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1986年(昭和61年)8月30日(土)コロンボ5時ちょうどにタクシーが来た。昨夜眠れなかった割には、すぐに起きる。5時過ぎにチェックアウトして、5時40分には空港に着いた。この国ではリキシャやオートリキシャばっかりだったから、アンバサダーのタクシーは高級感がある。しらじらと夜が明ける頃に搭乗手続きが始まった。あんまりすんなりいったので、出発時刻までぼんやり待った。離陸は予定時間8時ちょうど。満席だった。前後はソビエトの団体さん、何をしに行っているのだろう。ちょっと田舎者っぽい。
1986年(昭和61年)7月30日(水)デリー今日発つ予定が4日も伸びてすることがない。日記をつけて洗濯したら、10時になったのでエージェントに行った。昨日エージェントのお兄さんにバスを金曜日に代えられるかもと言われたからだ。昨夜は代えられると気を持たせたのに結局ダメだった。それなら初めからダメといえばいいのに。たぶん彼は無理だと分かっていたはずだ。ここのカフェテラスでサンドイッチとコーヒーを買って部屋に戻る。いつもポットを持って行ってコーヒー2杯を頼むと必ずそれ以上入れてくれる。
1986年(昭和61年)6月21日(土)敦煌昨夜は何をしていたのか忘れたが、寝たのが1時過ぎ。それからウトウトして熟睡したのが3時過ぎだった。だから朝8時発の莫高窟行きバスに乗れず。午後2時のバスに乗る前、両替することにした。昨日毛唐のおばさんに聞いたバザールの洋服売り場をウロウロする。誰も声かけてこないから、こっちから聞いてみた。すると100に対して115という所を130と言って120に落ち着く。思いきって200元分交換。そのうち別の人が100元変えてくれと言われ合計300元分交
1986年(昭和61年)6月19日(木)敦煌8時発莫高窟行きのバスチケットを買っていた。でも、昨夜遅くまで起きていたから起きられるはずがない。昼前に起き、昼食の買い出しに出た。みかんの瓶詰と面東(インスタントラーメン)を買い、タバコをCAAC招待所の一階にある売店で買おうとしたら、店員がいない。しばらく待っても来ないので他の店を探すが、ここはラサのように露店がないので不便だ。なんとか見つけて買ったら「皇冠」ひとつ1.98元と安かった。ラサでは運搬賃が入っているのかもっと高かった。※当
天津航空ウルムチ行き2万円の罠最終章(帰国偏)2018Stingboyムチャクチャお安い!エア・チケット!それはきっとスカイスキャナ〜二万円の旅の罠でありましょう〜!このウルムチ旅行のテンチュウサツふふふ〜疲れました〜!空港闇両替US50ドルの中国元のヤリクリに〜だってこのヘンテコリンなウルムチ国際空港まで行くエアポートバスは〜!あなた始発は朝の9:00だよね〜?だって
人民元が底をついてきていた。ウルムチには闇両替があるんだろうか?これだけの大都市だからあるだろうが、ウイグル族との両替が怖い。順をおって説明をしないといけないが、27年前は中国のお金は2種類あった。中国人が使う人民元(レンミンピー)と外国人が使う外貨兌換券(FEC)。日本人であれば日本からは日本円で持ってきているはず、正式な両替方法は銀行に行き、日本円をFECに両替してもらいそれを使う。これが正しいお金の使い方である。ルールとしては外国人が使うお金は外貨兌換券だった。とこ
一旦ナイロビを出て遠足。東アフリカ来たらやっぱりキリマンジャロでしょ!ナイロビでグズグズしていたら、、、もうすぐ雨季ジャン。雨季になったら登れない。タンザニアへ向けて慌ててナイロビを出発。おっとヴィザがいるんだ。タンザニアのヴィザは大使館で一日で簡単に取れます。まずバスターミナルで国境行きのバスを捜して乗車、出発時間は満員になったら。運よく1時間ほどの待ちでシュパツ。その前に両替、バスターミナルで闇両替の連中からタンザニアシリングが買えます。当時【1985年】はケニヤシリングがタ
2007年9月11日(火)はいは~い!座れっつの!!(暖かい眼差しを送る模範的ティーチャー)ってな感じでこの日も発音指導の授業を行いグレートティーチャー振りを発揮した。そして授業の合間にジャイアント馬場に女性の色気を注入したような同僚ティーチャーのトゥベキリ先生が....ケンタロー!また物価が急上昇する噂があるの知ってる?日用品今のうちに買っておいたほうがいいわよ!!
無事検疫通って降機許可でてヤンゴン空港へフリーsimは空港で時間取られるのが嫌でちょっとだけ割高ですけどバリに続いてAISにしました。8日間4G通話サービスはないですけど日本も有効なんで日本出国前に確認出来ますし残った分も8日間以内なら日本で使えます。Amazonさんで1520円前もうちょい安かったのに(泣)空港で両替しようとしたらまさかの円取扱い無し(市内には1件あるらしい)私はドルがあったので両替してもらおうとしたら最新のドル紙幣のみ取扱いなんちゅー国じゃあ
香港・尖沙咀~中国・広州香港の九龍エリアから中国へは紅磡駅から地下鉄で東部から深圳入りが一番メジャーだと思うがこの時期、デモの影響でこの紅磡から羅湖方面に行く地下鉄が運休。。(´・ω・`)ショボーンそもそも、携帯電話会社も中国系のChinaUnicomもChinaMobileも連日休業。開いているのは3hkだけ。。SIMカードは仕方なくチョンキンマンションで買った。そんな具合なのでバスで、しかもトータル3週間という旅程の短さを勘案して広州まで行く事に。チョ
おはようございます、yasuyoですDay7.マラウィの国境、イミグレで。ATMで順番待ちをし戻った私たちにシェフのジェニーが“早く米ドルに替えなさいよ”と闇両替商を勧める。両替所はないし、闇両替商を利用しないといけないのは分かってる。75USD×2人分=150USD(約15,000円)でも、私としては両替前に100Kwacha(クワチャ=マラウィの通貨)が何ドルになるのか知りたい。旅人として、価格を聞く前にお金を見せるなんてダメダメでしょ。増してや、闇両替商に先にVI
お元氣さまですソウル発1810のフライト✈️約6時間でミャンマー🇲🇲へ日本との時差が-2.5時間到着が現地時間の22時お客様約200人に対して入国審査のスタッフが3名ミャンマーも人手不足?それとも働き方改革?など考えながら入国しホテルまでは約車で30分ガイドさんに車内で両替をお願いすると1万で11万チャット(本来のレートとはかなり差がありました)日本円→チャットへの両替は空港内で看板を上げてる両替所はなく、いわゆる闇両替はありましたドル→チャットへの両替はレートが良い様です
きゃなり前の自分のインド旅行記抜粋若い頃のインド旅行日記あったので転載してみました。当時唯一の友人だった井上とマルコポーロ気分で行った海外旅行で現地で書いたものです。皆さんも是非日記を書いておきましょう僕はオッサンで今働いてる会社は結構ハードな肉体労働を3年以上続けていたためにブログやユーチューブでの文章がメンタルから乱れる事があって、暇れい取れなくて訂正できなかったので、12月で仕事を辞めて保険貰って半年働かない予定なので疲れてない冴えた頭でゆっくり訂正してゆけます。肩の痛
朝鮮民主主義人民共和国の今20(夏は1万円以上で落札された?大同江ビール)↑(1~20まではこちら)朝鮮民主主義人民共和国の今21(朝鮮の海水浴南中央日報州の南浦ビーチ〉朝鮮民主主義人民共和国の今22(日本の大手メディアが報じない庶民の素顔と日常)朝鮮民主主義人民共和国の今23(平壌センター駅の写真)朝鮮民主主義人民共和国の今24(祖国解放74周年公演の様子)朝鮮民主主義人民共和国の今26(平壌で日朝大学生が交流
一昔前の中国、どこの人民公園にもあったサーカス小屋。双子の小人が生まれたという古い新聞記事も貼ってあり、みんな興味津々で、入場料払って、テントの中に入っていくんだ。初上海は93年。大学4年の時、上海に船(鑑真号)で渡り、そのあと北上。少林寺で修業したり洛陽でのんびりした後(^^♪、シルクロードをバスで横断。チベットやパキスタン、インド、ネパール、スリランカなどを8か月かけて放浪。途中、竹林精舎で強盗に襲われたり、高山病やアメーバ赤痢で死にかけたりしながら、これからの人生の価値観を築きました。ち
田舎者上京するの巻(笑)どーもす。ろっぴすです。ってか!!!昨日の記事でレソノサウンドさんの所在地を思いっきり間違って書いておりました(おい吉祥寺じゃなくて巣鴨です。今週末イベントがあるんだけど気になってた方。吉祥寺じゃないです。巣鴨です(2回目さて。協力隊時代の友達に誘われて、当時非常にお世話になった派遣先のJICA事務所で署長をされていた方がまた海外赴任になるって言うんで送別会のために東京へ。アタシの最寄り駅から東京
20:00夕食の準備が出来たので食堂へ麦ご飯にチキンとトマトソースジャガイモのスープとパン🥖見た目と盛り付けセンスゼロですが味は美味しい♪22:30完全に色んな希望や願いを絶って寝ることに…朝も絶対出航してない気がする…((__))..zzzZZ翌朝7:00窓を開けるも景色は同じ…やっぱりか…(。-_-。)いつ出るんだ…いつ出るんだよ…これだけの時間があれば相当数の観光地へ行けるのに…なんでこんなつまらない場所でこんなに拘束される❓何故出航予定から12時間以上も
冷房効きすぎのターミナルで凍えながら過ごした一夜…寒すぎて熟睡出来ず…夜が明けて本を読んでいたら昨日のトルコ人のおじさんがやってきた(^ω^)メシ食うぞ〜❗️ハイ❗️行きま〜す✨ターミナル内に売店ぐらいあるかと思ってきたけど何もなくてホテル棟の方にほんの少し売ってるだけ…そのうち充実するでしょうけど( ̄▽ ̄;)カフェテリアに行くんだと思ったらおじさんがトラックの方へ←超大型トラックの運転手さんでした🚛アルゼンチンで運転したの思い出したわ(笑)ナント❗️側面にミニキッチ
メルブ遺跡観光の前に食べた中央アジア最初で最期のシャシリク❗️みんなで食べない時はロクな物を食べてないからお肉達は私にとって最上級のご馳走(❤️❤️)マンティ←餃子スープバージョ✨白いのは甘くないヨーグルトよく混ぜて食べると酸味があって美味しいよ🎵さ本日は朝からアシガバートの駅へ🚉今夜の夜行列車の切符を買いに行くつもりでした💧ここでは当日券のみ取り扱いしていますアシガバート駅の右横にあるチケット売り場へ🎫←でも大抵の日本人旅行者達は前日にここで購入しているので外国人は
クフナ・ウルゲンチの観光を終えたのが18:30遺跡自体が広範囲に広がっていて歩いていると時間がかかってしまった…(ノД`)シェアタクシーを遺跡付近で拾おうと試みますがあえなく失敗💨既に満杯か近くまでのタクシーのみ間違えて警察の車止めちゃってうっかり地獄の門に行きたいなんて言ったらトランジットビザなのに大騒ぎだわ(ーー;)アシガバート行きのバス乗り場はどこですか?って聞いて無事にやり過ごしました(笑)そうだよね〜ガイド付きツアー以外で来てる人少ないよね…世界遺産ですけどねっ
おそらくこのブログが読めるようになるのは数日後…トルクメニスタンにはWi-Fiがあまりありません…宿を探して見たものの…Booking.comにはトルクメニスタンの宿は一軒もヒットしませんでした〜((((;゚Д゚)))))))この時代に一軒もヒットしない国とか❗️あるのねっ❗️ってかまあそもそも自由行動の許されないトルクメニスタン(´-ω-`)基本的に宿泊移動先を全て申告した上で現地のガイドと共に入国する事が前提とされている国ですそりゃネットに載せる必要性がありませんわね…ここ
ヒヴァからトルクメニスタンへ抜ける方🉐情報を一番最後に書いてますので是非一度お読みください✨ウルゲンチからやってまいりました〜ヽ(´▽`)/ヒヴァはウルゲンチから30kmトルクメニスタンの国境からは56kmタシケントから西へ1000kmほど離れた街この街の先にトルクメニスタンへの国境があります←ちなみにヌクスからクフナ・ウルゲンチへの国境ルートもあるはずなんだけど現在開いているのか機能しているのかはわかりませんが一般的にヒヴァからのルートが多いかと思われます(ˊ̱˂˃ˋ
うわあ〜っ(´-ω-`)なんだか急に緊張してきました…今年2月から短期滞在は日本人はビザ不要になったウズベキスタン🇺🇿への陸路国境越え💨シムケントからのマルシュルートカが着いたのはジベック・ジョルの国境ここで降りて徒歩で出国手続きを行います(^ω^)特に質問もされず不可解な顔もされませんでした✨そのまま前を行く人について行きウズベキスタン側の入国手続きを行います(^_^)ここでも何も聞かれず最後に建物を出る前に簡単な荷物チェックだけされて終了〜所要時間15分でした
ブログのランキングに参加しました!目的は上位にランクインして人の目に触れることによってあわよくばハーレージャパンあたりからハーレーのメンテナンス代を賄ってもらうことを狙ってます(笑)日本からワンクリックの援護射撃よろしくお願いします!↓クリックして戻るだけの簡単作業です。今日からブログを読む前のルーティンに♪にほんブログ村腹減ったな。。昨日は結局ご飯食べるのが面倒くさくなってポテチとコーラで夕飯を済ませた。朝から腹減るなんて珍しいなーとか思いながら出
先日、留学生宿舎のことを書いたら当時の事情が興味深いというお声をいただきましたのでちょっとご紹介します。86年にワタシが短期留学した大学は北京でも有名な外国人に中国語を指導する大学でした。テキストもたくさん出していて、他都市の大学でも多くの留学生が使っていましたよ。なぜかというと当時から中国はアジア・アフリカから大勢の留学生を招いていて、まずこの学校で学びその後、専門の大学へと移って行きます。ワタシと仲良
今日は何としてもトルクメニスタンビザを申請したい日。6時半に着きたかったけど少し遅くなってしまった。大丈夫だろうか。朝のタシケントは爽やかで過ごしやすい。いい天気だーメトロの場所がわからなくておじさんに聞くとどうやら一緒に行ってくれるらしい。ありがとうおじさん!!が、しかし途中でマネーマネーと言い出した。そういうかんじ??案内してやるからチップってやつ?!ここもそういう感じなの?!?!しかし実際は何も取られず案内してくれただけ。おじさん、疑ってごめんね。多分闇両替おじさんだったんだね。(
5/27(土)今日は今回の旅で唯一の、都市間移動なし、町歩きオンリーの日だ。半日ではこのサマルカンド街は回りきれないようなので、前々からサマルカンド滞在だけは一日中歩き倒したいと思っていた。朝、宿のフロントに降りると「ザフトラ(朝飯)の時間だよ」と宿のおじさんに言われたので、食べることに。ウズベキスタンのホテルの朝食は、だいたい・ナン・目玉焼き×2・ソーセージ・プラスアルファというラインナップで、プラスアルファが何かの間違いで揚げパンだったりする。その場合、高タンパク高脂肪高
上海城市新聞Vol.27『10年ぶりの南京』(その2)⇒http://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/4f1554970c314c724ccf9f12e1a626e0【2日目:5月12日(金)】雨のち晴れ。繁華街の新街口を散策しました。南京旅行2日目の朝は、7:30に起床。外は、昨日の夕方から降り始めた雨が止んでいません。宿泊先の「明発国際大酒店(英文名:MingfaInternationalHotel)」、2012年開業と比較的新しいので、館内
今日は、久しぶりに、両替へ銀行に行きました。長い時間をまたしたので、お願いをいい、窓口へ、その窓口で、30分、数人ががやがや行って、両替システムをタイプするが、上手く操作できず、最後は、窓口へ、闇両替者を呼んで、両替をしました。前からですが、大口の両替では、銀行が闇両替者へお願いするという。上海では、そんなことはできませんが。中都市では、みんな仲間という感じです。これが中国の自由さというか、メンツと自分勝手という。窓口には、この騒動で、多くの人がにこにこしています。これも日中親睦で