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私人です。今年2月17日亡き兄の時に自習したことですが今朝早朝に大阪の妹から「お兄ちゃん、お母ちゃん亡くなった…」再び王の方々「何卒、情状酌量を切にお願いいたします!」天か地獄か、死者は10人の王に裁かれる-エンマと地蔵菩薩-【レポート】https://t.co/5VI3lNKAv1—忍野忍(@V4rvQ)September23,2021(抜粋)天か地獄か、死者は10人の王に裁かれる死後の世界では、10人の王がいて裁判官のように
白井城主が創建した素敵なお寺へ駐車場に昨年建立したばかりの鎮守堂があります金毘羅様や自分の干支の守り本尊に手を合わせることが出来ます参道沿いのお地蔵様です六地蔵は制作年代がまちまちのようで作風が異なります馬頭観音こちらが初めて見る念仏供養塔と兼ねた結界石でした禁葷酒曹洞宗のお寺です有料拝観にしてもよいのではと思うくらい美しいお庭でした城主の護持仏という力強さと優しさのある閻魔大王様建物の脇に十王様が祀られていました左手に巻物を持っているようです
よく晴れました☀️探検に行ってきました⭐︎石仏地図手帖という本に載っている石仏を探してきましたこんにゃく畑沿いの十王様達奪衣婆や浄玻璃の鏡もありました⭐︎
さいごに蓮華院です上田市に北向観音という大変霊験あらたかな観音堂があり3月に訪れた時に記事にしていますが、そのお姉さんにあたる観音様がこちらにいらっしゃるとのことです↓観音堂の手前の右手に奪衣婆↑↑観音堂の手前、左側に閻魔王です向き合っていましたこの閻魔様おとなしそうに見えて意思は強そうです足の裏が見えすぎて不自然ですが全体的に良い像だと思います顔に皺が多く、日本猿のようですが知的に見える奪衣婆みっつのお寺いろいろな閻魔王、奪衣婆がいましたみなさんは
雨のお盆休み長雨による水害、土砂災害が心配です高崎市倉渕町探訪記スタートです道祖神の里と言われる石神仏の多い地域です近頃あちこちでご縁のある閻魔王と奪衣婆倉渕町のみっつのお寺でまた良い出会いがありました⭐︎それぞれ大きめで個性豊か。比較して楽しんでいただけたら。。と思います簡単な地図ですが上の方にある・まずは東善寺から。。・次に右の全透院・さいごに蓮華院です・そしておまけの番外編謎の二仏の小話。(6.12.18.22時の投稿です)その①小栗上
3日に訪ねたお寺にて謎の石仏がある!と思いましたが清瀧寺の副住職さまのおかげさまで何だか分かってきましたありがとうございます⭐︎この方は。。奪衣婆では?とご意見をいただきました絵図をよく見ると似たようなものが載っています3枚目の絵図を見てみてください。・ふたつの頭は檀荼幢(人頭幢)のようです読み方:だんだどう(じんずどう)"嘘発見器"のように心を見透かし罪の臭いをかぐ。。そして悪事は閻魔様に報告されてしまいます深いですね。。見る者の心を戒めるのでしょう
奥田から観音堂を探しながら坂道をのぼって行きますとこのような塚を発見!石を組んで小さな階段まであってとても良い感じです何か見つけると車が停められそうなら停めてみます民家や集落はありますが誰にも会わず車も来ずのどかなところです庚申塔でした両側に石仏も居るようです数が足りませんが十王のようです野ざらしでだいぶ朽ちてしまっています一番右の王様が一番大きくて威厳があります閻魔大王様でしょうね目が大きくて、表情が良いです岡崎の岩屋でも十王様にお会いしましたが
太宗寺たいそうじ7月16日薮入です閻魔様のご縁日ですので閻魔様のいらっしゃるお寺にうかがうつもりでおりました私が知っている、あるいはよく行くお寺で閻魔堂があるお寺と言えば…(よく行く)宝珠院九品仏浄真寺(行ったことがある)圓應寺実相寺源覚寺西明寺などが思いうかびましたが…迷う…ヨシ、ここは普通に考えてメジャーなところに行こうと…と言うわけで江戸三大閻魔のひとつ新宿の太宗寺に決定しました新宿御苑駅からテクテク👣3分ほどで到着お地蔵様がいらっしゃ
ご訪問ありがとうございます十王詣とは1月16日、7月16日の閻魔王(えんまおう)の賽日(さいにち)と称し寺院で十王図や地獄変相図を拝観したり閻魔堂に参詣する事ですこの日は地獄の釜の蓋(ふた)もゆるむ日とされています十王とは冥土(冥途)(めいど)(あの世)にいて亡くなった人の罪を裁く10人の判官の事で秦広王(しんこうおう)初江王(しょこうおう)宋帝王(そうだいおう)五官王(ごかんおう)閻魔王変成王(へんじょうおう)太山王(だいざんおう)平等王都市王五道転輪王の
寺社探訪記が書けず石仏のお話を。。佐鳥俊一さんの昭和50年発行の群馬の石仏という写真集を見返していたら自分が見た石仏がけっこう載っていますつい最近掲載した○桐生市大雄院の薬師如来です昭和50年(1975)令和3年現在(2021)46年後○高崎市蓮華院の大日如来昭和50年令和3年現在○東吾妻郡原町善導寺大日如来この写真は写真集の1ページ目に掲載されていて佐鳥さんも大好きだった石仏と思われます藪のような中雪の中、と2枚も掲載されていました昭和50年
北向観音堂は平成十七年に再建されたようですが元禄時代の閻魔様が居ますから歴史があると思います本日また再訪してよく見てみると年号をみつけることができました元禄二天1689年左手が人差し指、小指をたてた印相になっています真っ赤に塗られていたようです赤い門と赤い閻魔様が良い感じなのですが近々門を修繕してしまうそうで雰囲気が変わってしまうかもしれません北向大悲殿観音様がまつられ御縁日は一月六日だそうです新しいけれど面白い彫刻がありました↑謎のお堂については
皆さんもお寺やお墓に行かれると、しばしばお地蔵さんを見かけられると思います😊お地蔵さんは正式には『地蔵菩薩』といい、六道輪廻の中でも地獄に苦しむ者を抜苦与楽する代表的な存在です✨地蔵菩薩及びその信仰は、もともとはインド内起源説によるものとされていますが、信仰が日本に伝わり、地獄への恐怖を解消するものとして広く民衆に浸透しました。また、道祖神的な存在として信仰されています。さて、我々が目にするお地蔵さんにもいろいろな種類がありますね。例えば、水子地蔵とげぬき地蔵子安地蔵身
"蓮華院の石仏"門を入りすぐ右手へ墓地の入り口に奪衣婆、十王などが祀られていました十王様達より奪衣婆がとても大きく威厳がありお花が供えられていました肩が大きく体格が良い目がくぼみ表情があまりわかりませんが強そうで不気味さがあります奪衣婆正徳二年1712年馬頭観音天明四年1784年十王の多くが首を落とされてしまっていてこのおふたりは地蔵様の首が付けられているのでした閻魔大王は首のないままです。。大王だけ蓮台に座っています両手のひらを施無畏印
"岩井堂の石仏群"ここの御堂の風情が好きなので通りかかると寄りたくなります坂をあがっていくとつきあたりは大鳥神社です右手の岩盤に沿って岩井堂観世音御堂があります4月18日に春の大祭があるとのことで手作りの装飾が残っていました↓洞窟内に石仏が多数安置されています前回お詣りしたときとすこし配置が変わっている気がしました見やすいようにすこし並べ直したのかな。この奪衣婆はおもしろいです猫のひげのような顔の皺やさしそうなお顔閻魔大王様もこのような洞窟内にいると雰
知り合いの俳人Nさんから『真光寺さんの閻魔様は赤くて大きくて凄いのよ』と聞いたのでお詣りに行ってきました天台宗のお寺です大師様入滅の日のご縁このお寺には何度もお詣りしていますが閻魔堂内を見るのは初めてでした。。。覗く穴があると聞いたので覗いてみましたら。。。目が合ってしまいますうひゃぁーなんでもお見通しの大きな目ですね他の王様の小さな像もずらり綺麗な白いお地蔵菩薩様もこれまで見た中で一番大きな閻魔大王様でした
迦葉山の狛犬と石仏狛犬がお好きな人が多いと思うので狛犬から。とても可愛い顔をしています昭和2年建立=1927年今回は参道の入り口の石仏に気がつき車を停めてみました閻魔王観音様か丁石このような石仏を行く先々で目にしました『迦葉山中峰尊二十三丁』笑顔の道祖神・握手像もありました進んでいきます橋のたもとに観音様進んでいくと。。十九丁また進んでいくと。。また観音様ですこの参道沿いにも居ました片膝を立てる輪王座烏天狗ギャラリー本当は立派な台がありすっくと
高崎・倉賀野探訪記もさいごの話になります妙典寺さんには高遠石工石仏や庚申石祠の他にも味のある面白いものがたくさんなんだろう?怖い顔だからお不動様なのかな?とよく分からなかったのですが剣は持っていなくて。。手元を見ると左手に帳面のような四角いものと右手に筆のようなもの十王様かな!もじゃもじゃ頭かと思いましたが冠のようなものなのでしょうか『悪いことをしたら見逃さぬぞ〜』すごいつり目です違う人の作風で残念ながらお首はありませんが閻魔王と奪衣婆の石仏もあり
今回は日本でも仏教に関心が薄くても名の知られた地蔵菩薩様との対面をしていると思います中国、十王信仰で閻魔王と呼ばれていますまさに『天国行』か『地獄行』と判決を下されているイメージどうか天国へのお導きをお願い致しますメイと自分は恵まれているなと最近感じます公開はしていませんがブログにコメントを頂いたり友人に声をかけてもらったり生きてる私はいいんです生きているんですからメイの事を察して声をかけたりコメント下さる方々本当にあり
鎌倉13仏五番札所【円応寺】(えんのうじ)亡き人が五七日(35日目)にお世話になるとされている仏様地蔵菩薩(じぞうぼさつ)お姿を拝見出来なかったのでお写真はありません。↓こちらは地蔵菩薩の化身閻魔王(えんまおう)地獄の裁判官として知られる閻魔王閻魔大王は亡者の魂を裁き生前犯した罪の重さに対して六道(天上・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄)の、どこに送るかを決ます。真っ赤な顔をして目を見開き恐ろしい形相をしていますが閻魔
◼初めましての方はこちら☆※『今日も愉快な神さまたちが大暴れ☆』大人気スサノオシリーズが始まった話はこちらから☆【このブログはシェア、リブログ、転載大歓迎です☆】荒川祐二&Teamスサノオです☆まずはみなさんにお知らせを☆本日無事2020年8月1日に開催された『九州初上陸八百万の神喜劇』にご寄付頂けた皆さまへ特典のYouTube動画をお送りさせて頂きました☆もしまだ『届いてないよ~!』という方はお手数ですがyujiarakawa0428@gmail.
おはようございます京都のkojiro(小次郎)です今日は2020年8月13日木曜日今日から小次郎の短い夏休みが始まります。小次郎は先日(7月24日)からブログの趣向(内容?)を変えたつもりだったのですが、以前とあまり変わっていませんね(笑)。いまとなっては、このブログのどこをどのように変えたかったのかを正確に思い出すことも…。この中身のないブログをいつまで書き続けることができますやら(許せますやら…笑)。さて、今回の「kojiroの京散歩」は京都市上京
25.0㎝×52.5㎝閻魔庁審判?!私加納朱美が勝手に名付けました…閻魔王(向かって右側)閻魔帳記録官(向かって左側)質怛囉笈多ちとらぐぷた※チトラグプタ(サンスクリット語:चित्रगुप्त、「秘密が豊富」または「隠された絵」)は、地球上の人間の行動の完全な記録を保持する任務を割り当てられたヒンドゥー教の神・本日ノ被告元日本国議員・罪状汚職欺瞞無責任税金泥棒他・原告無頼石人👹加納石人の書の世界へお越し下さり、ありがとうございます。何
鎌倉五山第二位円覚寺建長寺に次ぐ大きな禅寺です。JR横須賀線の線路をまたいだ参道ちょうど登り列車が来ました。総門緑の紅葉も綺麗です。境内案内図建長寺同様いくつも塔頭寺院がありますが、一般の参拝はしていないところが多いです。桂昌庵入山受付のすぐ左にあるお堂閻魔王がまつられていてこちらには弓道場があります。山門山門?三門?どっち~?山門を取り巻いての盆踊り。。でも今年は無いよね。。仏殿ほぼ貸し切り状態でした。コロナ前は中に入って拝観できましたが今は入り口か
みなさんおはようございます~(*^_^*)スマホの充電何%ぐらいになったら焦ります?もちろん充電器手持ちにないとしたら?私は…8%ぐらいかな?ご朱印帳アップしてないですここはしてないのわかってます買ったところですから京都東山の六道珍皇寺特別拝観バージョンですなんとしても閻魔大王が欲しくて…この閻魔王の印いいよね~小野篁公のご朱印帳もありました、これはこの閻魔大王の朱印帳を買った人だけがしてもらえるご朱印ですご本尊の薬師如来です閻魔大王の
ステイホームの予定でしたが、今日24日はお地蔵様のご縁日特にお盆の月は地蔵盆と言って特別なご縁日!と聞いて会いに行かない訳はない。お地蔵様と言えば閻魔王という事で鎌倉圓應寺から昨年9月にお参りしてます。その時の記事はこちらに↓鎌倉三十三観音&十三仏その32019.9.7『鎌倉三十三観音&十三仏その3』夏休みも残り3日今日は北鎌倉駅から建長寺方面へ。鎌倉三十三観音第30番札所明月院紫陽花で有名なお寺です。残念ながら8月ですので紫陽花はもう咲いてませ…a
【京都】京都市伏見区淀新町にある鳥羽伏見の戦い幕府軍野戦病院の地長円寺毎年7月末にある夜閻魔ですが現状疫病対策の三密を回避することが不可能のため今回の夜閻魔は郵送対応のみとなっています(予定数に達し次第終了)行事はネット配信予定との事※現在、参拝は受け付けていません詳細などは長円寺公式HPを見て下さいね【長円寺限定御朱印】御朱印帳に直書き【長円寺御朱印】守護龍(片面)【長円寺御朱印】無病息
今市場十王堂(愛知県津島市)『いまいちばじゅうおうどう』と読む十王堂は、津島駅前近くの交差点の角にある小さな御堂であり、御本尊は『地蔵』であることから、『地蔵十王堂』とも呼ばれているようですまた、江戸時代にはここを含めて、津島市内には東西南北の四ヵ所に十王堂があったようですが、現存するのは、ここの御堂のみのようです▼十王堂入口▼▲寺号標▲▲案内板▲▼今三神社▼▼扁額▼▲十王堂正面▲▼十王堂内部▼▲十王(閻魔王)▲▼境内(十王
ただただ写真並べてるだけのブログですが、まだまだ続きます。このうちになんかしっかり記事書いたらええとこなんですが、自粛で家に引きこもって日々ダメ人間になってますので頭も働かなければやる気も起きないので。本日ご紹介するのは六道珍皇寺の御朱印帳です。ド迫力の閻魔さんに惹かれて購入しました。ページ開くと、閻魔さわの宝印が印刷されています。さて、こちらに戴いた御朱印は、六道珍皇寺大覚寺・六道珍皇寺増上寺空鉢護法堂・朝護孫子寺法住寺・信貴山奥之院盧山寺興福寺・永福寺東大寺四月堂・
4月2日、ミニベロで旧西尾区歴史ポタ③.1.みどり川の桜編2.康全寺本堂編に続いて、康全寺の続き。家康から康の字をもらった。かごの所有が許された有力な寺社。禅堂(西尾郷学校玄関)本町にあった西尾郷学校の玄関を移築したもの。明治24年、この建物を利用して西尾幼稚園が開園。県下で3番目の幼稚園だった。学の瓦が残る。?天明7年というから古い。獅子頭。閻魔堂。十王堂ともいう。閻魔堂彫刻群
参拝者用駐車場に美しく咲いていました🌸愛知県豊川市曹洞宗永福寺防犯上、扉は閉めてありますが施錠はしてありませんので、自由に上がってお参りして下さいとご案内があります。ご住職をお見かけしましたがお彼岸で、お忙しいご様子でしたのでご挨拶のみ。御朱印は、またいづれお願いしたいと思います観音堂向かって右が瑠璃光殿感染症の収束を祈りました。向かって左が十王堂中央のお地蔵様が閻魔王の本身。人が亡くなると、十人の王様の前を通って、おしらべを受けるのだそうで