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新宮高角砲台の遺構は、光市室積村の冠山総合公園内の丘陵地(通称“砲台山”)にて保存・整備されている。この地には2020年以降複数回訪れているが、昨年12月に久しぶりに訪れたところ、遺構が掘り起こされて見学コースや説明看板が新設されていた。さらに今年6月の再訪では整備が進んでいたので、あらためてブログ記事を書き直すことにする。**********************************「新宮」は光海軍工廠を守る防空高角砲台として、大東亜戦争末期の昭和20年(1945)5月ごろに完
◆目次(海軍)◆~クリックで各ページが別ウインドウで表示されます徳山海軍警備隊(昭和期)[概略]防空砲台:[水谷山*][大津島*][東山*][新宮*][笠戸*][杉ヶ峠*][北山*][仙島][太華山][虹ヶ浜][光][永源山]機銃砲台:[大浦]照聴所:[戸田*][向道*]][深浦*][室積*][野島*][八代*]呉海軍警備隊(昭和期)[概略]防空砲台:[前島*][白木山*][大向][大平山][灰ヶ峰][大須山][亀ヶ首][螺山][吉松山][三津峰山][高畑山][畑高地][砲
◆目次(陸軍)◆~クリックで各ページが別ウインドウで表示されます下関要塞(明治/大正期)[概略]砲台:[田ノ首*][筋山*][老ノ山*][田向山*][笹尾山*][古城山*][門司*]火ノ山砲台*:[概略][第一(発掘)][第一][第二][第三][第四][補助施設][低観測所]堡塁:[戦場ヶ野][一里山][金比羅山][龍司山*][富野*][矢筈山*][高蔵山*]演習砲台:[演習砲台概略][珠数山]電燈:[田向山*]その他:[要塞司令部門柱と周辺施設][重砲兵聯隊][高蔵山軍道
先日、北山防空砲台の発電所跡を確認して来ましたのでレポートします。砲台の詳細と遺構は以下の記事にて。(2022年1月再訪)================================◎徳山海軍警備隊探訪51~北山防空砲台-再訪-(前編)◎徳山海軍警備隊探訪52~北山防空砲台-再訪-(後編)================================北山防空砲台は、周南市街地北方の標高180m付近の山に構築された防空砲台です。過去に2度訪問しましたが発電所の場所は未確認
郷崎派遣隊は防備衛所、水上電探、水雷射堡隊の3部隊で構成され、対馬海峡西水道防御のため浅茅湾口南部の郷崎に部隊を展開しました。対馬警備隊の概略はこちら。『対馬海軍警備隊探訪~警備隊概略』昭和6年(1931年)の満州事変以降、中国だけではなくソ連とも緊張状態が高まってきました。軍隊であれ物資であれ、本土と大陸の往来は対馬海峡(朝鮮海峡)を渡らな…ameblo.jp郷崎派遣隊の3部隊のうち防備衛所は大東亜戦争開戦時より鎮海防備隊の一員として対潜哨戒の任務を遂行してきましたが、戦争
[徳山海軍警備隊]野島(のしま)照聴所(聴測照射所/特設見張所)③聴音機着工:昭和17年春頃?備砲:13ミリ単装機銃×1門設備:96式150cm1型陸用探照灯及管制器2型×1、仮称ヱ式空中聴音装置×1、12cm高角双眼望遠鏡×1など瀬戸内海の野島にある照聴所(聴測照射所/特設見張所)出典:工藤洋三『徳山要港防備図でたどる周南の戦争遺跡』P.1より抜粋出典:工藤洋三『徳山要港防備図でたどる周南の戦争遺跡』P.16指揮所に程近い、小高い丘に聴音機掩体がある。昭和1
[徳山海軍警備隊]野島(のしま)照聴所(聴測照射所/特設見張所)②指揮所着工:昭和17年春頃?備砲:13ミリ単装機銃×1門設備:96式150cm1型陸用探照灯及管制器2型×1、仮称ヱ式空中聴音装置×1、12cm高角双眼望遠鏡×1など瀬戸内海の野島にある照聴所(聴測照射所/特設見張所)出典:工藤洋三『徳山要港防備図でたどる周南の戦争遺跡』P.1より抜粋出典:工藤洋三『徳山要港防備図でたどる周南の戦争遺跡』P.16野島の遺構巡りのハイライト!は指揮所。モルタルの剥がれ
[徳山海軍警備隊]野島(のしま)照聴所(聴測照射所/特設見張所)①探照灯台座など着工:昭和17年春頃?備砲:13ミリ単装機銃×1門設備:96式150cm1型陸用探照灯及管制器2型×1、仮称ヱ式空中聴音装置×1、12cm高角双眼望遠鏡×1など瀬戸内海の野島にある照聴所(聴測照射所/特設見張所)出典:工藤洋三『徳山要港防備図でたどる周南の戦争遺跡』P.1より抜粋出典:工藤洋三『徳山要港防備図でたどる周南の戦争遺跡』P.16三田尻港から野島行きのフェリーに乗る。所要時間
[徳山海軍警備隊]杉ヶ峠防空砲台②万福寺照聴所(第一照聴所)着工:昭和17年秋頃(昭和18年秋に工事中止?)備砲:89式12.7センチ連装高角砲×3基(未設置)設備(いづれも未設置):万福寺の照聴所、鷹ノ泊山の照聴所95式射撃盤×1、94式4.5m測距儀×2、96式150cm1型陸用探照灯及管制器2型×2、仮称ヱ式空中聴音装置×2、12cm高角双眼望遠鏡×5終戦後の引渡目録:兵器類のものは無し←未設置と思われる!出典:アジア歴史センター(C08030471400)昭和17
[徳山海軍警備隊]杉ヶ峠(すぎがたお)防空砲台①砲台・指揮所着工:昭和17年秋頃(昭和18年秋に工事中止?)備砲:89式12.7センチ連装高角砲×3基(未設置)設備(いづれも未設置):万福寺の照聴所、鷹ノ泊山の照聴所95式射撃盤×1、94式4.5m測距儀×2、96式150cm1型陸用探照灯及管制器2型×2、仮称ヱ式空中聴音装置×2、12cm高角双眼望遠鏡×5終戦後の引渡目録:兵器類のものは無し←未設置と思われる!出典:アジア歴史センター(C08030471400)昭和17
新宮高角砲台は2年前に再訪して記事を書き直しましたが、先日ふらっと立ち寄ったところ指揮所の掩体群がきれいに整備されており、しかも機器の設置台座が2つ露出していました。と言うわけで、作業された公園整備の方々に感謝しつつ掩体群のレポートを書いていきます(・∀・)2024年12月に再訪したところ、さらに遺構が発掘されて見学コースが整備されていました。下記にレポートしましたので合わせてご覧下さい。『徳山海軍警備隊探訪68~新宮高角砲台(整備後再訪)』新宮高角砲台の遺構は、光市室積村の冠山総
杉ヶ峠(すぎがたお、すぎがたわ)防空砲台は2年前に再訪記を書きましたが、先日、砲座周辺の未確認部分を再調査しましたのでレポートします。******************************本砲台は周南市街地北部の須々万地区~下松市西谷地区に設けられた防空砲台で、砲台の両翼に聴測照射所を置くスタイルで構築されました。砲台の工事は戦時中に開始されましたが、「呉海軍警備隊戦時日誌」では昭和18年(1943)11月の「杉ヶ峠工事中」の記述を最後に一切登場しなくなりました。おそらく計
前島防空砲台の再訪記は10日ほど前に投稿しましたが、先日あらためて訪問したところ、空中聴音機は固定式ではなく移動式だったことを確認しました。そこで本稿では、「その3」での空中聴音機の記述を修正して書いていきます。***********************************その1からその3の記事は以下リンクからご覧下さい。◎その1:棲息施設と指揮所◎その2:砲座◎その3:探照灯と聴音機***********************************修正した見
その3では砲座西側の遺構を見に行きます。(※誘導路発見につき23.4.24差し替え)*************************************第3砲座から西に進むと、藪の中で見難いですが円形窪地の中に探照灯の据付台座が残っています。前島防空砲台には百五十糎探照灯が1基配備されていました。台座の大きさ、ボルトの数やボルト間の距離は他地域の探照灯台座とほぼ合致します。ヒキで見ると円形窪地の中に置かれているのが分かります...分からんって?笑探照灯台座の南側に
その2では砲座を見ていきます。(※誘導路発見につき23.4.24差し替え)コンクリート製の胸壁を持つ円形砲座が3つあります。配備された十二糎七高角砲は2基でしたので1つの砲座は予備と思われますが、どの砲座が予備に該当するかは分かりません。なお「3つの砲座に配備が2基」は、呉海軍警備隊の十二糎七高角砲台ではよく見られる配備スタイルです。3つの砲座はほぼ同型です。砲座内には両側に階段を配した地下室が設置されており、おそらく砲員待機所だと思われます。弾薬庫や機械室として使われた可能性もあります
呉海軍警備隊は、呉軍港および徳山要港周辺に高角砲台や聴測照射所を配置して防空網を敷いていましたが、北の日本海や南の太平洋側にも空中・海上警戒を行う見張所を置いていました。昭和20年(1945)8月の終戦時の配置図です。配置図を見ると、電波で敵機接近を探知する電波探信儀(レーダー)を配備した探信所が多いですが、すべて大東亜戦争開戦後に増設されたもので、開戦時点では空中・海上を警戒する見張所だけでした。なお島後や富高は最初から探信所として設けられましたが、日御碕、足摺岬、都井岬は元々見
後編では、指揮所から南東に登って探照灯関連を見た後で兵舎地に下って行きます。指揮所の左側からこれを上がって進みます。最初だけ塹壕のようになっていますが、その後は痩せ尾根となります。5分もかからず平坦地に上がりました。平坦地は藪が薄いので比較的歩きやすいですが、その一角に土塁で囲われた円形窪地があります。窪地の形状やサイズ、さらに後述する直流発電機室の遺構が近くに残っていたことから、この窪地を探照灯を配置した掩体だと推測しました。ただ、据付台座は確認することができませ
由利島(ゆりじま)は愛媛県松山沖に浮かぶ無人島ですが、大東亜戦争時この島には海軍の聴測照射所が置かれていました。昭和19年(1944年)6月の配備要図で場所を確認。矢印の所にあります。======================呉海軍警備隊の概略はこちら→→→======================呉軍港の空を守る呉海軍警備隊は昭和16年(1941年)11月20日に開隊され、敵機を射撃する防空砲台と、敵機を発見・追尾する聴測照射所を広範囲に配置して警戒に当たることになりま
後編は指揮所、聴音機、発電所を見ていきます。前編の最後でも書きましたが、探照灯の掩体から下って行くと指揮所が現れます。まずは外観から。2つの出入口がある指揮所の正面を左斜めより見ています。建物はレンガ積みモルタル塗りですが、モルタルが剥がれてレンガが露出している箇所も見られます。今度は右斜めより。指揮所後方より。戦時着工の指揮所の特徴となるタワー部屋が見られます。タワー部屋の横に便所があります。手前が大、奥が小便槽です。では指揮所正面に戻って。入口の前
東京湾要塞の探訪記を書き終えましたので、今日から呉海軍警備隊を取り上げていきます。まずは昨秋探索した大水無瀬島の聴測照射所をレポートします。***********************************大水無瀬島(おおみなせじま)は山口県大島郡周防大島町の屋代島南東沖に浮かぶ無人島ですが、大東亜戦争時この島には海軍の聴測照射所が置かれました。昭和19年(1944年)6月の配備要図で場所を確認。矢印の所にあります。======================呉海軍警備隊の
こんにちは😊今年のクリスマスは家族と過ごすクリスマスでした☺️🎄イブの日は待ちに待った登山の日⛰✨東京にいる時から父に連れてってって〜!とお願いしてましたがいよいよ連れてってもらえましたよー😍山に着いたらまさかのこんな斜面から山道に入るというのでおおっとなるわたし😳急な斜面を登る父のあとを着いていきます😊もみじの葉はすっかり散っていてもみじの絨毯に浮かれる私この切り株は形が変わっていて父の命名「富士山切り株」だそうです😄中の落ち葉がなんとも🍂前
呉市警固屋の「音戸の瀬戸公園」は平清盛が夕日を招き返して1日で切り開いたという伝説の名勝地ですが、園内の一番高い場所にある高烏台には、明治期に陸軍が築城した「高烏堡塁」の遺構が残っています。この堡塁は大正期に廃止となり海軍に移管されましたが、昭和期には堡塁跡地に海軍の高角砲台が置かれ、大東亜戦争終結まで呉の防空を担いました。昭和20年(1945年)終戦時の呉軍港周辺配置図で場所を確認します。高烏(たかがらす)防空砲台の履歴は以下の通りです。(呉海軍警備隊戦時日誌、引渡目録等より)
後編では矢印の所から北に進みます。砲座の北側には円形窪地がまとまって築かれていますが、これらは射撃時の指揮/観測や平時の見張を行う掩体群で、測距儀、高射装置、望遠鏡などが置かれました。ただ、この周辺からシダが濃くなってくるので思うように遺構確認ができなくなります。写真を載せても被写体がシダになるだけなので(笑)、見て判別できる掩体だけ掲載します。1つ目。なお、この掩体の谷側は石垣で補強されています。2つ目。3つ目。指揮/観測掩体群から尾根上のシダを漕いで進む
江田島市飛渡瀬(ひとのせ)地区には海軍の燃料置場がありましたので、大東亜戦争開戦前より機銃砲台が設置されていましたが、戦争末期には、南西方向から呉軍港に侵入せんとする敵機を迎撃すべく高角砲台が構築されました。呉軍港周辺配置図で示すと、左下の「1飛渡瀬」と「2飛渡瀬」の2つとなります。飛渡瀬地区に配備された防空施設は以下の通りです。******************************************飛渡瀬機銃砲台・・・昭和16年11月~/40㎜連装機銃1基(末期には
後編では赤矢印から高角砲台の遺構を見ていきます。前編でも説明した通り、北側は探照灯と空中聴音機を有する聴測照射所(照聴所)、南側は高角砲台と言う配置ではないかと推測しましたが、正しいかどうかは分かりませんのであしらかず。赤矢印から進むと...水槽のある平坦地に上がります。水槽です。です平坦地には水槽以外に遺構Aがあります。コンクリート床?で約260㎝×約80㎝の大きさです。建物基礎でもなく、ボルトの痕跡はなかったので機器の台座でもなく...なんでしょうね?
烏帽子山防空砲台は呉市北部の天応地区に設けられました。昭和19年(1944年)6月の配備要図にて場所を確認します。簡単な履歴は以下の通りです。(呉海軍警備隊戦時日誌、引渡目録等より)**********************************************◆竣工:昭和12年(1937年)9月◆所属:呉海軍警備隊第五砲台群(呉警開隊時)◆高角砲:三年式八糎高角砲2門(昭和20年3月以降撤去?)◆照聴兵器:・開隊時~:シ式75㎝探照灯1基、90式二型聴音機1基
愛媛県松山市沖の忽那(くつな)諸島は数多くの島々で構成されていますが、その中で最も大きい面積を持つ中島(なかじま)には、戦時中海軍の聴測照射所(照聴所、特設見張所)が置かれていました。昭和19年(1944年)6月の配備要図で場所を確認。矢印の所にあります。中島聴測照射所(以下“照聴所”)は、大東亜戦争中の昭和17年(1942年)に着工された照聴所10個の内の一つで、昭和19年6月頃に運用開始となりました。上記配備要図で“戦前物”と“戦時物”を区分けして記載しましたが、この時点では合
瀬戸内(斎灘-いつきなだ-)にポツンと浮かぶ安居島(あいじま)には、大東亜戦争時に呉海軍警備隊の聴測照射所(照聴所、特設見張所とも呼ばれる)が置かれていました。昭和19年(1944年)の配備要図で見ると赤矢印の所にあります。呉海軍警備隊は呉軍港および徳山要港の対空防御と警備を任務として昭和16年(1941年)11月20日に開隊しましたが、安居島聴測照射所(以下“照聴所”)は開隊時から編成に名を連ねていました。ただ開隊時はまだ工事中で、日米開戦後の昭和17年(1942年)3月頃に竣工し
呉市広地区の螺山(つぶやま)防空砲台は今年3月に訪問しましたが、兵舎と関連施設を見逃してしまったので先日再訪してきました。防空砲台の詳細は既にブログで纏めていますので下記記事をご覧下さい。************************************・呉海軍警備隊探訪㊴~螺山防空砲台(前編)・呉海軍警備隊探訪㊵~螺山防空砲台(後編)・呉海軍警備隊の概略************************************螺山防空砲台の施設配置図です。こ
前回の右翼側に続き、今日は左翼側の第二聴測照射所をレポートします。配置図です。熊野防空砲台は砲座の両翼に聴測照射所を置くスタイルでしたが、右翼側の第二聴測照射所は土岐城山南方の標高350m付近に設けられました。では早速遺構の場所に向かいます。まずは配置図から。探照灯の据付台座のある標高350mピークから西側の尾根上に各施設が置かれていますが、兵舎や指揮所と思われる建物は粉々に破壊されています。現地までは登山道が敷かれていますので楽に歩いて行けます。10分ほど歩