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陸中一宮・駒形神社があるのは、岩手県奥州市(旧・水沢市)。駒形神社の境内は、水沢公園に隣接しています。御祭神は、駒形大神で、下記6柱の総称天照大御神アマテラスオオミカミ(もっとも尊い神さまです。)天常立尊アメノトコタチノミコト(宇宙を司る神さまです。)國狭槌尊クニノサヅチノミコト(地球を守る神さまです。國狭立尊とも言います。)吾勝尊アカツノミコト(天照さまのお子様です。)置瀬尊オキセノミコト(天照さまのお孫様です。天孫
「蒼の乱」天海祐希、松山ケンイチ。三時間かけて、観たぞ~。配信で。いのうえひでのり、中島かずき。いつもの「劇団☆新感線」で、平将門の乱の話なんだけど。シネマ歌舞伎で観た「阿弖流為(アテルイ)」の続編になってるんだわ。アラハバキの剣、ってやつが、松本幸四郎先生が阿弖流為のときに持ってたのとソックリな剣が登場する、これを引き抜いた瞬間に、将門小次郎は「蝦夷の王」の魂を継ぐんだわな。これは、燃える話だわ。天海祐希と高田聖子は「渡来人の生き残り」、平幹二郎は「蝦夷の長老」と「太政大臣」の二役、
オーガニックコットンパジャマ(チェック)(半袖&ロングパンツ)GUGUで詳細を見るUNIQLOで詳細を見る楽天市場で詳細を見る${EVENT_LABEL_02_TEXT}オーガニックコットンプルオーバーパジャマ半袖&ロングパンツ+EGUサテンパジャマ(半袖&ロングパンツ)+XGU阿弖流為懐かしいです羽子板市。コロナで閉場していた歌舞伎座がやっと開場。TULLY'S
おはようございますぽかぽか陽気ですね☺お外に出るのが苦じゃない季節嬉しい•••••cut•••••・802年(延暦21年)4月15日、阿弖流為が降伏する→桓武天皇による相次ぐ蝦夷平定軍の攻撃に耐え切れず、本拠地・胆沢を落とされた蝦夷のリーダー・阿弖流為は、ついに抵抗をやめ降伏しました•••••cut•••••
《2/3》より【戦の終焉】「そなたらは勝利を得たぞ」阿弖流為は誇らしげに宣言した。「この二十二年の間、我ら蝦夷軍は一度たりとて敵に敗れはしなかった。それゆえにこそ敵は我らを恐れ、和賀や志和の仲間らを受け入れたのだ。もはやこの地に戦はなくなった。明日は堂々と胸を張って己の里へ戻るがいい。死ぬ覚悟で立ち向かったからこその勝利。明日からはその覚悟で生きよ。生きて蝦夷の範となれ。民らはそなたらを抱きしめて迎えてくれよう。そなたらこそ蝦夷の守り神だ」野が兵らの喜びの声で満たされた。
《1/3》より【和議を探る坂之上田村麻呂】「十万の兵をただ阿弖流為らに見せるだけにして和議の道を探るという方策もあろう。・・・(中略)・・・。恭順の礼を取らせるだけで、あとは互いに軍を解体するばかりだ。我らも伊治城以北にはいっさい手出しせぬと約束する。それ以上のことを求めては蝦夷らも頷くまい」(p.229)「民らは大事に扱えと兵らに申し伝えよ。それが後々の恭順にも関わって参ろう」(p.249)和議を望んでいたのは、蝦夷の側も同じだった。戦の最中にあっても、遺恨を残さぬように蝦夷
朝廷によって翻弄され続けた蝦夷(えみし)たちの22年間にわたる戦の物語。(上・下)2巻で千頁を超える長編小説だけれど、僅か2日で読み終え、何度も慟哭してしまった。20年以上前に出された本書を、2024年の今になって読むことになった理由が分かったような気がする。新生日本の復活は、“弥生から縄文への回帰”と認識している人々は多いはずだけれど、別な言い方をするならそれは“天系から地系へ戻す”ことに相当するはず。本書は、地系の民である蝦夷たちの無念が認められた書籍である。阿弖流為(アテルイ)
今日も閑話休題だ。昨日は、『秦』の滅亡を取り上げたが、一部誤りがあり、修正が面倒なので記事を一時非公開にしています。間違いをご指摘いただいた阿大さんには大変感謝です。危うく大恥をかくところでした。修正後、再投稿します。さて。マイブームな古代中国史。だが、本日は日本史にもある痛快な寡兵を以てよく大軍を破るの事例紹介してみる。最近、混とんとして先の読めない未来に生き残るために、『VUCA』の時代と呼ばれていることは突撃サラリーマンの皆さんの知るところだと思う。ちょ
防空重巡【阿弖流為】
ひとーっつっふたっつぅーみっつ‥めーったあ?(見えるぅ?)wふきのとうの精梅っこの木二つ有ったっけ?紅梅四谷さんでレジ横に有った草もおぢ買ってきてたのよっ梅代姫さん「ハイよ」一緒に食うべす‥お母やん、そんなに食って良いのが?半分よこせ神社出てそしたらふわっって鳥っこ鷺がついてったら殿さまんとこの天然記念の花梨が咲いていた🌸なんか鳥🦅っこが羽根広げているみてぇだ入り口の松んとこで挨拶して龍徳寺を通って帰宅の金曜日。********
3月Skystageで視聴した作品阿弖流為-ATERUI-'17年星組視聴礼真琴さん、有沙瞳さん、瀬央ゆりあさん出演。8世紀、大和朝廷は支配領域を東北に広げるため、蝦夷征伐(征伐というよりも今なら侵略でしょうね。)に乗り出す。同じ蝦夷の民を守るという大義を持ちあえて朝廷側に与した,壱城あずささん演じる鮮麻呂、妻を目の前で理不尽な理由で殺害されても何もできずに時期を待った。蜂起した後も阿弖流為たちが力を蓄える時間稼ぎのために、一人で責めを負った。見世物のような牢で石を投げられながら、蝦夷の子
今期7回目の東劇▲今回は、銀座松竹スクェアも入れて撮りました▲4月は、刀剣乱舞ですにゃ✨▲阿弖流為を観にきました▲建物🏢入って、3階までのエスカレータに乗ります▲右側に歌舞伎座が見えるのが、好きですにゃ▲そうか、来期も月イチ歌舞伎があるのね▲あら、阿古屋?▲おぉ、桜姫東文章〜、これは観たいぞ▲10分の中入りがあって、間もなく再開です画像染五郎さん(当時)カラコン入れてる?勘九郎さん、三白眼よいわね〜これは、映画泥棒じゃないよね🤣中入り時間の映像も、劇団☆新感線の「薔薇サ
おはようございます☀️昨日は礼真琴さんことこっちゃん主演の阿弖流為を見ていましたずっと見たかった作品でようやく見れた😍現北海道の蝦夷と朝廷との戦いとても心にグッとくるものがありました😢こっちゃんの勢いは素晴らしかったですね有沙ちゃんや綾くん、ぴーすけくん、ひーろーにいつきちゃん、天飛くん、、あずささんもすごかったし泣けたしオレキザキも最高に悪いやつで←←そして大好きな瀬央さんが坂上田村麻呂瀬央さんイケメンすぎてやばかった😍やっぱり和物すっごく似合う💓平安時代系出てくれ
雑誌「歴史人」の3月号を読了。テーマは、「奥州藤原氏」を中心にした東北地方の歴史でした。歴史人2024年3月号Amazon(アマゾン)${EVENT_LABEL_01_TEXT}さて、この中で、個人的に興味があったのは、古代、朝廷と蝦夷との戦い。いわゆる「38年戦争」のこと。日本の朝廷は、8世紀頃から、「蝦夷」と呼ばれる人たちが住んでいた東北地方に侵出を始めます。天平宝字3年(759)には、陸奥国北上川下流に「桃生城」を出羽国には「雄勝城」を築いたということ。し
伊藤浩士先生の小日本秘史・時々掲載予定第47回蝦夷との戦い桓武天皇の業績として平安遷都と並んであげられるのが蝦夷の征討です。蝦夷はアイヌ人とも言われていましたが、それではなく、帰化人の政権とも言うべき朝廷に従わない、半島系の人たちと混血していない、縄文以来の原住民で、朝廷が設置した陸奥国府に年貢を納めない人たちと考えると考えるべきでしょう。蝦夷征討となると軍事行動ですから、膨大な経費がかかります。征討したあとで現地からあがる年貢と征討費用を考えると、奥州で金の大量採取が
前回の東山からみえる展望の先に「角塚古墳」があり、最北の前方後円墳といわれる。2017年3月11日、震災がおきた6年目に水沢の阿弖流為の地へいった。この日も地震が起きた同じ時刻にパラパラと雪が降り、帰りの電車も3時11分発だった。(今は時刻が変わっています)悶々とした気持ちで衣川を越えて仙台へ帰ったことを思いだす。『【えみし】アテルイの郷は宇宙だった』2017年3月11日、震災の日、水沢に行ったこと。一関から磐井川この日は、角塚古墳をみた後に、水沢駅近くに美味しいコーヒーが
2年前の春先に、2度目の胎内山神社へ参拝した時のこと。まだ雪が多く朝9時頃と早い時間に到着した。すると足跡が残されており、すでに先に参拝していた人がいたようだ。が、その後、ちょっと嫌な光景をみてしまった。その嫌な痕跡というのは、あまり良いものではなかった。詳細は言えないが「見せられた」気もする。アラハバキとしてパワースポット的な扱いがされているけれど、地元の人には、精神的、心理的に還元されていないように見えた。聖地と言われる場所、話題となる場所は、どこもそうなんだ
今月半ば。博多の興奮冷めやらぬまま、帰省した自分はそそくさと映画館へ。そう。お目当ては、シネマ歌舞伎『アテルイ阿弖流為』!!Blu-rayで観ていても、スクリーンで観られる時は何度でも観たい!シネマ歌舞伎を映画館で観るのは、去年の10月『野田版桜の森の満開の下』以来かな。あの作品も衝撃的。(⏫『桜の森…』や、新感染作品についてもそのうち叫びたい)◽️◽️◽️◽️◽️◽️◽️◽️◽️◽️◽️シネマ歌舞伎『阿弖流為〈アテルイ〉』予告編2024年2月9日(金)~2月15日
セッションメニュー•講座•セミナ聞いたことありますか❓蝦夷(えみし)の長、阿弖流為(アテルイ)蝦夷えみしとは、東北の地を指し朝廷が納めている都とかつては別の国だったとか。各部族ごとに分かれていたのを戦いが始まったときひとつにまとめたリーダーが阿弖流為アテルイ阿弖流為(アテルイ)今から約1200年前、現在の岩手県奥州市水沢地域付近で生活していた蝦夷(東北)の一人。当時、胆沢地方と蝦夷を統治したい朝廷軍との戦いがあり、その中で
久しぶりに観た『阿弖流為』今日は元同僚マダムと一緒に観ましたやっぱりいい〜それに3回目でも泣ける・・・これを舞台で観たかったなぁマダムとお茶しながらわちゃわちゃお喋りも楽しかったぁお仕事の話も盛り上がってスッキリしました
シネマ歌舞伎は映画館で歌舞伎の作品が観られるので好き今やってるのはこの作品は好きな演目なので観るのも3回目何度観てもいいよね
両親の用事をアレコレ済ませ、急遽、自由時間を確保。叶うなら観たかった松竹座は愛之助の『義賢最期』…。雰囲気だけでもと、ふらふら道頓堀へ。いやいや、活気があってええですね。久しぶりのなにわンパワーをチャージ。そしたら、早速、嬉しい出来事が!!大阪万博の沿道バナーフラッグ!幸四郎のメッセージ!!発見!!わぉ!は○重の橫で!なにわンパワーすごっ!今回の帰省は嬉しいことが重なった。コロナ禍で全然会えなかった友人と久しぶりに会えたし!なんとか『阿弖流為』も観に行けたし!よー
殺陣がすごい!映像ならではの効果音も相まって、より素晴らしい!舞台を観た時の記憶をたどりつつ、映像ならではの迫力を楽しみました。民族のこと等、少し難しいこともあるけれど、エゴをを捨てみんな仲良くしたいものです。萬次郎さん、いい!
https://www.shochiku.co.jp/cinemakabuki/tsukiichi/2023年度のシネマ歌舞伎の「ツキイチ歌舞伎」、全部見たはず。昭島で見ることが多いのだが、朝イチの上映が殆どな為、前日が遅番だとボロボロの状態で見る羽目になり、起きていられないことも多々あった。今年度は、玉三郎と平成中村座関係(中村勘三郎、勘九郎、七之助)の演目が多かった。玉三郎は、流石に知っている。子供の頃から母が、「玉様、玉様」言ってた気がするし、10代の頃に御園座で藤娘を舞うのを見
こんばんは。先日、歌舞伎座出演中の勘太郎くんが体調不良で休演。今日から復帰とのこと。と、こんどは新橋演舞場で出演中の團子さんが体調不良にて休演とのこと。まぁ、以前の職場でも去年末あたりからコロナやノロがポツポツ発生してたし、世間的にはインフルエンザも流行ってるらしいので、しょうがないですね。でも、周りの出演者に広まってないということは、ある程度感染力が以前より弱くなってるのかしらね。どちらにしても、無事に回復されるよう祈ってます。代役の方もご無理なさらずに・・・。
一昨日最初で最後の「RRR」観劇感想私は映画を見ていませんが筋もわかりやすくて楽しめましたこれは今回だけでないですが背景などに映像を多様することによってよりリアル感が出てきているように思いますありちゃん。長身なので赤い軍服もよくお似合い♥対して琴ちゃんは毎回コスプレ的なお衣装が多いですね阿弖流為しかり王家しかり所謂男役のスーツ・軍服などが少ないのが残念かとひっとんもあの役に似合っていましたが一方登場人物に制限がある中詩ちづるちゃんや小桜ほのかちゃん出番が
このアホなオラがリブログすっとイネハポさんのお話が軽くなってしまうんではないか?と思ったのだけどどうしてもここの地に居てここの地で生かして頂いて自分にとってとても大切な気がしたのでイネハポさんに言ってリブログ。ムムのメモだよ。夢の湯のアテルイさんんーこの顔じゃねーなぁ笑達谷堂高田に行く道中室根山の麓で見た姫さま(ムムが浮き出し絵)きっと母禮さま阿弖流為さまと母禮さまが上がったのんはこの地の民を守るため英雄となり神さんとなって代々にhttps://am
2月。やっと来た、阿弖流為!去年から本当に楽しみにしていた、月イチ歌舞伎での上映が、今週末にあるよ〜。実は、DVDも持ってるんだけど、映画館でも観たい。しかも、この2月は、歌舞伎座で連獅子もあるのよ。中村勘九郎さんの2人のお子さんが出演する。私、中村勘三郎さんの時のも、観たいと思っていたのに機会がなくて観られなかったから、今回のキャスティングでの連獅子は本当に待ちに待ったというか本当に楽しみにしていた。今回は午前の部どうしようと思ったけど、悩んで悩んで午後だけにした。連獅子に重きを
光る君へ五節の舞美しかった。。。。。。ほんとに美しかった(*^^*)予告編で、真上からの図が出ていた時、左右の四角いカラフルなものはなにかわからなかったが、本編を見てわかった。(^^;幾何学模様のように見えたあれは、公達のみなさまだった。それぞれが、官位の定める色の束帯を身に着けて整然と並んでいたものだった。ロケは、えさし藤原の郷らしいが、あのオープンセットもいろいろなドラマでよく使われてて、よかったなあ。もともとは大河ドラマ
アテルイ日本の奈良時代末期から平安時代初期の古代東北の人物。『続日本紀』では公性を付せず阿弖流為(あてるい)と記される。8世紀末から9世紀初頭に陸奥国胆沢(現在の岩手県奥州市)で活動した蝦夷(えみし)の族長とされる。史実にはじめて名前がみえるのは、古代日本の律令国家(朝廷)による延暦八年の征夷のうち巣伏の戦いにおいて、紀古佐美率いる官軍(朝廷軍)の記録中である。その後延暦二十年の征夷が終結した翌年胆沢城造営中の坂上田村麻呂の下に盤具母禮とともに降伏し、田村麻呂へ並び従い平安京へ向かい、公卿会