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新・ドラゴン藤波大年表2025111980年ジュニア2冠王に!「WWWFジュニアヘビー級」に加え「NWAジュニア」も奪取。「対抗戦」で実力差を見せつけ、ダークドラゴン伝説も。1980.2.4江南藤波、ジュニアヘビー級のチャンピオンになって3年目を迎えた。ジュニアに敵なし。「飛龍原爆固め」が封印される。だが、対抗戦でも圧倒的な実力差を見せつけた。80年代最初のこの年、さらなる飛躍の年となった。●昭和55年(1980)26歳1月4日
動物園でずっと見ちゃう動物は?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよううーん、最近は動物園は行ってない…😅「象の日」1729年(亨保14年)ベトナムからの献上品として清の商人が象を連れて来て、京都で中御門天皇に披露されました…🐘象は先ず長崎に到着し、江戸まで徒歩移動して5/27に8代将軍徳川吉宗、そして払下げ後は見世物となったそうです…🐘「缶ジュース発売記念日」1954年(昭和29年)明治製菓株式会社から日本初の缶ジュース「明治天然オレンジジュース」が発売され
今日はダイナマイト・キッドの誕生日にして命日…。自分がキッドを初めて観たのは阿修羅原さんとのWWU世界ジュニアヘビー級のタイトルマッチ💥いい試合だったなあ👏ロビンソンに続く外国人エースに…なんて話もあって国際プロレスファンとしては大いに期待したのにすぐに新日に行ってしまった😭キッドが国際の日本人サイドについてくれたら…。東京12チャンネルがお金を出して売り出してくれたら…。うん。マイティ井上さんの気持ちが判ったぞ😂やっぱり新日は酷い😜で、初代タイガーマスクとの激突
元プロレスラーのマイティ井上さんが心室細動で75歳で亡くなられました。国際プロレス時代は、IWA世界ヘビー級、同世界タッグ。全日本プロレス時代は、世界ジュニア、アジアタッグと数々のベルトを奪取し、アンドレ・ザ・ジャイアント、スーパースター・ビリー・グラハム、ミル・マスカラス、チャボ・ゲレロといった強豪外国人レスラーとも戦い、アニマル浜口や阿修羅・原、石川敬士、グラン浜田などと組んだタッグはチームワーク抜群でした。そして、なんと「エマの面影」というレコードも出していました!生前のジャイアント馬
お疲れ様です。「人は歩みを止めた時に、そして挑戦を諦めた時に、年老いて行くのだと思います」――アントニオ猪木なぜリングを去ったのか。数々の伝説を残し、そして現役人生に幕を下ろした23人のレスラー。引退を決意するまでの彼らの思いはいかなるものだったのか。その舞台裏の真実を熱く描く、渾身のプロレス・ノンフィクション。阿修羅原「大切な人に大切な思いが伝わる。それが生きていて、一番うれしい」阿修羅・原(あしゅら・はら、本名:原進/はらすすむ、1947年1月8日-201
1月8日月曜日〜その8P371に、阿修羅・原選手と長州力選手の新日本プロレスでの対戦について触れている。(写真)コレクションから、長州力選手のスナップ。
1月8日月曜日〜その79時半から12時15分まで二度寝。『国際プロレス外伝』を読む。P359の「追悼−阿修羅・原」では、ハーリー・レイス選手が登場する。(写真)菊水丸コレクションより、ハーリー・レイス選手のスナップ。
1月8日月曜日〜その4『国際プロレス外伝』を読む。「追悼−阿修羅・原」の項で、P354にはラグビー界のプリンスだった原進のプロレス入りについての詳細が書かれている。(写真)菊水丸コレクションより、阿修羅・原選手のスナップ。
1988年(昭和63年)11月19日。全日本プロレス、阿修羅原を解雇…。もう35年も前の出来事なのか…。理由を聞けば頭では納得出来たんだが…。胸のモヤモヤはなかなか消えなかったな…。もし龍原砲がそのままなら天龍はSWSに行ったんだろうか…。逆に川田はブレイク出来たんだろうか…。
新日本のレスリングどんたくをCSで視聴。新日本は人材豊富だと切に思いました。ヘビーのトップ戦線に食い込めそうな若手が育ってきてますね。海外修行中だった辻陽太がメインの試合後に乱入。SANADAにスピアーを浴びせる大デモンストレーション。【新日本】凱旋帰国即IWGP世界王座挑戦表明の辻陽太はLIJに加入か「俺が面白くしてやるよ」|東スポWEB新日本プロレス3日の福岡国際センター大会で、辻陽太(29)が凱旋帰国しIWGP世界ヘビー級王者...www.tokyo
誕生日グレート小鹿(1942/81歳)シバ・アフィ(1949/74歳)モンゴルマン(1970/53歳)タンク永井(1984/39歳)忌日ブラソ・デ・オロ(2017/57歳)阿修羅・原(2015/68歳)クリス・キャンディード(2005/33歳)ルー・テーズ(2002/86歳)出来事2019下野佐和子が引退<大阪・平野区民ホール(WAVE)>大日本<やまぐちリフレッシュパーク・サブアリーナ>[公式]注目岡林裕二
プロレスのタイトルはそのはじまりが微妙だったとしても、そのタイトルを巡っての戦いが盛り上がれば価値も上がり歴史を築いていきます。力道山が日本に定着させたインターナショナル選手権がまずそう。ルー・テーズが功績を称えられ「インターナショナル王者」に認定された。そのテーズに力道山がアメリカで勝ったので「インターナショナル新王者」になった。これが定説となっていますが玉虫色なんですよね。どうやら初代王者のテーズは自己認定であるようですし、二代目王者・力道山がロサンゼルスでテ
【訃報】鶴見五郎さんが死去https://t.co/He44NCqXYy#週プロモバイルpic.twitter.com/C3Asbq20Hz—週刊プロレス(@shupromobile)August26,2022鶴見五郎が亡くなったと週刊プロレスモバイルが報じています。いい写真!小柄な小悪党的のイメージありますが、結構体厚みがあってごっついんすよね。ラッシャーより肩幅あるし。役割をきちんと把握して全うする。「仕事のできる」偉大なレスラーそ
段ボールの奥から、懐かしいプロレスラーのサインが出てきました。昔は、レスリング部の盟友たちと、よくプロレスを見に行ったものです。ロープを振り回すスタン・ハンセンに追い立てられたり、チェーンを振り回すブルーザー・ブロディに追い立てられたり、そんな逃げ惑う群衆の一人として、テレビに映ったこともあります。色々見に行った中で、私が何故か印象に残っているのは、長州力の試合に乱入してきた阿修羅原が、マイクを持って、「な〜にが維新軍だ、コノヤロー!」と、言いながらブーツ攻撃で、長州
1994年2月5日、札幌中島体育センターで行われた平成維震軍対WARの7対7対抗戦。14人の選手がリングに上がり、睨み合い。最初の小林邦昭と冬木弘道以外はリングを下りてセコンドにつく。試合は完全に小林の完勝ムードかと思ったが、冬木が粘り、最後は冬木がジャーマンスープレックスホールドで逆転勝利した。齋藤彰俊と北原光騎は激しいキック合戦。顔面にも容赦なくキックを見舞う。最後は北原がキャプチュードで叩きつけ、見事にフォール勝ちしてWARが2連勝だ。木村健吾と
1994年3月2日、WARの両国国技館大会、大仁田厚・ターザン後藤vs天龍源一郎・阿修羅原。この年のプロレス大賞の年間最高試合賞に選ばれた試合です。この試合を報じるテレビ東京のスポーツTODAYのプロレス格闘技コーナー。熱心にプロレス格闘技を報じてくれたスポーツTODAY。この日も会場にキャスターが取材に行ってますし、両サイドにちゃんとコメント取りいってます。テレ東の誠実さ称賛すべきことです。この試合とにかく素晴らしかった。4選手とも元全日本プロレス
1993年2月16日、両国国技館のメインは新日本対WARの5対5マッチ時間無制限3本勝負。藤波辰爾、長州力、木戸修、馳浩、飯塚孝之VS天龍源一郎、阿修羅原、石川敬士、冬木弘道、北原光騎。何と橋本真也が乱入してリングイン。これはいけない。橋本が天龍を指差し何か言っている。セコンドの山本広吉、石沢常光、中西学がなだめて橋本を退場させた。波乱含み。荒れる予感しかしない10人タッグマッチ。1本目、いきなり長州と天龍から始まり大歓声がわく。しかし新日本のタッチワークが早
1993年2月5日、札幌中島体育センターのメインは新日本対WARの6人タッグマッチ60分1本勝負。武藤敬司、橋本真也、野上彰VS天龍源一郎、阿修羅原、石川敬士。橋本が天龍を指差し「来い!」と名指し。天龍が応じる。橋本が天龍にミドルキック、ミドルキック、ミドルキック、フライングニールキック!いきなり飛ばす橋本が天龍の後頭部にハイキック!天龍ダウン。石川にタッチすると橋本が天龍に「来い!」と怒る。石川が野上にブレーンバスターからスリーパーホールド。野上が
昭和57年10月、不屈のタフガイ阿修羅原さん(当時、全日本プロレス所属)がモデルを務める『ウエイト・アッププロテイン』の新聞広告。「体重がふえ、たくましい筋肉をつくる!!」「毎日スプーン3杯でたくましくなれます!」など勇ましいコピーのあとに、「一カ月で着々増量に成功!」した千葉県の男性や、「彼女の一言に発奮して……」な静岡県の男性の体験談が並ぶ。この手の広告の王道パターンだ。それはさておき。よくよく広告を熟読するとろ、右手にプロテインを持ち、笑顔を見せている阿修羅原さん自身の
誕生日グレート小鹿(1942/80歳)シバ・アフィ(1953/69歳)モンゴルマン(1970/52歳)タンク永井(1984/38歳)忌日ブラソ・デ・オロ(2017/57歳)阿修羅・原(2015/68歳)クリス・キャンディード(2005/33歳)ルー・テーズ(2002/86歳)出来事2019下野佐和子が引退<大阪・平野区民ホール(WAVE)>新日本<山口・KDDI維新ホール>注目オカダ・カズチカ、YOHvs内
富山のコンビニで見た瞬間天龍源一郎の名言俺は呑まねえ奴を信用しねえなぁ阿修羅あのガラガラな声が脳の中で響き渡った思わず購入明けゆく空を眺めながら飲むWONDAMorningShotニゲェ……(・ั﹏・ั)俺コーヒー苦手〜この程度の缶コーヒーでラリアット喰らったぐらい眠気がすっ飛ぶ簡単でいいね
皆さん今晩は。今回は普段の内容とは趣向を変えて、画像や動画に頼らず文章だけでブログを書いてみます。そして今回はネタじゃなく、真面目にBABYMETALについて語ろうかなんて、思っちゃったりなんかしちゃったりしてまふ。ところでもうすぐ4月1日になりますね。4月1日といえばAprilWine…もといエイプリルフール、それからFOXDAYです。今年のFOXDAYにはどんな御告げがあるのか、メイトの皆様もワクワクしているのではないかと思います。♪ワクワクさせてよ~フゥーウゥーウゥーフゥ
34年前の全日本プロレスの雰囲気はこんな感じだった。最終戦の予告だけど、これ見てるだけでワクワクしてくる。アブドーラ・ザ・ブッチャーの地獄突きが懐かしい。
1988年の世界最強タッグ、強く印象に残っています。開幕戦で発表された阿修羅・原の解雇、衝撃でした。解雇理由が「私生活の問題」ってのが生々しかったなぁ。阿修羅の代わりにまだ若手だった川田が天龍のパートナーに抜擢。天龍・川田組は序盤こそ苦戦したものの最終戦まで優勝の可能性を残す奮闘。最後の最後一人でハンセン、ゴディの攻撃を受けまくって散った天龍にグッときました。そんな最強タッグが終わってしばらくして発表されたのが、輪島大士と石川敬士の引退!阿修羅の解
テーマ曲から考える国際プロレス論昭和プロレステーマ曲研究家・コブラ✕プロレス考察家・ジャスト日本のテーマ曲対談第2弾「第3回阿修羅と闘将」時代が早過ぎた国際プロレス忘れじの国際プロレス―国際プロレス解散から33年。語り継がれる魂の物語(B・BMOOK1018)Amazon(アマゾン)4,801〜26,872円2014年にベースボール・マガジン社から発売されたムック本「忘れじの国際プロレス」の中で、プロレスラ
『ハズブロWWFプロレスフィギュアを改造して、新日本プロレスの懐かしのレスラーを作ってみよう』のコーナーです私は、昭和からの新日本プロレスファンですので改造して作るプロレスフィギュアも基本的には新日本プロレスのリングで闘ったレスラーです以前天龍源一郎選手を作った時も、全日本プロレスでもSWSでもWAR所属のプロレスラーでもなく東京ドーム大会でアントニオ猪木選手と闘ったプロレスラーの天龍源一郎選手として作成しました結果、再現出来る天龍源一郎選手のタッグ・チームは新日本プロレスの常連外人レス
1988年4月22日、川崎市体育館で行われたPWFタッグ選手権試合60分1本勝負。先に王者チームの天龍源一郎と阿修羅原が「サンダー・ストーム」のメロディに乗って颯爽と入場。天龍同盟の川田利明とサムソン冬木の姿も見える。キングコング・ブルーザー・ブロディが入場する前に花束贈呈のセレモニーを済ませると、いよいよ「移民の歌」が流れ大歓声が上がる。挑戦者チームのブロディがチェーンを振り回して登場。パートナーは元NWA世界ヘビー級チャンピオンのトミー・リッチだ。最初は天龍とブロ
1992年10月23日日本武道館観衆16,200人(満員札止め)格闘技世界一決定戦3分5R○髙田延彦<プロレスリング>(3R0分46秒ハイキック・KO)×北尾光司<第60代横綱・双羽黒>’92年10.23日本武道館Uインター格闘技世界一決定戦。この興行は闘魂三銃士、四天王プロレス、UWF系3派分裂の他にインディーズ団体の旗揚げと百花繚乱のプロレスブームの中で行われた興行であるが、この時代というか、今現在に至る迄に私が見たプロレス興行の中で最も客席が沸いた最高の興
◆1980年4月3日東京・蔵前国技館▼WWWFジュニアヘビー級選手権・61分1本勝負○藤波辰爾・チャンピオン(12分56秒・逆片腕固め)×阿修羅原今回は清野茂樹セレクト国際プロレス第3戦、藤波辰爾vs.阿修羅原となるが、まずこの試合が前2戦(ストロング小林、剛竜馬)と違うのは、前の2人が傾き掛けた国際プロレスに見切りを付け、国際を辞めてからの新日本プロレスに参戦しているのに対し、阿修羅原はこの2人の穴を埋めるべくスカウトされ、国際プロレスの次代を担うスーパールーキーとして