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明治の初期、京浜間や阪神間に就航した汽船は、日本に進出した海外商社や、有力な藩、資産家によって運航された。その後、鉄道開通によって需要に変化が生じると、汽船航路は東京湾内外や瀬戸内海沿岸各所に拡がった。瀬戸内海から出た航路は、九州では長崎や大川、鹿児島へと延伸した。手許にある保存状態の悪い引札。山高五郎氏は『日の丸船隊史話』で「明治6、7年頃のものと思う」と紹介されている。但し、船宿名をはじめ、細部は色々と異なっている。この引札の最遠の就航先は長崎。大阪出港日は「毎月二日、七日、十二日、十七日
帰りのフェリーから写した明石海峡大橋大橋です。瀬戸内銀座と呼ばれているほど大小の船が航行しています。四国の内海を通る航路なので一晩中漁船だったり、貨物船だったり、いろいろな船も見られるし、対岸の広島の工場などの夜景も遠くから見ることができます。朝日が昇りゆくにつれ刻々と変わる景色を眺めるのが好きです。特養の介護士さん達はとても忙しそうです。私達を応対中も途中で席を外されます。母の特養はクリニックが運営しています。クリニックの先生にもご挨拶をしておこうと手土産
①2009.6.27松山観光港大分に向け朝の松山観光港を出港する「さんふらわあこがね」です。ファンネルマークからわかるようにダイヤモンドフェリーに移籍後の姿です。この頃は関西汽船とダイヤモンドフェリーの再編の過渡期で、発着地や寄港地の変更が頻繁に行われていました。本船の航路も大阪-松山-大分と、それまでの両社の航路をミックスしたようなものになっていました。この翌年、関西汽船に残った「さんふらわあにしき」とともに引退しましたが、代替ではなく減便でした。②関西汽船時代の絵
1997.10.25徳島港徳島港に入港する「おとわ丸」です。船首の逆Y字型のマストは竣工時には無く、後から取り付けられたものです。徳島/阪神フェリーの名称で、共正汽船の「おとめ丸」、共同汽船の「あきつ丸」と3社共同運航を行っていましたが、この翌年明石海峡大橋が開通し、航路廃止となりました。船歴1971.8進水(四国ドック)1971.10竣工1971.10.21大阪、神戸-徳島航路に就航1995.1.17阪神大震災1995.1神戸-徳島航路休止
皆さんこんにちは。1999年京都駅に撮り鉄に出かけた時急行たかやま号の自由席を利用した時みたいです。その時の模様は過去に2階ほど記事にしていてそのうちの一つは以下のリンクからどうぞ。急行きたぐに号B寝台券。もしかすると最近記事にしたかも。続いてこの切符は完全家族旅行の時だったので手元に他の写真は全く残っていません。1984年です。信州への旅行の行きに急行ちくま3号のB寝台を利用した時のものです。この時のことは全く覚えていません。その帰りは、急
①1981.1.7松山観光港松山観光港を出港する「はやとも丸」です。松山-小倉航路初のカーフェリーですが、元は土佐特急フェリーの「とさ」で、大阪-高知航路初のカーフェリーでもありました。この時点では本船一隻体制で、小倉発が夜行便(22:00発、翌5:00着)、松山発が昼行便(13:00発、20:00着)でした。なお、今年(2025年)6月30日の小倉発便をもって、本航路は廃止となりました。②観光絵葉書より、浦戸大橋をくぐる「とさ」③観光絵葉書より、松山観光港
①1992.7.25高松港別府上り便で朝の高松港に入港する「あいぼり丸」です。この一週間後に「さんふらわあこがね」(と「フェリーコスモ」)が就航し、「こばると丸」とともに引退しました。ダイヤ上は「さんふらわあこがね」(と「フェリーコスモ」)が「くるしま7」と「くいーんふらわあ2」を置き換え、これら2船が玉突きで本船と「こばると丸」を置き換えたことになります。②進水記念絵葉書には、広重による本船の生まれ故郷浦賀の風景画船歴1967.4.12進水(浦賀重
ごきげんよう、まんきんたんです今日は「散髪」に行ってきました馴染みの道後の散髪屋です。昔は大阪に最新理容技術の勉強に行っていたらしく、懐かしい「関西汽船」の話で盛り上がりました。まんきんたんは大学時代や小学校の修学旅行も「るり丸」「こばると丸」に乗ってました。そういえば二等客室はいつも満室で、通路に毛布を敷いて寝る人もいましたね老若男女入り乱れての雑魚寝で、いびきや足の悪臭で眠れなかった経験は皆あったんですねー。高波で船が揺れて沈むん
関西汽船が開設した伝統ある航路がこの度廃止され、国内から昭和時代に建造された千トンを超える旅客船による定期船運用が無くなった…この小倉松山航路はご近所だったこともあり非常に親しみのある航路だったので何度も利用していたが、前述のように引退時の船が昭和時代の建造で長く同一航路で使用されていたことと、ダイヤも航路廃止まで大きな変化がなかったので、経営者が石崎汽船になってから私は1度も乗らずに航路廃止になった。なので画像が1枚も無いのだが、関西汽船時代のパンフレットは各種あるので、久しぶりにスキャン
1995.1.16大阪港震災の前日、弁天埠頭に向け安治川を遡航する関西汽船の「くるしま7」です。本船は「くいーんふらわあ2」とともにこの月で引退しましたが、代替ではなく減便でした。これをもって別府航路は全て「さんふらわあ」となり、南港(かもめ埠頭)発着に集約されました。当時の「世界の艦船」[1][2]によれば、引退後はそのまま大阪港で被災者のための宿泊船になったとのことです。船歴1971.4進水(林兼造船下関)1971.8.2竣工「黒潮丸」として阪神-那覇
4月19日。前日夜から当日早朝にかけて長野県北部地方で地震が頻発していて、経路上でもあり今回のお出掛けは急遽取りやめました。今回は・・この続きです。『大分駅経由で別府港へ~令和6年12月大分ホーバー旅(その4)~』4月16日。この週末の無茶旅・・・移動をどうしようかなぁ。夜行にするかどこかホテルを取るか・・・。さて、12月14日。春日浦バス停から路線バスに乗って大…ameblo.jp12月14日~15日。別府港から乗り込むのは商船三井さんふらわあ「さんふらわあく
大船渡の山火事が鎮火して間無しやのに、愛媛今治や岡山等で山火事どこの山火事も気になり、早く鎮圧出来てほしいが、特に今治の山火事が気になるもう何十年も昔やが、母方の祖父母が今治に住んでいたとうに廃止となった弁天埠頭からの関西汽船で、何度も今治へ行ったとは言うものの最後に行ったのは50年前になるけど今や断片的な記憶しか無い今治やが、少しでも縁があると、やはり気になる祖父母宅があったのは、川の河口のそばで沿岸部やったけど…それでも今治市内となると、やはり意識が向く今回の山火事が早く鎮圧
身体の一か所が若返るならどこがいい?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう「足腰」と言いたいところですが体脂肪(体重)を減らさないことには足腰への負担が軽減されません。またすぐガタが来ると思われます。1973年11月14日山口県下関市と福岡県北九州市門司区を結ぶ関門橋が開通しました。今日は「関門橋の日」でもあるそうです。2019年6月8日に撮影した関門橋です。背景は山口県側の火の山。門司港駅の駅前付近で撮影しました。門司港駅※音量にご注意下さい/3
関西汽船のこばると丸です。懐かし~。今でも関西汽船ファンは多いのではないでしょうか?製作期間は8/25~11/10の3か月足らず。1/200なので、全長は45cmほど。これまで作った中で一番小さいです。(ただし今回はちょっと出来が良くないです…)この船には小5の時に父親と神戸から今治まで乗って、とてもうれしかった記憶があります。本当は、2等客室は照明が消えなかったのと、枕がめっちゃ堅かったのと、夜に目が覚めて外に出て、流れる波をチラリと見た程度しか覚えてないんだけど…。ま
今日は、午後からTVで「SUPERGT第7戦」大分のオートポリスでの決勝を見ていました。3時間のタイムレースで、セーフティーカーが4回も入る波乱のレースで、最後はセーフティーカーが先導したままレースが終了しました。GT500では、息子の推しの日産の「MOTULZ」が2位、「NiterraZ」が3位、「MarelliZ」5位と、まずまずの成績でした。あれ、ポールポジションを取った「REALAIZEZ」は?再開を走っていたようですが、最終周で止まったの?近藤真彦監督、どうなって
2024年の台風10号では、大阪南部に8月30日の夜から31日の午前中にかけて雨を降らせましたが、大きな被害等はありませんでした。この台風、当初は8月24日にも紀伊半島付近に進んでくるような予想でした。台風10号・8月24日6時の進路予想(引用:HP「ウェザーニュース」)ところが、本日(8月31日)までの進路とその後の予想は…。台風10号・8月31日12時の進路予想(引用:HP「ウェザーニュース」)この台風、進路予想する方々も大変だったと思います。8月28日頃は、
ここのところ、暑すぎて…。これしか言葉になりません。と言いながら、昨日は神戸で3万歩歩いてました。今日も、午前中に築港地区を歩き回って1万歩歩いてきました。今回は、7月26日の退社後に寄り道した大阪・弁天埠頭について取り上げてみます。大阪港は、昭和4年に完成した現在の地下鉄中央線・大阪港駅のある築港地区に設けられた中央突堤や天保山地区を中心に発展してきました。現在の大阪港・天保山桟橋しかし、大阪市の中心が安治川を遡った川口地区から梅田などの内陸部に移動していったことで
大阪商船時代からの伝統と格式のある「大阪~別府」航路。この航路に長年就航していた2隻のフェリーが今回リプレイスされ、2024年問題に対応して船を大型化し、環境問題に配慮して燃料をガスに替えた船の就航に伴って今回引退となった…昭和感の漂う別府観光港のターミナルはがらんとしたスペースが広がっていて、今回の新造船就航による大型化に併せて新しいターミナルを作っているので、恐らく細々と引っ越しが始まっているような印象があった…特に2階の出発口には椅子もほとんど無くて、廃墟になりつつある感が漂っている
今年になって5回目の大分への帰省をしてきました。今回は長女と5歳の孫を連れての帰省です。夫婦二人だけの帰省とは違い船内泊2日、ホテル2日の5日間朝から晩まで孫と長女が一緒なのでとても疲れました。今回の帰省は5年間大分市内の住宅型有料老人ホームから地元の介護サービス付ホームに引越しをした母(92歳)の衣替えと孫である長女とひ孫を義父、父の墓参りをさせることと義母(93歳)母に面会させる為でした。孫が一緒なので他の人達への迷惑と孫の安全の為に今回はフェリーの部屋をワンランク
昨日、ネットのニュースを見ていると、次のニュースが目に留まりました。「海上自衛隊が太平洋戦争中のものとみられる機雷を爆破処理北九州市の沖合」海上自衛隊が太平洋戦争中のものとみられる機雷を爆破処理北九州市の沖合|TBSNEWSDIG(1ページ)北九州市の沖合では、海上自衛隊が太平洋戦争中のものとみられる機雷を爆破処理しました。きょう午前、北九州市若松区の沖合で機雷の爆破処理が行われ、およそ100メートルの水柱が上がりました。処理されたのは長さ…(1ページ)newsdig.t
昨日、今日ともうひとつ何もやる気にならず、うだうだとしていました。それでも、今日は午後から少々古い写真の整理をしてしていると、こんな写真が出てきました。平成元年から2年にかけて、当時住んでいた大分から実家のある鳥取・米子市の近所まで帰省するのに、別府-高松間を船に乗り、瀬戸大橋線で岡山、岡山から伯備線の特急「やくも」で米子、というルートを何度か利用していました。このルートは、JRで大分-小倉間を特急「にちりん」、小倉-岡山間を新幹線で行くより安く、また夜間に移動ができることから、結構便
(在りし日のロイヤルウイング)【2023.9.6更新】※2023年8月下旬、ロイヤルウイング解体完了※直近の本文は本記事の最後に記載長年にわたり横浜港で活躍を続けてきたレストラン船「ロイヤルウイング」。2023年(令和5年)5月14日(日)のファイナルクルーズをもって引退した。●数奇な運命、関西汽船くれない丸からロイヤルウイングへ「ロイヤルウイング」は、もともと、大阪・神戸〜四国高松・松山〜九州別府等を結ぶ関西汽船の瀬戸内海航路客船「くれない丸」(三代目)として、1960年(昭和35
大阪港と別府観光港の防波堤灯台を、関西汽船の船を絡めて撮影した写真です。防波堤灯台と旧関西汽船フェリー|俊樹防波堤灯台と旧関西汽船フェリーnote.com
乗ってたのは、ゆふ丸かまや丸だったか、くるしま7だったか、どれかだと思う…出て来るのは、英鶴丸、フェリーすずらん、ゆふ丸、ほわいとさんぽう3…あと、フェリーじゃないけど、ジェット7。小豆島へ向かう船上から…小豆島の岬から…|俊樹小豆島へ向かう船上から…小豆島の岬から…note.com
(前回記事の続き)★過去記事↓↓さよならロイヤルウイング(元関西汽船くれない丸)乗船記①/横浜大桟橋へさよならロイヤルウイング(元関西汽船くれない丸)乗船記②/横浜港大さん橋国際客船ターミナルさよならロイヤルウイング(元関西汽船くれない丸)乗船記③/横浜港夜景クルーズさよならロイヤルウイング(元関西汽船くれない丸)乗船記④/さるびあ丸行き違い、みなとみらい夜景さよならロイヤルウイング(元・関西汽船くれない丸)長年にわたり横浜港で活躍を続けてきたレストラン
神戸港には、港入口に「神」「戸」「港」と書いた看板を掲げた防波堤灯台がある。名称は「神戸第一防波堤東灯台」(※“港”は付かない)。旅客ターミナル等がある場合に建物屋上とかに港名を掲げているのは普通だが、港入口の灯台にこの様な文字で示している例は他には無いとか。(空港だと滑走路の端辺りに書いてたりするけど…)この看板、書道家の長浜洸さんが、昭和40年頃まで度々台風被害を受けた港の安全を祈願して書き上げた物を掲た、という。以後港は大きな台風被災は無いとか。神戸灯台と「神戸港」灯台|俊樹神
(前回記事の続き)(夜の横浜港大桟橋に停泊中のロイヤルウイング)★過去記事↓↓さよならロイヤルウイング(元関西汽船くれない丸)乗船記①/横浜大桟橋へさよならロイヤルウイング(元関西汽船くれない丸)乗船記②/横浜港大さん橋国際客船ターミナルさよならロイヤルウイング(元関西汽船くれない丸)乗船記③/横浜港夜景クルーズさよならロイヤルウイング(元・関西汽船くれない丸)さよならロイヤルウイング(元・関西汽船くれない丸)長年にわたり横浜港で活躍を続けてきたレストラン
(前回記事の続き)(ロイヤルウイング前方の横浜ベイブリッジ)★過去記事↓↓さよならロイヤルウイング(元関西汽船くれない丸)乗船記①/横浜大桟橋へさよならロイヤルウイング(元関西汽船くれない丸)乗船記②/横浜港大さん橋国際客船ターミナルさよならロイヤルウイング(元・関西汽船くれない丸)長年にわたり横浜港で活躍を続けてきたレストラン船「ロイヤルウイング」は、2023年(令和5年)5月14日(日)のファイナルクルーズをもって運航休止に。休止理由はコロナ禍における諸般の事情
(前回記事の続き)(横浜港大さん橋国際客船ターミナル内のロイヤルウイング大型模型)★過去記事↓↓さよならロイヤルウイング(元関西汽船くれない丸)乗船記①/横浜大桟橋へ『さよならロイヤルウイング(元関西汽船くれない丸)乗船記①/横浜大桟橋へ』さよならロイヤルウイング(元・関西汽船くれない丸)長年にわたり横浜港で活躍を続けてきたレストラン船「ロイヤルウイング」が、2023年(令和5年)5月14日(日…ameblo.jpさよならロイヤルウイング(元・関西汽船くれない丸)長年に
(実は60年選手でした)横浜港を拠点に運行している船に「ロイヤルウイング」というレストラン船があります.この度,2023/5/14をもって引退することになりました.https://www.royalwing.co.jp/news/information/2023/post-67.php実はこの「ロイヤルウイング」,1960年に関西汽船(現:フェリーさんふらわぁ)の「くれない丸」として阪神〜別府航路に就航して,実に63年もの間使われていました.「ロイヤルウイング」になったのは19