家康は母の葬儀について芝増上寺の第十二世存応に相談した。存応は、師の了誉上人が、小石川極楽水(小石川七福神の一つ☝️)というところに開いた草庵(無量山寿経寺)があり、それがすっかり寂れているが、名僧了誉遺構の為にも、そこを於大の菩提寺とされるようにと建言した。家康は、今の地に十万坪の寺域を選び、草庵を移して寺院造営し、於大の死後六年目(慶長十三年-1608-)に完成。諸堂も整い、学寮を設け、浄土宗関東十八檀林の一つに定めた。その後、明治41年に火事で焼失、六年の歳月をかけて再建したが、戦災で建造