亡くなられたそうです。ご家族に連絡しエンゼルケアを施し死亡退院となったのですが次の日の朝認知症を患った1人の男性患者が窓から外を見ながら『今日は真っ白い大船が来とるなあ』と言われるのです。もちろん他の誰にもそんな大船は見えません。しかもその大船は大きな虹に囲まれて静かに鎮座しているそうなのです。数日
二〇二六年二月十五日訪問・筆録:釈法回日本に設置された阿弥陀仏の看板を目にし、超度(救済)を求めてやってきた縁ある衆生(霊魂)百九十六万七千六十名。その代表として貢田尤山を招き入れる。礼請:貢田尤山法回:貢田尤山さん、あなたは日本の阿弥陀仏看板を見て超度を求めて来られましたが、生前はどこに住んでいたのですか?貢田尤山:一筋の雷が天から切り裂くように振り下ろされ、雲が二つに割れたかと思えば、また元の姿に戻る――。その雷電が枯れ木に落ち、一瞬にして焼き焦がして真二つにへし折る。
二〇二六年二月十五日訪問筆録:釈法回日本に設置された阿弥陀仏の看板を目にし、超度(救済)を求めてやってきた縁ある衆生(霊魂)百九十六万七千六十名。その代表として浩本川良を招き入れる。礼請:浩本川良法回:浩本川良さん、あなたは日本の阿弥陀仏看板を見て超度を求めて来られましたが、生前はどこに住んでいたのですか?浩本川良:私、浩本川良は、現在の北海道の近くにある小さな漁村で生まれました。当時の環境では、魚を食べることは決して簡単なことではありませんでした。しかし、蒸気漁船という新技術が
筆録:釈法回二〇二六年二月十三日蘇師姐(蘇仏):田中角栄さん、どうして地獄に落ちてしまったのか、話してくださいませんか。あなたは、あなたを地獄から引きあげた南無阿弥陀仏に感謝しなければなりません。今あなたが居る場所は「法性土(ほっしょうど)」と呼ばれています。法性土は不老、不病であり、霊性は死にません。あなた方日本人は科学技術の研究を発達させましたが、身体の開発をしてきませんでした。我々オーストラリア・クイーンズランド州トゥーンバ、クバンジーの香光大仏寺では、身体の開発を行っています
筆録:釈法回二〇二六年二月十三日蘇師姐(蘇仏):日本の元首相、吉田茂さんをお招きいたします。一体どのような業(ごう)を作って地獄にいらしたのでしょうか。その経緯をお話しいただけますか?私があなたを地獄から引き上げました。私は日本人とも縁があり、日本には多くの看板を立ててまいりました。あなた方の鬼魂(霊魂)は皆、超度(救済)を求めてこちらへといらっしゃいます。今日は百九十八万もの霊が救済を求めて来られました。今日の午供(ごく)の法会をご覧になって、南無阿弥陀仏に感謝なさいましたか?
あとは全部他の人におまかせーってそりゃダメだよ浄土真宗では、よく出てくる『他力本願』自分の力ではなく他者の力を借りることを大前提に人生を生きていくこと。全てを人に任せて自分は楽をすること。それは大変な誤解です。人生そんなに甘くは、ない
仏智を疑う罪というのが浄土真宗にはあります。この場合、仏智とは、阿弥陀仏のお力で説法している人の教えのことで、それを素直に信じることができず、自分の計らいでこうしたらいいだろうと思うことが仏智を疑う罪です。私たちには、自分の考えは正しいという思いがあります。その為に仏法の教えを聞いても、素直に聞くことができずに、自分の計らいを入れてしまい、結果、自分の考えで行動してしまいます。仏法の教えとは、その人にとって一番楽で幸せになれる道を教えています。それを計らいを入れて従わなければ、色々な都合
煩悩にまみれた私ですから少しはマシな生き方を『あれが欲しい』『これが嫌なんだよね』『年は取りたくないなぁ』『いつまでも美しくいたい』『病気は嫌だ』『あいつさえいなければ』心の中でたくさんの私が声をあげている。日頃はそんなこと思っていなくてもふとした瞬間に頭をよぎり『いやいや…』慌てて首を
【動画はこちら】【全文掲載】今日は不安で眠れない夜を、静かに終わらせる方法についてお話しします。仏教には、心が自然に休まる考え方があります。もし今夜、目を閉じても不安が止まらないのなら、最後まで聞いてみてください。今夜は、答えを出そうとしなくて大丈夫です。もしよければ、今この瞬間だけ、肩の力を抜いて仏の教えに耳を傾けてみてください。生きていれば誰にでも、不安で眠れない夜があると思います。明日の学校や職場のこと。誰かとのすれ違い。お金や、これから先の人生のこと。考えれ
こんばんは。蓮夏一照です。報恩講の季節になると、遠くからも近くからも、たくさんの人が参ってきます。七日七晩、念仏の声が続く。まさに――👉念仏得堅固の時節念仏が、いちばん“しっかり立つ”季節です。……ところが蓮如さん、ここで急に疑いの目を向けます。「その中に、人まねで来とる人もおるやろ」……図星です。◆報恩講あるある:「とりあえず来ました」・みんな来てるから来た・なんとなく座った・なんとなく焼香した・なんとなく帰ったこれ、落語で言うたら、寄席に来て、演目も聞かんと、
先日から素戔嗚尊に呼ばれる流れで近くのお寺にお招きいただきました境内にいらっしゃる神仏はすでにご縁をいただいている方ばかりでご真言が入っていないのは一体だけでした立てかけてあるご真言を見ながらご挨拶しましたが、その時はあまり意識していませんでしたしばらくして、ふと思い出して気になったので調べてみました勢至菩薩は午年の守本尊で阿弥陀仏の右側に配置されるようですちなみに左側は観世音菩薩でした今年は午年だからでしょうか…🐎?※画像はお借りしました強大な智慧の光で人々を照ら
『自力』でも『他力』でもやっぱり生かされてるってすげー仏教と出会い浄土真宗を学ぶ中で1つ感じることがある。考え方が暗くない浄土真宗に限らず『浄土門』と言われる浄土宗・時宗なんかもそうなのだろうけど基本的な姿勢は『他力本願』
よくなっても、また不安や恐怖に襲われる。だが、焦ると余計に泥沼にハマるから、般若心経と念仏を唱えて、ただじっとしている。不思議と精神は戻るが、また動き出して少しすると、胸が苦しくなってくる。まじで、少し笑ってしまうぐらい無限ループである。この無限ループから逃れようとしても、多分逃れる事はできないんだ。だから、もはや我が計らいにあらず、で阿弥陀仏に命を預けるしかなくなってくるのだな。人間はここまで追い詰められなければ、他力の本当の意味もわからないのかもしれない。
『今をどう生きるか?』を考えるには『死』を想うこと仏教は紀元前500年頃インドで釈迦により創り出されました。それが中国を経て日本に伝来されたのが6世紀半ば。平安時代に天台宗と真言宗が創始され鎌倉時代にはさらに多くの宗派が誕生します私が主に勉強している『浄土真宗』も鎌倉時代に創始され今でも多くの門徒の方がいます
いつでもどこでも助けようとする力が働いています『任せろ。今助ける』絶体絶命のピンチでこんなセリフを聞いちゃうと泣いちゃうよねそして圧倒的な力で困難から助け出しすべてが丸く収まる言葉にならんくらい…カッケーよ全然関係ないようだけどコレ仏教にもよく精
こーれを、しっかり書くのを忘れていました。わたしが一般の方とどう違っているのかは、数回前に述べさせていただきましたが、さらに、死を何とかして乗り超えたわたしの現在の「心境」を書かせてもらいます。まず、何度か言ったと思いますが死ぬことが「完全に」怖くなくなったというわけではありません。それは、煩悩による怖さ、また、本能による怖さ、が残っているからです。煩悩による怖さとは、感情的なもの、感覚的なものと言ったら少し解りやすいかもしれません。いろいろなもの
安佐北ウォーキングマップ飯室地区の、マーク⑩が土井泉神社。次の神社へのルート上、すぐ近くの養専寺にマーク⑨。逆回りで歩いていたのですが、当然、寄り道。広島市安佐北区飯室養専寺浄土真宗本願寺派の寺院。安芸門徒と呼ばれる広島地域では信者の一番多い宗派。山門は、鐘楼を兼ねた藩政期のもの。古風で美しい。門前は、昔の鈴張街道の分かれ道で、常夜灯と道標が置かれている。常夜灯「破暗」は、親鸞聖人の教え教行信証の冒頭文からきている。ー無碍の光明は無明の闇を破する恵日なりー
九八さん、かおりんさん、同志のみなさん、弥陀の東京施術声聞会、本当に尊く素晴らしい2日間をありがとうございました「ここに居ながら正定聚、光明摂取の網の中、、、、逃げても逃がさぬご慈悲とは、ほんに今まで知らなんだ」弥陀の声聞、施術を頂けるこの強仏縁がありがたすぎます本当に本当にありがとうございましたすべてがありがたすぎました説法三昧、帰り道、南无阿彌陀仏と弥陀の本願18番が止まらず、、それなのに、我こそ先、とすっと自分を優先し、貪る、おぞましさも何度も照見され、、今
仏法において、生きとし生ける衆生は、生まれ変わり死に変わりすると言われています。それは、無始の過去から、永遠に近い未来へとずっと続いていくとされています。(極楽浄土に生まれない限り)タナトフォビアの皆さんは、死んだら無と思い込んでいる方、多いですよね?しかし、少なくとも仏教観においてはそうではないのです!これは少しだけ、希望になりませんか?死んだら無。これは以前のぼくが思ってたことでもありますが、ひどく戦慄して生きた心地がしないほど恐ろしいですよね。
こんばんは。蓮夏一照です。今日の御文、のっけから痛い。みな人ごとに「われはよくこころえたり」と思うて、ほんまの信心をたずねる人が少ない――はい、耳が痛い。“もう分かってます勢”。これがいちばん危ない。◆宝の山に入って、手ぶら蓮如さんの喩え、きつい。「宝の山に入りながら、手ぇむなしくして帰るようなもん」山の入口で――・案内板を暗記する人・宝の写真を集める人・“宝とは何か”議論する人でも肝心の宝、拾わへん。◆よくある勘違い当時も今も、似たような声がある。「
こんばんは。蓮夏一照です。今日の御文の肝は、ここ。親鸞聖人のすすめたまう一義は、末代の在家無智の者が、わずらいなく浄土へ往く道ただ一つはい、最初から“凡夫専用レーン”。エリート向けやない。修行マッチョ向けでもない。「家で茶すすってる普通の人」用の道。◆みんな知ってる、でも迷う阿弥陀さんは――十悪も五逆も、女も男も、まとめて救う。これは、だいたい誰でも知っとる。せやのに、「ほな私は、どう信じたらええん?」ここで急に足がもつれる。◆やること、拍子抜け蓮如さん、き
〇2025年5月26日、今回の「玄中寺参詣旅」の主目的である玄中寺へ参拝した。玄中寺はなかなか遠い。これまで、何度か、玄中寺参詣を目論んだが、実行することが出来なかった。さいわい、今回、何とか参詣することが出来た。○その玄中寺について、浄土宗大辞典では、次のように案内する。玄中寺中国山西省交城県西北一〇キロの石壁山にある。大龍山石壁永寧禅寺ともいう。曇鸞・道綽・善導の浄土教三師ゆかりの寺。玄中寺に現存する唐の長慶三年(八二三)建立の石碑「特賜寺荘山林地土四至記」によると、北魏・
私たちは救われるようにできている『私は彼を信じてる』『明日は晴れるって信じてる』この『信じる』って言葉裏には少々の『疑い』が入ってますよね『私が間違ってるかもしれない。それでも私は彼を信じてる』『これから雨が降るかもしれない。でも明日は晴れると信じてる』
こんにちは。蓮夏一照です。今日のお題は、真宗のど真ん中。「南無阿弥陀仏って、いったい何の意味やねん?」――ここを、蓮如さんがかなりていねいに分解してくれてます。◆まず“南無”って何や「南無」という二字には、ふたつの心がある、と。1.帰命👉たすけてください、と任せる心2.発願回向👉その任せた心を、阿弥陀さんがそのまま受け取って極楽へ向けてくれるはたらき言うたら――・こっちの手を差し出すのが南無・向こうがその手を握るのが阿弥陀仏そんな関係。◆願と行のセット販売
こんばんは。蓮夏一照です。今日の御文、いきなり大きい話から。「諸仏の願より、弥陀の本願がすぐれている」……え、他の仏さんより上とか下とか、そんなランキングあったんかいな。ここ、誤解すると危ないとこです。◆なぜ“弥陀だけ”と言うのか蓮如さんの説明は、わりと率直。諸仏の願いは立派やけど――どうしようもない凡夫、五障三従の女人までは、なかなか救いの射程に入らん。ところが阿弥陀さんだけは、「そんな連中こそ、うちの本命」と言い切って本願を立てた。落第生専用の特待生枠、みたいなも
我が家は浄土真宗を信仰している親鸞が開祖と言うことは学生時代、日本史で習ったと思うそして…浄土真宗は少し他の仏教とは違うところがある浄土真宗は死亡すると直ぐに仏様になると考えるこの点が…他の仏教とは大きく違うところそして…浄土真宗で大切にされている言の葉がある倶会一処(くえいっしょ)スクショにて…現世に別れを告げ亡くなり直ぐに仏様になったとき…先に旅立った愛する人たちにまた再会できるという喜びを表す言葉なのですね…母が仏様になった翌日は母から見て祖母私
念仏は、亡き人のための単なる“供養”として捧げるものではありません。葬儀で念仏を唱える行為は、亡き人に功徳を与えるためではなく、自分の修行の功徳を他者に授ける行為でもありません。亡き人を偲ぶ心が阿弥陀如来の慈悲を呼び起こし、自らの心を支えるために自然と発せられる声です。そして、「亡き人も私も仏の大悲に抱かれている」という真実を確かめるための声でもあります。念仏は、亡き人のための追善供養ではなく、「亡き人も私も阿弥陀仏の慈悲の中にある」という真実を確かめるために唱えられるのです。
念仏はどんなにたくさん唱えようが『ナンニモナラヌ』今回はかなり仏教寄りの内容になります。。私は今、e-ラーニングで『浄土真宗』を勉強しています。『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』この3つが『浄土三部経』と言って浄土宗・浄土真宗では大切に唱えられるていますその他『正信偈』や『
こんばんは。蓮夏一照です。今日のお題、ちょっとドキッとします。「口に南無阿弥陀仏とさえ言えばそれで助かるように、みな思うとる。それは、おぼつかないことや」――はい、蓮如さん、ここ、かなり正直。◆まず大前提の話蓮如さん、最初にこう言う。「諸宗はみんな立派や。釈迦さんの説法やから、殊勝や」ここ、けなさへん。でも続きがシビア。「せやけど今の時代、如説に修行できる人、ほとんどおらん」つまり、教えは一流、人間は三流。このギャップが、末代の現実。◆そこで阿弥陀さんの登場阿弥陀