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福田とくこごきげんよう♫1%の運をつかむ!開運師の福田です。顧問先のお宅での鑑定から天野先生セミナーまでありがとうございました土用があけますと2月に続いて11月は、今年2回目の重ね月(旅行月)各方位の象意は「10月28日のおたふく倶楽部」で少しご紹介しますが11月のハワイ(東)は、天道天徳の神様がいらして「九紫火星」がまわっています「東」は仕事運といわれますが、九紫火星がまわる吉方位ですと◎ご自分の能力が活かせる仕事で成功する◎頭脳が冴えて
[底本1闘戦経大江家:底本明治発行闘戦経現代語訳]■天の道理としての磁石(この文章でいう)「斗」とは北斗七星のことである。また「磁指子」とは磁石(方位磁石)のことである。磁石は必ず南を指し、北を背にする【補足1】。これが天の道理、すなわち自然の法則なのである。もし(南ではなく)北を指す磁石があるならば、それは(本来の性質を持った)磁石とは言えない。南を指すという性質にこそ、磁石が磁石であることの本質的な意味(生命)があるのだ。これは(人間同士の)約束事以上に動かすこと
[底本1闘戦経大江家:底本明治発行闘戦経現代語訳]■最終的な勝利:正義と道(前頁からの続き:大義名分のない軍の勝利は一時的な現象)…に過ぎない。長い目で見るならば、必ずや正義は(最後には)貫かれ、至誠(=まごころ)は(天に通じ、その願いは)届く(※1)。不幸にして時がこれ(=正義や至誠)を(受け)容れない場合にも、天はこれ(=正義や至誠を持つ者)に味方するのである。天と共にある境地、(そして恐らくは)地と共にある心境(※2)は、絶対に(誰にも)侵すことができないものであ
[底本1闘戦経大江家:底本明治発行闘戦経現代語訳]■究極の力:「道」と「徳」(前頁からの続き:より大事なものに)気づかないものは(結局)敗れる。では、より大事なものとは何かといへば、道(=踏み行うべき正しい道、真理)がそれだ。道とは(すなわち)徳(=人間が行うべき正しい道、高い品性)である。何ものも(この)道を制し、(真の)徳を破ることは不可能である。■正道と至誠の実践(古語に曰く)「事の大小に関わらず正道(=人として踏み行うべき正しい道)を踏み、至誠(=極めて誠実
[底本1闘戦経大江家:底本明治発行闘戦経現代語訳]■虎の勇と狐の智(龍が強大な力を持つ一方で)虎となるのも良いであろう。一声吼えればよく百獣を(震え上がらせ)怖れさせることができるのは、馬をも一撃で斃すほどの力があるからこそである。また、(龍や虎ほどの)力はなくても、狐の(ような)智慧を得れば、これを利用して(世渡りし)甘い汁も吸えようというものである。■威・勇・智の限界と慢心の危険すなわち、龍には威(威光)、虎には勇(勇猛)、狐には智(知恵)が、生まれつき(先天的)
[底本1闘戦経大江家:底本明治発行闘戦経現代語訳]■人の潜在的な変化の可能性真実の審判(人は)変化して龍となり(自然を操って)雲や雨をもたらすのであろうか。(あるいは)変化して虎となり百獣を恐れさせるのであろうか。(あるいは)変化して狐となり(人を惑わす)妖怪となるのであろうか。■威・勇・知それぞれの限界龍となるのは(絶大な)威光を得ることであり、虎となるのは勇猛さ(を得ること)であり、狐となるのは(狡猾な)知恵(を得ること)である。(しかし、それぞれには欠点がある
[底本1闘戦経大江家:底本明治発行闘戦経現代語訳]■日本の勝利を支える精神(前頁からの続き:御稜威のもとでの勇、すなわち)…勇敢な皇軍の力と、一億国民(※1)の協力が、国に報いようとする真の心に燃えればこそである。金と物資とに頼り、牙を磨き、爪を光らして(※武力を誇示して)迫った敵国を(我が国が)叩きつけることができたのは、(この)忠義を尽くし国を憂うの精神である。この精神は、「わが国は神国なり」という信念から出で、これを(あくまで)貫き通そうとする鉄石のような強い心に
[底本1闘戦経大江家:底本明治発行闘戦経現代語訳]■蛙と牛の寓話(イソップ寓話にあるように)蛙の子が牛の噂をして、その巨大さ(=大きさ)を親蛙に伝えた。ところが負けん気の親蛙は自分の身体を(牛のように)大きくするために、腹いっぱい(に)空気を吸い込んで、「これくらいか。」と、言った。「(いいや)まだまだ。もっと大きい。」「では、このくらいか。」(という)なんだか(滑稽な)問答があって、親蛙は意固地になって、牛に近づく大きさになろうとしたが、それはどうしても駄目だったばかりか
[底本1闘戦経大江家:底本明治発行闘戦経現代語訳]■神気の本質神気を張る人は神気を(奮い立たせ)張ることによって(困難に)勝ち、鬼(※2)は(その)神気を張ることによって、すなわち(他者に)恐れられるのである(※3)。■超越する力と絶対勝利人間が、人間以上の力を持った時、すなわち霊妙にして不可思議な力を得た時、絶対の勝利者たり得る。これは不可能なことではない。(なぜなら)正しく強い信念は、神気(※4)をも(克服し)勝ち得るものであり、天の助け(天祐神助)はこのよ
[底本1闘戦経大江家:底本明治発行闘戦経現代語訳]本文(例えば)虫(むし)は自分の本性が飛ぶことにあると知って、これに専念すればよろしい。蝉(せみ)は幼虫(ようちゅう)時代(じだい)は地下(ちか)に潜(ひそ)み居(お)るが、それはそれでその時期のあり方としてよろしい。(蝉の幼虫が)地下にいるからといって飛ぶことをあれこれ考えたり、成虫になって飛べるようになってから、もう戻れない地下に潜ることを考えたりする必要はないのである。その時々において考えるべきことへ全力を尽くすこと
[底本1闘戦経大江家:底本明治発行闘戦経現代語訳]船大工(ふなだいく)はその問いに腹(はら)を立て、腹立たしげに鑿(のみ)を投げ出して言ったというのである。「そんなこと(帆が先か舵が先かといった些末な順序)はさっさと議論するのを止めてしまえ!(肝心なのは)人がこの船で海を渡ることができるかどうかということだ!」(著者解説:)勿論(もちろん)、舵(かじ)が船の方向を決める上で先でなければならない。帆(ほ)は舵を補助する道具でしかない。しかし、この分かりきった順序を問うよう
[底本1闘戦経大江家:底本明治発行闘戦経現代語訳]放たぬ威力(前頁からの続き:矢がどこへ向けられるか分からないから、たった一本の矢が数本、あるいは数十本の威力をもつと言えるからである。(ひとたび)弦を離れてしまえば、この威力は消失する。(そうなれば、弦を離れた相手は隙だらけであり)これ(=相手)を捕えて討つのに何の配慮もいらない。故に矢の(真の)威力は、この場合、むしろ弦を離さない(=まだ射っていない)ところにあるのだ。「待って(滯?※1)放たない(滯を持して放たず)。」とい
[底本1闘戦経大江家:底本明治発行闘戦経現代語訳]矢は弦を離る矢(や)が弦(つる)を離(はな)れた(その瞬間をとらえ)、(すぐさま)行(い)って(來きたりて)それ(=相手)を討(う)つに越(こ)したことはない(若しかざるか※1)。矢(や)を(弓に)つがえている者(もの)には(うかうかと)近(ちか)づけない。近(ちか)づこうとすれば、その矢(や)がこちらへ向(む)けて飛(と)んでくるからである。だが、一度(ひとたび)、矢(や)が弦(つる)を離(はな)れれば、次(つ
[底本1闘戦経大江家:底本明治発行闘戦経現代語訳]上杉謙信の奇襲吉良仁吉と源義経の戦法「毒尾を討つ」実例と成功の条件本文(前頁からの続き)上杉謙信は、ただ一騎で疾風のように敵将・武田信玄の本陣に殺到し、信玄を窮地に追い詰めた。しかし、残念なことに家臣の原大隅が現れ、信玄の首を取るには至らなかった。上杉謙信は「流星の光の下で長蛇を逸してしまった」と嘆いたが、この行動は奇襲攻撃の絶妙な実例であった。また、幕末の侠客・吉良仁吉は荒神山で、多勢の敵に囲まれた状況から数人で斬り込み、敵の
[底本1闘戦経大江家:底本明治発行闘戦経現代語訳]単兵急なれば戦術の要諦「毒尾を討て」上杉謙信の実例本文単兵が急なれば、すなわち一人の兵、あるいは小部隊が危機的状況、急を要する場合において、単兵が危機に瀕したとき、それを挫き鎮める方法は、敵の毒尾、最も危険な急所、弱点を討つことである。単兵とは応援のない孤立した軍であり、小勢で多数の敵を制するには悠長な戦いは許されない。急襲をかけ、その後敵を撹乱し、隙を見つけて本拠を衝き、大将を捕える。それが「毒尾を討
[底本1闘戦経大江家:底本明治発行闘戦経現代語訳]1.我らの特質と伝統(前頁からの続き:我らの特質と伝統に続いた大道を行く者は、)すぐれた日本人(にほんじん)となり得(う)るのだ。そしてこの世(よ)に、すぐれた日本人(にほんじん)ほどすぐれた人間(にんげん)がいるだろうか、いや、いない(※反語的表現)ということは、歴史(れきし)がこれを証明(しょうめい)しているのである。良(よ)き国(くに)の良(よ)き国民(こくみん)として、我(われ)らは日本人(にほんじん)としての完成(か
[底本1闘戦経大江家:底本明治発行闘戦経現代語訳]1.亀は空を飛べない亀(かめ)が(鶴に)なり得(え)ない(爲なりたり得えない)のも、(伝説で)螟蛉(めいれい)の子(こ)が似我蜂(じがばち)となるのも、(どちらも)天(てん)の意志(いし)が根本(ほん)である。(それぞれの)天(てん)の意志(いし)に沿(そ)った結果(けっか)なのである。2.本文(持って生まれた)素質(そしつ)を考(かんが)えず、自然(しぜん)(の理)を無視(むし)して、いくら努力(どりょく)した
[底本1闘戦経大江家:底本明治発行闘戦経現代語訳]1.天理と宿命亀は永遠に空を飛ぶことができない。それは亀に生まれた宿命であり、努力も精進も無駄である。鶴に学んで空を飛ぶとしても、それは実現不可能な夢でしかない。亀が飛ぶことを望むのは、気の毒だが鯉の滝登り以上の無謀である。天に従うことを知らない者の望みは、亀の望みに似て、叶わぬ望みとしか判断できないことがある。2.努力が実る条件世の中には遂げられる望みと、遂げられない望みがある。天理に従った望みならば、努力によって遂げら
[底本1闘戦経大江家:底本明治発行闘戦経現代語訳]1.「兵法の本質と剛」「兵法を習うのは無用だ。理論より、まず一歩でも踏み込んでこそ敵に対峙すべきだ」と『葉隠』に記されている通り、剛(意志の強さ、決断力、精神力)が兵法の第一と心得るべきです。いくら兵法に詳しくても、意志の強さ(剛志)がなければその知識は机上の空論に過ぎません。論議は固定されていても、世の中は日々変化します。このような変化に対応し、信念を持って断固実行する剛者は、理論家よりも遥かに強いといえるのです。2.
[底本1闘戦経大江家:底本明治発行闘戦経現代語訳]1.「體(たい)」と「用(よう)」の意味「體(たい)」とは、形(かたち)づくること(=物事の形、秩序、本質)を指します。「體を得る(たいをえる)」とは、『礼記』にある「その體を得、政その施を得」の句に基づき、上下尊卑などの身分秩序が正しいこと、すなわち順序(じゅんじょ)が決まることを意味します。「用(よう)」は施(ほどこ)し行うことを意味し、「體」と「用」を共に得ることで満足すべきだとされます。2.變化する「體」への警告
[底本1闘戦経大江家:底本明治発行闘戦経現代語訳]見出し1:戦場における道徳戦場では、刃の先においては倫理は無いという厳しい現実があった。戦場で負傷した敵兵を助けるよりも、討つ方が武士らしい行いとされていたため、これも戦場の道徳であった。戦場における道徳とは、敵を敵として討つことながらも、守るべき道徳であり、刃先においては常識的な道理が通用しない特別な道理の中で、武士道が戦場における道徳として発達したと言える。見出し2:戦争道徳と平時の道徳戦争の目的と食い違いのある平時の
[底本1闘戦経大江家:底本明治発行闘戦経現代語訳]1.イントロダクション(前の記述を受けて、勇者は活発で明朗)である。だから勇者(ゆうしゃ)が進(すす)むのは、陰陽(いんよう)の自然(じねん・しぜん)(=陽の性質の発露)であると言えよう。(※前段では自然に従うだけでは道に至らないと問いかけていたが、ここでは)道(みち)に達(たっ)するのは、自然(しぜん)(=ここでは勇という陽の性質)を踏(ふ)み行(おこな)うことにあるのだ。(だから)道(みち)を(歩もう)と思うものは、むしろ進んで
[底本1闘戦経大江家:底本明治発行闘戦経現代語訳]1.イントロダクション(深淵に沈む)珠(たま)のように奥深く物静かなこと(玉珠淵默ぎょくしゅえんもく)は知(ち)(=知恵・知性)であろうか。その影(かげ)(=内に潜む弱点や限界)は内(うち)にある。故(ゆえ)に知者(ちしゃ)は(自らを)省(かえり)みるべきである。燃え盛る炎(ほのお)の光(炎火光明えんかこうみょう)は勇(ゆう)(=勇気・行動力)であろうか。その影(かげ)(=外に及ぼす影響や危険)は外(そと)にある。故(ゆえ)に勇
[底本1闘戦経大江家:底本明治発行闘戦経現代語訳]1.イントロダクション(前頁からの続き:「雑華経」などの記述は)それぞれの物(もの)が持つ特性(とくせい)と境地(きょうち)(=あり方、状態)を言ったものである。天地(てんち)(=世界、宇宙)は、こうした様々(さまざま)なものから成り立っているのだ。人間は、この偉大(いだい)さ、複雑(ふくざつ)さを認識(にんしき)しなければならない。天地(てんち)を究(きわ)めようとすればするほど、この大きさは無限大(むげんだい)に広(ひろ)がるで
底本明治発行闘戦経現代語訳現状認識と未来予測現状は現実として認めなければならないが、見えないもの(=潜在的な力や変化)の出現を予期しないのは怠慢と言わねばならない。力が弱いと思われるものが強大な力で立ち上がることはあり得るのだ。天地自然は、その力(=変革の力)を、人間の世界に、新しい人物を送り出すことによって知らせるのである。変化の可能性と新しい人物胎児(=根源的な可能性)を恐れる必要はないが、この胎児をも動かすところの天地自然の哲理(=根本原理)は、畏れるべきものである。蚕は桑
底本明治発行闘戦経現代語訳胎児の成長と覚醒母胎にいる子は、胞衣(胎盤や卵膜)によってすでに日々成長している。成長するばかりではなく、生物としての目覚めを獲得し、天地自然の理に向き合っている。目に見えないものにも力があり、それはどこまで伸びるか分からない未知数だ。胎児はやがて約束された誕生のための絶え間ない営みを、自身は知らないであろうが続けているのである。だから胎教というようなことが言われて、胎内の子に大人としての教育をしようということも頷ける。釈迦の哲理と内面の深さ釈迦は生
底本明治発行闘戦経現代語訳心は虎、外面は春風(心は虎であっても、それは内心のことである。)敵を探すような鋭い目つきはしてはならない。あからさまに戦いを挑むような態度は避けるべきだ。よく喧嘩をする男に、どうしてそんなに喧嘩をするのかと尋ねたところ、「理由は分からないが、相手から仕掛けられるので応戦するのだ」と答えた。その後、彼と一緒にいた時、見知らぬ男に喧嘩を仕掛けられたが、その時、その見知らぬ男は、「この男の顔を見ていると癪にさわって、殴らずにはいられなくなるんだ。」と、止めに入
底本明治発行闘戦経現代語訳偏重への警鐘前段で提示された三つの視点(科学・運命論・迷信)について、どれか一つに偏ったり、盲信したりすることの危険性を説いています。科学にも限界があり、運命論には誤解が含まれる可能性を認め、迷信は基本的に排除すべきとしつつも、単純な切り捨てに警鐘を鳴らしています。迷信と経験知特に注目すべきは、迷信に対する慎重な態度です。一般的に迷信とされるものの中にも、実は長年の経験から得られた深い知恵や結論(実験的な経験の結果の結論)が含まれている可能性があるため、
底本明治発行闘戦経現代語訳真の勇者とは(爪は)どこまでも隠し、いざという時に出すのが良いのだ。「羊たれ」というのも、これに他ならない。虎の実力を持ちながら、羊であること。これが真の勇者である。変事への備え変事(=変化、異変)を知るのは日常的なことであり、怪異(=不思議なこと、異常なこと)を知るのは物事の道理である。造化(=天地自然の働き、運命)と夢(=夢想、迷信)とを理解し、合わせ持つようになれ。常に変事に備えなければならない。いつどのような事態が起こっても、驚き慌てな
明朗快活であれ(前段で述べたような後ろめたい行いをやめて、明朗快活であれということである。)手を動かしたかったならば、懐の中などでこそこそ動かさずに、人々の目の前に出して動かすのがよい。言いたいことは明確に言うべきである。それが人前でできないというのは、公にできないような卑怯なことであるか、人に聞かれては恥ずかしい自分勝手な言い分であるからだ。正々堂々と動き、語れ。それが自分自身を信じている者の取るべき態度なのだ。隠蔽行動の危険懐の中で、人に見られないように手を動かすから、他人がこれを